岩舟町を訪れる度に、日誌形式で何かを記していこうと思っています
訪 問 日
日  誌
2010年03月20日 足利市の碑塔調査帰りに、大慈寺へ立ち寄り未調査の如意輪観音像容の「馬頭観音」とある碑を調査。
2006年10月21日 佐野市在住の高橋氏の案内で、静和地区沖島の共同墓地を訪ね、そこの碑塔を調査してきました。
2006年10月4日 去る8月12日に、岩舟町在住の島田氏からご教示頂いた、岩舟石博物館隣に建立されている、明治天皇野立記念碑を調査しました。しかし、ここへ掲載することなく今日まで来てしまい、ようやく今日載せる事が出来ました。
2006年4月29日
本当に暫くぶりに、岩舟町へ戻ってきました。といいつつも、わずかばかりの数ですが、それでも三谷地区の延寶庚申塔に元文紀年銘の狛犬、そして静地区御門神社の記録忘れの庚申塔などを記録しました。そうそうそれと、小野寺地区大慈寺さんから少し南へ下がった県道沿いの碑塔と道標も、今回どうにか調査しました。
2005年8月18日
念願の岩船山高勝寺さんの石造物調査が終了しましたので、全画像を掲載しました。それにしても、調査には随分と時間がかかりました。従って、数が多いです。ダイアルアップの方には迷惑がかかるだろうと思います。それでもお地蔵様類はそのほとんどを未調査としました。また、調査対象碑塔の中に幾つか洩れているものがあるだろうと思っています。これから暫くは、他の地域に入りますので、岩舟町は9月以降の少し涼しくなってからまた調査に入ろうと思っています。
2005年7月02日 今回もまたまた、岩船山高勝寺さんを訪れる。今日こそ、百観音の調査に決着をつけるべく、朝から本気になって取り組む。そのおかげで、午後2時半位に終了する。その数は総数で76基だから、24基が見つからないことになる。その詮索は帰宅してから考察すべく、暑さも加わってヘトヘトになったので、今日はここまでとする。
いよいよ、次回からは板碑調査に入ることになる。まあこれは、根気よく拓本を取る仕事が中心だから、2回も通えば終了するだろう。それにしても、境内にはまだまだ沢山の未調査石造物が残っている。そのため、結局はここ暫くは高勝寺さん通いになるだろう。
2005年6月25日
今回も、岩船山高勝寺さんを訪れる。前回の続きの順礼塔調査である。しかし、午後から偶然に友達と会ったので調査数は20基で終了。いずれにせよ、次回でこの調査はおわそうと思っている。
2005年6月19日 18日は、友達を交えての板碑調査で一日が終わる。それらの報告は今回ありません。
そこで19日に、少しだけ岩船山高勝寺さんの西國三十三ヶ所観音霊場写し像を調べてきましたので掲載しました。この続きは来週以降になります。また、頂上にある灯篭3基と崩れた狛犬一対を調べました。高勝寺さんの調査もあと二回位で終わりそうです。但し、地蔵像だけは手に負えないので調査対象から除外することにしました。
2005年6月11日
今日は、小野寺地区の落ち穂拾い(3基)をしてから、岩舟山高勝寺さんを訪れる。境内にある宝篋印塔調査を完了すべく小雨の中を調査する。また、住職さんのご厚意で、宝篋印塔1基のなかから出てきた納筒の写真を複写させていただく。また、板碑を見せていただき、その中の1基の拓本を取らせていただく。宝篋印塔銘文解読ということもあって、今日はここまでの調査で満足とする。いずれにせよ、一度や二度の高勝寺さん詣りでは全てを調査できないのは判っているので、引き続き折を見ては訪問することにしよう。
2005年6月5日
朝一番で小野寺地区羽田の慈覚大師巡錫の地を訪れる。その後、相変わらず大慈寺さんを突然訪ねてはお忙しい中を2時間近くお邪魔してしまう。その後、新里地区の不動尊。下津原地区の三鴨神社。静和地区の熊鷹神社と隣の廃寺跡共同墓地を訪ねて、暫くぶりに岩舟町の本格的な石造物調査を行う。
