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至福の探索−最高の仲間達と

2006年10月22日 (日)
60年の歳月を超え、姿を現したトンネル達。中国人の魂よ、鎮かなれ。

 あの時は本当にどうしようかと思いましたよ。
 二人が奥に点のように出口が見える1号トンネルにずんずんと入っていく。Sさんは懐中電灯をおいてきたのは失敗だといってたくせに。Kさんは荷物をおいたままなので、待っているしかない。一本の懐中電灯が揺れたかと思うと、一声聞こえてきた。そして・・・懐中電灯の光は見えなくなった。
 何があったのか、時計を見ると11時10分。しばらく闇の奥に目を凝らしても、変化はなし。出口が点のように見えるなら300mぐらいあるか。それでも声なら届くかと思い、意を決してお〜いと呼びかける。しかし、返事はない。何回も呼びかけても返事なし。最悪の事態を想定する。ガスか、転落か?
 が、出口に新しい光が揺らめいた。時々、フラッシュの光が壁を照らしている。二人は姿を現し、キタッーの世界ですよと言う。さあー、行きましょう。3人は60年の歳月を超えていった。
2006年10月22日 (日)
大正13年生まれのおじいさんは断言した。「南の斜面にインクラインはない。」しかし、代わりにあったのは・・・

 慰霊碑広場から、川を渡り、尾根をずんずん登りつづける。事前調査で得られていたインクライン頂上部まで、ひいこらひいこら言って登る。この前の箒木山から万二郎岳よりきついかも。
 そこにはインクライン関連遺構があり、平らな掘削面が北と南の斜面に水平に続いていた。掘削面は鉱石である明礬石を掘った跡だ。北の掘削面はKさんがすでに歩いている。先細りになって、行き止まりになったという。というわけで、Kさんは南の掘削面を先頭になって歩いていく。荷物を置いて休憩しようと思っていた私は慌てて荷物を取りにいき、Sさんとその後を追う。Kさんは牽かれるように進んでいく。なかなか追いつけない。
 廃道のように水平面が続いている。ごらんのように切通しも掘ってある。だんだん道幅が狭くなってきた。Kさんの姿が近づいてきて、追い付いたと思った瞬間・・・・・
2006年10月22日 (日)
誰もトンネルがあるなんて、教えてくれなかったよ!

 そのときのKさんがどんな表情だったか覚えていない。Kさんの向こうにぽっかり空いた黒い空間が目に飛び込んでくる。坑口か?まさかこんなものがあるなんて想像もしていなかった。
 そうか、この坑口で明礬石を採取し、水平筋でインクラインまで運び、下ろしたのかとなどと想像してると、突然Sさんが出口が見えないかと言う。確かに点のような光が闇の中に。



 十数分後、3人はわくわくする気持ちで現れる4つのトンネルをくぐり抜けていた。写真は3号トンネル。ここに私の疑問を解決する証拠品があったのだ。
2006年10月22日 (月)
伊豆の山の中を進むトロッコを想像したまえ!

 鉱石を何で運んだのか?徒歩か、それともトラックか?細くなってきた“水平”筋はおのずとある答えを想像させていた・・・
 その疑問を解決する証拠が、トンネルの床に転がっていたのだ。見たまえ、この枕木達を。枕木があるなら、トロッコに間違いな〜い!!それにしても、60年の歳月が経っているというのに、こんなに枕木が残っていていいのか!
 トンネルの床を掘って枕木が埋めてある。枕木本体はなくても、跡を示すくぼみが続いている。
2006年10月22日 (日)
南の掘削面が未踏査だったのは運命に違いない。

 4つのトンネルを抜けたら、右下に沢が近づいてきた。いよいよ軌道敷も終わりに近づいたようだ。そこに何があるのか?
 手持ちの資料では発電所跡があることになっているが、そこにたどり着いたようだ。まさか、ここまでいけるとは思ってもいなかった。
 軌道敷の終点はちょっとした広場になっていた。スイッチバックするように赤川方面に道が続いている。そして、そこここに苔むした石垣が。何かの施設があったのは確かだ。発電所なら水力発電だろうと話が出る。これは、何か機械の基礎だろう。
 それにしてもKさんの前回の探索から南の掘削面が漏れていたのは私によって僥倖であった。こんな“山行が”的遺構を発見できる喜びを体験させてもらったことはKさんにいくら感謝しても足りないくらいだ。
2006年10月22日 (日)
それは東洋一に匹敵した。

