§4、ニーチェの二世界論肯定
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●4−1、ニーチェの二世界論
ニーチェはプラトンとキリスト教を代表とする二世界論の熱烈な反対者として知られている。しかし、二世界論者ととれる言動もある。
宗教を「この世界で最も真実なもの」(1873年ごろの遺稿、3.320)の一つとし、「彼岸的な世界秩序について物語り、此岸的な世界秩序を軽視することを教える」としている。
現代は何よりもまず人間の生命を生きながらえさせようとする。このことがわれわれの文化に、怯懦と、長生きに対する老人の執着のような色あいとを与える。かつて、・・・生命よりも価値が高いものが非常に多いと考えることが、徳の本質に属することであった。(1880年春の遺稿 1・11・106) |
「生命よりも価値が高いものが非常に多い」とかんがえた最も有名な例は、ソクラテスとナザレのイエスである。ニーチェはこの二人の死を「世界史上最大の二人の無罪者の死刑」(6・68)と言っている。
ソクラテスは「ただ生きるのではなく、よく生きる」(『クリトン』48B)ために、毒盃を仰いだ。
ゴルゴダの丘の十字架で、神の一人子、イエスが全人類の罪を贖ったという。二世界論とは「生命よりも価値が高いものが非常に多いと考えること」の物語である。
「<十字架上のキリスト>は最も崇高な象徴である――いまだに。」(12・9・148)という遺稿がある。
殉教者と言われる人々は「生命よりも価値が高いもの」に賭ける。殉教とは最も美しい生き方ではないだろうか。
こうした生き方は現代でも不可能ではない。
先日(2006年10月はじめ)、米国ペンシルベニア州のアーミッシュ(18世紀の生活様式を保つ厳格主義のプロテスタントの一派)の学校での銃乱射事件で、13歳の少女が他の子供を守るために「私を先に撃って」と申し出、かなえられたそうである。
「善いこととは、優しい感動にみちたこと」(『ツァラトゥストラ』氷上英広訳)である。こうしたことは「信仰」、私たちの人生がこの世だけでないとう確信に支えられている。それは「徳の本質に属すること」である。
信仰の喪失は何にも増して災いをもたらす―次に来るものは、恐れと権威と信頼の消滅、瞬間にのみ生きる生、最も野卑な目的に、最も可視的なものに方向づけられた生。(1880初頭―1881春、1・11・262) |
「瞬間にのみ生きる生、最も野卑な目的に、最も可視的なものに方向づけられた生。」とは現代の私たちの生活を的確に捉えている。
私たちの時代は経済的需要を喚起させ、人間の欲望を肥大化させる。そうでないと社会全体がうまく回らない。
スピードと経済的な効率のまえに「恐れと権威と信頼」が消滅する。
その原因は私たちの「信仰の喪失」であるとニーチェは言う。
現代人が以前の時代の宗教的妄想を嘲笑うのと同じ、私の嘲笑の対となる政治的妄想は、なによりも世俗化である。この世界への信仰であり、『彼岸』や『背後世界』の忘却である。この妄想の目的は、はかない個人の快適さである。(1881年春―秋の遺稿 1・12・93) |
これはどうしたことであろう。誰よりも「宗教的妄想」を激しく嘲笑ったのがニーチェではなかったのか。此岸の生を断固肯定し、背後世界者を断罪したのがニーチェではなかったのか。
「われわれの世界は仮象であり誤謬である。」(1885年、2・8・302) |
「彼岸」の世界こそ「仮象であり誤謬」ではなかったのか。
わたしは愛する、大いなる軽蔑者たちを。なぜなら、彼らは大いなる尊敬者であり、別の岸に向かう憧憬の矢であるから。 (『ツァラトゥストラ』「序説4」9・28) |
「彼岸」へ憧れの矢を放てというのである。ニーチェは「大いなる軽蔑者」であり、また「大いなる尊敬者」でもある。
『アンチクリスト』の著者は、「私は福音の使者なのだ」とも言っている(この人180)。
『人間的、あまりに人間的な』の冒頭(つまりルーザロメのいう「第二期」の最初でもある)で、「いかにして或るものがその反対物から生じうるか」とニーチェは問を立てる。
概念と感覚の化学。―哲学上の諸問題は、今またほとんどあらゆる点で、二千年前と同じ問いの形式に立っている、いかにして或るものがその反対物から生じうるか、たとえば理性的なものが理性のないものから、感覚のあるものが死せるものから、論理が非論理から、無関心な観照が欲求的意志から、他者のための生が利己主義から、真理がもろもろの誤謬から、いかにして生じうるか?(5・23) |
