NEW ORLEANS TRAGEDY 2005

大規模な災害に襲われた時に、その国の行政機関はどのような対応をすべきなのか、という問題について、今回のアメリカ合衆国は“お手本”を見せてくれた。
サイアクの被害に対するサイテーの手際を全世界にさらしてくれたからだ。

被害の大きさや重大さについての情報を集めて分析し、やるべきことの優先順位を決定し、被災者の救出、避難、ライフラインの確保、治安維持、復旧のために、人員と物資をどこにどれだけ送るのか、という計画を立て、その計画を実行するために最適なヘッドクォーターを組織し、具体的かつ迅速に計画を遂行する。

普通の国だとこんなところだろう。

ハリケーン・カトリーナが米メキシコ湾岸を襲い甚大な被害をもたらしたが、これは天災ではなく人災であるという見方が大勢を占めている。
ハリケーンが直接もたらした被害は、風で屋根が剥がれたり飛ばされたり、一部の樹木や建物が倒れたりした程度であるにもかかわらず、ニューオーリンズ(以下NO)の機能を完全に奪ってしまった冠水は、予算をケチり続けていた堤防の決壊が原因だし、避難所や病院で死者が出たり略奪行為が起こったりしたのは、迅速な救援治安活動が行われなかったのが原因だからだ。

8/29以来、毎日CNNをつけっぱなしにして文字通りTVにかじりついていたせいで、そこに映し出される膨大な情報量に接し、現地の様子が手に取るように分かった。なにしろ24時間、他のニュースといえば「米最高裁長官の死去」と「インドネシアの旅客機墜落」くらいのもので、ほぼ100%ハリケーン情報、更にそのうち80%がNOに関する情報だったのだ。
いまさらながらこの局の報道姿勢の徹底ぶりに脱帽。

言うまでもなくNOはジャズの発祥地として知られているが、現地を訪れて初めて分かることは、この地がジャズのみならず、ブルース、ロック、カントリーなど全てのアメリカンミュージックの生い立ちに深く関わっているということだ。
フレンチクォーターに(文字通り)密集するライブハウスでは、ラテンやケルト系をも含めたありとあらゆるジャンルのバンドが毎晩演奏している。歴史上のビッグネームが実際に数多く住んでいることからも分かるように、そこには、単なる「音楽を売り物にした観光地」ではない、この土地を本拠地とするネイティヴなパワーがあふれかえっていて圧倒される。
いわばNOは全てのアメリカンミュージックの聖地なのであり、同時に、現代のポピュラーミュージック全体の聖地ということにもなるわけだ。

アメリカンミュージックに人生を救われたと思っている私は、そんなわけでNOには人一倍の愛着を持っているから、今回の事件に関しては他人事ではなかったし、CNNを見続けているとフレンチクォーターのミュージシャンのみならず、富めるアメリカの負の側面にいやがおうにも目が向いていった。

