リモコンマルチ(前編)

作:inax


 来栖川電工中央研究所前の停留所にて、長身の若者がバスから降り立った。大学生らしく、皮のジャケットに身を包み、長めの髪を少し茶色く染めたスタイルである。続いて、彼の傍らに寄り添うように危なっかしい足取りでバスから降りる、緑色をしたショートの髪の少女が一人。あどけない顔つきをした少女は何の変哲も無い少女、ではなかった。耳の部分に取り付けられたメカニカルな装置を見れば詳しい者には来栖川電工製のメイドロボットHM-12型「マルチ」だとわかるだろう。
 二人は並んで歩きながら、研究所の敷地内に入っていった。
「浩之さん。私、なんだか懐かしいですぅ」
 マルチは幼い子供のように目を輝かしながら言った。
 この発言は、さらに詳しい者には、奇異に映ることだろう。
 ――なぜ、あのメイドロボットは感情を持っているかのような話し方をするのか。汎用機なら無表情に単純な仕事をこなすだけの機械のはずなのに、と。メイドロボットの開発段階ではマルチは感情を持った人工知能(AI)を持ったタイプとしてラインナップされていた。しかし、量産段階に入る前になり、ロボットに感情は不要である、との社内上層部の意見から感情機能は削除されたはずだった。
 そう、この「マルチ」は汎用機ではない、感情を持ったAIを搭載する、メイドロボット試作機HMX-12型であった。
「そうだな。俺のところに嫁いできて一年になるんだもんな。マルチの実家は懐かしいかい」
 浩之は感慨深げに言った。
「はいっ、だって今日は長瀬さんに会えるんですよ。浩之さんも、久しぶりにお父さんに会ったらうれしいものでしょう?」
 マルチは元気よく返事をした。
「今日は定期検診なんだからあんまりはしゃぐんじゃないぞ。っと、長瀬さんの研究室はどっちだったっけ?」
「はいっ、こっちですぅ」
 マルチは白い建物の立ち並ぶ敷地の一角を指差し、浩之の手を取って走り始めた。
「おい、急ぐとまた転ぶぞ!」
「大丈夫ですっ、わたた!」
「ほらいわんこっちゃない」
「すみませんですぅ」
 二人の声が研究所の中をこだました。

  * * *  

――中央研究所 計測室

...
main motor torque on right arm ..... OK
main motor torque on left arm ..... OK
overall mechanical test ..... OK

primary battery cell ..... refreshed OK
emergency fuel cell ..... Checking_/
MPU array ..... Not checked
signal wire A ..... Not checked
...

 ガラス壁で隔離された計測室で、マルチは外部接続インターフェイスを開き計測器と接続されていた。液晶モニターの表示に合わせて各部のモーターが稼動したり、音を立てたりしている。状態が良好なことを示す緑色のOKの文字が増えつつあった。

「浩之君、ちょっといいかな」
 マルチの点検を見つめていた浩之に、長瀬が声をかけた。浩之は軽く会釈をし、長瀬に付き添われて研究所内のカフェに腰を落ち着けた。
「君のマルチは元気にやっているかい?」
「ええ。おかげさまで。俺が大学に行っている間に家はぴかぴかになってるし、買い物、洗濯、なんでも済ませてくれるんですから」
「その様子だと、料理は相変わらずのようだね」
「はい、なかなか『ミートせんべい』以上のものは作ってもらえませんね」
 浩之は苦笑した。一人暮らしを続ける浩之の料理の腕はおかげで上達していたのだが。
「機能面はともかくとして」長瀬は顔をほころばせながら続ける「先ほどチェックしたAIの発達状況は目を見張るようだよ。一年前のフィールドテストのときよりもさらに喜怒哀楽の感情が強くなっているようだ。私たちの娘、マルチが着実に成長をしているところを見られてうれしい限りだよ。浩之君、どうもありがとう」
「いえ、俺はただ自分の欲求に従ってマルチを可愛がっていただけで……」
「ほう、君がどのようにマルチを可愛がっていたのかはあえて聞かないことにするが」
 長瀬は口の端をゆがめて笑った。浩之は慌てて口を押さえた。