8年後の『善悪の彼岸』の二番目のアフォリズムでも繰り返される。
或るものが、どうしてそれと反対のものから生ずることができようぞ? たとえば、真理が誤謬から?あるいは、真理への意志が迷妄への意志から?あるいは、無私の行為が我欲から?あるいは、賢者の純粋にして明敏な洞観が欲情から、どうして生じえようぞ?・・・ あの善き崇められた事物の価値をなすところのものの実体は、そのものが一見それと反対あの悪しき事物ときわどいほどに類似し、結びつけられ、つなぎつけられ、もしかしたら本質において全く同一である、というまさにその点に存することだって可能であろう。(10・18) |
そうならば、アンチクリストがキリストへの熱愛から、この世の生の肯定があの世への憧れから生まれることになりはしないか。それは「もしかしたら本質において全く同一である」のではないのか。
わたしは愛する、自分の神を愛するがゆえに、自分の神を懲らしめる者を。というのは、彼は自分の神の怒りによって破滅せざるをえないからだ。(9・28) |
これはニーチェの人生のことではないか。『悲劇の誕生』の出版後は「自分の神の怒りによって破滅」する坂を転がり落ちるのに似ている。ニーチェほど「自分の神を愛するがゆえに、自分の神を懲らしめる者」があろうか。
近代人が「仏陀、イエス、聖フランチェスコにならう生き方」をしようとしても、「破綻するほかはありえない」(『宗教社会学論選』大塚久雄他訳、みすず書房160頁)とマックス・ヴェーバーはいう。そのかけがえのない「症例」をニーチェが提供したのではないのか。
ニーチェは「無尽蔵」(ヤスパース)であり、異なる視点から見れば、全く異なって見える。
わたしは一個のデカダンなのであるが、見方を変えれば、わたしはまたデカダンの対立者である。(この人20) |
という具合である。
間近で見る大きな建築物のように全体像がつかめない。違った箇所を引用すれば、正反対の思想が出来上がってしまう百面相である。
アルキビアデス(というよりも著者プラトン)のソクラテス評のように、ニーチェは「その全生涯を仮面を被って断えず世人を翻弄しつつ送っている」(『饗宴』216E)、仮面の人、イロニーの人である。
そもそも「どの言葉もひとつの偏見である。」”Jedes Wort ist ein Vorurteil.”(6・278)であるとするなら、どうなるのであろうか。
「文字として書かれたものは、魂に書かれたものの影」(『パイドロス』230C)ならば、ニーチェの魂には何が書かれていたのか?
私はニーチェの言葉を略奪兵のように引用する「最悪の読者」(6・95)でありたい。
ニーチェの「非常に多くの好意」(10・72)や「神聖さ」(1・12・163)や「聖者のおもかげ」(8・33)を見出すためである。
いまやわたしは君たちに命令する、わたしを捨て、君たち自身を見出すことを。そして、君たちのすべてがわたしを否定することができたとき、わたしは君たちのもとに帰ってこよう・・・・(この人13) |
私はあえて通例に逆らい現世の否定者、二世界論者としてのニーチェを取りあげる。
●4−2、ニーチェの素性
ニーチェは1881年8月初め、シルヴァプラーナ湖畔で、永劫回帰の「啓示」Offenbarung(『この人を見よ』でニーチェ自身が使っている言葉である)を受ける。その2・3ヶ月後、「1881年秋」のメモで「ニーチェの素性」について述べている。
「わたしには素性Herkunftがある」・・・ツァラトゥストラ、モーゼ、マホメット、イエス、プラトン、ブルータス、スピノザ、ミラボーを揺り動かしたものと同じものの中に生きている。しかも多くの事物に関しては、胎児のまま何千年も必要としたものが、わたしの中ではじめて十分に成熟して日の眼を見るのだ。われわれは精神の歴史における最初の精神の貴族である――歴史感覚がいまようやく始まろうとしている。(1・12・274) |
「素性」にあげた8人のうち、古代人(マホメットを含めれば)が6人、近代人が2人である。また、宗教家(この語は適切であるとも思えないが)が4人、哲学者が2人、その他が2人となっている。実に、半数は、古代の宗教家である。
