「数夫ちゃん、待ってよ。私は数夫ちゃんほど体力があるわけじゃないんだからね。私に合わせてもう少しゆっくり歩いてくれてもいいんじゃないの?」

 和美は急な坂道を上がったことでほんのりと上気した頬をぷぅっとふくらませて、先を歩く数夫に抗議した。そんな姿も原田知世に良く似てかわいいな、と数夫は思った。日射の強い夏の昼下がりにもかかわらず汗一つかいていない数夫は肩をすくめてみせた。

「おいおい、これぐらいで音を上げてもらっちゃあ困るな。これから行く御袖天満宮(みそでてんまんぐう)はまだまだ歩かなきゃいけないんだぞ。おれみたいにTシャツ1枚になれば快適だぞ、ほれ、脱げ」

「きゃあ、数夫ちゃんの変態!」

 和美の服に手をかけようとする数夫をひらりとかわす。言葉とは裏腹に、和美の顔には笑顔が浮かんでいた。



尾道

作:inax



「ほら、あそこに見える鳥居が今日の最初の目的地、御袖天満宮だよ。やっぱり尾道駅からは結構歩いたな」

「ホントに疲れたよ。私も階段の横についてた機械に乗りたかったなぁ」

「そりゃ無理だって。あれは地元民のじいさんばあさんが乗るリフトだろ、観光客なんかに開放するわけないって。さあ、急いで登らないと『時をかける少女』で和子が時を越えて降り立った艮神社(うしとらじんじゃ)に行く時間が無くなっちゃうぞ」

 晴れて親公認の仲となった数夫と和美は、高校の夏休みを利用して尾道に来ていた。映画の話がきっかけで付き合い始めた二人なのが、日本映画が大好きで作品の好みも一致していたので、映画鑑賞を通して仲を深めたのだった。

 「七人の侍」「Shall we dance?」「踊る大走査線」と多くの作品を見たが、中でも大林監督の大ファンである二人の今回の目的はもちろん尾道三部作の映画ロケ地めぐりであった。

 しかし、坂道の多い尾道のこと、なかなか移動は困難なようで――新設された階段横のリフトでもなければ地元のお年よりも音を上げることだろう――陸上部で鍛えた数夫といえど難儀していた。

「ふぅ、やっとついたか。ここで『転校生』で有名な階段落ちシーンが撮影されたんだよな」

「へーっ、ここから落ちたんだ。でも、上から見ると急な階段だね。こんなところから落ちたらただじゃ済まないよ」

「ここから落ちた衝撃だったら体くらい入れ替わっても不思議じゃないよなぁ。ま、それでもけが一つしないってのはやっぱり映画だからなんだろうな」

「じゃあ、ここで写真を撮ろうね。階段を上から見下ろすようなアングルがいいかな? 数夫ちゃん、そこの階段の縁に立っててよ」

「一人で写ってもしょうがないぜ、そこの灯篭にカメラを置いてセルフタイマーで撮れば二人で写真が撮れるよ」

「この辺でいいかな? じゃあシャッターを押すよ! ぽちっとな」

 念入りにカメラの位置を調整した後、シャッターを押した和美は数夫の立っている階段の縁へと走り寄った。急がなくっちゃ。その気持ちが和美の足元への注意を散漫にさせていた。境内に落ちていた空き缶に気づかなかったのだ。

 からん

 和美が空き缶を蹴飛ばす音が高らかに響いた。予期しない障害物のために和美はバランスを崩し、数夫に抱きついた。

「あ、危ない!」

 数夫はバランスを立て直そうと必至にあがくが、どうにもならなかった。せめて和美への衝撃を和らげよう。そう思って自分が下になって倒れこむ。しかし、ここは階段の上。二人の視界が回転した。数夫と和美は折り重なるようにして御袖天満宮の階段を転げ落ちていった。


***


 30分後……
 二人は千光寺ロープウェイの山麓駅にあるベンチに腰掛けていた。うつむきながら和美の腕にバンドエイドを貼っている数夫のズボンは破れ、Tシャツには茶色いほこりが付着していた。衣服はそれほど乱れていないものの和美も腕とひざから血がにじんでいるのだった。

