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ペルーが見た石丁場を探せ

2006年1月28日 (土)
ペルーが見た石丁場を探せ

 ぺルーが下田に来たときに、大規模な石丁場を見たという記録が残っているそうです。また、14代将軍徳川家茂が上洛するときに、日和で下田に滞在したときに石丁場を見学しているそうです。彼らが見た石丁場とはどこだろうか?
 ところで、石丁場ってなんだか知ってますか?石切場のことです。江戸後期には下田から江戸へ民生用の石が1年に30万本出荷されたそうです。30万本、1日当りにすると約千個、1個の石は30cm角×1m長、いったい何人の人が石を切り出していたのだろうか?
 冬の季節風が収まった1月のある日、20人ほどの老若男女が敷根の山をさまよいました。結構面白かったですよ、kawaさん。
 
2006年1月28日 (土)
敷根石の倉

 探索開始点の岩下には、敷根の石丁場で取られた石で作られた倉があります。敷根で取られた石は一般的な伊豆石とは異なっています。岩石が異なっている訳ですが、なんと言う岩石かわかりません。しかし、見た目には一目でわかります。
 黒っぽい岩肌に白い紋様がはっきりあります。倉の写真でもわかりますか?確かにこのような石の倉は初めて見ました。
2006年1月28日 (土)
こうもり穴

 まず最初に探索したのは、通称”こうもり穴”。こうもりが棲んでいると言う事ですか?
 この石丁場跡は、太平洋戦争時に防空壕として使われました。その整備に下田南高校の前身、下田高女の生徒が動員されたそうです。その当時の生徒たちが働いている写真が昔を振り返るとして読売新聞に載ったそうです。
2006年1月28日 (土)
歩いたのはここ

 歩いたコースを、画像地図に図示しました。多分こんな感じです。標高116mのピークにも登りました。この山の名はなんと言うのでしょうか?もう一度行けといわれても無理なほど、道なき道でした。案内の方がいて初めて20人無事帰ることができました。
 この山中に110箇所石丁場跡が確認されているそうです。今回の探索では8ヵ所程度(私の記憶が確かならば)の石丁場跡を訪れました。
2006年1月28日 (土)
西洋マツタケ

 山中をさまよっているとあちこちに石丁場跡がでてきます。20人の長蛇の列は空から見れば面白い風景だったでしょう。
 この穴は西洋マツタケの栽培に使っていたそうです。入り口は背の低い横に広がった穴ですが、中は広く、別な石丁場の穴につながっているそうです。西洋マツタケってなんのことかと思ったらどうもマッシュルームのことでした。
2006年1月28日 (土)
ピーク制覇か

 いくつかの石丁場を案内されて、そのうち多分・・・恐らく・・・116mのピークにたどり着いたようだ。・・・実はあまり自信がないけど、裏手には住宅が見え隠れするので、確かだろう。
 下田湾に向かって眺望が広がる。目の前の山は双乳山、参加者からは乳峰山と呼ぶと言う話を聞きました。古い地図には双乳山と載ってます。海図では大安寺山。ピークはススキ原。
2006年1月28日 (土)
徳利地蔵

 ピークから東の沢を麓に降りました。途中にも石丁場がありましたが、土砂が崩れており、探訪できませんでした。
 麓につくと、あっちに徳利地蔵があると言う。行ってみると、それは見たことのないお地蔵さんでした。
2006年1月28日 (土)
すげー

 次の訪問したのは、ある方の庭から入っていく防空壕のような石丁場。中は明かりがなきゃ当然真っ暗だが、ご主人が投光器をセット。
 目の前に現れたのは、どこまでも広がる空間。果ては何処までつながっているのかわからない。
2006年1月28日(土)
そして・・・

 そして、次は冒頭に見せた石丁場。ここはすごかった。みんな、感嘆、驚愕の声を上げた。
 ここが、ペルーや将軍家茂が見た石丁場の候補だが、どうやって確認すればいいのだろう。

 伊豆新聞の社説に、石丁場のことが載っていました。

 午後からは春日山33観音を探索しました。
2006年1月28日 (土)
春日山三十三観音

 春日山三十三観音は江戸時代に有力者が町の人々に観音めぐりを疑似体験してもらおうと観音様を春日山に作ったものです(あっているかな)。春日山の麓の理源寺跡(戦災で焼けたそうです)から頂まで、33+番外の観音様があります。多くは、石丁場の跡に置かれています。観音像にはお金を出した人の名が刻まれています。
 頂上からの眺望はすばらしく、道の整備が今一のようですが、下田公園まで行けるようです。