| 中国語が分かれば、中国旅行はもっと楽しくなる |
| 中国語学習ノート |
| 中国語の落とし穴ー027 |
| 【 多云 】 |
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ー 預報 ー 1990年代後半に、上海、西安、昆明と「城市」(都市)を替えながら、各3ヶ月程度の短期語学留学をした。どの大学でも、老師がいうことはほぼ同じで、まずは「読書百遍」、テキストを百回読みなさいだった。そのつぎは、テレビをよく見なさいで、中国人同士が話しているスピードになれるように注文を付けられた。
読 教室で老師と話している限り、慣れてしまうので、よく聞き分けられる。また、外に出て中国人と話す場合も、こちらが外国人と見れば、やさしく話してくれる。だが、中国人同士が話しているのは、まったく分からない。だから、テレビで慣れるようにいわれた。 語学の勉強だけでなく、天気予報をよく見た。旅行する際にも、最低ホテルの部屋では、天気予報を見るようにしている。もちろん、中国旅行に出る前は、インターネットで天候を調べる。添足1 旅と天候は密接に関係している。中には、雨もまた風情があっていいという人もあるが、悪天候ではせっかくの旅行も台無しになる。とくにわたしは靴が濡れるのを極端に嫌がる。我慢ならないのである。それに雨季では、湿度が高く、気分がめいる。めいる、どころか、パニックにさえなる。 寒い、暑いにはいくらか耐性がある。しかし、暑いのはこたえる。地方にもよるが、暑い時期には昼時から夕刻までは、見物などに出ない。ということで、とくに天気予報には気をつけている。この点、いまはインターネットで、世界中どこでも天気予報が見られるようになったので、よほどのハプニングがない限り、はずすことは少なくなった。
中国語で予報は「預報」(yu4 bao4 ユバオ ) で予報ではない。「あらかじめ」は「預」で「予」ではない。だから、予測は「預測」( yu4 ce4 ユス ) となる。出産予定日は「預産期 」( yu4 chan3 qi1 ユチャンチ) という。もちろん、予定は「預定」( yu4 ding4 ユディン ) 予約は「預約 」( yu4 yue1 ユユエ ) である。
中国語の「予」( ユ yu3 ) は「与える」の意味だから、予報では意味をなさない。「生殺予奪之權 」などのように用いる。 では、「預ける」はなんというのか。中国語では「存」( ツェン cun2 ) という。預金は「存款」(cun2 kuan3 ツェンクアン ) で、駅などの荷物預り所は「(行李)寄存処 」( ( シンリ ) ( xing2 li0) チツェンチュ ji4 cun2 chu3 ) である。
ー 多云 ー これは2005年7月2日、天津地区の天気予報である。
「天气預報」( ティェンチ tian1 qi4 yu4 bao4 ) で最大の落とし穴は、「多云」( トゥオユン duo1 yun2 ) だろう。「晴転多云」( チンチュアン qing2 zhuan3 duo1 yun2 ) などと使う。中国の預報では、晴れと曇りのあいだに「少云」( シャオユン shao3 yun3 ) と「多云 」がある。「多云」では、青空が見える状態をいうのに対して、「陰」( イン yin1) の曇りは青空はまったくか、ほとんど見えない。 つまり、 「晴」は、雲量がゼロから全天の2割まで 一方、わが国ではこうなっている。 快晴:雲量が0-1で、雨が降っていない状態 とすると、中国の「晴」は日本の快晴、中国の「少云」「多云」は日本の晴、中国の「陰」が日本の曇となる。最初、「多云」は very cloudy かと思っていたので、とんだ誤解だった。 結局、中国と日本の天気予報でつじつまを合わせるには、「晴」=雲がないか、ほとんどない=快晴、「少云」=雲が比較的に少ない晴れ=晴、「多云」=雲が比較的に多い晴れ=晴、「陰」=青空が見えないか、ほとんど見えない曇り=曇とするのがよい。だから、中国語の「少云」「多云」を日本語に訳すときに曇りとするのは誤解を招く。 中国では、もう少し複雑な状態をこんな風にいう。
晴到多云=ときどき晴れ、ときどき多云 雨量に関しては「小雨」(10mm以下)「中雨」(10-25mm)「大雨」(25-50mm)「暴雨」(50-100mm)「大暴雨」(100-200mm)「特大暴雨」(200mm以上,いずれも24時間の雨量をいう)に区分している。 天気預報では、ときに「暴雨」があらわれるが、ふつうは「小雨」「大雨」が多い。 一方、日本では、微雨:5mm以下。地面がなかなか濡れない降り方。 小雨;5-10mm 雨のかすかな音は聞こえるが、地面で跳ね返らない。 並雨:10-20mm 雨の音がはっきり聞き分けられ雨が地面で跳ね返る。 大雨:30-50mm 地面で大きく跳ね返る雨、といった分類もあるようだが、現在、気象庁、NHK などで用いている用語では、1時間雨量に応じて、弱い雨(3mm未満)やや強い雨(10-20mm 雨音が聞こえる)などで、直接比較することはできない。添足2