「いててて、ひどい目にあったなぁ。ほら、ここ見てくれよ、ひざ小僧がすりむけちゃったじゃねぇか」

「あぁーん。そんな風にスカートめくって見せないでよ。怪我してるのはわかったから、ほら、そんなに足を開いてすわらないでっ」

「いいじゃねぇか、今は和美の体は俺のなんだからどんな風に座ろうと俺の勝手だろっ? お前だって俺の体で女言葉を使わないでくれよっ。気持ち悪いじゃねーか」

「ひどい、それを言うなら数夫ちゃんだって一緒だよぅ」

「うっ。それを言わないでくれよ」

 神社の石段を転がり落ちるうち二人は心と体が入れ替わってしまったのだった。まさに映画『転校生』と同様の出来事が起こってしまったのである。奇跡的にかすり傷程度の傷しか負っていないのも映画の「お約束の神様」あたりが守ってくれたのだろうか。

 そう、あの石段には実際に人の心と体を入れ替えてしまう魔法の力が備わっていたのだった。映画での小林聡美と尾美としのりの名演技は、実際に入れ替わった状態で撮影されたから実現できたものだったのである。このことは撮影スタッフの中でもごく一部のみが知っているだけであった。

 今まで多くの尾道三部作のファンが御袖天満宮を訪れたことだろうが、実際に石段を転げ落ちたカップルは当然のことながら彼らが初めてだったのだ。

「数夫、これからどうしようか? もう一回落っこちれば元に戻れるのかなぁ」

 数夫(中身は和美)は別に驚いている風もない和美(数夫)に向かって、眉をひそめて今にも泣き出しそうな顔をして話しかけた。

「そうだな、映画と同じ展開なんだから、映画と同じようにすれば元に戻れるんじゃないか?」

「じゃあ、これからすぐに階段落ちに行こうよ」

「いや、ダメだ。映画と同じように1ヶ月くらいはお互いの体で過ごさないといけないんだ!」

 和美(数夫)の真意を測りかねてぽかんとしてしまった数夫(和美)だったが、一瞬の後、和美(数夫)の顔がニヤリとゆがんだのを見た。

「数夫ったらエッチなこと考えてるんでしょッ、バカッ」 

「おい、待てよ!」

 数夫(和美)は駆け出した。慌てて和美(数夫)が腕をつかんだ。バランスを崩して、ロープウェイ駅の入り口にいたほかの客にぶつかってしまった。

「きゃ」

「あぶねぇな」

 アベックの客が持っていた、ラベンダー味のアイスクリームとガラス細工が床に落ちた。あたりにはラベンダーの香りとガラスが砕ける音が響いた。

 ――実験室の怪しい物音。割れたフラスコ。ラベンダーの香り。

 『時をかける少女』のワンシーンが数夫(和美)と和美(数夫)の頭の中に去来した。

 ――これはタイムスリップするシーンと同じ!

 和美(数夫)の顔が微笑んだように見えた。

「今なら、飛べるかもしれない。
 和美、『さびしんぼう』の高校で待ち合わせよう! それじゃまたな!」

 原田知美似の和美(数夫)が言ったその台詞には説得力があった。そして……和美(数夫)は跡形も無く消えてしまったのだ。体が入れ替わってしまうだけでも十分に非常識なことである。今さらタイムスリップの瞬間に立ち会っても、一生分の驚きを使い果たしてしまった数夫(和美)はもはや呆然とすることしかできなかった。

 ――尾道三部作ってノンフィクションだったのね

 一人残された数夫(和美)は、テノールの声で歌いながら尾道北高等学校へと向かうのだった。

「♪あなた 私のもとから 突然消えたりしないでね〜*

 尾道……謎に満ちた町である。




*: 『時をかける少女』主題歌より)
(注1:大林宣彦監督の尾道三部作、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」を元ネタに使用しています)
(注2:全面的に尾道の地名を注釈無く使用しています。地図をお手元においてお読みになったほうが楽しめるかもしれません。)
(注3:「ハートフルで観光ガイドにもなるパロディ」を目指して失敗しました……山無し・意味無し・落ち無しのしょうもない話でスイマセン 映画・尾道ファンの人怒らないでね)

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