私と同様にCNNをご覧になっていた方々には重複するが、以下時系列で状況を記し、今回の災厄を心に留めることにする。
8/27 NOネーギン市長が全市民に「避難命令」を発令。カトリーナの勢力は「カテゴリ5」。
「避難命令」とはただごとではない、と思ったが、この時点での命令には「堤防はカテゴリ4以上のハリケーンには耐えられないので決壊の恐れがある」という具体的説明は含まれていない。
当局がその可能性を察知していなかったわけがなく、ハリケーン慣れしている市民に対し、「いつもとは違う」ことを「本音を吐かずに」知らせたかったのではないかと思う。素直な大多数の市民は驚いてこの命令に従ったが、避難せずに残った人たちが数万人に上った。
この中にはもちろん「狼が来たぞ」という脅しに乗らなかった楽観的な人もいたが、多くは「市外に逃げる手段(金と車)を持たない人」や「生まれ育った家を離れたくない人」「ペットを置き去りにしたくない人」、さらには「入院中や人工透析で現在地を離れられない人」などの、いわゆる社会的弱者だった。
8/28 市民のうち約40万人が車で市外へ避難。車で避難出来ない数万人はスーパードームとコンベンションセンターに収容。
徒歩の手段しかない人は、当局の用意した避難所であるここへ行くしか選択肢がなかった。それは市の予想を大幅に上回り、約4万人が着の身着のままで収容された。おそらくほとんどの人が、「数日過ごせば家に帰れる」という気持だったのだと思う。
しかしここでの問題は、数万人もの人たちがここへ集中することを予期していなかった市当局の読みの甘さであり、そのため警備の限られた人員が、冠水した市街地の治安と避難所に拡散してしまったことだった。手薄な警備の中で次々に起こる避難所内のトラブルや暴力に、人々は眠れぬ日々を過ごすことになる。
CNNは決してこの避難所内部の映像を映し出すことはなかった。外部に見せてはならない光景、想像を絶する無法地帯、生ゴミと汚物と汗が放つ悪臭に満ちた空間として、おそらく当局が報道規制を敷いたからだろう。そんな場所に数万人の人たちが暮らしていたのだ。
8/29 朝、カトリーナがNO上陸。勢力は「カテゴリ4」。瞬間風速75m、高潮は8mに。
カトリーナはNOだけでなく、ミシシッピ、アラバマなどの湾岸地域に襲いかかり、屋根は突風で吹き飛ばされ、(米国の法律上)はしけの上で営業していたカジノの建物は、そのまま数十m奥の陸上に押し上げられた。
しかしここでの被害はNOに比べれば些細なものだった。
8/30 ポンチャートレーン湖と運河の堤防各1箇所が決壊し、NOの80%が冠水。
NOは、街の南を流れるミシシッピ川と北に位置するポンチャートレーン湖とで挟まれた、海抜マイナス数mの湿地帯で、「スープ皿」と呼ばれている地形だが、数年前に補強されたミシシッピ川の堤防ではなく、予算が下りず放置されていた北側の湖の堤防の2箇所が決壊。またたく間に濁流が市内に流れ込んだため、家に残っていた市民は屋根裏や屋根の上に避難するしかなかった。
首まで浸かったまま24時間、真っ暗な中で柱にしがみついて救助を待っていた人、子供を抱いて濁流を泳ぎ途中で力尽きた人、或いは階段を上がることさえ出来ずに水に呑まれた人・・・、こうした人たちに救助の手が伸びるのは数日後、遺体の収容が始まるのは1週間後である。
8/31 水、電気、食糧、薬品などのライフラインが崩壊。略奪、レイプ発生。警官の30%が職務を放棄。
チャリティ病院(貧困者のための施設)には救済の手が入らず。市内2箇所の収容所内の衛生状態は最悪に。
コロンバイン高校で露呈した「銃社会アメリカ」の病巣がまたしても浮き彫りになった。
警官に向かって発砲するやつがいるのである。我々穏健派農耕民族には理解しがたいことだが、これでは警官やってられない。トンズラした警官に対する非難ごうごうだけれど、アメリカのポリスも大変だと思う。警官だって被災者の1人であり、家族もいるし、水や食糧や睡眠時間も必要なのだから・・・。
水に溺れかけている人が「助けてくれ」と叫ぶと、「残念だが私には助けられない」と、寂しそうに去っていった警官がいたという。

また、スーパーの売り場にカートを何台も持ち込み、片っ端から商品を積み込んでいた男にTVカメラが近づいて緊張が走った。男は悠然と車でそれらを持ち去り、次の映像では避難所の人々に食糧を配っていた。
略奪事件の中にはこんなケースも少なくなかったというし、これらの行為が略奪と言えるのかどうかも疑問だ。
どれもこれも、いっこうに来ない救援物資を待っている人々の「藁をもつかむ」行動だったに違いない。
9/1 夜、ミシシッピ川沿いの化学工場で爆発、市街地で火災も発生するが消火活動不能。
コンベンションセンターなどの避難民が、ヒューストンのアストロドームへ移動を開始。市長がTVを通じて「必死のSOS」声明。避難所内で死者が数人発生。
ここに到って「政府は何を考えているのか」という報道が主流となってきた。
それまではひたすら「地獄絵図を描き出す」ことに明け暮れていたのだが、すぐに馬にまたがってやって来るはずの「ジョン・ウェインのごときヒーロー」がなかなか来ないからだ。

