| ヘーゲル歴史観へのニーチェの批判 ー『生に対する歴史の利害について』を中心にしてー |
これは1974年末(?)、八王子の大学セミナーハウスにおいて、日本大学哲学科瀬在良男教授のゼミで発表されたものである。
当時としては私の自信作であった。今読み返してみると、「ニーチェの科学批判」と題も内容もそっくりなのに驚かされる。
瀬在先生の「著者のヘーゲル理解が欠ける」という指摘があった。
つい先日インターネットで、瀬在先生が逝去されたのを知りました。ここに心からご冥福をお祈り申し上げます。
なつかしい人たち、お元気でしょうか?
33年前の過去からご挨拶申し上げます。
私は長い間、「ニーチェという森」に迷い込んだままで、もう出られそうにもありません。
還暦近く(!!!)になっても、20代と変わりありません。
ところが、最近「この世」との通路を見つけました。インターネットのことです。
ヤフー様。グーグル様。ありがとうございます。
ヘーゲル歴史観へのニーチェの批判
ー『生に対する歴史の利害について』を中心にしてー
ヘーゲルは近代西洋人の世界観に基づき、人類の過去のすべての知識を動員して、世界を理性を基準として体系的に説明した最大の人物であった。
過去のすべての哲学、哲学史が哲学であるとした。
ヘーゲル(1770〜1831)が19歳でフランス革命に感激し、ゲーテ(1749〜1832)やナポレオン(1769〜1821)やベートーベン(1770〜1827)らの輝かしい同時代人を考え、キリスト教理性主義で世界史を説明可能であるとしたヘーゲルの羨むべき「歴史的楽天主義」が成立したのは理解できる。
ヘーゲルは歴史を進歩するものと考え、それが哲学の中心課題にも及ぶ。
理性が世界うを支配する。したがって世界の歴史は理性的に進行する。世界史とは精神が無自覚に存在している自己自身の知識を獲得しようとして自己を加工してゆく、その精神の表現であるということができる。(『歴史哲学』) |
こうしてヘーゲルは西洋近代哲学の一つの頂点、「学問の哲学」 Philosophie der Wissenschaftとしての模範を築きあげる。
ヘーゲル以降、「学問の哲学」内部での批判として、D.シュトラウス、フォイエルバッハ、マルクスらが現れる。しかし、彼らとヘーゲルは同じ理性主義の立場にある。
ヘーゲルのもっとも根本的な批判は、「人生の哲学」Philosopie des Lebens ときわめてあいまいに呼ばれている人々の批判である。
すなわち、ショーペンハウアー、ニーチェ、キルケゴールである。彼らは非理性的、主観的であり、学問への体系の関心は希薄であるが、自己の人生を第一義とする真摯な哲学者たちである。
また、人生は理性では割り切れず、むしろ不条理で苦悩であると考える。そこから逃れず、誠実に生きようとする彼らが、悲観的になるのは当然である。
歴史も進歩するものとは考えない。
彼らの中でもっとも誠実かつ勇敢であったニーチェのヘーゲルへの批判を述べる。
ヘーゲルの19世紀西洋哲学への影響は甚大であった。ニーチェでさえも、1871年に発表された処女作『悲劇の誕生』がヘーゲルの影響下にあったことを、不快の念とともに自伝『この人を見よ』に記している。
次に発表された『反時代考察』(理想社ニーチェ全集第四巻小倉志祥訳)と題される四つの論文、<『ダーヴィッド・シュトラウス、告発者と著述家』(1873.8)、『生に対する歴史の利害について』(1874.2)、『教育者としてのショーペンハウアー』(1874.8)、『バイロイトにおけるリィヒャルト・ワーグナー』(1876.7)>のうち前三篇は、ヘーゲル批判の書である。
阿部次郎以来、『反時代的考察』と日本語に訳されるようになったこの題からも窺える。
1871年にはプロイセン・フランス戦争に勝った。ヘーゲルの歴史観の雰囲気のうちに、勝ち酔える当時のドイツの時代精神に反対してという意味が込められている。
