キャッチセールス
作:inax
「すみませ〜ん。ちょっとお時間いただけますか?」
ぶらぶらとS谷の駅前を歩いていた俺はその声に足を止めた。キャッチセールスだ。普段なら無視して先を急ぐところだが、ちょうどその日は本屋に行ってグラビア雑誌でも立ち読みして、Tレコードで新曲のシングルでも物色するくらいの予定しかない。声をかけてきた女性を見ると俺好みのメリハリのきいた体つきをした美人だった。キャンペーン用の体にぴっちりとフィットしたワンピースを着、Y社のロゴが入ったウィンドブレーカーを羽織って手にはバインダーを持っている。こんな娘と話せるんならどうせ暇だしちょっとくらい話をしてもいいかな、と思ってしまった。
「いいけど、何なの?」
「はい、今度あの有名なY社が新型のパソコンを発売することになったんで、若い男性の方にモニターになって頂いて、マーケットリサーチをしているところなんです。ほんの3分ほどで済むので、簡単なアンケートに答えてもらえませんか?」
彼女は俺の左隣から近づいて、アンケートの用紙を渡そうとしてきた。俺はパソコンのことになんか興味は無い。美人と話せることはありがたいが、パソコンを買わされたりしたらかなわない。
「すいません、俺パソコンのことなんかわかんないから……」
あわてて断って立ち去ろうとしたが、彼女は体を密着させるようにして俺の左腕をつかんでいた。やわらかい乳房の感触が腕に心地よく伝わった。立ち去ろうとした俺もその感触に、決心が鈍ってしまった。
「大丈夫ですよ、簡単なアンケートですから。それに、今ならアンケートにお答えいただいた方に抽選で最新型のパソコンが当たるんですよ」
「えっ、本当?」
「ええ、本当ですよ。ちょっとこれを見てくださいね」
彼女は強引にアンケート用紙を手渡した。今思えば、これが熟練のテクニックなのだと思う。ボディタッチで相手との距離を詰め、景品があるといって相手を油断させるのだ。俺はまんまと引っかかってしまったわけだ。それから先は彼女のペースだった。
「いいですか〜? 第1問目、リビングで使うにはノート型とデスクトップ型どちらがいいですか?」
「うーん、やっぱりノート型かなぁ」
「それじゃぁ第2問ね。パソコンをどこで使うことが多いですか」
「そうだなあ。あんまり使ったことが無いからなあ」
「そんなに深く考えなくてもいいんですよ。たとえば、自宅とか学校とか。あ、学生さんなんですよね?」
「うん、M大だけど」
「えっ? あの名門のM大ですか! それじゃあ、今回のリサーチにはうってつけだわ! あなたのような知的で優秀な学生さんが使ってくれるパソコンだったきっと人気が出ますよ〜」
「なんだか照れるな。うちにはパソコンが無いから学校でしか使ってないよ」
雑談を混じえながらアンケートを進めていくうち、最初は警戒していた俺だったが、この頃にはすでに彼女に対する警戒心は薄れてきていたのだった。
「さて、最後の質問です。実際にこの商品を使ってみたいですか」
「うーん……どうしようかなぁ」
「そんなこといわないで下さいよ。ぜひ使ってみて欲しいんですよ〜。私もモニターを連れて行かないと成績にならないんですから。ね、お願い!」
成績にならないと言われて断りにくくなってしまった。ただのモニターだけなら俺に負担がかかるわけではないし、彼女のちょっと強引な押しに負けてしまったということもある。ついつい彼女に連れられてとあるビルの一室に連れ込まれてしまった。
***
薄暗いビルの中には一室だけ煌々と明かりのついた事務所があった。その事務所の中には英会話講習会とか自動車教習所とか、化粧品の会といったパンフレットが並べられているのだった。事務所の中でパソコンの前に座りモニターをしたが、そのあいだも彼女は俺に向かってひっきりなしに声をかけてきた。
「どうですか? 性能がいいからレポートを書くのもゲームをするのも快適でしょう。大手のメーカーの多くがこういうマーケティングリサーチをとっても重視しているんですよ。しかもそのほとんどをうちの会社がやっているのよ。」
「はあ」
「こういうパソコンをもっていれば彼女もイチコロよね。あなた、彼女はいるの?」
無意識のうちについつい首を振ってしまう。
「えーっ! あなたみたいな秀才に彼女がいないなんて信じられませんね。きっと彼女とお話をするきっかけがつかめないとか、どういう話をしたらいいのかわからないとかそういう単純なことができていないんじゃないかな?」
「うん」
俺は図星をいわれてうなづいた。いや、うなづかなければいけないような心理状態にされていたと言ったほうがいいだろう。後から知ったのだが、しゃべりまくること、これが悪徳商法の手口なのである。まるでだます相手に催眠術をかけていくかのようにして、断ることができないようにしていくのだ。
「ねぇ。うちで『女心を知る』講座をやってるんだけど、参加してみない? 今だったらキャンペーン期間中だから入会金無料でしかも30%引きで受講することができるのよ。この講座って人気なのよ〜。やってみると女の子の気持ちが手に取るようにわかるんようになるんだから。」
「はあ、でも」
「今がチャンスなんですよ。今だったら月々たったの5000円! お小遣いだけで十分支払いできるでしょう!