次回は、岩舟山高勝寺さんを訪れてみたいと思っている。
2005年5月29日 今回も朝一番で、小野寺地区の中の中妻地区を巡って農村公園敷地にて数基の石造物を追加。その後は、大慈寺様の板碑調査に入る。調査時間よりも、住職様を始め来客の皆様と話しが弾み、今回もすっかりお世話になってしまった。夕方までに9基の板碑を調査。山の崖地にある板碑を広場に持ち出しての水洗いに以外と時間がかかってしまった。それでも、栃木県の板碑としては古い方の弘安元年銘からの板碑を拓本に取ることが出来た。しかし、未調査板碑が10余基残してしまったのが残念である。
2005年5月21日
朝一番で、小野寺地区の山中地区から落ち穂拾いを開始する。しかし成果は、部落内の共同墓地でのたったの5基のみで、更に帰宅してからその中の1点の写真撮影忘れに気づく始末。意気込んで来た割りには早くも嫌気が差して「大慈寺」さんへ逃げ込む。そして忙しいにも関わらず本堂へ上がり込み、午前中一杯を雑談に費やして迷惑を掛けてしまう。その後は、隣の葛生町へ移動してしまう。
2005年4月29日
今回は、この岩舟町の調査するに当たり、もっとも行きたかった慈覚大師の生誕地を何十年ぶりかで訪ねる。その後は、小野寺地区の羽田山中部落を訪れる。これでもって、岩舟町をだいたいではあるが全て訪れたことになる。今後は、これからが難しいそれぞれの地区の見逃した碑塔調査に入ることとなる。これは、機会がある度に岩舟町を訪れての調査となろう。そこで、ぜひここへ取り上げた石造物で洩れている物をご存知の方からの情報をお待ちいたします。
2005年4月23日 今回は、前回の続きで静戸地区の宇都宮神社静和地区の林中原公民館をまず調査。その後は、静地区へ入って浄蓮寺さんを訪ねる。そして羽抜地区へ入って星宮神社周辺の調査へと続く。この地区には道沿いに幾つかの碑塔が見られるが、どれも岩舟石を使っているのでボロボロになっていて、文字どころか像容も判らぬ物ばかりで、調査を断念した碑塔が多い。いずれこれらも調査することにしてはいるが…。星宮神社の境内で、今日はしばらくぶりにのんびりした昼食時間を過ごす。
午後は、少し移動して同じ静地区茂呂へ入る。ここにある愛宕神社は、かつて愛宕神社調査で来ていたが石祠等は調査していなかったのでのんびり調査。次いで隣の御門地区へ入って御門神社へ行く。ここの神社の立派なのに驚きつつ境内で沢山の石造物を丁寧に調査する。ここで今日の調査は終了して50号線へ出ようとしたところで、墓地内に今日3基目の宝篋印塔が目に入る。個人墓地ゆえ、立ち入りの許可を得ようとしたが周辺に人影がないので無断で調査する。現地を3時半に離れるには、まだ陽が高い。帰路に栃木市へ立ち寄って、庚申名数塔を写真に撮ろうと地図も見ずに脇道へ入って迷子になり、自分の走っている場所が判ったのは既に目的地を通り過ぎていた。そんな訳で、今日は早く帰宅できたので自宅周辺の散歩に出かける。
2005年4月09日
一気に桜がどこへいっても満開。お寺さんへ行きましたら、ここでも笑顔満開の幼稚園生の入園式がありました。そんな中での石仏調査、少しばかり汗ばむ陽気に心は浮き立って、気が付けば3時をとうに過ぎていました。そんな成果は、今日一日で49基もの石造物を記録することが出来ました。
そうそう、今回の訪問地は、始めての「静和」地区と前回の継続地「静戸」地区です。
2005年4月02日
今回は、曲ケ島地区を中心に調査する。この地区で、三基もの宝篋印塔を調べることが出来た。特に、瀧水寺にある宝篋印塔の素晴らしさに暫し調査を忘れて見惚れる。基壇に八方天と思われる種子があるのも他と変わっている。また、基礎部分には沢山の戒名に混じって銘文があるが、こちらは今回未調査とする。一日で三基もの宝篋印塔銘文の書き写しは、それだけで大仕事。原則として、古字などもそのまま忠実に書き写すことにしているので、その書き間違いがないように再確認が必要なので、以外と時間のかかる作業なのである。