 敬愛すべきHP”山行が”にインクラインの記録がある。「釜石八幡舘インクラインが最大で全長390m、高低差160m、そして、東洋一といわれてきたのは秋田県能代営林署内森林鉄道上峰越インクラインで全長300m弱だった。」との記述がある。
 Kさんが測定したここのインクラインの諸元は底辺262m 高低差158m 斜面306m 斜度61.2%(31.5°)傾斜方位 12.3° 掘り割り 幅約15m 深さ3m平均。ええっー。ひょっとして東洋一か!
 写真は標高484mに鎮座するインクライン山頂駅。
2006年10月22日 (日)
1週間経っても興奮さめやらず

 赤川の川底はご覧のように、赤い。ところが白川集落まで下ってくると、川の名前も白川に変わり川底も白くなってくる。川水に含まれる鉄分の析出の関係ではないだろうか。
 インクラインの麓駅から赤川をわたり、対岸の林道に攀じ登り、慰霊碑広場まで林道を下ってくる。実はこの道にもトロッコがひかれていたんではないかと疑っている。今度は確かめるぞ!
2006年11月18日 (土)
1ヶ月ぶりに仁科の山の謎に挑む

 1ヶ月ぶりの仁科の山は肌寒くなり、紅葉が鮮やかになり、ハンター達と出会う山だった。前回と同じメンバーで、謎に挑む。
 1ヶ月間に集まった情報は以下のとおり。慰霊碑から発電所跡に行く道が現存した。その道の発電所手前には火薬庫建物が現存する。発電所跡の川をはさんだ対面の山で露天掘りが行われていた。そこには試掘の跡である横向きの4mの穴が4個発見された。そして、運搬用と思われる水平筋が3つあった。最上部の水平筋には橋梁跡が2つあった。・・・
 今日の目的は、他に穴はないのか、対岸から明礬石をどのようにトロッコまで運んだか、そして新たなトロッコはあるのか!
 穴ハンターによって新たに発見された穴。すべての穴は4、5mの横穴。Kさんの見立てはどの程度まで明礬石が分布しているか調べるための穴。
2006年11月18日 (土)
見つけるのも行き着くのも執念

 慰霊碑から発電所までの道は赤沢歩道と呼ばれていたらしい。Kさんのおかげであっけなくその道が見つかる。この前のトロ道と同じような幅の道が傾斜がきついが続く。切通しなどはデジャブかと思うほどだ。でも、この傾斜ではとてもトロッコは無理と思ったが・・・
 新穴は2個目が発見された。これで合計6個。発見は見つけるのも行き着くのも執念であった。露頭があるところに穴があいていることがわかると、皆目を皿のように・・・そして、こんな崖の途中の穴まで征服してしまう。
 帰り間際にインクライン山頂駅付近でハンターに会う。犬が戻ってこないという。いろいろ話をするうちに、あんた達よく知っているねと言われた。おじさんも4つのトンネルのことは知ってますよねと聞くと、もちろんと言う返事。そして線路はこの下にもあったよと言う。えっ、この下?!赤沢歩道にも線路があったと言う。馬が引っ張ったのだろうか?証拠がほしい!
 
2006年11月18日 (土)
残った謎と解明された謎

 結局、水平筋や新一号から貯鉱場までどのように運んだか、わからなかった。索道かとも思ったが、それに関する遺構は対岸には見つからなかった。貯鉱サイドにはコンクリ基礎があり、モーターを置く基礎とも考えられたが・・・
 これは最上部の水平筋。軽なら通れる幅だ。
 帰りには中国人宿舎と○○発掘跡も訪ねてきました。

 もっと詳しいレポートは以下のHPを是非ご覧ください。「仁科鉱山跡を訪ねる」