§結語、覆面の聖者

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●結−1、覆面の聖者

 柏原啓一先生の東北大学の最終講義、「ニーチェとキリスト教」(『知られざる神』南窓堂2001年所収)の結論は、ニーチェはアンチクリストを名乗ると同時に「逆説的な意味で正しいキリスト教の精神を招来させる」というものである。私はそれを敷衍して考えたい。

 「正しいキリスト教の精神」とは世界を説明することとか、客観的な知識を獲得することにあるのではない。人間の生き方を示すこと、価値の評価にある。私たちのほとんどの日常の関心はここにある。


キリスト教は
近代の自然科学によって克服されたと思っている連中への皮肉。キリスト教的価値判断そのものは、それによっても全然克服されていないのだ。「十字架上のキリスト」は最も崇高な象徴である――いまだに。(1885秋―1886春の遺稿、2・9・148)


「キリスト教的価値判断」とはルサンチマンと名づけ、ニーチェが悪口雑言の限りをあびせたものではないのか。その舌の根の乾かぬうちに、「十字架上のキリスト」を「キリスト教的価値判断」の「最も崇高な象徴」だと言っている。

ルサンチマン道徳つまりはキリスト教の価値評価を知る「パウロのこの上なく貴重な言葉」(13・213)は『第一コリント1:27-28』にある。


神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強いものをはずかしめるために、この世の弱いものを選ばれたのです。
 また、この世の取るに足らない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。


 これは弱肉強食の動物の世界より人間がすぐれたところではないのか。このパウロの定式は三百年かかって「力の証明」(13・210)がなされた。

313年にローマ帝国に公認され、392年には国教となった。キリスト教道徳、パウロの言う「愛と希望と信仰」が、地上のローマ帝国をねじ伏せたのである。
 
 それだけでなく、西洋近代にはさまざまな革命などをつうじ「低劣な者」(13・198)の蜂起が行なわれ、現代の社会政治制度の中に「ルサンチマン道徳」は、民主主義、社会主義、基本的人権、社会保障などの形で、生きている。
 
 現代でも弱者が強者に及ぼす害毒より、強者が弱者に及ぼす害毒のほうがはるかに大きい。

 「パウロのこの上なく貴重な言葉」と正反対なのが、『この人を見よ』でいうニーチェの「運命」、「世界史的怪獣」(この人194)の最後の咆哮である。


最後に――これが一番恐ろしいことなのだが――善人という概念の中では、すべての弱者、病人、できそこない、自分自身に苦しんでいる者ども、つまり没落すべきすべての者どもの方が擁護され――、淘汰の法則はさえぎられ、誇り高く、できがよく、然りを語り、未来を確信し、未来を保証する人間に対する抗議が一つの理想とされている――そうなると、できのよい人間のほうは今度は悪人と呼ばれるようになる・・・そしてこれらすべてのことが道徳として信仰せられたのだ!(14・152)


 このニーチェの絶叫を字義通りに理解すれば、ナチスこそニーチェの正当な後継者ということになる。

しかし、ニーチェは「すべての隠れ住む者の中で最も隠れて住む者」(2・5・204)である。

 平素は「徹底的に実行の反キリスト教徒」(『アンチクリスト』13・189)であるような政治家が、クリスチャンとしてまかり通っているような現実にニーチェは我慢ができなかったのである。

 「哲学者の作品は彼の生活(何よりもまず、彼の著作より前に)である。」(1・4・394)とするならどうだろうか。

ニーチェの「生活」は余りにも悲惨なものだ。「病人」であり、「自分自身に苦しんでいる者」、つまり「没落すべき者」であった。それにもかかわらず、日常生活は「道徳的」であり、「処女のごとく無垢」(シェストフ『善の哲学』)であった。

『悲劇の誕生』を出版して学会から締め出され、病気、大学の退職、十年間の放浪と続き、挙句の果ては、トリノでの発狂となる。その後も十年ほど狂気のうちに生きながらえ、19世紀最後の年に亡くなる。