帰路に、静戸地区の石造物を少しだけ調べることも出来た。
2005年3月26日 朝一番で、小野寺地区の村檜神社を再訪して前回の残りを調査して完了。その後は、隣の大慈寺を訪ねる。住職さんとの楽しい一時を過ごしてから奥の院まで登って宝篋印塔を調査。また、暫くぶりで県内五基目となる「融通大念佛塔」を発見。これには大感激である。
その後は、三谷地区の成就院を訪ねたり、上岡地区へ初めて足を踏み入れる。午後3時過ぎまで熱中した石仏調査に疲れを覚えたので帰宅する。
2005年3月21日
ここ、2週間ばかりサボってしまった岩舟町へ早朝から出かける。今回は、初めての地区になる下岡と小野寺へ入る。最初に訪れたのは下岡の清水寺。ここで銘文の読めない碑塔数基の調査を断念。
次に、吉祥寺さんを訪ねて、岩舟町で初めての結界石に出逢う。しかも内容が豊富であった。もしかしてウハッキュウがあるかと、墓地内を散策するがどこにも見あたらない。
次に、今日の最初からの目的地であった村檜神社に到着。今日は、この村檜神社の石造物だけを調査すれば満足としてやって来たが、流石に途中で息切れ。また、写真撮影の忘れもあって、次回にも来なければならなくなった。その時は、お隣の大慈寺も一緒に訪ねることにしよう。
2005年3月05日 今日は、昨日の降雪もあって出遅れて9時過ぎに出かける。先週、東光院様へ忘れ物をしたので、まず最初に訪問。宝篋印塔の銘文を確かめながら、ついでに墓地で新たな読誦塔をゲット。その後は周辺の碑塔探しと時平神社を調査。この時平神社にある記念碑には多くの時間を取られてしまう。また、その銘文は難解で現時点で浄書出来ずにいる。その後は、すこし戻って新里地区の馬頭観音碑塔群を訪れる。この場所の調査終了後は、今日の所の目的達成ということで、帰路沿いの道にある碑塔を調査しながら早めに帰宅する。
2005年2月26日 今回は、最初に和泉地区の取り残し地区を調べた後、畳岡地区へ初めて入る。五世神社と浄泉寺を中心にしてその周辺の道路沿い碑塔調査を完了。今日は寒風が強いが少し欲張って古江地区へ入る。その古江地区東光院様の宝篋印塔銘文を写していて、うっかり資料集を隣の鐘楼の所へ置き忘れてしまう。帰宅してから気が付き、電話をして来週まで預かっていてもらうことにする。どのみち、東光院様の宝篋印塔銘文は再確認箇所があるので、面倒がらずに再訪問しなさいという人質みたいなものである。来週は、朝一番で訪ねることにしよう。
2005年2月11日 朝一番で、中央公民館裏の浅間神社を訪問。入口周辺を調べてから山頂へ登る。つい、面倒なので拓本取り用具一式を車の中へ残してきたが為、1基の塔の銘文が解明できぬまま山を下りる。次いで、鷲神社を訪ねる。私にとっては興味の薄い、鳥居に灯篭に狛犬と石祠類が沢山ある。一つづつ、丁寧に調べていったらこの2箇所だけで午前中は終わっていた。少々、頭が疲れてきたので、それからは岩舟町の回遊として、周辺を車で廻って地理を頭の中に詰め込む。それでも、その途中で新里地区の龍鏡禅寺へ立ち寄って碑塔を調べる。
2005年2月11日
岩舟町の石造物調査第一日目である。前日に、お電話にてお約束した岩舟町教育委員会社会教育課の主幹兼社会教育係長の三柴 茂氏に会うため、中央公民館を訪ねる。そして、三柴氏より現時点での岩舟町石造物の調査資料全般につきお話を伺い、また全ての資料を見せていただく。しかしそれらの資料は、私の求めているものにはほど遠く、やはり他力に頼っては駄目だと痛感し、どこまで出来るか判らぬが一人で気長に調べてみようと決意を新たにした。1994年に、石幢六地蔵調査で訪れたことのある、鷲巣の薬師堂跡へ行き、また暫くぶりに岩船山高勝寺を訪ねて初回の岩舟町訪問を終える。その他、数カ所を散発的に見て歩く。