彼女との面談は4時間にも及んだ。部屋の出口はスタッフが見張っていて逃げ出そうにも逃げ出せない。換気の悪い部屋の中で俺はもう頭の中が真っ白になりそうだった。彼女も疲れを見せていた。そして、ついに彼女は事務所の奥に向かって声をかけた。
「社長、おねがいします」
彼女の声を聞いて、コワモテ、マッチョの男性が入ってきた。
「社長、彼がM大学の優秀な学生さんで、うちの女心講座を検討してもらってるんですよ」
「どうもこんにちは。いやあ、今もM大学の学生さんと契約したばかりで、とても喜んでもらえたんですよ。奇遇だなぁ、君もM大学なのか。それだったら今すぐに契約するといい。まさか、このまま帰るなんていわないよね」
社長と呼ばれた男はぽきりぽきりと指を鳴らした。俺はもはや正常な判断を下すことはできなくなっていた。言われるがままに契約書にサインをし、ローンでの支払い手続きをした。
「はい、それじゃ契約成立ですね! 後日ローン会社から契約の確認の電話が行きますから、契約したと答えてくださいね」
そう言うと彼女は俺の前にグラスを置き、飲み物を注いだ。
「それじゃ契約成立を祝って乾杯!」
俺の長い一日はようやく終わった。
***
それから7日後……
「ちわー、宅配でーす」
彼の元に小包が届いた。送り主は例の会社である。中身は……なんじゃこりゃあ、女物の衣類一式、ご丁寧にも化粧品や下着まであるぞ、それにドリンク剤のようなものが10本と通信講座の冊子が1冊。女心を知る講座ってのは一体なんなんだよ。そう思った俺は冊子を読んでみることにした。
「女心を知る」講座をご受講いただきまして誠にありがとうございます。この講座は6ヶ月を1単位としまして、皆様に女性の気持ちを理解していただくためのコースです。行動様式の違いから起こる心理の表出の差など、従来の同様な講座では会得できなかった微妙な違いを知ることが出来るはずです。あなたが女性になって、女性の気持ちをわかるようになりましょう。
1.使用方法
まず、変身促進剤を飲みます。これを飲むと約1週間後から女性への変身が始まります。最初は気分が悪くなることもありますが、問題はありません。3日くらいで胸が張る、声が高くなる等の変化が出てきます。変身開始から1週間で完全に女性の体に変化します。
変身促進剤を飲んでから14日経過したら、それ以降は毎日1本づつ安定ドリンクを飲んでください。これは変身安定剤なのでドリンクを飲まないと死亡することがあります。元に戻るには、6ヶ月目にお送りする変身解除剤を飲んでください。
(後略)
なんだって!
実際に女性になって女心を知るってのか。俺だって女性について興味が無いわけではないが、なんというハチャメチャな講座だ。それに一旦始めたら半年は女のまんまだってことじゃないか! こんなの普通の生活を送ってる人間には不可能だぞ。しかも、同封されていた請求書には次のように書かれていた。
請求書
初月分 50万円
俺は仰天した。何で1ヶ月の請求額が50万円なんだ! 高すぎるぞ。明細を読んでいくと、下着、ドリンク1本、冊子、それぞれの単価が一月5000円なんだそうで全部あわせると50万とのことだった。なんというボッタクリだ。即刻キャンセルするしかないな。俺は冊子を放り投げた。すると冊子に挟まっていた紙切れがぴらりと落ちた。なになに……
今回は、営業所で最初の変身促進剤を飲んでいただいていますので、変身促進剤は同封しておりません。
俺は背筋が寒くなった。営業所で契約のお祝いだといって飲まされたあの飲み物が「変身促進剤」だったのだ。既に女性になるためのスイッチは入ってしまっているということだ。説明書の記述が正しければ、俺はもうすぐ女性のように胸が膨らみ、声が高くなり、1週間後には完全な女性になってしまうのだ。
俺は焦って会社に連絡を取ろうとした。しかし、留守番電話が応答するだけ。契約のときに連れ込まれた営業所に行ってみたが、もぬけの殻。時間貸しの会議室のような部屋を借りて契約場所に使っていたのだろう。契約書には本社の場所も記載されていたのだが、その住所は海外になっていた。それでも、何かの助けになればと思って、内容証明郵便で契約解除する旨送付しておいた。
会社に連絡を取ろうと試みる間にも、俺の体は変貌を続けたのだった。荷物が到着した翌日には胸に痛みが走るようになった。ちょうど、乳首の奥がしこりができたようにこりこりとして、触ると痛いのだ。中学のころに乳首が痛くなったことがあるが、それよりもかなり痛いように感じる。成長期の小学生の女の子はこんな痛みを感じているんだろうか。さらに次の日には声がガラガラになった。そう、ちょうど声変わりをする時のように。俺は非常にナーバスになっていた。自分の体の変化が怖い、どんな形に変化してしまうのか不安でならなかった。ホルモンバランスの急激な変化が精神にも影響を及ぼしていたのだとは思うが。
