転移
作:inax
「おめぇに付き合ってる暇はねーんだよ。じゃあな。ヒデ」
おれはヤツを置いて昇降口から飛び出した。いくらおれが賭けに負けたからって「月見亭」のグレート・トリプルをおごってやる義理はない。こういうときは逃げるが勝ちだ。欲をかくからいけないのだ、うまい棒一本くらいなら喜んでくれてやるといっているのに。おれは町の商店街へと向かって走った。おれの俊足を持ってすればヒデなど敵ではない。ヤツを軽々と引き離した。
追ってこないよな――後ろを振り向きつつもスピードを緩めずに路地を曲がった。
ぐんっ!
左の肩口に強い衝撃を受け、おれは転倒した。
おれが激突した相手、そいつは身長が2メートル近く、黒いスーツを着た外国人風の男だった。といっても、おれには日本人じゃないって程度しかわからないが。とにかく、独特の風貌をした男だったことには違いない。
あたりにはその男が持っていたらしいアタッシュケースの中身が散らばっていた。
「危ないネ、君。もっと気をつけて歩いてもらわないとネ」
男はおかしなイントネーションでしゃべりながら、落とした道具を拾い集めた。
「すみません、おれも手伝います」
自分のせいで起こしたトラブルは自分で始末をつけるべきだ、それがおれの持論だ。もちろん、おれは道具を拾い集めるのを手伝ったよ。
道具の中には、一見して何に使うのか分からないのっぺりとした金属の塊とか、ぺらぺらの紙のようなものが淡い光を放つものとか、不思議なモノばかりだった。新製品のセールスマンか何かなのだろうか。とにかく、すぐに道具は元通りにしまわれた。おれが手伝ったおかげだ。
「鷹山憲次君、これカらは気をつケてくれタまえ。マあ、手伝いアりがとウ」
男は歩き去った。
一体いつの間におれの名前がばれたんだ? 気味の悪いやつだ。おれは転んだときについた土ぼこりを払おうと、腰をかがめてズボンのすそをはたいた。
ん? 視界の片隅に、きらきらと光るペンのようなものを見つけた。
さっきのセールスマンが落としたものに違いない。男が去った方向をみたが、すでに男の姿を見つけることはできなかった。
なんだこりゃ。拾ってみると、案外重い。まあ、きれいだし、ここに落としといてもしょうがないからな。あいつにまた会ったら返せばいいや、とポケットにしまった。
どうやら、ヒデは追ってこないらしい。暇を持て余したおれは町をぶらぶらすることにした。女どもは気楽でいいよな。昼間ッから喫茶店でお茶してやがる。もちろん、おれも気楽なヤツのひとりなのだが、自分のことは棚に上げておこう。
手持ち無沙汰なおれは無意識に、さっき拾ったペンをいじりまわしていた。ペンのようだが文字が書けるわけではない。ペン軸はに沿って回転するようになっている。ぐりぐりまわしてみたが、芯が出てくるわけでもインクが迸るでもなく、何の変化もなかった。ペンの端に、ボタンがあった。普通のペンなら芯が押し出されて出てくることだろう。何の気なしに手がボタンを押し込んだ。
その時、何かが変わった気がした。
気のせいか、と思って歩き出したとたん、原因がわかった。ふくらはぎがひんやりするし、太ももに布がこすれる感覚が――これはいったいどういうことだ!
慌てて下を見ると、紺色のジャンバースカートを履いている自分がいた。おれの通っている高校の女子の制服だ。
なんだこりゃぁ!