アメリカという国はヒーローを創りだすことで士気を高める国らしい。ワシントンやジェファーソンに始まって、リンカーン、ケネディなどの大統領やリー、カスターなどの軍人、或いはリンドバークやカール・ルイス、マジック・ジョンソンなどの民間人と、歴史上多彩な人物が名を連ねる。
9・11の時もそうだったが今回も、身を挺して24時間体制で治安維持にあたる警官、溺れる寸前の老女を救った兵士、水圧の弱い水で必死の消火作業を続ける消防士など、愛国の士のストーリーをことさらにクローズアップしてみせる。しかしそれらはいずれも“小粒”であり、本来ならリーダーとして賞賛を浴びるはずの市長も、SOSを発するだけの存在だったから、なおさら避難民のヒーローを待望する欲求は高まっていく。
政府の対応に対して怒り狂っていた市長は、ブッシュと面会した途端に「ブッシュは真剣に私の話を聞いてくれて感謝したい」と一転して満足を示し、多くの人々を落胆させた。
9/2 ブッシュ大統領現地視察。被災した姉妹や若い州兵などを激励、NO空港で演説などのパフォーマンス。
州兵など約7,000人がようやく活動開始。水、食糧などの搬入が本格化。
黒人議員団が「対策の遅れは人種差別」と声明。連邦政府が方針を転換し、「国際支援受入れ」を表明。
大統領という立場にある彼があやつり人形でしかないことは知っているが、彼は本来の任務であるあやつり人形としての演技を、まずは堅実にこなした。
最初に降り立った空港で地図を机に広げて、アラバマ、ミシシッピ両州知事や軍関係者のブリーフィングにうなづき、任務遂行中のヘリ搭乗員の報告に肩を叩いて激励し、滑走路に並んだ兵士を閲兵する。
次に降り立ったブロクシでは、通りで出会った黒人の姉妹を抱き寄せ、「泣くな」と励まし、「この2人に食事を」と指示し、最後のNO国際空港での演説では、「我々のやることがよくない結果に終わっても、それをよい結果に終わらせるために努力しなければならない」などと、訳の分からないフレーズ(同時通訳)を吐いて機上の人となった。
この日の彼の仕事の中身はワシントンにいても(つまり“机上の人”であっても)十分に遂行出来るものであって、そのパフォーマンスこそが重要であったらしい。

ワシントンでは黒人議員団が「これほど対策が遅れたのは黒人に対する人種差別があったからだ」と、声を張り上げている。確かにNOの人口の2/3は黒人で、逃げ遅れたのはそのうちの貧困層が中心だったのだから、この主張には説得力がある。
9/3 連邦政府が105億ドルの補正予算を提出、議会が承認。
軍の派遣を56,000人体制に増強することを発表。イラクなど海外任務中の地元兵も投入。指揮官ホノレー中将が現地入りし、英雄的歓待を受ける。
キューバが支援を表明するも、連邦政府はこれを拒否。
いよいよヒーローの登場となった。
予算がつき、軍の投入も本格化して、ルイジアナ出身のホノレー中将がその先頭に立って街に入ったのだ。
知的で慈愛に満ちたまなざしと、配下に対する厳しい指示。日本人にはマッカーサーを想起させるサングラスの人物が、街を視察中に兵士に向かって「銃をおろせ!ここは戦場ではない!」と命令し、それを見ていた市民の喝采を受けた。最悪の環境で物質的にも精神的にも飢えきっていた被災者に対して、この行動は「受けた」のだろう。
この日を境に、NOの打ちひしがれるだけの状況は、明るい出口をどこかに見つけようとする機運に変わったようだ。 しかし、政府機関と州、連邦軍と州兵、軍と警察など、組織同士の摩擦の方は、皮肉にも救援活動が本格化するにつれて拡大していく一方だ。
9/4 市内の遺体捜索、収容開始。災害対策の不手際に対する政府の責任追及始まる。連邦と地方との軋轢も表面化。
警官と略奪者の銃撃で5人死亡。各地の収容所で赤痢などの感染症発生(汚水が原因か)。
この時点での死者はミシシッピ州などでの約180人。もちろんこれはNOでの数字が入っていない。NOでは遺体を収容することすら出来ていないからだ。
ボートで市内をまわり、一軒一軒に声をかけながら居住者の有無を確かめ、空っぽの家の壁には、大きくスプレーで「×」を、死者が発見されればその数字を吹き付けていく。こんな作業が続く。
だがこの目印さえも、救援隊の中で統一されていなかったようだ。寄せ集めの集団ゆえの混乱だとTVでは言っていたが、おおざっぱなアメリカ人の気質に因るものじゃないか、と思うのは私だけだろうか。
9/5 大統領夫妻バトンルージョで復旧作業の視察。
NOの排水作業開始するも、全ポンプのうち1/6しか稼動せず。完全排水には20〜80日。
ルイジアナ州ブランコ知事が、州兵を連邦軍指揮下に置くことを拒否。海外からの援助物資の一部が米国の許可待ちで待機、EUは不快感。
この女性知事は災害当初から連邦政府を批判していたが、あまり精力的に人前に姿を見せていない。TVインタビューも拒むことが多かった。
こうした行動はせっぱつまった被災者の目には当然よくは映らない。たとえ彼女が寝る間も惜しんで四方八方に指示を飛ばしていたとしても、彼女の努力が好意的に受け入れられる可能性は低くなる。
しかもブッシュ大統領が来る日に、彼女は他の被災地を視察する予定を入れていたりする。ブランコ知事は民主党、ブッシュは共和党だ。こうした政治的思惑がからむことによって、彼女への評価は下がる一方だろう。
9・11のNYにおいて、同じ共和党のジュリアーニ市長が英雄視されたのとは対照的に、政府から見捨てられたルイジアナ州NO市の姿が次第に露わになっていく。
9/6 市長が、残っている市民約1万人に対する「強制避難命令」を発令。家を捨てたくない市民が反発。フレンチクォーターではバーも営業。
FEMA(連邦緊急事態管理庁)ブラウン局長更迭要求の声が上がる。
この「命令」の背景には一体どのような理由があるのだろうか?
フレンチクォーター周辺や、フランス風洋館が立ち並ぶガーデン・ディストリクトは奇跡的に冠水しなかったし、多少の不自由を我慢して住み続けている人が1万人近くいるというのに、その生活基盤を市が奪おうとするのだ。これは法律違反だという声も上がる。