ニーチェの人生という最大の作品には、大きく「現世否定」と書いてある。

妹の証言によれば(妹のフィクションであっても同じことだが)、狂気のニーチェは「妹よ、なぜお前は泣いているんだい?僕たちは幸福ではないか?」(『孤独なるニーチェ』)と言ったという。

狂人ニーチェは確かに幸福だった。

バーゼル退職後の10年間の孤独と病苦のうちに、「自ら進んで氷と高山の中で生きた」(この人10)哲学者ニーチェの生活に比べ、母と妹の保護下に何不自由なく暮らした。

幸福とは何だろうか?私たちの求める幸福とは何であろうか?


 1881年の遺稿には、脈絡なく、ぽつんと「彼は自分の神聖さを恥じ、それを隠蔽した。」(1・12・163)とある。

 森鴎外の『仮面』(1909年)という小さなあまり知られていない戯曲は、「すべて深いものは仮面を愛する。」で始まる『善悪の彼岸』40の有名なアフォリズムによっている。


逆というものこそは、神の羞恥が着こんでいく格好の仮装なのではあるまいか?

ひとが一番ひどく恥じるものが、一番悪いことときまっているわけではない。仮面のうしろにあるものは詭計ばかりとはかぎらない。――詭計のなかには非常に多くの好意もある。

すべて深い精神まわりには絶えず仮面が成長する。彼の発する一語一語、彼の足取りの一歩一歩、彼の生のしるしの一つ一つが、絶えず間違った解釈に、すなわち浅薄な解釈にさらされるためなのである。――(10・72)

というものである。

ニーチェとは「覆面の聖者」ではないのか。同名の短い詩が『悦ばしき知識』「たわむれ、たばかり、意趣ばらし」31にある。


覆面の聖者 Der verkappete Heilige

お前の幸福がわれわれを圧迫しないようにと、
お前は身を包んだ、悪魔の妖術で、
悪魔の機智で、悪魔の衣装で、
だが、詮ないこと!お前の目つきからは
聖者の面影がのぞいて見える!(8・33)




●結―2、ニーチェの一貫したもの

 ニーチェの処女作『悲劇の誕生』の発表から精神の崩壊に至るまで17年しかない。そのわずかな活動期の一貫したものは何か。本人が最後の年、1888年にそれに答えている。


私は十七年このかた、われわれの現今の学問の営みの、精神を空っぽにする影響を倦まずに暴き立てて参りました。諸学問の範囲が途方もなく巨大化した結果、今日では個々の学者が冷酷な隷役を呪い負わされていますが、これこそが、ゆとりと豊かさと深さの素質を相当に具えた人々までが、もはや自分の身にふさわしい教育と教育者とを見つけられなくなっている一つの主な理由であります。(『偶像の黄昏』2・4・80)


「われわれの現今の学問(科学)の営みの、精神を空っぽにする影響」を暴露することがニーチェの一貫したものである。

 これは科学的実証主義を揶揄した(『道徳の系譜』V24)ニーチェ一流の駄洒落造語の傑作、「事実」faitと「運命論」fatalismeを合体させた「プティ・フェータリスム」peti faitalismeは、「小さな事実の運命論」あるいは「小さな運命の事実主義」とでもいうべきものであろう。

 日本語の「<科学>という奇妙な訳語」(野家啓一)が示しているように、科学とは「分科した学」、「ある観点から見た専門化した知識」である。

 私たちははじめから小さな事実しか知ることが出来ないという運命論を信じている。

あるいは科学の事実主義に徹すれば小さな運命にしか出会えない。これもまた「単なる事実学は事実人をしかつくらない」(『危機』20ページ)というフッサールに似てきている。

 ウェーバーの名著、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の終わりに、突然『ツァラトゥストラ』の「おしまいの人間」が登場する。


精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものnichtsは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう。

