
| ある日突然に 著者 田山 千恵子 【昭和62年7月 発行】 昭和58年7月中頃からの筆者(田山千恵子)の体験。 黄金に輝くすばらしく美しい光景に、「この寺はみんなの寺であり、みんなの物、この姿みんなに見てもらい、みんなに伝えてくれ、全国に伝えてくれ・・」、この言葉を信じ著者の体験をもとに出版。 |
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| ある日突然に 5年の歩みの中で 著者 田山 千恵子 【昭和63年 発行】 生かされて 生かしていただく しあわせを 手と手を合わす 出逢いの尊さ 【仏国国師高峰顕日の墓より】 さえずりの風と共に、春は桜、つつじの色あざやかに、花びらのほほに、誰かれとなく風そよぐ。 夏は太陽の光のうずに舞い、秋は木の実、色づきまして、この葉ちょうとと舞う。冬は白銀まねく世界、自然の歓びかわき、幾百年の歴史、今因果はめぐり、夢は消えることなく伝え来る、心のふるさとをもとめて・・・ |
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| 永興寺へ 著者 田山 千恵子 【平成8年 発行】 これまでの経緯(上記2冊)をまとめた書。 永興寺第67代住職・重岡梁洲の子孫である田山氏が、一市民としての立場から永興寺の事情に心を痛め、埋もれた歴史を掘り起こそうと活動を始めたのは、昭和58年頃に遡る。 無私の活動を続け、この十二年間、訪れる人のない荒廃した永興寺を蘇らせようと地道に活動してきた経緯を赤裸々に綴った書。全国版 |
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| ある日突然に 荒廃された永興寺 著者 田山 千恵子 【平成17年10月 発行】 重岡宗真(重岡梁洲養子桜本)本山執事長になる。当時管長が病身ゆえに枕元に宗真を呼びつけて愛弟子に対する編愛が幾度とあった。そこに故郷から京都に二人の友達が遊びに来る。自分が立派だと見せつけたいがために、寺の物を拝借・・、そのことが事件となり、僧籍を剥奪、昭和5年から戦後動乱に親子三代古刹永興寺の無残な姿、岩国の歴史「永興寺」を消滅させる。 |
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| 禅海一瀾 著者 今北 洪川 訳 盛永 宗興 禅海一瀾の序 紹介文より・・ 世に禅と称されているものは、何と広大なものであろう。それは、果てし無く続く海原に大きくうねっては逆巻いて、白い波頭を天にとどかせようとしている大海にもたとえることができよう。この禅海一瀾の一瀾々々あるいは五千四十八巻の「大蔵経」であり、あるいは千百則の「公案」と呼ばれる。儒教の四書六経も、諸子百家の書も、また、バラモン教の聖典もこの大海の一波であり、横には存在する一切のもの、縦には過現末のすべての時を呑みこんで、平等一味の大海の波のうねりと化し去っている。 周防の国(山口県)虚舟子(きょしゅうし)と称する者がいる。彼はかつてこの禅海の水を一気に呑みほして、しかもなを自らは一滴の水も唇をうるをしたことがないという。それ以来、彼は道に志す兄弟達のために、毒気を含んだ波を吐き出して、真実への道をつけてやろうとしている。彼がしめそうとしているこの道は、仏教でもなく、儒教でもなく、出家の道にも世俗の道にも属さない。仮に名づけて「禅海一瀾」という。かかる道を示そうとして彼が書いたこの書物は、ただの一瀾(一つの波)にすぎぬとはいえ、徹底味読し体解して、自在の境地に至るならば、そのとき初めてこの禅海が怒涛逆巻く広大な世界であることを知るであろう。阿呵々。 ああ、この書物、身にしみて恐るべきである。 この禅海の一瀾から立ち昇る臭烟毒霧(しょうえんどくむ)は、そのすさまじきこと、まことに心肝に徹するというべきである。 今北洪川禅師が永興寺在職の時、18年間心を砕きながら 書き残した貴重な名著。 |
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| 700年の歴史を誇る 古刹永興寺 著者 宮田 伊津美 恵淳 禅尼 【平成21年5月発行】 恵まれた大自然が生かされない横山(錦帯橋西側付近)、 歴史と文化の底深さを教えられ、自然と人間の新しい関係を築き、「横山一帯が岩国のこころ、日本のこころ、日本のよりどころ、市民の心の憩いの場」として、鎌倉、室町、将軍たちの手によって受け継がれた寺。大内、足利、徳川、毛利、吉川全盛時代まで受け継がれた歴史を守り、次の世代への架け橋になるきっかけにしてほしいと願って本書を企画。 |
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よみがえれ永興寺の会
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