第一論文でヘーゲル学徒シュトラウスを批判する。第二論文では「歴史学仮名を変えて哲学となったヘーゲルの発展哲学」(理想社ニーチェ全集11巻341ページ『権力への意志』412)とその後継者たちを、題名にあるように「人生の哲学」の立場から批判する。
第三論文ではヘーゲルのアンチテーゼとして、人生の教育者としてショーペンハウアーを賞賛する。
第二論文、『生に対する歴史の利害について』の冒頭で、全く非歴史的な存在として動物の生活を挙げる。これは人間の生活ではない。
「しかし歴史が過剰になると人間は再び人間であることをやめるのである」(同書1)。
人生に対して利益となる歴史のあり方は三つある。
第一は記念碑的なあり方。その人の属する時代に、自己の行為と向上心の理想や教師を見出せずに活動し努力しているもののために歴史はある。
シラーにとっての歴史はそのようなものであった。
第二は骨董的なあり方。自己や彼の郷土の伝統を保存し崇敬するもののために歴史はある。文化財保護を主張する者にとっての歴史とは、このあり方に属す。
第三は批判的なあり方。自己の人生を肯定するために、過去の歴史を克服しようと苦悩し解放するもののために歴史はある。ニーチェ自らにとっての歴史はそのようなものであった。
歴史はゲーテ、シラー、ニーチェのような「強い人格によってのみ耐えうる」(同書5)のである。
人生に対して害毒となる歴史のあり方で、批判の対象は19世紀の歴史主義、ヘーゲル、エドワルト・フォン・ハルトマンである。
「歴史の世紀」に生きたニーチェが、次の五点で反時代的考察を行う。
第一に歴史の過剰は人格性を弱める。死んでしまった過去の知識の飽満は、その人が本来持っているはずの本能と個性を損なう。教養人、学者、政治家という社会の指導的役割にあって、そう自認し、また他にも認められている人々も、実は、仮面をつけ俳優として装っているにすぎない。
この装いの他は、画一化された、自らの意志をもたない大衆と異ならない。
第二に、歴史の過剰は、すべての時代に勝った客観的正義を所有するという自惚れをもたらす。
古代ギリシア人が最も高く評価したこの徳、「正義」を、歴史家は安易に客観性ゆえに所有するという。実のところ、独創的の欠如からの倦怠と弱さに基づく寛容にすぎない。
ニーチェは文献学者としての経歴からギリシア人の正義と当時の歴史家の干からびた正義の内実の差異をはっきり知っていた。
うぬぼれの強い彼らにニーチェは言う。
最後に宴会にやって来た客人なら末席に着くのが当然であろう。それなのに諸君は最上の席を得ようと欲するのか?(同書8) |
第三に歴史の過剰は、個人と民族の成長を妨げる。歴史を推進したものは、歴史の知識をたくさん持っていたものではない。むしろ本能とたくましい妄想の所有者であった。
歴史主義はこの未来への力を殺す。幸せな夢見る青年、ナザレのイエスは、たくましい妄想の所有者であり、世界史の最大の推進力となった。しかし、ダヴィッド・シュトラウスなどの当時の浅薄な神学者、歴史家の歴史的解剖のため歴史の生きた力をなくしてしまった。
ニーチェの後のキリスト教批判とははっきり分けて考えなければならない。ニーチェは信仰と言う同じ次元から批判をしている。
第四に歴史の過剰は、人類が終末にあるという考えを流布させる。
ヘルダーとロマン主義者以来、歴史は老人の趣味のように、古きよき時代を回顧する。
若さのない彼らによって、現代は老年期であるとされた。歴史時代、つまり文字で出来事を記すようになってから数千年に過ぎず、人類はそれ以前にも数百万年の存在していた。
第五に、これが最も重要なことであるが、歴史の過剰はこれまで述べた害毒と重なり、かつてソクラテスが認識過剰のあまり、イロニを使い生への創造力を枯渇させたように、人生を麻痺させる。ついに歴史が、学問が人生を支配するに至る。
これらの歴史の害毒は、ヘーゲルの歴史観から由来する。骨董的な歴史のあり方に甘んずべきヘーゲルが、歴史に「自己自身を実在化する概念」、「諸民族の弁証法」、「世界審判」として、芸術や宗教よりも高い主権を与えた。
ヘーゲルによれば、超越的な絶対者,世界精神なんとなずけようとかまわないの理性的かつ必然的な発展があり、その過程が世界史であるそうだ。
