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2005年4月30日 (土)
東浦路から縄地鉱山へ

 Sさんに頼んで、縄地鉱山の本部建物跡を案内してもらいました。折角だから、二人で東浦路を通りました。前々回、縄地峠への旧旧道と言っていたのが、”東浦路”の一部です。吉田松陰が密航を企てるために通った道です。
 写真は、前回気がつかなかった縄地鉱山のものと思われる坑口です。白浜側にありました。ブロックで封鎖されており、前にはミツバチの巣箱が置いてあります。
2005年4月30日 (土)
発見物

 今回新たに得た情報は、鉱山長屋から縄地峠のお堂への道が特定できたらしいことです。前々回は鉱山長屋から旧道に無理やり登りましたが、これは東浦路ではないはずです。
 鉱山長屋から右手の山を見るとなんか歩いていけそうな雰囲気が。Sさんが登っていくと階段があり、道らしき雰囲気が漂ってきました。その先にタイヤやアスファルトの塊が落ちています。明らかに道でしょう。しばらく登っていくと、枯れた笹の激藪が。その先に給水タンクが見える!これは縄地峠のお堂の敷地のはずれにあった物です。無理やり枯れた笹を踏みつけて踏破すると、お堂に出た。これが東浦路かもしれません。

追加の情報として、石畳の道には古い電柱の跡が2個残ってました。

061217新たな情報を得ました。 左の地図の石畳の道と鉱山長屋の間に山神社が東の山側にあったそうです。お堂もあったそうです。どこかわかりませんでしたが、これは宿題ができました。 
2005年4月30日 (土)
鉱山施設

 縄地峠を越えて、東浦路を下る。途中から車が通れるコンクリート舗装の道になる。Sさんが、「ほらあそこ」と言う。みかん畑の向こうに古ぼけた建物が見えた。
2005年4月30日 (土)
 

 鉱山本部の建物のある敷地は除草されており(管理人がいるようです)、送風用のコンプレッサー建物が2棟朽ち果てようとしていました。木陰に車輪が一個、置き忘れたように佇んでいました。坑口は1個だけ見ることができましたが、レールは既にありませんでした。レールの残骸がどういうわけか墓標のように立って埋められていました。敷地に生えていた木々は新緑に染まり、不思議と心が静まる光景でした。
 40年前なら活気ある光景を見ることができたのにと思うと、残念でなりません。タイムマシンがあるわけでもなく、昔のことはどう偲びましょうか?
2005年4月30日 (土)
いつ壊れるか?

 敷地内に坑道送風用と思われるコンプレッサーを格納した建物が2棟あります。写真のようにいつ朽ち果てるか?
2005年4月30日 (土)
コンプレッサーか?

 中にはこのようなサビサビの機械が置かれている。
2005年4月30日 (土)
坑口発見

 坑口が敷地の隅にあるのを発見。当然、入り口は封鎖されている。この坑口のレールが敷いてある写真(と思われる)がここにあります。http://www.shimoken.or.jp/kouhou/79/furusato.htm

3年ぐらい前までは敷地内にはもう一つ坑口があったそうだが、既に埋められており痕跡がない。
2005年4月30日 (土)
墓標

 墓標のように地面に突き刺さったレールが片隅にある。敷地内のレールはこれだけだ。
 このあと、山に坑口や縦坑があり、レールを組んで封鎖していると言うので探しに行きました。デジカメ電池が切れたので、フィルムで撮りました。画像はしばらくお待ちください。
2005年4月30日 (土)
縦坑をレールで封鎖

 管理道でしょうか。きちんとした道が山の中を走ってます。歩いて行くと、レールで封鎖された縦坑や坑口があります。
2005年4月30日 (土)
水路随道発見

 このような水路随道もありました。長さ10mぐらいか。敬愛するヨッキ連さんならこの中を通ったでしょう。