赤い雪(中編)

作:Sato

 ――夢を見ていた。

 まだ幼い少年、これはおれ?と、これも小さな女の子の二人で遊んでいた。これはおれの記憶の中にあるはずの、しかし記憶にない思い出だ。まるでマンガを見ているかのように、どちらが自分なのか分からない。

 恥ずかしそうにうつむいているこの女の子の顔――どこかで見たことがあるような――おれは自然とその女の子の名前を呼んでいた、「あゆ」と。そうか、この娘はあゆというのか・・・どこかで聞いたような・・・どうも記憶があいまいで、現実と結びつかないのだ。

 今日は特別な日らしい。しかし、それでもあゆとおれはいつもの場所へ向かった。そして・・・・



次の朝。

「う、うーん・・・」

 聞きなれない声を耳にしたおれは、思わずガバッと上半身を起こし、周りを見回した。その声がいまの自分の声だと気付くのに、たっぷり1分はかかった。

「そうか、おれはあゆと・・・」

 おれは自分の着ている、かえる柄のパジャマを見下ろすと、唐突に思い出した。昨夜、名雪にこのパジャマを借りたんだったな。名雪のお古を着ている自分、なんて想像もつかないが、それを着ているのはあゆの身体なのだから、不思議でもなんでもない。

 何か夢を見ていたような気がするのだが、抜け落ちた記憶と同じく、まったく思い出すことができない。もしかすると、見ていた夢、というのは、おれの思い出せない記憶に関するものなのかもしれない。しかし、今はあゆの身体になっているのだ、おれに理解できない、おかしな夢を見たところで、何の不思議もない気もする。それはともかく。

「えっと・・・」

 この部屋は空き部屋だったので、時計がない。ふと、時間が気になったおれは、着替えもせずに、一階へ降りることにした。昨夜、昇るときにはそれほど気にならなかったのだが、足の長さが変わったからなのか、階段の段差にも妙な違和感を感じる。おれは足を踏み外さないよう、慎重に降りていった。

「おはようございます」

「あ、祐一さん、おはようございます。さっきから声をかけていたのだけれど・・・」

 秋子さんは慌てた様子もなく(姿があゆなのにもかかわらず)、おれにそういったが、時計を見ると、なんともうすでに8時半を指しているではないか!

「あ、秋子さん、時間が!」

「ええ、それで私ももう出勤しないといけないから、あとのことは祐一さんにお願いしておくわね」

「え、ええ、それは構いませんけど・・・と、とにかく、二人を起こしてきます!」

「頼みます。じゃあ行ってきますね」

「はい。いってらっしゃい」

 おれはそういって秋子さんを送り出すとすぐ、ダッシュで階段を駆け上がり、名雪の部屋に突入した。ドアを開けると、名雪がベッドの上で布団にくるまって寝ているのが分かる。その表情は幸せそのもの、って感じで、起こすのがかわいそうな気分に・・・いやいや、おれはいつものごとく、名雪をたたき起こした。

「ん、誰?あ、祐一・・・」

 名雪も寝起きでしかも、おれがあゆの姿をしているにもかかわらず、躊躇なく、見た目はあゆのおれのことを祐一と呼んだ。水瀬家の人間は、どうしてこうも適応力が高いのだろう・・・おれは名雪が秋子さんの娘だということを改めて確信した(別に疑ってたわけじゃないんだが)。

「起きたか、名雪!急げ!」

「急ぐって?どうしたの?」

「どうしたじゃないんだ。お前、目覚ましをセットしてたんだろ?」

「もちろん。全部入れておいたよ」

 全部、というのは、名雪は鬼のように寝覚めが悪いので、それはおれもどうかと思うのだが、今度こそはといいながら、次から次へと目覚ましを買ってくるのだ。今では二十個ほどあるだろうか。

 しかし、名雪が真のつわものなのは、それだけの目覚ましが鳴り響く中でも、平然と寝続けることができる、ということなのだ。おれが寝ていた部屋には聞こえなかったが、おそらく今日も目覚ましは鳴ったのだろう、しかし、例によって名雪は起きなかったと。いま思えば、昨夜、一つでいいから名雪に目覚ましを借りておくべきだった。そう後悔しても後の祭りだ。とにかく、被害を最小限にとどめなければ。