自分の素性の第一にツァラトゥストラ(英語名ゾロアスター)をあげている。当然ニーチェの主著、『ツァラトゥストラ』を想起しなければならない。
主著の名とゾロアスターを「歴史上の人物とは直接関係のない文脈で思想表現の器として利用されるにとどまっている」(インターネット百科事典『ウィキペディア』「ニーチェ」)とすると、歴史上初めて「道徳的世界解釈」をしたゾロアスターが消えてしまう。
ニーチェのいう「歴史感覚」、壮大な世界史的な思考を見失ってしまう。
主著の名は、「ヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺め」、「幾千年にわたって眺望のできる眼を身につけ」(『悦ばしき知識』「第五書」、8・384)るためのものである。
「善悪の彼岸」、「道徳的世界解釈」、「一切の価値転換」などのニーチェの有名なスローガンは、歴史的人物ゾロアスターに照準が合わされている。
ヤスパースのいう「軸の時代」に、中国、インド、ペルシア、パレスチナ、ギリシアにおいて、別々に「道徳的世界解釈」がなされた。
孔子(前551〜前479)、仏陀(前563〜前483、あるいは前463〜前383中村元による)、ゾロアスター(「前7世紀中葉〜前6世紀後半とする説が有力である」『宗教学辞典』護雅夫による)、ソクラテス(前469〜前399)、プラトン(前427〜前347)ら、人類の歴史に巨大な影響を与えた人々が、ほぼ同時代に出現した。
『この人を見よ』の最終章(ニーチェの全著作活動の最後でもある)、「なぜ私は一個の運命なのか3」で、ニーチェは主著の題、『ツァラトゥストラはこう言った』が「何を意味するか」を誰も著者に尋ねないと嘆いている。
だが、次のようにはっきり言っている。
歴史においてこのペルシア人の聳え立つ無比性をつくりあげているものは、反道徳家であるということとはまさに正反対であるからである。ツァラトゥストラは、何よりも善と悪の戦いをもろもろの事物の活動をあらしめる本来の歯車と見た――道徳を、力自体、原因自体、目的自体として形而上学的なものたらしめることが、彼の仕事である。(この人182) |
ニーチェが自分の「素性」にあげる次の3人「モーゼ、マホメット、イエス」が、「ユダヤ教、イスラム教、キリスト教」を表すとするなら、「アブラハムの宗教」であり、「一神教」の系譜をなしている。ツァラトゥストラの「道徳的世界解釈」を相続している。
プラトンは西洋哲学の二世界論(形而上学といってもいい)の礎をつくり、西洋哲学全体におよんでいる。
もちろん古代ギリシア人と現代人は「この世」を同じようには見ていない。全体像が違うので、その中の「哲学」の位置づけも違ってくる。しかし、ニーチェのいうように、現代のセンスからすれば「プラトンは宗教的な狂人にすぎない」(1880年頃、1・11・339)といえる。
次のブルータスは異色である。
「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(マタイ22:21)
この聖句は、日本語でもことわざのようになっている。が、「この世の支配者カエザル」と「神」とを対比した「二世界論」の公式ともとれる。ブルータスは前者の暗殺者として知られる。
ニーチェは『悲劇の誕生』で、スピノザ(1632〜1677)とともに有名な「永遠の相のもとに」という言葉を一回使っている(213)。ルネサンス以後は、そうでなく「永遠なものに背をむけて、すべてを『時代の相のもとに』、つまり『今時の相のもとに』みている」(214)という。
ニーチェはスピノザに親近感を持ち、「二人連れの孤独」(1881年7月30日、オーバーベック宛)といっている。
同時代人からは無神者とみなされながら、100年ほどたって「神に酔える人」と評価されたスピノザをニーチェは自分の死後の運命に重ね合わせる。ニーチェが「われわれ、死後に生きる者たち」(8・361)という時、スピノザをも仲間に入れていたのかもしれない。
フランス革命期に生きたミラボー(1749〜1791)は、貴族出身でありながら、第三身分代表の議員となる。容貌魁偉で自由奔放に生き、死後一旦はパンテオンに埋葬される。
が、その後、王党派に通じていたのが判明しパンテオンから除去された。「善悪の彼岸」に生きたような革命家である。
●4−3、現世否定