知の頂点に登りつめたと自称する現代人は、自分たちが何者であるか知らない「大きな子供」である。



 また、ヴィラモーヴィッツ=メーレンドルフとニーチェの対立を持ち出そう。
<ロゴスVSミュトス>、<エピステーメーVSドクサ>、<科学VS物語>、<プティ・フェータリスム(ニーチェの造語「小さな事実運命論」)VS二世界論>という構図が現代にも描かれる。

 リオタールは「科学」と「物語」を対立するものと考え、ポストモダンを「大きな物語」の失墜と定義した。

 「進歩、自由、平等、革命、ヘーゲル、マルクス」などの大きな物語が終わるところはもはや「近代」ではない。一方、人間は「コミュニケーションの回路の≪結び目≫のうえにつねに置かれている」(小林康夫訳『ポストモダンの条件』43ページ)とるに足らぬものとなった。

 ところが、「科学的知は、もうひとつの知、つまり科学的知にとっては非知にほかならない物語知に依拠しない限りは、みずからが真なる知であることを知ることも知らせることもできない」。
 「デカルトのような断固とした思考においてすらも、科学の正当性は、ヴァレリーが≪精神の物語〔歴史〕≫と呼んだもの、あるいは『方法叙説』という一種の教養小説(Bildungsroman)のなかでしか開陳されることはなかったのである」(同77ページ)。

 科学も一つの物語、つまりミュトスなのである。

 リオタールの「大きな物語」とは要するに世俗化されたキリスト教であり、淵源をさかのぼれば最大の物語、「二世界論」にたどり着く。
世界宗教、高等宗教といわれるもの(単に「宗教」と言うべきであろう)は、わたしたちの住んでいるこの世のほかに、別の世界、あの世があるという壮大な物語である。

 死の向こうは永遠であり、死者は永遠に帰ってこない。この世を「永遠の相のもと」に見ると、「あの世」が視界に入って来る。

 人生は全体から考えると奇跡の連続である。なぜこの世に生まれたか?なぜ死があるのか?

 だが、そのような思いにとらわれていると世間から取り残される。

「今時の相のもとの」にスピーディーに生きなければならない。「小さな事実」だけを見、「小さな運命」に甘んじなければならない。

 私たちの時代の「名無しの哲学」は二千年以上の伝統に支えられ不動である。その哲学に沿って教育が行われる。小学校の門をくぐって以来、「科学」が正しいものだと教えられる。

 プティ・フェータリスムによって二世界論が崩壊し、近代人が「死」の向こうを考えなくなった。その結果、「人が触ったり、見たり、飲んだり、食べたり、性の快楽のために用いたりするもの」(『パイドン』81B)だけが真実であると考える「首を切られた哲学」が、自明のこととしてあまりにも広く行き渡るようになった。



●結―3、もう一度『悲劇の誕生』

 「作家は処女作に向かって成長する」といわれる。ニーチェもライターという意味の作家であったことは確かであり、処女作、『悲劇の誕生』に向かって成長した。

 ニーチェ自身も「原理的問題の徹底的考察」の答えは「きわめて隠蔽され晦暗なかたちで、わが『悲劇の誕生』の中にあり」(1885年7月13日オーバーベック宛、2・12・391)としている。

 また、最後の年に『悲劇の誕生』が「私の最初のすべての価値の転換」であり、「このことで私は、私の意欲、私の能力がそこから生育した土地にふたたび身を置きもどすのである」(13・135)と言っている。

 渡邊二郎先生の「二十一世紀における哲学の使命によせて」(『哲学雑誌』1992年)によれば、21世紀に鋭い示唆を与えた哲学者の第一にニーチェをあげる。
 「ニヒリズムの到来」というような晩年に結晶した思想は、「実はニーチェの処女作『悲劇の誕生』の根本問題でもあった」。『悲劇の誕生』は、「現代の科学技術に先導された文明の批判と告発の書なのである」としている。