「とにかくもう時間がきてるんだよ!おれはあゆを起こしに行くから、お前も起きて準備するんだ」

「うん。分かった、起きるよ」

 名雪は消え入りそうな声でそう答えた。おれは半信半疑ながらも、そうはいっていられず、あゆのいる、おれの部屋に向かった。もしかすると、起きているんじゃないか、などというおれの甘い期待は一瞬で裏切られ、あゆも幸せそうな顔をしている。しかし、当たり前の話だけど、自分の寝顔ってはじめて見るな。おれは少し得をした気分になった。

おっと、そんなことはどうでもいい。おれはあゆを起こしにかかる。

「おい、あゆ、起きるんだ!」

 あゆを起こしながら、おれは目覚ましをチラッと確認した。やはり、セットした様子はない。いや、そんなことよりも、その時計の針がもうえらい時間を指している。9時といえば、もうすでに一時間目の授業が始まっている時間だ。

「ううん・・・だ、誰なんだよ・・・」

「おれだ、祐一だよ。起きてくれ、あゆ」

 おれは自身、寝起きは悪くなかったはずだ。あゆがどうだったかは知らないが。少なくとも、「あゆの身体+おれの精神」という組み合わせだと、問題なさそうだった。その逆の組み合わせでは果たしてどうなのか。おれがどちらの身体でも大丈夫だということは、逆に、あゆはどちらの身体でもダメなのかもしれないが。

「うーん・・・」

 あゆは上半身を起こし、眠そうな目をこすりながら、おれのほうを見た。目の焦点が合うと、おれの顔を見て一瞬あゆの動きが止まる。

「あれ?どうしてボクがそこにいるの?」

「・・・」

 おいおい・・・・。おれはあゆの天然ぶりに呆れる思いだった。いや、これが普通の反応なのかもしれない。水瀬家の人間の順応性が高すぎるだけなのかも。


「あ、そっか。ボクと祐一君が・・・」

 ひとしきり説明を終えた後、ようやくあゆは納得したようだった。どうやら、あゆは完全に目を覚ましたようだ。おれはあゆに着替えるようにいって、名雪の部屋に戻った。名雪は――しっかりと寝ていた――


「急げっ!」

「もう慌てても仕方ないよ。どうせだったら、一時間目の休み時間に入るのがいいんじゃないかな。さりげなく入って、『最初からいましたよ〜』なんて顔をすれば、結構気付かれないんじゃないかな」

 どこかで聞いたような作戦を口にする名雪。出席簿というものの存在を無視している辺り、さすがだ。

「いい天気だねっ!こんな日は学校じゃなくて、商店街に行きたいんだけどなあ」

 あゆのほうはといえば、こんなことは日常茶飯事なのか、堂々としたものだ。

「なにいってるんだよ、あゆ。遅刻してるのは、あゆじゃなくて『おれ』なんだからな。元に戻ったとき、困るのはおれなんだぞ!」

「うぐぅ・・そうだったね。じゃあ、ボクたち、急いで学校行くねっ!えっと、祐一君はどうするの?」

「あ、そうだったな・・・とりあえず、商店街に行くよ。お前の捜し物ってやつを見付けにな」

「あ、ありがと、祐一くん。じゃあ行くね」

「祐一、行ってくるね」

「ああ、気を付けてな!」

 おれはそういって二人を送り出した。すごい勢いで遠ざかっていく二人の姿を見て、いつもの自分たちを見ているような気がして、思わず吹き出してしまった。女ってやつは笑い出すと止まらない生き物らしい、おれはしばらく笑い転げていた。

「さて、と」

 おれはあゆにいったとおり、商店街に向かうことにした。あゆの「捜し物」を捜すために。もちろん、あゆの捜し物なんだから、おれに分かるはずもないと思うのが普通だ。しかし、肝心のあゆだって何を捜しているのか分からない状態だからな。おれと立場は似たようなものじゃないか。しかも、今のおれは正真正銘、あゆの身体なんだ。おれがおれのままで捜すよりは、近道なのには違いない。