阿部美哉(『講座宗教学』「第五巻 聖と俗のかなた 第二章 脱工業時代と教団」東京大学出版)によれば、仏教やキリスト教のような歴史的高等宗教があらわれてはじめて「現世否定」の思想が顕著なった。
それ以前は現代と同じように「現世肯定」をしていたという。ギリシア神話と日本神話の神々は、現世肯定的で道徳的とはいえない。動物は瞬間、瞬間の生を肯定するだけで、「真の世界」を知らない。
仏教とキリスト教のほかには、プラトン、ゾロアスター教、道教、マニ教、イスラム教が「現世否定」に含められる。
古代の世界宗教は現世肯定から否定への「一切の価値の転換」をした。
人間の思想史上に世界宗教が与えた衝撃は、その「現世否定」の考え方である。現世否定は、現世を逃避して来世をこいねがうという単に消極的な意味ではなく、むしろ積極的に否定の出来る根拠としての超越的原理を獲得したこと、家族、国家という地上の権威に縛られない思想が出現したことである。 (柳川啓一「宗教」の項『大日本百科全書』小学館) |
その「超越的原理」を「アフラマズダ」、「涅槃寂静」、「善のイデア」、「神の国」などと名づけている。
「神は死んだ」という近代最大の事件以来、超越的原理を求めなくなった。ニヒリズムとは「超越的原理」の欠ける事を言う。
ルネッサンス以降の近代が現世否定から現世肯定への逆方向の転換であっても、世界宗教の影響は今日まで道徳や社会制度などの形にもあらわれている。
人権、民主主義、社会主義などの根拠は自然界にはない。それらの根拠は、超越的原理、一番広く行き渡った言葉を使えば、「神」がなければ正当化されない。
生命が地球上に誕生し、「食うか、食われるか」、「生か、死か」、「存在か、非存在か」を指標として、40億年もの進化の過程を経た。しかし、古代の人類の教師たちは、自然界の法則の逆を教える。
ヤスパースは「枢軸時代」の変革を「破開」Durchbruch(英語のブレイクスルー)という言葉で説明している。
このブレイクスルーによって、人間は他の動物より少し神に近づいた。人間は弱肉強食、優勝劣敗に反した稀有な生物となった。
| 現世拒否ないし超越性に現世の価値以上の価値を認める宗教は、短期的、一時的な現象でなかった。現世拒否の大きな脈動が、文明化された世界のほとんどにおいて、近代が始まる前まで、二〇〇〇年以上にわたって広がっていた。 (阿部美哉『世界の宗教』丸善ライブラリー63頁) |
「歴史の全過程は、いわゆる、<道徳的世界秩序>の実験的反駁」(この人182)であるとしても、二世界論の及ぶところは例外である。
●4−4、ゾロアスター
ツァラトゥストラの「終末論、最後の審判、天使と悪魔の闘争」などはユダヤ教、ひいてはキリスト教、イスラム教に受け継がれたという。この世に終わりがあり、その時に神が「よい-悪い」を審くという思想は、この世でない別の世界があるのを前提にしている。
「最後の審判」とは究極の「道徳的世界解釈」である。
繰り返しになるが、「何よりも善と悪の戦いをもろもろの事物の活動をあらしめる本来の歯車と見た――道徳を、力自体、原因自体、目的自体として形而上学的なものたらしめることが、彼の仕事である。」(この人182)とニーチェのいうように「道徳的世界解釈」の代表者は、ゾロアスターである。
古代オリエントを統一したアケメネス朝ペルシア(BC550〜330年)はユダヤ人にはバビロン捕囚の解放者(BC538年)として知られ、また古代ギリシアがペルシア戦争(BC500〜449年)を戦った相手でもある。
そのアケメネス朝の国教に近い地位にあったのがゾロアスター教である。アケメネス朝がアレキサンダー大王に(BC330年)滅ぼされた後も、ゾロアスター教は7世紀にイスラムが出現するまで西アジアで最も有力な宗教であり、ササン朝ペルシア(224〜651年)の国教であった。
古代ペルシアはローマ帝国の対抗勢力であり続けた。
ゾロアスター教の影響下に、3世紀に出現し、13世紀に消滅したマニ教は、西はローマ帝国から東は中国まで伝播した世界宗教であった。キリスト教改宗前のアウグスティヌス(354〜430)が信仰していた。また中世ヨーロッパの異端カタリ派にも影響を与えたという。
アレキサンダー大王が東に向かったのは、東方に文明の中心地であったからである。東洋と西洋の区別や世界史の図式「古代ギリシア・ローマ→中世→近代」は、はるか後の人々が考え出したことであり、古代ギリシアでは知られていない。