「いったん退去して戻ってきても、元の我が家がなくなっていないという保証などどこにもない」「この家は私の家だ。意志に反して出ていかなければならない理由はない」
こうした庶民感情に照らせば、もっともなことだと思う。しかし行政は、NO市をいったんゼロにして、そこに新しいきれいな街をつくりだすつもりのようだ。そのためには中途半端な住民はいない方がいいのだろう。
しかし、新しい街が出来たからNO市が復興したことになるのだろうか?
NO市は、そこに住んでいる人たちの精神的なエネルギーで成り立っている街なのだ。フレンチクォーターの活気も、単なる観光地のそれではなく、元々長い間そこに住み続けていた人たちの歴史が織り成すものだったはずだ。

「NOをディズニーランドにしてはいけない」と、ある人が言った。まさに至言である。
9/7 連邦議会が518億ドルの追加補正予算を可決。
FEMAと赤十字が被災者に「デビットカード」発行。長蛇の列で混乱し、一時アストロドーム閉鎖。
調査委で「初動対応の遅れ」について上下両院の合同調査を発表。
1家族に2000ドルがデビットカードとして支給される。
この金を当座の旅費や生活必需品にあてて、今後の支援までの橋渡しとする。なんと素晴らしいアイディアだ!と思っていたら、支給される対象はアストロドームの被災者のみで、他の地域に避難している人たちには「電子送金」か「小切手郵送」だそうだ。
カードをなくして銀行から金を引き出せない人もいるだろうし、そもそも現住所から離れて暮らしている人が、どうやって郵送されてくる小切手を受け取れるというのだろう?
おまけにFEMAと赤十字が同じようなカードを並列して発行するに及んで更なる混乱が生じ、発行所となったアストロドームの外に徹夜で並んだ行列を前にして、ドームは一時閉鎖されてしまった。

これもおおざっぱなアメリカンのなせる業だ、という見方は的はずれだろうか?
9/8 遺体袋25,000人分とチェイニー副大統領らがNOに到着。
世界90カ国以上の国々から支援の申し出があったという。当初は「国内問題」として自力復興の姿勢をくずさなかった連邦政府も、ことが大きくなるにつれて海外からの支援を受け入れた。
そこまではよかったのだが、各国からの救援物資を積んだ飛行機の着陸許可がおりない。これは入管をはじめとする様々な手続きが煩雑なためだが、多分9・11以降のセキュリティ強化にも関係しているだろうと思う。
しかしそれよりも、超法規的に受入を許可する大号令を、政府が発しなかったことが直接の要因なのではないか。

アメリカの危機管理能力とはこの程度のものでしかなかったわけだ。
9/9 FEMA現場指揮官が交代。ブラウン局長に替わり沿岸警備隊アレン中将が着任。
FEMAデビットカード発行中止。
強制退去本格化し、NO残留は数百人に。「力ずくの連行」や「手錠」も登場。
舞台にはヒーローと同時にヒールも必ず必要だ。