 とはいえ、何の手がかりもなく、ただ漠然と捜す、というのは、非常につらいものだった。ものが分からない以上、ぱっと見では、「違う」とは断定できないのだ。だから、すべてをじっくりと見ていかなくてはならない。第一、それが目に付くところにあるものかどうか。何かの中にしまってある、そんな可能性は全く否定できない。まるで、大洋の中に浮かぶ、知られざる小さな無人島を捜すような――おれは、あゆのつらさを改めて感じながら、捜索に時間を費やしていた。

「ふう・・・」

 おれは少しくたびれていた。脚がガクガクいっているようだ。それはそうだ。この身体はあゆという、女の子の身体なんだからな。いくらあゆが元気な女の子だといっても、さすがに男より元気、ということはない。おれは秋子さんからもらった「おこづかい」で、少し長めの昼食をとった。

 昼からも、漠然と捜し物をしていたのだが、その間に色々と考えてみた。前から思っていたことだが、あゆの捜し物をあゆ自身が思い出せないことと、おれの抜け落ちている記憶には相関関係があるのではないだろうか。

 そうだとすると、あゆの捜し物とは10年近く前のもの、ということになってしまう。そんなものが、いまどこでどうなっているのか、おれに分かるはずがない気もする。しかし、同時に、おれの記憶にそれが存在するのなら、おれが捜すことには意味がなくはない。

 しかし、結局捜し物は見付かることはなく、おれは途中で出会ったあゆと一緒に水瀬家へと帰った。結局、あゆと名雪は、2時間目には間に合ったらしい。当然、計画通りには行かず、モロバレではあったが。

 明日は目覚ましをセットしておかないといけないな、それをおれは胸に決めていた。

「ただいま・・・」

「ただいまっ!」

「おかえりなさい」

 おれたちは家に帰ると、秋子さんの出迎えを受けた。おれたちが帰った時には、すでに名雪と秋子さんは帰宅していた。うーん、いつも手伝いもせずに申し訳ないと思うのだが。今のこの身体じゃ、力仕事はできそうもないし・・・手袋を外したおれは、その中にある自分の白い小さな手のひらを眺めながらそう思った。


 夕食を済ませたおれたちは、リビングで今日のことを報告しあった。学校のほうはそれなりにうまくこなしてくれたらしい、といっても、かなり名雪がフォローしたらしいが。おれのほうは、伝えるほどのことは何もなかった。ただ、あゆと二人になったとき、おれの記憶との関連性を話してみた。あゆはうんうんとうなずきながら話を聞いている。

「ボクも昔のことが思い出せないんだよ。祐一くんの思い出せない記憶っていつのなのかな?」

「ああ、あれはおれが名雪の家によくきてたころだから・・・7年前か」

「あ、ボクもそのぐらいの時期なんだよ。そこから最近までの記憶が・・・」

「えっ?最近までのだって?それに、初めて会ったとき、おれの名前を覚えてたよな。あれはどうしてなんだ?」

「どうしてって・・・どうしてだろ?そういう祐一君だって、ボクの名前を聞いたらボクのこと、思い出したじゃない」

「そういえばそうだな。どうしてなんだろ?」

「うーん・・・」

「多分、顔を見て、名前を聞いたから、少しは思い出せたんじゃないのか?――ってことはだ。『捜し物』ってやつも、見れば思い出すはずだよな!」

「うんっ!きっとそうだよ」

 おれは自分の思いつきに、力付けられた。あゆも楽観的な性格なこともあるだろうが、おれの意見に同調してくれた。同じ目的を持ったもの同士、志を同じくするというのは気持ちのいいものだ。おれの気分は少し軽くなった。

「よし、明日は土曜だよな。あゆも手伝ってくれよな」

「うん!」

「よし、決まりだ。時間もあるし、もう少し範囲を広げてみようか」

「そうだねっ。もしかしたら見付かるかも!」

「ああ、そうだといいな」

「うんっ、そうだね!」


 気が付くと、おれは駅前のベンチに座っていた。ひざの上には、包み紙でくるまれた、けさ焼いてきたクッキーが置かれている――何度も焼くのに失敗した記憶が脳裏によみがえる――これはあゆの記憶なのか?

