香里十八歳
作:inax
「お姉ちゃん、行ってきます」
「今日は寒いから、体を冷やさないようにね」
私は後姿に向かって声をかけた。
妹は玄関の扉に手をかけたまま振り向いた。栗色のショートカットがさらりと流れる。
「ちゃんと暖かい格好をしたから大丈夫!」
「行ってらっしゃい、相沢君を待たせちゃだめよ」
「うんっ」
ストールを羽織った妹は大きくうなずくと、陽だまりの中へ飛び出して行った。
半年前には考えられない笑顔ね……
奇跡の回復を遂げた妹にはもう病気の陰は見当たらなかった。栞が元気になってよかった。これは私の偽りの無い気持ち。栞のことばかりを考え、心を凍らせていた日々はもう過去のこと。栞は幸せになった。でも、私は生きがいを無くしてしまった。
そんな時、そばにいてくれたのが北川君だった。彼は、「もう少し自分のために生きなきゃ」って言ってくれた。「僕でよければ、栞ちゃんの代わりにそばにいてあげるよ」とも。
私は決心したよ。
これからは自分のやりたいこと、したいことをするの。
え、どういう意味かって?
言葉どおりよ。
だって、私も十八歳。恋の一つくらいしてみてもいい頃じゃない?
私は走っている。
一生懸命書いた手紙を胸に抱いて。
桜色の封筒には赤いハートのシール。
北川君への熱い想いを伝えるために走っているの。
いた!
あの栗っぽい髪で背の低い人影。
見間違えるはずが無いわ。
今日こそ、この手紙を渡すの。
「北川くーん?」
あ、北川君、まだ気付いてない。
そうだ。ちょっとびっくりさせちゃおうかな。後ろから回って、抱きついちゃおーっと!
「北川くーん!」
「きゃ」
(きゃ)ですって? 北川君、何でそんな女の子みたいな声を出しているの?
それに、なんだか私の手のひらにあたるやわらかい感触は、なに?
ふにょんふにょんしてて、気持ちいい……
胸……?
「ちょっと、香里やめてよー」
北川君が頬をほんのり染めて私を見た。
な、なんなの、これは。
手にフィットする手ごろなサイズ、包み込むような手触り、指を押し返す心地よい弾力、まるで女の子じゃないのよっ。しかも、私のより、大きい。
「きゃっ、くすぐったいよ、香里」
香里、ですって。私のことを、女友達みたいに。
「北川君、あなた、女の子になっちゃったの?」
口をぱくぱくさせながら、訊いた。
「やだぁ。香里、私は生まれたときから女の子じゃない」
北川君は続けた。
「それでね。香里」北川君は、斜め下の方を見ながらふふふと微笑んで言った。「私、この人とお付き合いしてるの」
恥じらいながら北川君が手招きをした。振り向いたのは、相沢君だった。
「もうすぐ結婚するのよ、私たち」
鼻の下を伸ばした相沢君も首振り人形のようにこくこくとうなずいた。
そ、そんな。北川君が女の子で、相沢君と付き合っていて、もうすぐ結婚して、あれ、相沢君は栞と付き合ってたはずなのに。
「どうなってるの!」
自分の出した声で目がさめた。
ライティングデスクの上には書き上げたばかりの手紙があり、そして小さな水溜りが出来ていた。くすりと小さく笑って、ティッシュで机を拭く。
ふふふ、変な夢を見てしまったわね。
同性の友人の夢は、その人と親密さが増すことを暗示しているとも言うわね。
北川君と親しくなりたい、そんな想いが見せた夢なのかしら。
部屋の窓からは朝日が差し込み、早起き小鳥の声が聞こえていた。
今日こそは北川君に想いを伝えるんだもん。
私は手紙を胸に抱いた。
おわり
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