ヘーゲル流の歴史観では東洋をばっさり切り捨ててしまうが、人類が農業を覚えて定住して以来、オリエントには数千年の文化(カルチャー、耕作すること)の蓄積がある。
ヘブライズムとヘレニズムとはオリエントの辺境から発しており、中心部はゾロアスター教が1200年以上にわたり有力であったのを見落としてしまう。
ちなみにキリスト教がローマ帝国で公認(313年)されてから今日まで1700年、イスラムが勃興(622年)してから1400年ほどである。
マックス・ヴェーバーは学問(科学)以前に、「もろもろの価値秩序の神々の争い」(『職業としての学問』岩波文庫54ページ)があり、科学では決着がつかないと言う。
人間は「超越的主観」として、「のっぺらぼうの」時間空間の中にあるわけではなく、世界とかかわり、その中で生きている。
私たちの感覚器官は生きるためにあり、認識するためにあるのではない。はじめに、生き物にとっての世界との関わりあい、「よい―悪い」の価値判断がある。
「神々の争い」の二つのプロトタイプの名前は、善と悪、光と闇の神、「アフラ-マズタとアフリマン」にたどり着く。三千年近く前の人々は、善・悪、正価値・負価値を抽象的に考えられずに、眼に見える人間の形をした「神々」にあらわした。
現代の私たちもある意味ですべてゾロアスター教徒である。「善悪の彼岸」にはたてず、「善悪の此岸」に留まっている。その信仰を「神」と「異教徒」、「水戸黄門の印篭」と「悪代官」、「民主主義」と「テロリスト」、「科学」と「宗教」など等々に投影する。
ドラマの世界だけでなく私たちの日常も、「善役」と「悪役」に配役が決まっている。私たちは無意識のうちに「善くて正しいもの」となり、「善」の立場に忍び込み、「悪」を非難する。
●4−5、仏陀
中村元によれば(『普遍思想』611 ページ)、「現世否定的傾向」は、古来インドに顕著であり、仏教やジャイナ教の出現で高まった。「実例はいちいち示すまでもない」というが、ニーチェの読んだ最古の仏典『スッタニパータ』から以下に引用しておこう。
悪魔パピーマンがいった、 「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」 師は答えた、 「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、実に憂うることがない。」 (中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫17ページ) |
現世肯定があまねく行き渡った現代のセンスでは、悪魔パピーマンと仏陀の言葉が逆である。現代人は自分の家族や財産に喜びを見出し、それらの喪失を悲しむ。というよりも、上記の仏陀の論理はとうてい理解できない。だが、仏陀は現世を否定する。
妻子も、父母も、財宝も穀物も、親族やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。 (『ブッダのことば』20ページ) |
とは言葉だけではなく、仏陀が人生で実行した。
「四門出遊」の寓話にもられた王子シッダルタの若き日の悲痛な悩みがなければ、今日「仏教」と称されるものはなかった。
彼の「若き日の悲痛な悩み」を、現代の仏教徒と自称する人たちはどれほど理解できるだろうか。
現代人は「四苦」(生老病死)の第一が「生」であることを決して理解できない。
国会図書館の検索をすると『仏教を見直そう--そも仏教は「人生は楽しいものだ」と説いている (対談特集 贅沢な時間) / 梅原 猛 ; 玄侑 宗久 文芸春秋. 80(8) [2002.7]』というのがあった。
「生を深く洞察するに応じて、苦悩をも深く洞察する」(9・245)というニーチェは、深く仏陀の心のうちに共感していた。
1875年に英訳『スッタニパータ』を読んで友人ゲルスドルフに長文の感想を書き(1875年12月13日、15・289)、「『スッタ』の確乎たる結句のひとつを、つまり『犀の角ように、ただ独り歩め』という言葉を僕はもうふだんの用語にしている」といっている。
それから13年たった発狂直前(1888年10月)の遺稿にも、『スッタニパータ』の影響で「直接自己を犀にたとえている」ものがある(白水社ニーチェ全集第U期第十二巻の氷上英広の解説)という。