 後ろから、聞きなれた声が聞こえてくる。他ならぬ、おれ自身の声。おれはその声に、満面の笑みを浮かべながら振り返る・・・・


 またも夢を見ていたような・・・しかし、思い出そうとしても、頭にもやがかかったようになって、全く思い出せない――おれの抜け落ちた記憶と同じく。

 おれとあゆは朝から二人で商店街に出かけ、捜し物を捜すことにした。おれたちは、昨日話し合った通り、商店街の外まで捜そうと、商店街から出ると、景色のいい並木道に辿り着いた。

「へぇ・・・前にもきたけど、改めて見ると結構いい景色だよな。雪さえなければだけどな」

「雪があるからいいんじゃないかなあ」

「そうか?並木道なんだから、緑がないとな」

「そっか・・・」

 おれたちが二度目に会ったとき、ここまできたことがあるのだ。確かそのときに、病弱な女の子と会ったような覚えがあるのだが、あれから一度も見ていない。その娘はいまどうしているんだろうか?

 おれはここでも捜し物をしようと、ぐるりと周りを見てみた。別段他と変わりない、普通の並木道にすぎない。そのはずなのだが、見ていると何故だか、おれはこの景色に見覚えがあるような気がするのだ。もちろん、この前にここにきたときの記憶はある。しかし、それ以前にもここにきたことがあるような・・・おれはあゆにその感想をぶつけてみることにした。

「なあ、あゆ。お前はここにきたことがあるんじゃないか?」

「あー!思い出した!あの時、祐一君が避けたから、木にぶつかっちゃったんじゃないか!」

 頬をぷっと膨らませて怒っているあゆ。おれの顔でそんな表情をされてもなあ・・・。

「うっ!あれはお前が抱きついてきたから、つい反射的に・・・って違う!じゃなくて、それより前にきたことはないのか?」

「えっ?もっと前に?・・・そういえばきたことがあるような・・・」

「お前もか?実はおれもなんだ。ってことはやはり、7年前にはここにきたことがあるってことだ」

「うん、きっとそうだよ!」

「だけど、ここでよく遊んだっていう感じもしないんだけどな。おれがこの街にきてたのって、いつもこの時期だったからな。ここも雪で真っ白な状態だったはずだ。雪合戦をするって雰囲気でもないしな・・・こんなところで何をしたっていうんだろうな?」

「うーん、なんだろ?でも、この景色を見てると、楽しいような、悲しいような、そんな気分になるね・・」

「お前もそうなのか。実はおれもそうなんだ。それはいい思い出もあるし、悪い思い出も、両方あるような、そんな気がするんだ」

 おれはそう口に出してみてはじめて、この景色に何かあるってことを確信させられた。そのいい思い出も、悪い思い出も、根は一つなんじゃないか、つまり、いくつも思い出があるんじゃなくて、一つの思い出に、いい面と悪い面があったんじゃないか、とおれはそこまで想像していた。どうやら、そこまで考えてはいないかもしれないが、あゆも似たような感想を持っているようだった。

 ただ、おれたちの場合ややこしいのが、これが身体にある記憶なのか、精神にある記憶なのかがハッキリしないことなのだ。しかし、二人共通の記憶なんだったら関係はないだろう。そういった視点から見ても、おれたちが共通に持っている記憶、ってやつが正しいってことはいえる。

「ここに『捜し物』があるかどうかはともかく、ここがおれたちにとって、思い出の場所のひとつだってことは間違いないだろうな」

「うん・・・でも・・・」

「でも?」

「えっと・・・ここが思い出の場所なんだろうって思うよ。でも、もっと大事な思い出をどこかに置き忘れてきたような気がするんだ」

「大事な思い出・・・?」

 いわれてみれば、おれにもそんな気がしないでもない。しかし、それは同時に、おれにとっては絶対に思い出したくないものであるような――それは一体どんな記憶なのだろうか――

「あ、雪だ。祐一君、雪が降ってきたよ!」

「ホントだ。いつの間に・・・」

 やった、やった、とはしゃぎ回るあゆ。何度もいうけど、そんな自分の姿は見るに忍びない。おれはあゆを止める代わりに、別のことをいった。

「本降りにならないうちに帰ろうか」

「えっ!?そ、そうだね」

 一瞬、不満そうな顔を見せたのだが、すぐに同意を示したあゆ。もしかすると、おれの身体になっているからかもしれない。何といっても、おれ自身はこの街の出身じゃない。だから、特別寒さに強い、というわけではないのだ。

