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2005年5月8日 (日)
湯の町熱海の廃線跡−東口軽便線跡探訪

 懸案だった熱海丹那トンネル東口軽便線跡の探訪を大型連休最後の日曜日に行いました。
 頼りは「丹那隧道工事誌 鉄道省熱海建設事務所 昭和11年3月発行」に載っていたこの地図と以前拙HPで記した文献「軌跡 丹那トンネル 完成までのミステリー」だけです。
 まずこの地図の説明を。左側が熱海湾、右側が山−丹那トンネル東口です。その間を線で結ばれてますが、これが東口軽便線です。特徴は円を二つ重ねた奇妙なルートです。
 東口線が撤去されてから80年経ってます。なにか遺構が残っているでしょうか?
2005年5月8日 (日)
丹那トンネル東口

 丹那トンネルは1913年(大正2年)測量開始、1918(大正7)年着工、1933(昭和8)年貫通、1934(昭和9)年12月に東海道本線が開通というのがその歴史です。
 写真はその東口です。軽便線は熱海海岸から工事用資材をこの東口に運ぶためのものでした。
 軽便線は大正5年着工、大正7年竣成、大正14年3月熱海駅開通に伴い使用を中止、同年11月撤去されました。
2005年5月8日 (日)
軽便線終着地点

 丹那トンネル東口から西熱海ホテルを眺める。西熱海ホテルが鎮座する山は丸山と言うらしい。手前に初川が流れている。初川と丸山の間に駐車場がある。ここが線路平面図では終着地点である。
 しかし、痕跡は残っていない。全くわからない。
 駐車場はJRの関係らしい。写真は駐車場からJR線路をみたところ。だが、草木でこんなもの。
2005年5月8日 (日)
丹那トンネル工事の土砂捨て場

 JR伊東線来宮駅の目の前には熱海市営駐車場が広がる。愛車をここにおいて(どれだかわかるかな)、探索をはじめたわけだが、この土地こそ前に聞き取りで得られた「トンネル工事の土砂は梅園の谷を埋めた」場所だと思います。
 海岸端からタクシーでここに戻ってきたのだが、タクシーの運ちゃんが言うのは市営の駐車場のなかでここが一番安い料金だそうだ。1時間100円でした。他は30分100円、半分か。熱海市営駐車場の案内はここhttp://www.city.atami.shizuoka.jp/access/access02.html
2005年5月8日 (日)
丸山の麓

 東口軽便線は丸山の麓−来宮駅側を通り、熱海海岸へ高度を下げていった。梅園を通って熱函道路に続く道(県道11号線)から丸山の頂上に立つ西熱海ホテルに登っていく近道がある。そのあたりを通っていたはずだが、現在痕跡なし。人しか通れない近道は違うようだし、山の斜面にも構造物は残っていない。
 丸山から初川に向かっては大変な急斜面でここを通すとなると山の斜面を削って軌道敷を作ったはずだと思うが、見当たりません。残念!
2005年5月8日 (日)
唯一の写真

 東口軽便線について書いてある「丹那隧道工事誌」には写真が1枚載っている。白黒の写真で遠景がはっきりしないが、築堤が手前から右奥にかけて降りている。その上には真新しそうなレールと枕木が敷かれている。築堤より一段下がったところに道が見えている。残念ながら汽車や貨車等の列車は写っていない。
 この場所がどこだか「丹那隧道工事誌」には記載がないが、県道11号から見たここがその場所のような気がする。建物の影に隠れてしまっているが、下に道が見えている(後で通る道だ)。風景の下り具合も似ている。
2005年5月8日 (日)
さあ、熱海海岸へ

 さあ、県道11号線から熱海海岸へ向かってGO!結構急な坂道である。だから、ここは通っていないはず。次なる遺構は(ってまだ一個も見つけてないって)、前回も探索した「ホテル池田西紅亭」の坂を30メートル程登った」ところにある軽便道だ。
2005年5月8日 (日)
軽便道

 軽便道と特定されている場所。前回と同じく、そのまま残ってました。
2005年5月8日 (日)
80年前は?

 この軽便道跡の道を隔てた反対側はこのように石垣になっている。鉄道跡は微塵も感じられない。これは軽便線撤去後に今の住宅地が建設されたためであろう。
2005年5月8日 (日)
ここか?