「ところで、長瀬さん。話って言うのはなんでしょう。まさかマルチになにかあったわけじゃあないでしょうね」
「いやちょっと、今日は君のマルチに協力して欲しい実験があるんだ」
「実験、ですか?」
 浩之の目がすっと細くなる。
「もちろん、マルチに悪い影響があるような実験ではないから安心して欲しい。今うちではバーチャルダイブシステムという、メイドロボの遠隔操作をするシステムを開発しているんだ」
「なんだか不思議ですね。メイドロボは自立型のAIを使用して、外部からの操作が必要ないことが売りだったんじゃあないんですか?」
 浩之はメイドロボのパンフレットにあったうたい文句を思い出しながら言った。
「まあね。でも、メイドロボを自分の代わりの体として使いたいっていう要望も多くてね。つまり、ロボットをニューヨークに置いて、東京から遠隔操作してやれば、移動にかかる時間も手間も省けるだろう? 遠隔操作している本人も現地に行ったのと同じように感覚を持てるんだ。今ある、ビデオ会議を拡張したようなものかな」
「なるほど。旅行に行ったつもりになることも出来そうですね」
「うん、それも面白いな」
「でも、それならわざわざ彼女を使うことはないでしょう? メイドロボならたくさんいるじゃないですか」
 そう言うと、浩之はカフェで稼動しているHM-12・量産型マルチに目線を移した。
「君のマルチは知ってのとおり、プロトタイプだ――体の状態を十分にモニターできるように各種のセンサーが組み込まれていたり、その情報を出力することが出来るように入出力ポートが強化されている」
「それで試作機のボディが必要だと」
 長瀬はうなずいた。
「そう。そして、バーチャルダイブはAIによるサポートが必要なシステムなんだが、現在出回っている量産機のAIでは機能が低すぎて、ね」
 長瀬は自嘲気味に苦笑した。浩之はじっくりと十秒は考えただろうか。ゆっくりとうなずくと長瀬に肯定の意を伝えた。
「わかりました、長瀬さん。実験に協力しますよ。でも、マルチの害になることは絶対にしないで下さいね」
「OK! 商談成立かな、早速計測室に戻って実験を始めようか。AI周辺のチェックが全部終わる前に実験を済ませないと、マルチが悲しむからね」

  * * *  

 長瀬は実験室にある二メートル四方もあろうかという大きな黒い箱に手をかけた。
「これがバーチャルダイブ・メイドロボコントロール・システムの送信機だよ」
 黒い箱のコックをひねるとオイルダンパーが金属音を立てながら箱のふたが開いていった。中から現れたのは歯医者の受診イスに似たシートと、箱の天井からぶら下がる数多のケーブルとその先に着いたグローブ、ヘッドギア、etc.etc.
「なんだかたいそうな代物ですね……」
「これから君は各種センサーを体につけた後でこのシートに座ってほしい。センサーが君の神経から情報を読み取る。情報はロボットの制御コードに変換された後、パケット化されて来栖川電工のワイヤレスネットワークに送信され、メイドロボの耳カバーについているアンテナを通じて運動を制御することになるんだ」
 長瀬は続けた。
「そして、メイドロボのセンサーからフィードバックが帰ってくる。カメラとマイクからは視覚、聴覚が得られることはもちろん、全身の温度センサーからは温感が、皮下センサーからは触覚が、ロボットの各モーターのトルクデータからはボディにかかる力のデータが得られる。それらがコントロールシステムを通して君の体に伝わるわけだが……」
 浩之は呆気に取られながら装置を見渡した。説明されてもよく分かっていないことは長瀬も容易に理解できた。
「ま、とにかく、この装置を使えば君がマルチになったと思えるくらい自由自在にマルチの体を動かすことができるはずだよ」
「なんとなくわかりましたよ。俺はセンサーをつけてイスに座るだけでいいんですよね」
「そういうこと。じゃあ、着ているものを脱いでボディースーツから装着するよ」
 浩之を黒い箱に入れると、長瀬は黒い全身タイツのようなスーツを着せていった。浩之の腕、足にもそれぞれセンサーを取り付けると、最後にヘッドギアをかぶせてイスに座らせた。
「長瀬さん、前が見えないっすよ」
「大丈夫。装置をスタートさせるから、これから全ての感覚はマルチのセンサーを通して感じるようになって、君が体を動かそうとすると、マルチが動くことになるからそのつもりで」
「わかりました」
「じゃあ、実験を開始するよ」
 長瀬はコンソールに向かうとコントロールシステムを起動した。