「鋤の刃」という題、「脱皮する蛇」の比喩、「自由精神」、「漂泊者」などにも『スッタニパータ』の影響があると私は考えている。
以下の遺稿をもっと真剣に受け止めるべきであろう。狂気に近い(これは比喩ではない)真剣さで書いているからだ。
過去現在を問わず今まで生きてきた全ヨーロッパ人の中で、最も広大な魂を持っている。プラトン、ヴォルテール―私はあるいはヨーロッパの仏陀になり得るかもしれない。もちろんインドの仏陀とは反対のものだろうが。(1882年11月−1883年3月、2・5・147) |
私たちはニーチェの世界史的な思考についていけない。「真剣に受け止めることができない」というのが、本当のところである。
ニーチェはショーペンハウアーから比較思想的な視点を学んでいる。
そのショーペンハウアーは、「涅槃(ニルヴァーナ)とはこの世の否定、つまり輪廻(サンサーラ)の否定である。」(『意志と表象としての世界・続編』白水社ショーペンハウアー全集第7巻231ページ)としている。
「二世界論」を仏教の言葉で定型化すれば、「輪廻転生、涅槃寂静」といえよう。
また聖徳太子の言葉とされてきた「世間虚仮、唯仏是真(せけんこけ、ゆいぶつぜしん)」(7世紀前)、あるいは源信『往生要集』(985年)にある「厭離穢土、欣求浄土(おんりえど、ごんぐじょうど)」なども「二世界論」をストレートに表している。
イスラム原理主義の宣伝ビデオで、自爆テロに行く前のイスラムの少年が、まさに「厭離穢土、欣求浄土(汚いこの世を離れ、きれいなあの世に行きたい)」と言っていたのには驚いた。
イスラムと仏教の共通点とは二世界論ということであろう。「世界宗教」と同じ一つの言葉で呼ばれる。
およそ千年の後に、日本に仏教が伝わったとき、それは「道徳的世界解釈」と見なされた。当時の日本の支配者たちは、仏教を広めることによって、国をうまく維持できると信じた。だからこそ、国の財政を傾けても寺院や大仏を建立した。
以下は聖徳太子が制定したとされてきた『憲法十七条』(604年)の第二条の現代語訳である。
二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。 (金治勇『聖徳太子のこころ』、大蔵出版、1986年) |
仏教が「道徳的世界解釈」であるのは一貫している。
「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教(しょあくまくさ、しゅぜんぶぎょう、じじょうごい、ぜしょぶっきょう)」(『法句経』最古の仏典の一つ)の句は、禅宗の掛け軸などに書かれ、広く知られている。「諸仏教」と複数形になっており、歴史的仏陀が「悟った人」の一人とされる古い形になっている。
中村元訳は以下である。
すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、――これが諸の仏の教えである。(『真理のことば』183) |
●4−6、イエス
仏教だけでなく、キリスト教も現世否定に強くとらわれている。
阿部美哉「世界の宗教」(『刑政』平成13年2月、101ページ)によれば、有名な「山上の垂訓」でナザレのイエスは、「見事に現世の価値からの転換が示されている」という。
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。 あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。 (マタイ5:3〜12) |
これは弱肉強食の自然道徳から人間の道徳への転換、ニーチェ流に言えば貴族道徳からルサンチマン道徳への転換である。
「ナザレのイエスが愛したのは悪人であって、善人ではなかった」、彼は「道徳の絶滅者になろうとした」(1882年の遺稿、2・5・84)というのは、貴族道徳から見ての善悪である。
ニーチェの「一切の価値の転換」もナザレのイエスに倣ったものであろう。
ニーチェは『道徳の系譜』の「序文」(10・323)で、「山上の垂訓」、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」(マタイ6・21)に賛同している。
この少し先で、現世否定か肯定か、神の国か地の国かの二者択一を私たちにせまる。
だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは神にも仕え、また富(マモン)にも使えるということはできません。 (マタイ6:24) |
過激な二世界論の標語であるが、現代人にとってはむなしい。ためらわずに「富」を選ぶ、門前払いの問いであるからだ。
資本主義というマモニズムmammonism(拝金主義)に戦いを挑んだマルクス主義は、「19世紀版二世界論」ということになろう。
ニーチェは上記「二人の主人」を意識してか、「昔人々が『神のために』行なったことを、人々は現在金のために行なう。」(7・201)とか「商売に精通していないのが高貴である」(7・260)とナザレのイエスに同意している。
またニーチェはユダヤ人に関して、以下のように言う。
おそらく若い株屋のユダヤ人というものはおよそ人類のもっともいとわしい発明品であるだろう。(一行略)あらゆる民族の中でもっとも苦悩にみちた歴史を辿ってきた民族、世界でもっとも高貴な人間(キリスト)・もっとも純粋な賢者(スピノザ)・最も力強い本・もっとも影響力の多い道徳律などを与えてくれた民族に対して、人はどれほど大目にみてやらなくてはならないものなのか、をわたしは知りたいものだ。 (『人間的あまりに人間的な』475,5・356) |
ここでもニーチェは「若い株屋のユダヤ人」と「世界でもっとも高貴な人間(キリスト)・もっとも純粋な賢者(スピノザ)」を対比させ、二世界論的な考え方をしている。
「若い株屋のユダヤ人」とはニーチェの人種的偏見ではなく人間のタイプを表す。だが現代の日本では「人類のもっともいとわしい発明品」ではなく、「ヒルズ族」などと呼ばれ羨望の的となり、時代の最先端をいく。
●4−7、プラトン
阿部美哉がプラトンの「現世否定」の例にとるのは、『パイドン』の「肉体は精神(魂)の墓場」(ソーマ・セーマ説)という思想である。
魂は肉体の死によって、この牢獄から解放され、イデア界に戻る。魂はそれを望み、死は決して悪ではない。
肉体の感覚の助けを借りずに、魂だけで考察するときは、「魂は、かなたの世界へと、すなわち、純粋で、永遠で、不死で同じように有るものの方へと、赴く」(岩波文庫『パイドン』79D)。その逆に、魂が肉体に仕えると、「人が触ったり、見たり、飲んだり、食べたり、性の快楽のために用いたりするもの、以外のなにものをも真実とは思わなくなる」(同81B)。
ソクラテスの最期の言葉は、「アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。忘れずに、きっと返してくれるように」(同118)というものだった。ニーチェはそれに解釈を加えている。
「おお、クリトンよ人生は病気である!」こともあろうに!明朗で、誰が見てもひとりの兵士のように生きてきた、彼ほどの人物が、――ペシミストだったとは!どうやら彼は人生に対してよい顔をして見せていただけだったのであり、一生涯自分の究極の判断、自分の奥底の感情を隠していたのだ!ソクラテス、このソクラテスが人生に悩んでいたのだ!のみならず彼はなおその復習までやったのだ――あの婉曲な、ぞっとするような、信心ぶった、だが涜神的なことばでもって!(『悦ばしき知識』8・309) |
ソクラテス(あるいは『パイドン』の著者プラトン)は「この世の生」が病気であり、「あの世」へ逝くことがそれからの快癒であると考えた二世界論者であった。
ニーチェはプラトンの反対者ということになっているが、プラトンを自らの「素性」(1・12・274)であり、「家系」(1・12・196)であるとも言っている。
二世界論はその時その時を周りに調子を合わせうまく切り抜けるのではなく、永遠のかなたに最高の目標をつくる。私たちの人生に変わらない理想を掲げることになる。
理想主義という言葉は、英語のアイデアリズムの訳であり、プラトンのイデアから発しているのが見て取れる。
二世界論とは、「そのために生きそして死ぬことのできるイデー」(キルケゴール)を人生に掲げることである。
哲学者というものは、人間がどこまで自らを高めることができるか、特にプラトンの場合は、どこまで自分の力が及ぶかを吟味することに猛烈な努力をする人間であるとみなすことができよう。 (1885年の遺稿、2・8・226) |
ここでニーチェは哲学者の典型をプラトンに見る。
「どこまで自分の力が及ぶかを吟味することに猛烈な努力」をニーチェ以上にしたものがあろうか。