慌ててスカートの前を押さえてぱんぱんとはたく。
――はて、こんなことをしたらいつものおれの暴れん坊が黙っちゃいないはずなんだが。
……
ない。
ない、ないぞ。おれの大事な息子がいない。
おれは真っ青になった。こんな女の姿を人に見られたらどうするんだ。
いや、ここは町の中。すでに制服の上から体をまさぐる女の奇行(おれのことだ)は一般人に見られている。言い換えよう、知り合いに見つかったらどうするんだ。
「のりっぺ、なにやってんの?」
ぎくぅ。
突然の声におれは固まった。のりっぺ、なるものが誰かは知らないがこの声には聞き覚えがあった。こんな重低音の声を持つ女は、あいつを置いて他にはいない。口の悪い男(おれのことか?)に「バズーカ」の愛称をつけられちゃったりしている同じクラスの山下明美だ。あんなうるさいやつにばれたら、女装男だ、などと触れ回られるに決まっている。おれはとぼけることに決めた。
「あの、どちらさんでしょう?」
「のりっぺ、なにいってんの、このあけちゃんを忘れたって言うの?」
「え、と、のりっぺって?」
バズーカは怪訝な顔をして言った。
「あんたのことでしょーが。鷹山憲華! どうしちゃったのよ。」
「はい?」
「ははーん。さてはわたしにお茶をおごる約束を忘れたからとぼけてるんだな。この、このっ」
ははぁ。なんとなくわかってきたぞ。今はおれが女になってしまったことになっているらしい。どうしてかはわからないがな。ここはひとつ、話をあわせておくしかなさそうだな。
おれとバズーカは近くの喫茶店「やらんぽん」へと向かった。バズーカは勝手にパフェを頼み、おれもしぶしぶ同じモノを注文する。バズーカは結構人懐っこいヤツで、男のときも結構話をしていた。だからあいつの話にあわせるのは簡単だった。話題はクラスのことから先生の悪口、新型の携帯の自慢など尽きなかった。
突然、何かが変わった。視界に広がるのは先ほどまでいた「やらんぽん」ではなく、なじみのパスタ屋「月見亭」だった。そして、目の前にいたのは、悪友のヒデ。ヤツは通常の三倍盛りのイカ墨グレート・トリプルをほおばり、おれを見ていた。ヒデは言った。
「ぼーっとしてどうしちゃったんだよ。さては、グレート・トリプルをおごる金がないなんていいだすんじゃないだろうな?」
おれはさっきからの一連の出来事に説明をつけようと必死に頭を働かせた。
おれが女になる。信じがたいことだ。
しかし、さっきバズーカとパフェを食った事は夢とは思えない。
まさか!
おれは拾ったペンを取り出し、まじまじと見つめた。ペンではなかった。
鈍い銀色に輝く金属光沢をもったそれは、意外に重量感を伴っていた。ペンの軸に当たる部分にははじめは気付かなかった細かい目盛りが振られていて、目盛りにはそれぞれ、点が一つ、点が二つ……と点が八個まで振られていた。ペン軸には文字が刻んで合ったのだが、日本語でも、英語でもない、とにかくおれが見たこともない文字で書かれていた。
おれは、ペンをヒデの目の前に持っていった。ヒデはぼうぜんとおれの仕草を見つめている。点の打ってある軸の部分に当たるものをいじり、一の目盛りにあわせ、ボタンを押した。
世界が反転したような気がした。
目の前にいたのは、バズーカだった。
「突然何を始めるかと思ったわよ。で、のりっぺはそのペンを見せびらかしたかったのね? 結構クールなデザインよね、それ」
バズーカは言った。
「ううん。なんでもない。気にしないで」
おれはペンをスカートのポケットにしまうと、バズーカとパフェを平らげ、彼女の分も金を払って店を出た。そして、また世界が反転した。隣を歩いているのはヒデだった。おれは適当に話をしてからヤツと別れた。
事情が飲み込めてきた。
このペン(実際にはペンではないが、適当な言葉がないのでこう呼ぶことにする)は、おれが男として生まれた世界と女として生まれた世界の間を意識をそのままにして転移するための道具なのだ。
二つの世界は、おれの性別が違うだけで、ほとんど同じように出来事が進行している。その証拠に、付き合う相手や相手をした場所が違うだけで、起こったことはいっしょじゃないか! これは、SFでよくある平行世界というヤツに違いない。ほとんどのものが元の世界と同じ。違うことはただひとつ、おれの性別だけ。
これを使えば、おもしろいことが起こるかも知れないぞ!?