 ぶぅん
 低周波のハム音が鳴り、箱に電源が投入された。
 同時に、浩之の視界には原色のテストパターンが飛び込んできた。幾何学的な図形がひとしきり描かれた後、ヘッドセット内の眼鏡型スクリーンには実験室内の光景が現れた。浩之が頭を動かすと、動かした方向が見えるようになった。映像のタイムラグはほとんど無く、自分の首を動かすのと感覚的には大差が無かった。浩之が試行錯誤をしているうち、 実験室の扉が開いて長瀬が現れた。
「どうだい浩之君、見えてるかな?」
「ええ、ばっちりです」
 浩之は自分の発した声に驚いた。いつも聞いているマルチの声。声優の堀江由衣に似た、ちょっと鼻にかかったようなあどけない声色だったのだ。
「長瀬さん、俺、本当にマルチになってるの?」
「ほほう。その調子だとうまくいったみたいだね。自分の姿を確認してみるといいよ」
 長瀬はマルチボディの手を取ると、実験室隅の鏡の前まで連れて行った。
 鏡に映るのは、見慣れたマルチの姿。違うのは、浩之が手を上げると鏡の中のマルチも手を上げ、頭をかくと鏡の中のマルチも頭をかき、マルチの全てを自分の思ったとおりに操れるということだった。毎日間近で見ているマルチの体だったが、視点が変わるとまるで違ったように感じられるのだった。
 浩之はおもわず手を胸に当てた。セーラー服ごしに、やわらかで弾力のある有機シリコン製の乳房を感じるとともに、胸に無数備えられている触覚センサーから信号が発せられ”触られている”という感覚が伝わった。
「これが、マルチの感覚なのか」
 浩之はポツリとつぶやいた。

