那珂湊の切支丹遺構 なぁ〜んにも無い平磯だけど  壁紙にしてみたら少しは見られるかも

十字錫杖地蔵
 全ての発端となったのが、このお地蔵様です。
 左手に赤子を抱き、右手の錫杖(しゃくじょう)には紛れも無く十字が刻まれています。
 
 那珂湊近郊の切支丹遺構を紹介する前に石仏について多少の予備知識を

 なぜ那珂湊近郊で普通に見られる石仏を切支丹遺構と呼ぶのか?
 那珂湊近郊で一般的に見られる石仏は子安観音と呼ばれる物で
 十九夜観音講の本尊の姿を写しています。
 十九夜観音講は子供の安らかな成長を願う当時の庶民や農民に
 大変信仰を集めたそうです。

 本来、十九夜観音講の本尊は如意輪観音とされ、
 赤子を抱いた姿ではありません。
 仏像を制作する際「儀軌」という守らなければならない約束事があり
 赤子を抱いた子安観音の事は一切の記述が無いのです。
 その事から子安観音は「幼子のイエスを抱く聖母マリア」の姿を
 写した物だとして切支丹観音または
 マリア観音と呼ばれる場合も有るのです。
如意輪観音像  如意輪観音は原則として全て坐像または半跏像で、
 立像はまず見かけない。片膝を立てて座る六臂の像が多いが、
 これとは全く像容の異なる二臂の半跏像もある。
 六臂像は6本の手のうちの2本に、
 尊名の由来である如意宝珠と法輪とを持っている。 
Wikipediaより                             
 立像が見られない筈の如意輪観音だが、「那珂湊のヴィーナス」や「石造りのマリア様」(管理人命名)などは
 立像ながら十九夜観音として祀られるなど、何故か那珂湊近郊には儀軌(ぎき)に反した石仏が多数存在する。

 また十字架に見えるものは全て取り締まりの対象になった江戸時代に敢えて十字を刻んだ意味は・・・
 ◆那珂湊近郊で見られる石仏の特異性
 他所では一般的に見られる如意輪観音も、ひたちなか市内では非常に少ない。
 女性の墓石として作られ墓地にある石仏を除くと道端で祀られているのは勝田地区を中心に10基位である。
 しかし他所では珍しい子安観音が市内全域におよそ80基前後はあると見られる。

 ◆市内で見られる如意輪観音石像
中根字駒込 大島観音堂
  
三反田字塙 (三反田団地傍) 那珂湊館山名平洞側入口
 道端の如意輪観音は痛んでまとめて打ち捨てられている場合がある。反面、子安観音はどんなに状態が悪くても
 打ち捨てられたものは見かけない。この地域の子安観音への思い入れがよく分かる事例である。
※打ち捨てられた如意輪観音は祀られていいないので当HPでは総数にカウントはしていない


  
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  那珂湊近郊の切支丹遺構たち
 
      
十字錫杖地蔵 石造りのマリア様 神の字が違う御神灯
 
十字が刻まれた神社の手水 苦界のマリア 十字法輪青面金剛
 
那珂湊のヴィーナス 墓石に天年号刻む昇天への願い
那珂湊近郊のキリシタン遺構の詳細
(宍戸のマリア型子安観音と那珂湊の子安観音立像)
 
切支丹観音がいっぱい
 
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那珂湊近郊に切支丹遺構の
残る理由

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 旧那珂湊市内の全ての寺社と石碑・石仏を写真に収めようと思い立ち、
 およそ2年を掛けて旧市内の全てを徒歩で廻って来ました。
 平磯から磯崎・阿字ヶ浦へ、また那珂湊・部田野・柳沢方面へと全て徒歩で歩くと、
 旧那珂湊市内も思いのほか広いものでした。

 その成果の写真を整理する中で、なんと切支丹の遺構らしき石仏を数点発見しました。
 切支丹石仏の分布状況の把握のための調査はひたちなか市内全域を踏破し、
 さらに今後は近隣の市町村まで足を伸ばす予定でいます。
 それに先駆けて、当方の発見したキリシタン遺構とその存在する理由を推理することにいたします。