風力の階級(中国では「風力等級」という)については、日中間で些かの齟齬もない。添足3 ただ、名称については、日中間で相違がある。中国で現用の名称をつぎにあげておく。かっこ内が和名および英名である。 風力0=静風(静穏 Calm)、1=軟風(至軽風 Light air)、2=軽風(軽風 Light breeze)、3=微風(軟風 Gentle breeze)、4=和風(和風 Moderate breeze)、5=清勁風(疾風 Fresh breeze)、6=強風(雄風 Strong breeze)、7=疾風(強風 Near gale)、8=大風(疾強風 Gale)、9=烈風(大強風 Strong gale)、10=狂風(暴風 Storm)、11=暴風(烈風 Violent storm)、12=颶風 (颶風 Hurricane) ふつうには「小于3級」(3級以下)か「3−4級 」で、6級以上はまれである。また、中国の「暴風」は 、日本の暴風より一等級上で、日本の烈風に当たるので、注意が必要である。 預報の時間用語は、「白天」(08-20時)「夜間」(または「夜里」)(20-翌08時)「傍晩」(16-20時)「早晨」(04-08時)「上半夜」(20-24時)「下半夜」(00-04時)を使い分けている。 しかし、忘れてはならないのは、いずこにおいても北京時間であることである。最西端の新彊ウイグル自治区では、実生活では2時間遅れの時計で暮らしているが、列車、航空機などの時刻表、天気予報などの時間区分など、公的なものはすべて北京時間になっている。 なお、日出、日没は、中国語では「日出時間」( ルゥチュウシーチエン ri4 chu1 shi2 jian1 ) 「日落時間」( ルゥルオシーチエン ri4 luo4 shi2 jian1 ) という。北京天安門広場での国旗掲揚、降旗は、日出、日没にあわせて行われるが、日没時間を聞くときには、「日落時間」といえばよい。 ところで彼我で違いがないのは、中国でも全天候型の預報があることだろう。すなわち「晴時多云偶陣雨」晴れときどき多云、一時「陣雨」( チェンユゥ zhen4 yu3 にわか雨 )というのがそれである。 雷を伴うときは「雷陣雨」( レイチェンユゥ lei2 zhen4 yu3 ) という。 日本人に耳慣れない気象用語に「鋒面」(フォンミエン feng1 mian4 )あるいは「前鋒」がある。これは不連続線あるいは前線を指す。「鋒」は、ほこさき、あるいは、先陣を意味する。温暖前線、寒冷前線、停滞前線はそれぞれ「暖鋒」( ヌアンフォン nuan3 feng1) 「冷鋒」( ランフォン leng3 feng1) 「静止鋒 」(チンジーフォンjing4 zhi3 feng1) という。中国語にも「前線 」( チエンシエン qian2 xian4 ) という言葉はあるが、気象用語には使用しない。 「气旋」( チシュエン qi4 xuan2 ) 「反气旋」( ファンチシュエン fan3 qi4 xuan2 ) という用語もときに見聞される。低気圧、高気圧を中国語でこういう。「熱帯气旋 」は熱帯低気圧をいう。低気圧の場合、北半球では空気が「逆時針方向」(反時計回り)に「旋転」(回転)し、高気圧の場合は「順時針方向」に「旋転」するところから、こう呼ぶ。が、時計方向にまわるのを、なぜ「反」というのか、もう少し勉強する必要がある。 「熱帯气旋」のうち、中心の最大風力が8−9級のものを「熱帯風暴」re4 dai4 feng1 bao4 10−11級を「強熱帯風暴」( チアンルゥタイフォンバオ qiang2 re4 dai4 feng1 bao4 ) 12級以上を「台風」tai2 feng1 と呼ぶ。見慣れないのは「風暴 」であるが、これは日本語でいう暴風を指す。低気圧、高気圧は中国語でもそのまま「低气圧」「高气圧」あるいは「低圧」「高圧」ともいう。
ー 白雲 ーじとじとと長雨の降る梅雨が長引くと、早く梅雨明けとならないかと待ち望むが、例年「梅雨明け十日」は、晴れ間違いなしの安定した夏空となる。夏のシンボルは、白雲だろう。青空に光る白雲に、人はしばしば思いを遠くにはせる。 白雲といえば、すぐ思い出すのは杜牧のこの詩である。 (「山行」)
遠上寒山石径斜 遠く寒山に上れば石径斜なり しかし、この白と紅とのあざやかな対比では、どうしても後者につよい印象を持ってしまう。白雲に遠く思いを展開させるのは、むしろ、王維の「送別」 と題するつぎの詩であろう。 下馬飲君酒 馬より下りて君に酒を飲ましめ 「白雲無盡時」は、山中に沸く白い雲、山中における悠々自適の隠遁生活が、長く続く、続いてほしいものだ、の意が込められている。 わが国の詩でいえば、なんといっても一番目にあげたいのは、青年時代に暗唱した島崎藤村の、この詩である。
小諸なる古城のほとり あたたかき光はあれど 暮れ行けば浅間も見えず 藤村のこの詩を読むと、なぜか、崔の七言律詩「黄鶴楼」が思い出される。 昔人已乗黄鶴去 昔人已に黄鶴に乗って去り 昔ここから仙人が黄鶴に乗って去ったという 情景設定がそっくりに思える。
(2005.07.10)(2005.08.27改)(2015.05.20改)
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