東洋では一人の支配者が、ギリシアローマ時代では少数者が、ヨーロッパ近代ではすべての人間が自由であるとする。
最後のすべての人間が自由であるはずの世界史の帰結として、君主制国家、当時のフリードリッヒ・ウィルヘルム三世治下のプロイセンを「国家は現実に存在する道徳生活の具現である」(「歴史哲学)とまで賞賛し、御用哲学と堕す。
ヘーゲル自ら西洋近代人として、自分の哲学がキリスト教の本質と合致していたと考えていた。世界史も結局は神の摂理のうちにある。
キリスト教を信仰していない私たちは、絶対精神なるものに対するヘーゲルの世界説明よりも、それを嘲けて「地上における神の逍遥」といったものの機知に興味を持つ。
さらにこの嘲りは続けられる。
しかしこの神といえばそれみずから歴史によって初めて造られるのである。しかもこの神はヘーゲルの頭蓋の内部で自己自身にとって見通し理解しうるものたなったのであり、既に、この自己啓示に至るまでの生成のすべての弁証法的に可能な段階を登りきってしまったのである。したがってヘーゲルにとっての世界過程の頂点と終点は彼自身のベルリンにおける現存在において合致していたことになる。(同書8) |
ヘーゲルは1831年、ベルリンで蔓延していたコレラで突然に死んだ。
客体化されたはずのこの偉大な精神は、その人生最大の事件である死をも説明できるであろうか。
さかのぼれば、17世紀の西洋でベーコンやデカルトによって学問の方法は準備された。18世紀のカントは両者への厳粛な批判をへて、学問はいっそう確実なものとなった。
輝かしい人類の進歩を信じて疑わなかったこの世紀に青年期までを生きたヘーゲルは、それ以前のすべてを包括した壮大な学問の体系を試みた。
このような「学問の哲学」の系譜は私たちの東洋では見られなかった。
高慢な西洋の「学問の哲学」はついにこう言い出した。
「私たちは世界過程のピラミッドの頂点に誇らしくたっている。」(同書9)
歴史を盾に構成である、キリスト教を盾に絶対的であると論証し、それがいかに精密かつ理性的であろうとも、それを意図した主体、それを意図した人間ヘーゲルの近代西洋人としての、クリスチャンとしての、ドイツの大学教授としてのパースペクティブを抜きにしては考えられない。
私たちは日常体験する現実的なものが、非理性的なものであることを知っている。
「理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的なものである」(『法の哲学』)とする者は、学問の心を奪われ、大学という職場の人生しか知らない「哲学労働者」(『善悪の彼岸』211)の主張である。
私たち東洋人は歴史に対して、まったく違ったパースペクティブをもっている。
シュペングラーが歴史学の「コペルニクス的発見」(『西洋の没落』「緒論6」)と呼んだ全く異なった視点から、「世界史」を主張する権利が、私たちにはある。
ヘーゲルを代表に、アジアの西端の小さな半島にすぎないヨーロッパ人は、数十世紀に渡るインドや中国の歴史を、挿話としての世界史しか語らない。それが客観的で公正であるという。
20世紀の私たちはヘーゲルの楽天的な歴史観よりも、ニーチェが『権力意志』で述べたニヒリズムの到来が的中したことを知っている。
諸学問の分化、専門化は果てしなく続き、それらを評価し、指導すべき哲学にも及んでいる。さまざまな立場からの哲学があるだけで、一つの哲学はないという現状である。
そうしたものは私たちの人生の目的を示さない。そうでない情報の氾濫に、私たち一人ひとりのかけがえのない人生は浪費される。
ツァラトゥストラは町の門で死んだ過去を埋葬する「墓堀人」に出会う。
この言葉は人生に害毒をもたらす哲学、「学問の哲学」をも象徴する。それは「生の哲学」に対立するものである。
ニーチェの非凡な勇気によって、根源から西洋哲学への「鉄槌」はくだされた。
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