日に日に胸が盛り上がり始め、金玉は小さくなっていった。荷物が到着してから5日目には俺の息子はポークビッツ並みの大きさまで縮んでしまった。これではまるで小学生のようだ。自分で竿を刺激してみるが、大きくなる感触が無い。もう、男じゃないんだ。そう思うと何年ぶりかの涙が流れた。
7日目の朝、ついに俺の息子は姿を消した。あるのは茂みと割れ目ばかりであった。 そのころには、俺の体は客観的に見ても完璧に女になっていた。髪がもっと長ければ、以前の俺を伺い知ることなど全くできないだろう。
そして8日目の朝、ようやく会社と連絡がついた。
「お世話になっております、どうも先日はありがとうございました」
「解約するぞ、俺を元の姿に戻せ!」
「あら、かわいい声になりましたねぇ。ふふふ、その調子なら女の子の気持ちもだんだんわかってきたんじゃなくって? それとも女の子の体のほうが先に理解できちゃったかしら?」
「ふざけんじゃねぇ。なりたくてなってるんじゃねぇんだ! クーリングオフ制度があるだろう。それを使ってこの契約は無かったことにする」
「あぁ、クーリングオフですか。残念ですが、お客さんの場合適用されないんですよ」
電話の主は嘲笑気味に言い放った。
「なに!?」
「第一に、クーリングオフは営業所で契約された商品については使うことができないんですよ。第二に、クーリングオフができるのは契約の日から8日まで。今はもう契約から15日過ぎていますよね。第三に、クーリングオフをするためには書面で契約解除する旨を記して通告しなければいけないんです。第四に、今回お送りしたものは全て消耗品です。消耗品は一旦開封すると契約解除できないんですよ。だから今回の契約を解除することはできません」
「契約解除の葉書は商品が到着した日にそちらの本社に送らせてもらった。俺もバカじゃない、こういうケースのときにクーリングオフが使えることくらいは十分調べてあるんだ」
「ふふふ、そうですか。では裁判でも起こしてあなたを訴えることにしましょう。係争中は商品の送付を止めておきましょうかね。ただ、私の理解が正しければ、あなたの体は安定剤が無いと生きていけないと思っていたんですがね」
俺の頭の中に説明書の文面がフラッシュバックした。
『変身促進剤を飲んでから14日経過したら、それ以降は毎日1本づつ安定ドリンクを飲んでください。これは変身安定剤なのでドリンクを飲まないと死亡することがあります』
つまり、今日から安定ドリンクを飲まなければ俺は死んでしまう。ドリンクの在庫は10本。つまりあと10日しか生き長らえることができないのだ。
電話の主は続けた。
「代金をお支払いいただければドリンクの送付は続けて差し上げますよ。こちらとて悪魔じゃあないんだから。期日までに納付してくださいね。それじゃ」
電話は切られた。俺にはもう選択の余地は無かった。なけなしの貯金をはたいて代金を振り込まざるを得なかった。
***
こうして2ヶ月が過ぎた。その間に生理もあった。確かにアレのつらさはなってみないとわからないものだな。もともとの目的であった女心の理解にはなっているんだろう。しかし、一番困ったのは今までの生活基盤が使えなくなってしまったことだ。大学に行っても、バイトに行っても俺のことを俺だとわかってくれる人は誰もいない。どこに行くあてもなく、荷物に入っていた女物の衣類を着て近くのコンビニへ食料を買いに行く程度だった。しかし、俺が自由に使える金には限りがある。今までの2回の支払いと生活費で俺の貯金はほとんど底をついていた。
俺は例の会社に電話をした、返済を待ってもらうためだった。もちろん、やつらは承諾するはずが無かった。でも、払えないんだったらってことで割のいいバイトを紹介してもらえてね。それが今やってるキャッチセールスなわけだ。時給は1500円と歩合で一人あたま1万円。一日10時間やって2人も引っかかれば20日働いて70万。なんとか支払っていけるって寸法さ。さて、ちょっと長話をしちゃったな。そろそろ仕事に戻らないと。
「さっきからずっと聞いててくれたあなた、アンケートお願いできませんか?」
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