 一方のおれは、このあゆの身体に入っていると、今日のように一日街をうろうろしたとしても、全く寒く感じないのだ。いや、「寒く感じない」どころか、「寒い」という感覚さえないような・・・おれにはそれが今の自分が女だからなのか、あゆだからなのか、見当がつかなかった。しかし、それにしても、これだけ寒さを感じないのは異常な感じがする。どういうことなのだろうか?

「どうしたの?」

「ん?あ、ああ。何でもないんだ。じゃあ、帰ろうか」

「うんっ」


「――ってわけなんだが」

 家に帰ったおれは、あゆが風呂に入っている間に、名雪にさっきの疑問をぶつけてみた。

「慣れ、っていうのは確かにあるよ。さすがに生まれてからずっとこの町に住んでるからね。でも、やっぱりわたしだって寒い日は寒いよ」

「やはりそうなのか。じゃあ、おれが寒く感じないのは、あゆがこの街の住人だからとか、女だからっていうのは関係ないわけだな?」

「ない、と思うけど」

「うーむ。じゃあどうしてなんだろう?」

「いいじゃない、祐一、寒がりだったから、便利でいいんじゃないの?」

「うぐぅ。そんな問題じゃないだろう・・・」

「そんなこと考えたって答えは出ないよ。じゃあわたし、そろそろ寝るね。あゆちゃんによろしくね」

 名雪はそういって立ち上がった。まだ9時なんだが。しかし、いくら寝ても寝たりないといい、いつも10時間ほど寝ている名雪にとっては、これでも遅いぐらいなのだ。まあ、明日は日曜日だから、早く寝なくてもいいんだけどな。もしかすると、おれたちに気を遣っているのかもしれない。

「ああ、おやすみ」

「おやすみ、祐一」

 名雪が部屋から出て行くと、入れ替わるようにあゆが入ってきた。

「祐一君、明日はどうするの?」

「ああ、そうだな。雪がやんでたらまた出かけようか」

「うんっ、やむといいねっ!ボクも雪は好きなんだけど、寒く感じるんだよなあ」

「ああ、おれの身体は寒がりだからな」

「あ、そっか。そんなものまでもらってるんだね」

「ん?何だか妙に眠くなってきた。今日はもう寝ることにするよ」

「えっ?う、うん。お休み、祐一君」

「おやすみ、あゆ」

 あゆは一瞬残念そうな顔をしたが、素直に部屋を出て行ってくれた。だが、本当に眠いのだから仕方がない。これはおれが、あゆの身体にいるせいなんだろうな。一方のあゆは夜型のおれの身体にいるから、まだ眠くはないだろうな。もし、おれが入れ替わった相手が名雪だったとしたら――さすがのおれも、まともには起きられないだろうな。

 ――そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠りに就いていた。


 おれは見知らぬ森の中にいた。いや、そうじゃない。ここは「学校」だ。おれとあゆだけが通う学校・・・おれはその中でも一番高い木の、横に大きく張り出した枝の上に座っていた。下には心配そうにこちらを見上げている、「おれ」の姿が見えている。

 はるか遠くで、びゅうっという風切り音がしている。それは少しずつ、こちらに近付いているような気もするのだが、おれ、というかあゆは気付いていないようだった。そして・・・