● 4−8、ニーチェの「運命」
『悲劇の誕生』は、「ギリシア古代の再生」という「ドイツの希望のただ中へ、渦巻きとして、転回点として差し出された」(28)ものである。
「世界史の転回点」とは、「神話の破壊を目ざしたソクラテス主義」(210)に対して、ニーチェが「神話を背景としてすべてを描きなおす」ことでもある。
いわば、「非神話化」とは逆の、ニーチェによる「神話化」の試みである。現代の科学的世界像を神話的世界像に置き換える試みである。
なぜなら私たちの「科学の時代」は人類の歴史においてきわめて特殊な時代であるからである。人々が科学的世界像をもつようになったのは、西洋で200年に満たないくらいであり、日本では100年くらいのことに過ぎない。
ところが、ニーチェによれば「哲学者が最初にして最後におのれに求めるもの」は、「おのれの内なるその時代を超克すること、「無時代的」となることである」。(13・243)
『悲劇の誕生』の「世界史の転回点」という意識は、後の「人類の運命を手中にしている」という意識に直結している。
ニーチェの「運命」とは、西洋哲学史に限られるのではなく、「人類の歴史をまっ二つに断ち切る」(この人193)ものである。
ニーチェは「ツァラトゥストラ、モーゼ、マホメット、イエス、プラトン」を揺り動かしたものと同じものの中に生きているという。
妹への手紙で、自らを「偉大な人類の教師」に含めている。
私のやったことを、その完全なる深さにおいて追感する数人を生み出すためには、どれほど多くの世代が先づ過ぎ去らねばならないか、誰にも分かりはしない!そして、その時になってさへ、どんな権利なきものや全くの不適格者共が私の権威を引き合いに出すだろうかと考えると、私は恐ろしくなる。しかしこれはどの偉大な人類の教師もなめる苦痛だ。彼は人類のために祝福になると同様に、事情によっては、また運が悪いと、禍ひにもなり得るということを知っているのだ。 (1884年6月中旬、妹宛 ボイムラー『ニーチェ書簡集』) |
「どんな権利なきものや全くの不適格者共がニーチェの権威を引き合いに出」し、「禍」を引き起こした有名な例は、ナチスであろう。
そして、世界の四大聖人(日本以外でこういう言い方があるかはわからないが)のうちの三人、ソクラテス、仏陀、イエスとアイデンティファイするがゆえに反抗している。
ニーチェはソクラテスと「あまりにも近くに位置しているために、ほとんどやむことなく彼と闘争しつづけている」(1・5・236)のであり、「ヨーロッパの仏陀になり得るかもしれない。」が「インドの仏陀」(2・5・147)とは反対のものであるという。
イエスについては、言い尽くされたことで、柏原啓一先生の東北大学の最終講義、「ニーチェとキリスト教」(『知られざる神』南窓堂2001年所収)をご覧いただきたい。
「人類の歴史を二分する」という考えは、以下の手紙ではもっとはっきりする。
私が当代随一の哲学者であること、いやおそらくは稍々それをうわまわるもの、二つの千年のあいだに立つ決定的な、宿命的なものであること、このこともありえぬことではありません。 (1888年2月12日ザイトリッツ宛、16・108) 私は人類の歴史を二分してしまうほども十分に強力なものですから (ストリンドベリ宛1888.12.7) 文字通り人類の歴史を真っ二つに爆破するのだ(ガスト宛1888.12.9) |
『アンチクリスト』の末尾では、ニーチェはキリスト教紀元に代わりに、1888年9月30日すなわち『アンチクリスト』完成の日を紀元元年とするなどという途方もない提案をしている。
このようなニーチェの広大な、というよりも気違いじみた発想に、私たちはついていけない。これでは発狂したのももっともだと納得してしまう。
しかし他の時代には、「神々と人間の師(天人師)」(仏陀)、「神の子」(イエス)、「神につかわされたアブ」(ソクラテス)とするのが最高の思想とされてきた。
一見超自然のように見える記述は現代のわれわれとは異なる独自の方法で宗教的真実を表現したものであるから、外観にとらわれずに、それの本来の意義を理解しなければいけない。(渡辺照宏『新釈尊伝』) |
この「宗教的真実」という言い方が気に入らなければ、「神話的真実」といってもいい。それはこの世をミュトスとして、物語として見ることである。