 さらに「学問・科学に先導された現代文明そのものを、その根底から、人間の生の根本に潜む「ディオニュソス的なもの」に着目して、批判し、位置づけ直すこと、これがニーチェの処女作の根本主題であり、それはまたニーチェ終生の思索の課題に通じていたと言わなければならない」。



 『悲劇の誕生』はショーペンハウアー(古代と近代の代表的二世界論者、プラトンとカントの嫡流を自認している)の影響下に書かれている。そこでニーチェは二世界論を「哲学的能力の目印だ」(31)と肯定している。

 「音楽は他の芸術と違い、現象でなく物自体、形而下的なものでなく形而上的なものを表現する」というショーペンハウアーの芸術論にワーグナーとニーチェは賛同していた。

 『悲劇の誕生』16節には『意志と表象の世界』の長い引用がある。ニーチェはここで西洋哲学の伝統に掉さして「二世界論」を取っている。「現象、表象、アポロン的なもの」に対して、「物自体、盲目的意志、ディオニュソス的なもの」の優位を語っている。


この現実界の底に、もう一つまったく別な第二の現実が秘められていて、従ってこの現実界もまた一種の仮象なのだという予感を、哲学的人間はいだいてさえいるのである。そしてショーペンハウアーは、人間やすべての事物がときどきただの幻影か、あるいは夢のすがたと思われてくるような素質こそ、哲学的能力の目じるしだといっている。(31)

私はどうしても次のような形而上学的仮説を立てざるをえないからである。すなわち、真に実在する根源的一者は、永遠に悩める者、矛盾にみちた者として、自分をたえず救済するために、同時に恍惚たる幻影、快感にみちた仮象を必要とするという仮説である。(50)

「自然の真実」と「文明の虚偽」は「事物の永遠の核心である物それ自体と、全現象界との対照に似ている。」(81)

ディオニュソスこそ真に実在する唯一のもので、それが戦う英雄の仮面をつけ、いわば個々の意志の網にひっかかって、多数の人物となって現象するのである。(101)

悲劇的神話は現象の世界をその限界まで導いていく。この限界において現象の世界は自分自身を否定し、ふたたび真実唯一の実在のふところに逃げ帰ろうとする。(203)

無感覚にも、永遠なものに背をむけて、すべてを「時代の相のもとに」、つまり「今時」の相のもとに見ているだけなのである。(214)




●結―4、「裸の事実」

 もう一度『マタイ6・24』の「二世界論の標語」を復習しよう。


だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは神にも仕え、また富にも使えるということはできません。


 ナザレのイエスに答えるように14歳の少年ニーチェは言う。


僕はしっかりと心に誓いました、永久に神様に奉仕するために一身を捧げようと。(14・198)


少年の日の一途な思いを消し去ることが出来るだろうか。いや、消すことは決して出来ない。それだけでなく、どんな経験をしようが、どんなに努力しようが、どんなに長く生きようが、少年の日の熱い思いを超えられない。

 「すべての哲学には、哲学者の〈信念〉が舞台に上がってくる一点があるものだ」(10・25)。この信念は「反証不可能」である。それ以前にさかのぼることもできない「裸の事実」 stubborn factである。
                                           
 さて、少年の日の誓いから30年たって、正気にあった最後の年に、「二世界論」の熱烈な批判者として知られていたニーチェが最後にどんでん返しをしている。

 『偶像の黄昏』「いかにして『真の世界』が最後には寓話となったか」「一つの誤謬の歴史」は六段階あり、最後は以下である。


真の世界を私たちは除去してしまった。いかなる世界が残ったのか?おそらくは仮象の世界か?・・・だが、そうではない!真の世界とともに私たちは仮象の世界をも除去してしまったのである!(13・43)


私たちは「真の世界」とともに「仮象の世界」をも除去してしまった。「
世界絶滅」 Weltvernichtungenという科学の目標は達成された。

それでも、「おしまいの人間」たちは幸福を見出した。

 「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」

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