「教育とは何か」―プラトンの洞窟の比喩から考える―
教育とは、まさにその器官を転向させることがどうすればいちばんやさしく、いちばん効果的に達成されるかを考える、向け変え(ペリアゴーゲー)の技術にほかならないと (プラトン『国家』518d)。
キリスト教の根がなくなったことによって、当世の青年たちは教育のないまま成長する (ニーチェ遺稿1880初頭―1881春、1・11・19)。
人生を返せ、青春を返せ(佐藤健一)。
目次
はじめに「われわれの教育者自身が教育されていない」
1、洞窟の中の風景
1-1、洞窟の比喩
1-2、回顧
1-3、三つの事件
@、佐藤健一 開成高校生殺害事件1977年
A、朝倉泉 祖母殺人 1979年
B、酒鬼薔薇聖斗事件 1997年
2、「洞窟の比喩」の意味
2-1、二世界論
2-2、ソクラテス
2-3、洞窟の影としての科学主義
3、結語、「学ぶべき最大のもの」(『国家』505a)がそっくり抜け落ちている。
『進化と人間行動』「まえがき」
参考文献
謝辞
卒業研究担当の岩永雅也先生、御指導どうもありがとうございました。
今年(2010年)の記録的な猛暑の中、幕張の先生の研究室の通ったのを思い出します。京成幕張から本部まで行くのに、途中のイトーヨーカ堂で涼んでから行ったほどでした。
ギリシア語のディアレクティケーは、「対話術」、「問答法」、あるいはドイツ語経由で「弁証法」(「正体不明の日本語」〔藤沢令夫〕)などと訳されますが、どうもはっきりしません。ところが卒業研究で先生にするどく論駁されると、自分でも以前には想像しなかった考えに逢着しました。言葉つまりロゴスのやり取りによる探求(ディアレクティケー)に少し触れたような気がします。
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