 軽便道の行く末を探す。これは民家の庭先だけど(ここまでは道があります)、軽便道に相当するはず。
2005年5月8日 (日)
 

 そして、住宅の中を、それも立派な住宅の中を突っ切って、この門から手前に来ていたはず。
2005年5月8日 (日)
海蔵寺の裏の道

 この道の初川側に、双柿舎がある。坪内逍遥のお宅であり、今でも早稲田大学で使っているそうであるが、一般公開がされていて見てきました。双柿舎のいわれは庭に柿の木が2本立っているためだそうです。敷地内の逍遥書屋に写真が掲げてありましたが、東口軽便線の写真はありませんでした。熱海人者鉄道の写真はありましたけど。案内はボランティアの方でした。
 坪内逍遥のお墓は海蔵寺にあります。写真はその裏手の道で、軽便道です。
2005年5月8日 (日)
これも廃線跡だ

 軽便道は新かど旅館の前から住宅地の中に吸い込まれているようだが、路地をたどると写真のような置き忘れたような敷地が残っている。ちょうど軌道の幅の敷地。波板でふたをしてある。
2005年5月8日 (日)
 

 その先は、おそらくここ。右の道を向こうから歩いてきたのだが、左の家の敷地が軌道跡に違いない。その左側は崖になっている。
 崖の傍らを汽車が走ってくる場面が目に浮かぶ。使われた蒸気機関車はK200型、どんな機関車だったのだろう。
2005年5月8日 (日)
最大の廃線跡

 軽便線の最大の特徴はここから熱海海岸へ向かう円を二つ重ねた路線だろう。限られた面積の中で高度をあげるために反対方向に円を重ねて距離を稼ぐ。鉄道模型のような路線配置だ。
 そして、その路線配置が一部残っているのだ。昭和町の所記念病院の前の道はそのまま円弧の軽便道が道路として残っている。左にカーブしている道がわかりますか?
2005年5月8日 (日)
和田川を渡る1

 円弧の軽便道はそのままのカーブで和田川を渡るはずだが、きれいな円弧の跡は途中でなくなる。それらしい道はたどることができ、やがて和田川を渡る橋に行き着く。
 恐らくこの場所を軽便道は渡っていたはず。和田川はたびたび氾濫する暴れ川で、昔とは流れが異なっている可能性も指摘されている。したがって、橋台は残っていないだろう。
2005年5月8日 (日)
和田川を渡る2

 軽便線の写真はもう一枚見ることができる。「軌跡 丹那トンネル 完成までのミステリー」に大正9年9月30日の大水害で和田川を渡る橋脚が流されて宙ぶらりんとなったレールが写っている写真が載っている。災害後の写真なので列車は写っていない。
 先ほどの橋の下流にある橋の場所−ここがその場所だという。
2005年5月8日 (日)
安井医院の前

 その先のもう一つの円弧の軌道は安井医院の前を通っていると文献「軌跡 丹那トンネル 完成までのミステリー」に記されています。ここが安井医院の前の道ですが、どうも直線すぎて円弧の軽便道ではないような気がします。
2005年5月8日 (日)
 

 今の地図上で円弧の軽便道をたどると、この写真の奥の崖の間際を通っていたのではないかと思います。
 
 崖の上を高度をかせいだ軽便道が走ってます。残念ながら写ってませんが、見えてる道のもっと上です。
2005年5月8日 (日)
伊東街道横断

 伊東街道=旧国道をわたっていたのはここです。右が石和酒店、左が内野家具店で、間の道が軽便道だったそうです。ここ、伊東街道の横断箇所には踏み切り番もいたそうです。

 次回の更新は、ラストスパートで最後まで行きます。
2005年5月8日 (日)
起雲閣

 熱海市文化財である起雲閣。入館料310円で中を見れます。文化財である意味は市街地と思えない庭園、日本家屋の美しさをとどめる本館と離れ、独特の雰囲気を持つ洋館。最終的には旅館でしたが、最初は大正8年に海運王内田信也の別荘として築かれました。どうも軽便はこの中を通っていたようですが、現在、痕跡はありません。
 写真は起雲閣敷地内から北を見たものです。このどこかからレールがでていたのでしょうか?
2005年5月8日 (日)
起点−和田磯海岸荷揚場

 最近忙しく、ようやく最終回一歩手前です。
 起点であった和田磯海岸荷揚場は写真の立花旅館付近だったそうです。来宮駅からここまで、双柿舎や起雲閣、昼食と寄り道したので3時間弱でした。軌道の距離は1.95KMなので、普通に歩けば30分。K200型蒸気は15分ぐらいで登っていったのでしょうか?そのあたりの資料は入手できていません。それとももう残っていないのでしょうか?
 K200型蒸気の写真は入手できました。ドイツコッペル社製で、大正2年に7両が国鉄に輸入されました。国鉄最初の軽便蒸気だそうです。次回は本当の最終回です。参考文献の紹介とK200の絵を載せます。
2005年5月8日 (日)
K200型蒸気

 小学生並みの絵ですがK200型蒸気はこのような機関車です。キャブ正面の小判型の窓が八の字に配置され、「犬鳴きコッペル」の異名があったそうです。

 現在入手できる文献は、以下のとおりです。
1「丹那隧道工事誌 鉄道省熱海建設事務所 昭和11年3月発行」
2「軌跡 丹那トンネル 完成までのミステリー 静岡県熱海行政センター ”あい”懇話会 1996年3月」
3「国鉄狭軌軽便線2 臼井茂信 鉄道ファン1983年3月 263号」