天正元年、土肥清雲寺歴代、日星上人により本堂など、整い、以来土肥清雲寺末となる、尚当山は亥の年満水、未の年満水と称し両度の洪水にあい寺歴並びに調師御本尊及び過去帳、什宝什物一切流失せりと、流失趣意書を後代の為に当山第三祖、陽運院日経上人書き残し置きたるが、宝暦元年辛未年の洪水にて趣意書も又流失す、宝暦七年当山第二十二世日盛上人の精進丹誠により客殿建立達成、依って中興開山となる。後に戸田村蓮華寺に入寺す。第二十四世円妙院日耀上人再び什宝一切流失趣意書を薬師如来、地蔵菩薩厨子の裏に書き残したるを以て写置せるものなり、尚又、満水当時の有様を多賀、函南、三島、田中町、村誌記に寛文十一年辛亥年八月二十七日大洪水、浸水家屋倒壊流失し人畜死傷す、後世に伝えて亥の満水と言う。又、宝暦元年未年六月二十七日、大雨洪水は山を崩し人畜を殺傷し井田の荘最も被害甚大なり。豆州史記による。
井立山妙田寺は往昔法華宗、抑も創立は室町時代、足利中期の時代なり、元真言宗の清舎にして二祖日南上人並びに、大壇那、井上嘉兵衛夫妻は、当時江戸、池上長栄山本門寺第八世山主、大運院日調聖人、駿河路、御巡錫の砌、日調聖人に御奇依にて、請じて五十座説法を奉行せらし給う、説法座は現在本堂跡、請じて、日調聖人に開山を願う。このとき法華宗に改宗する。
其の後日調聖人は当山の為、寺歴及び、長栄山本門寺真末のご本尊、並びに過去帳までも、筆を取られ給い、真言宗なりしときの、本尊佛である、薬師如来、地蔵菩薩の二佛を開眼せられ、伊豆最初の法華勧請佛となりました。二佛は現在当山に大切に安置され人々の信仰を集めています。この二佛は古老代々の口伝によると鎌倉時代の大仏師である運慶作と称されております。