「さあ浩之君、ちょっとその辺を動き回ってくれたまえ、全く自分の体と同じように動かせるはずだよ。その後であっちのテストスペースで運動能力テストをやってみようか」
 浩之はマルチのボディで、白線に沿って歩いてみたり、実験室のものを動かしたりといった基本的な動作試験をした。
「うん、いい具合だね。オリジナルマルチとほぼ同じ関節可動域が使えるし、誤差も0.1%を切るくらいだ。タイミングレスポンスも申し分ない」
「すごいですね、自分の体のように動かせますよ」
「それはよかった。それじゃあ、ちょっと高度なテストをしてみようか。」
 長瀬はロッカーからモップとバケツを取り出した。
「まさか、俺が掃除するんですか?」
「そのとおり。手始めに実験室をお願いしようかな」
 実験室――三十畳ほどの広さの部屋は浩之にとって絶望的なくらい広く感じた。これだけの広さを掃除したのは高校の掃除の時間以来だろうか。しかも、この実験室には複雑に入り組んだ実験装置がずらりと並び、机の上や床には使いかけの工具やケーブル類などが乱雑におかれているではないか。
「長瀬さん、こんな汚くて広い部屋を俺が掃除してたら日が暮れちゃいますよ。それに俺、掃除は嫌いだし」
「ははは、そう言うと思ったよ。だが心配しなくていいぞ。マルチのOS(オペレーティング・システム)が起動しているから視界の右下のほうに『マルチ』と書いてあるボタンが見えるだろう、そこに視点を移すとメニューが出る」
 浩之は言われたとおりに視線だけを右下に移す。視点の移動に伴って動く十字のカーソルが現れる。『マルチ』ボタンの上にカーソルが移動すると、視界の右上にメニューウィンドウが現れた。
「そのメニューから、『ライブラリ・モードに変更』というのを選んでみてくれ」
 視点カーソルを移動させて、モードを選択する。すると、浩之の感覚が変わった、ような気がした。直接体を動かしても微妙にずれているような、動きに自分の意志がダイレクトに反映されないような、そんな感覚だった。
「モードを切り替えました〜。あわわっ。なんか変ですぅ」
 浩之はとっさに口を押さえた。おかしいぞ、俺は「あわわっ」なんて言ってないつもりなのに。
「お父さん、わたし、どうしちゃったんですか?」
(げげ、まただ。しかも、長瀬さんのことをお父さんなんて呼んでるぞ。きもちわりぃ)と浩之は戸惑わずにはいられなかった。
「ふふ、お父さんか。久しぶりに聞いたな……ということはライブラリ・モードはうまく動作しているみたいだな。マルチ」
「わわ、わたしはひろゆきですぅ。わー、しゃべろうとする言葉がマルチみたいになっちゃいます〜」
「そう、これがライブラリ・モードなのだよ。このモードはメイドロボの補助AIを通して遠隔コントロールするモードなんだ。マルチの能力の全てを使えるようになるはずだよ。ま、そのかわりに全ての行動が、マルチっぽくなってしまうがね」
「そんなのいやですぅ。元に戻してくださいぃぃ」
「じゃあ、この部屋の掃除を済ませたら解除方法を教えてあげるよ」
「はい! わかりましたぁ……わわ、AIさん勝手に返事をしないでぇ。じゃなくて、わたし掃除は嫌いなんですけどぉ」
「マルチは掃除が得意だからすぐに終わるよ。さあはじめたはじめた」
 長瀬は浩之(in マルチ)にモップを持たせた。浩之もしぶしぶ掃除を始めようと思う。
 すると、驚くことに体が勝手に掃除を始めてしまうのだった。しかも、普段の浩之ならば気がつかないような部屋の隅や物の上など、細かいところも丹念に掃除していく。
 十五分もしないうちに部屋は見違えるようにピカピカしていた。
「浩之君、ご苦労様。きれいになったじゃないか」
「はい、お父さん。ありがとうございますぅ」
 浩之も、一仕事終えた充実感を感じていた。掃除好きなAIが俺の心理にも影響しているのだろうか。と思いながらも、悪い気持ちではなかった。
「じゃあ、今回の実験はこれでおしまいにしようか。ロボットのボディとのシンクロもうまくいっているようだし、AIとの協調動作にも問題はないみたいだ。ばっちりデータが取れたよ。ありがとう」
 長瀬は浩之と軽く握手をすると、ライブラリ・モードの解除方法を浩之に告げた。AIがスリープモードに入り、ボディの感覚をダイレクトに感じるようになった。
「ふぅ。やっと俺の言葉で話せるようになった……」
「お疲れ様。リモートコントロールの接続を切るからそこの椅子に座って待っていてくれるかい?」
 浩之は椅子に掛けるとほっと一息ついた。小柄なマルチの体では椅子に座っているときはつま先が地面に着くのがやっとの状態である。地に足をつけるのをあきらめ、足をぶらりぶらりとさせていると膝のあたりでスカートと足がこすれる感覚が新鮮だった。ちらりと目を横に向けると緑色のショートヘアが視界に入る。普段の自分の体とは違う感覚に、自分自身が愛するマルチになっているんだという実感が湧いてきた。
 そっと自分の肩を抱く。
 いつもと同じ、マルチのか細い肩の感触だ。マルチはいつも俺にこんな感じで抱かれているのか。もう少し、マルチの気持ちを味わっていたいな。と、浩之は思った。
 
 その時、長瀬の操作するコンソールからと低い電子音が鳴った。長瀬は、おかしいなぁ、とつぶやきながら操作をもう一度繰り返す。「ぷー」「ぷー」「ぷー」電子音は長瀬のキー入力に合わせて鳴り続けた。不安を感じた浩之は椅子から立ち上がり、長瀬に聞いた。
「どうしたんですか、長瀬さん」
 すると長瀬が渋い顔で言った。
「浩之君、困ったことになったよ。リモートコントロール装置とマルチとの接続が切れないんだ」


つづく


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