今回のヒールはなかなか舞台に登場しなかったが、どうやらFEMAのブラウン局長が指名されたらしい。
「被害の重大さを認識したのが8/31だった」とTVで語って以来、この局長は常に後手にまわる対応の槍玉にあげられていたが、テロ対策の強化によって格下げになってしまったFEMAという国内有事対策組織のトップとして、十分ではない権限と情報の中でさぞ右往左往していたことだろう。そうした姿はスケープゴートにされるに十分な醜態だった。

一方市内では強制退去が本当に実施されている。
自宅の居間で老婆が銃をかかえて警官と対峙している。次の瞬間警官が老婆に組み付き、銃を奪って連行していった。立てこもっていた車の窓から引きずり出される黒人。手錠をかけて家から出てくる上半身裸の男。ここでは基本的人権さえも無視されている。
法律を犯していない人が、当局の命令に従わなかったという理由で逮捕されているのだ。しかも彼らは軍人ではなく民間人である。
9/10現在、NOの冠水率は80%から60%に下がったそうだ。CNNはいまだに24時間ハリケーンの被害について放送を続けているが、その内容は「離れ離れになっていた家族の再会」「避難所の子供達へのインタビュー」「ペットに癒される避難民」・・・と、少しずつ殺伐さが消えてきている。
だが、被災者の雇用機会創出や、子供達の教育環境整備という問題が新たに浮上し、NOが元の姿に戻るのがいつになるのか、予測も出来ない状況だ。

スマトラの津波に対しては迅速に救援の手をさしのべたはずの“世界一の先進国”たるアメリカが、何故国内で起きた災害にこれほど手こずっているのか?
もちろん人種差別という側面は見逃せない。ブッシュ政権が一部の投資家やユダヤ系のファミリーと結託して、富裕層に手厚い政治を繰り広げてきたことは事実だからだ。もしも強力な黒人指導者さえいたならば(パウエル待望論も根強い)、今回の災害を引き金として大規模な人権闘争へと発展する可能性もある。
しかしながら、これほどまでに対応のまずさが露呈し、ブッシュをはじめとした政府首脳がリカヴァリーにやっきになっている姿を見ると、これが人種差別という一原因のみから引き起こされたものではないのでないか?という疑念が湧いてくる。

結論から言えばこの不手際は、「彼ら政府首脳が本当に予期せぬことだった」からではないか?と思うのだ。
つまり、今回の災害はアメリカにとって最初の「想定外」の大規模災害であったということだ。

たびたび引き合いに出すが、9・11を思い起こしてみよう。
貿易センタービルに旅客機が激突した翌日にビンラディンを犯人と特定し、2日後にブッシュが演説で国民の士気を煽り、国家の威信をかけた捜索活動を行いながらいまだに逮捕できず、そのあおりを食ってイラクがアメリカの反感を買うと、またたくまに戦争に突入してフセイン政権を打倒、中東の利権は今やアメリカ企業のほしいままになっている。
まるで一部始終があらかじめ台本に書いてあったと思わざるを得ない手際のよさだ。

9・11事件は、アラブ豪商とユダヤ資本家とアメリカ政府首脳の手になる、巨大利権を賭けた「世紀の狂言」であった、というブラックジョークが囁かれたことがある。アラブ石油豪族の親戚であったビンラディンも一枚加わったシナリオであったという、ウソのような話だ。

しかしもしもこの荒唐無稽なストーリーが真実であるとすれば、アメリカという国の手際のよさや危機管理能力は、想定されたシナリオの下でしか実現できない程度のものであることになりはしまいか?
そしてそう考えれば、今回の不手際の説明としても十分に納得がいく。アメリカは本当に右往左往しているわけだ。みっともないこと甚だしい。

来年2月のマルディグラ、4月のジャズ&ヘリテージフェスティバル、6月のスーパーボウルなど、NO市の行事が例年通り開かれるかどうかは、今後の政府の復旧作業次第だ。
間違いなくアメリカの文化的財産であるジャズやロック、そしてエキゾチックな絵画や彫刻などのアート。こうしたかけがえのない精神文化史が凝縮された街であるNOが、果たして元の通りに復元されるのかどうか、これから見守りたいと思うし、出来ることなら自分が何かの役に立ちたいと願いばかりだ。
2005年9月10日