 次の朝。相変わらずあゆと名雪は眠っていたが、おれはひと足先に目を覚ました。秋子さんが作った朝食をたいらげたころに、匂いに目を覚ましたのか、あゆが降りてきた。

「おはよう、あゆ」

「おはよう、祐一君!」

「名雪はまだ寝てるのか?」

「うん、そうみたいだね。部屋の中は見てないけど」

「仕方ない、起こしてくるか。一緒に飯食ったほうがいいだろ?じゃないと秋子さんが大変だ」

「いいのよ。寝かしておいてあげて」

「ですが・・・大変じゃありませんか?」

「大丈夫よ。いざとなったら名雪に自分でやらせたらいいんだし。それに多分、昼まで起きてこないんだから」

「そ、それはあるかも・・・」

「えっ、そうなの?」

「ああ、休みの日は結構そんな日が多いんだよ。夏は部活があるらしいから、早く起きてるみたいだけどな」

「へえ。名雪さんが・・・しっかり者のイメージがあるけどなあ」

「まあ、他の面はしっかりしてるからな。こと眠りに関してだけはあいつはダメなんだよ」

「でも、完璧な人間っていうよりも、親近感があってうれしいよ」

「ははは。なるほど、親近感か。そういう見方もできるな。じゃあ、名雪を起こすのはやめだな。で、どうする?ほっといて、おれたちだけで出かけようか?」

「うーん、何だか名雪さんに悪いし、待ってようよ」


「ん、そうか。じゃあそうするかな」


 結局、昼頃まで寝ていた名雪と一緒に昼食を済ませてから、おれたちは出かけることにした。名雪も誘ったのだが、おれたちに気を遣っているのか、秋子さんの手伝いがあるから、といって断られてしまった。

 そんなわけで、二人で出かけることにしたのだが、その中で、おれはあゆに夢のことを聞いてみた。

「なあ、あゆ。お前、毎晩、夢を見てるような気がしないか?」

「夢・・・?うーん、分からないよ。見てるような気がするんだけど、目を覚ましたときには何も覚えてないから・・・もしかしたら、見てないだけなのかもしれないし・・・」

「うん、実はおれもそんな感じなんだよな。朝起きると、『夢を見ていた』って感じはするんだけど、どんな夢だったかはまったく思い出せないんだよな。いい夢か悪い夢か、そんなことさえハッキリしないんだ」

「ボクにはなんとなく、いい夢だったような気がするんだけどね。でも、目を覚ましたときには、『目を覚ましてよかった』って思うときもあるんだよなあ・・・どうしてかな?」

「ってことは、悪い夢も見てるんだろうな・・・ん?こんな話、どっかでしたような気がするな」

「えっ?そうだっけ?」

「ああ、最近したような気がするんだけどな。いつだったかな」

 おれはしばらく記憶を手繰っていたが、この手の能力がおれには欠けているのだ。なんせ、数年前の記憶ですら、忘却の彼方にあるぐらいなのだから。この数日間の会話の内容を思い出せ、といわれても、簡単にはいかないのだ。

「くそっ、思い出せない!まあいい、あゆ、もうちょっと捜したら、今日は帰ろうか」

「そうだね。暗くなってきたしね」

 あゆは少し肩をすぼめながらそういった。あゆのやつはとにかく、暗いのが苦手なのだ。その辺は精神の問題だろうから、身体が入れ替わったからといって、おれがそうなるわけじゃないようだ。だが、繰り返していうが、おれのそんな情けない姿は見るに忍びない。


 結局、手がかりは何もないまま、おれたちは帰宅した。手がかりがあったとすれば、それは夢の話ぐらいなものだろう。二人に同じ現象がおきている、ということは、身体が入れ替わったことか、二人の共通の記憶、どちらかが原因なのではないか。いや、両方かもしれない。

 しかし、こうやっておれたちが二人でいる時間が長くなればなるほど、真相に近付いていっているのは間違いなさそうだ。その証拠に、日を追うごとに、夢の内容が徐々に、記憶の欠けている部分に当てはまってきているような気がする。

 もしかすると、おれの精神が持っている記憶と、あゆの身体が持っている記憶の抜け落ちている部分を、お互いに埋め合わせることで、少しずつではあるが記憶が修復されてきており、それが夢というかたちになって現れているのかもしれなかった。

 もしそうなら、このままあゆの身体で居続ければ、記憶が戻るのかもしれない。しかし、おれの精神の奥深いところで、「思い出したくない」と思っているのも確かなのだ。ところが逆に、「早く思い出さなければ」、とあせる自分がいるのも間違いのないところなのだ。

 しかし、おれはどんなにその記憶が忌まわしいものであったとしても、それに立ち向かう決心を固めていた。それはあゆに対するおれの気持ちの表れだともいえたのだが、まだこのときのおれには、そこまで考えが及ばなかった。


つづく