おれはわくわくしてきた。
それから数日間、この新しいおもちゃの使い方を勉強した。点のついた軸は一目盛りまわすごとにだいたい二十分、世界が転移する。目盛りは八つまであるから、だいたい最高で三時間くらいおれが女の世界にいることが出来た。
二つの世界の違いはほとんどない。もちろん、おれの存在が女だということに起因する違いはたくさんある。おれの部屋は模様替えされたように女子っぽい雰囲気に変わっていたし、おやじやおふくろはおれのことを娘として扱うんだ。まあ、ぼろが出て男言葉が出てしまっても、二人ともさほどおかしな顔をしないのは、平行世界のおれも似たような性格だったんだろう。
学校での交友関係は大分違っていて、ヒデともそこそこ付き合いはあるが、親友(というか悪友)と呼べるような友達としては、バズーカがとって変わっていた。バズーカとおれを核として他の女子生徒が群れているような感じに変わっていた。
肉体的な差もある。力は弱くなったし、俊足で鳴らしたおれの足も若干鈍っているようだ。それになんといっても、おれの目の前で揺れる二つの胸。でかいよ。巨乳アイドル細谷ふみかも真っ青だ。ちょっと走ると胸がぺちんぺちんと当たるんだ。揺れて痛い痛い。ブラジャーが必要なわけがよく分かったよ。
ってことで体育のときは男女それぞれの授業内容を調べてから、楽そうなほうを選んぶことにした。女子が創作ダンス、男子がバスケと言うときには男の世界で。男子が長距離走、女子が水泳のときは女の世界でって感じだな。水泳のときの女子更衣室は、萌えたぜ。なんてったって、女子の生乳だ。学年のアイドル、渡辺美紀の超巨乳を生で見られる機会なんて一生なかったはずだからな。
他には、頭のデキか。男のおれはさほど勉強が得意と言うわけではないのだが、女になっているときはなんとなく頭が冴える。数学のような、暗記が主体ではない科目では特に違いが際立った。
テストの時には必ず女の世界で受けるようになった。なんと、女でテストを受けて、よい成績を取っていると男に戻っても「よく出来た」と言う情報は保存されるようで、男の世界でもよい成績が残っていた。
そして、高校生活最大のイベントとも言える、修学旅行の時期となった。もちろん、今回は女子の姿で行くつもりだ。むさい男たちと行くよりも、女の子に囲まれて行った方が楽しいだろう。このペンの能力を使わない手はないぜ。
しかし、困ったのは持続時間だ。このペンの効力は最大で三時間しか確認できていない。
それだけでも個別のイベントはこなせるだろうが、定期的に世界を転移させる必要が出てくる。みんなの前でペンをいじると注目されてしまうし、なによりこのペンの存在は秘密にしておきたい。ヒデなんかに見つかったらおれにも使わせろってうるさいからな。それに修学旅行は集団行動だから、自分だけ離れてペンを操作する余裕はなかなか取れないだろう。できればもっと長時間、まるまる三日くらいは世界を転移させられる方法はないものだろうか。
そこまで考えたところではっと気が付いた。中をいじってみればどうだろうか! おれは見かけによらず手先が器用だ。時計の修理とか大根の桂むきとか結構得意なんだ。こんなペンくらい簡単にいじれるだろう。
おれはペンのキャップに当たる部分を回してみた。ぽろり、とキャップが外れる。なかからは、小さな回転式のスイッチのようなものが現れた。ドライバーのような細いもので回せるようになっている。スイッチの位置は三つ。それぞれに小さな文字のようなものが刻まれている。いったいどこの言葉なのか、見当もつかない。
「案ずるより生むが易し」が座右の銘であるおれは、早速試してみることにした。今、スイッチの位置は真ん中になっている。おれはスイッチを左側に切り替え、目盛りを一の位置にあわせてボタンを押してみた。
世界が転移する。足元から風の吹き込む感触があり、下を見るとスカートを履いていた。そして、そのほんの二十秒後にはもとのズボンとブレザーを着た男の自分がいた。
なるほど。予想は当たっていたようだ。スイッチを左側にいれると持続時間が短くなる。ということは、右に入れれば長くなるはず。
左で二十秒、真ん中が二十分。ならば右は二十時間になるはずだ。数学を勉強していてよかった、と始めて思った。右に入れて目盛りを四くらいにすれば三日くらいは持つだろう。修学旅行なんて余裕だぜ。
修学旅行の朝、おれはボタンを押し、女の世界に転移してから出発した。
うひひ。めくるめく世界が待っているぜ!
修学旅行の間、おれは女子として同級生たちと楽しいスキンシップをすることができた。旅館での枕投げや夜通しのおしゃべりもなかなか楽しいものだった。しかしなんといっても女子風呂だ。全員の裸が丸見えだ! しかもサイズを確認する振りをして生乳を握ったりもした。さすがにちょっと引かれてしまったが。
男のままではできない数々の経験をして、おれは普段の生活に戻る……はずだった。
修学旅行から戻っても、男の世界への転移が起こらないのだ。当然のことながら焦りまくった。だって、いくら女の世界が楽しいからって、行きっぱなしでは困るじゃないか。女の体で経験した、女しか知りえないことを知って、男に戻ってから記憶を活用すれば他の男よりもモテモテになれるはずだったのに。女のままでは実践できないじゃないか!
おれは例の男に会うために、毎日欠かさずに商店街のあいつと出会った場所へ通った。このペンを取り返すためにヤツは現場に現れる! という推理だった。待つこと一月、例の男は現れた。
おれは自分の苦境を訴えた。とにかく、元の世界に戻してくれと。
「しばラくすれバ戻るヨ」
ヤツはあっさりと言った。ヤツの解説のよると、ペンの目盛りは時間の単位をあらわすものだった。これはおれの推理が正しかった。じゃあいつ戻れるんだ?
ヤツはまたあっさりと言った。目盛りの文字の意味するところは、ゴルティナガン星系の言葉で四銀河公転周期だと。
あれから一年たった。おれはまだ女の世界にいる。男に戻れるまで、あと五十二万七千五百二十八年。
おわり
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