赤い雪(後編)

作:Sato


おれは宙に浮いていた。
空を飛べるようになったわけじゃない。
現にこうしている今も地面が迫っているのが分かる。
眼下に見える地面は一面の雪に覆われている。
下の方で悲鳴が聞こえてきた――


「!!」

 おれは飛び起きてしまった。何か恐ろしい夢を見ていたような・・・そんな気だけはするのだが、まったく思い出すことはできなかった。

 もうそんなことには慣れたものになっているおれは、思い出そうと深く考えることをせず、時間を見ようと時計を見た。

 時計の針は7時前を指していた。目覚し時計は7時過ぎにセットしてある。どうやら、目覚ましよりも先に起きてしまったらしい。

「ちょうどいいか。もう起きよう」

 おれは今寝ても意味はないと考え、起きることにした。あの二人を起こすことを考えると、少しでも時間があったほうがいい、ということもあったし。

 とにかく手ごわい名雪からだ。おれはそう考え、まずは名雪の部屋に向かった。

「おい、名雪!起きろ!ってあれ?」

 部屋に飛び込んだおれは一瞬あっけにとられた。なんと、そこにいるはずの名雪の姿がなかったのだ。ベッドの上のふとんはきれいに畳まれており、別に名雪がトイレに行っている、というわけではなさそうだった。

「??・・・・あ、思い出した!」

 ちょっと考えたが、すぐに思い出した。いつも名雪は月曜には朝練に出ているのだ。

「ふうむ、しかし、どうりで昨日、寝るのが早かったわけだ。しかし、それでも朝練だと早く起きられるってのは何故なんだろ?」

 よくは分からなかったが、名雪が練習好きなこともあるのだろう。昨日早く寝たことといい、もしかしたら、おれたちに気を遣って、早めに姿を消したのかもしれない。名雪のヤツ、なにか勘違いしてやしないだろうか?

「おっと、じゃああゆを起こさなきゃな!」

 使命を思い出したおれは名雪の部屋を出て、あゆの部屋に向かった。もっとも、そこは元々おれの部屋なわけだが。

「あゆ、入るぞ!」

 返事がないのを確認したおれは、勢いよく扉を開け、中に入った。

 予想に違わず、おれの姿をしたあゆはすやすやとベッドの上で眠っていた。中身はあゆだが、見た目にはおれなのだ。おれは遠慮なく、あゆを起こしにかかった。

「起きろ、あゆ!」

 精一杯威厳をもってそう叫んでみるものの、喉から出てくるのは、甲高く、子供のようなかわいらしい声に過ぎない。おれは情けない気分になってくるが、そうもいっていられない。なんせ、今日は名雪がいないのだ。あゆに無事に学校に辿り着いてもらうためには、少しでも早く起きておくにこしたことはない。

「おい、あゆ!」

「うーん・・・」

 おれは声だけでは足りないと思い、体を揺さぶりはじめると、ようやくあゆが覚醒しはじめたようだ。

「もう朝だぞ、あゆ。早く起きろ!」

「う、うーん・・・」

 くっ、なかなか起きない。おれはこんなに朝が弱くなかったはずだが・・・このままではらちがあかない、そう考えたおれは、大胆な行動に出た。

「オラ、起きろ!」

ドカッ!

「うぐぅ・・・な、何!?」

「やっと起きたか、あゆ」

「うぐぅ・・・もっとやさしく起こしてくれたっていいのに・・・」

「最初はやさしかったんだぞ。お前がすぐに起きないからだ」

「いてて、起きられないのは祐一君の身体だからだよ。祐一君はボクの身体だったから、すぐに起きられたでしょ?」

「いや、今日はそうじゃなくて、怖い夢を見ていて飛び起きただけだ」

「え?祐一君も?ボクもなんだか夢を見ていたような気がするなあ」

「でもあゆ、あの寝顔は怖い夢って感じじゃなかったけどな」

「うん、ボクの見てた夢はそんなに怖いものじゃなかったもん。思い出せないけど、きっと素敵な夢だったんだと思うなあ」

「え?そうなのか。おれの見ていた夢とは全然違うみたいだな。おれのはひどく恐ろしい夢だったような気がするんだが・・・」

「ボクだって怖い夢を見ることはあるよ。覚えてないけど、起きたら汗をかいてたりするから分かるもん」

「へえ、なるほどね。夢の内容までは共有してないんだな・・・おっと、時間がないんだったな。あゆ、早く着替えるんだ。遅刻するぞ」

「うん、分かったよ、祐一君。祐一君も着替えてよ」

「おっと、そうだったな。じゃあ下でな」


 おれが着替えて階下に下りると、すでにあゆと秋子さんが朝食の支度をはじめていた。おれの姿がちょこまかと動いて秋子さんの手伝いをしている・・・誇りたいような、情けないような、複雑な気分になってしまう。

「では、いただきま〜す」

 今日のメニューはベーコンエッグとサラダと食パン、そしてコーヒーといったものだった。相変わらず秋子さんの作る食事は絶品だ。おれたちは幸せをかみしめながら食事を味わっていた。が。

「今日はいいものがあるのよ」

「えっ?いいものって?」

 あゆが目を輝かせながら秋子さんに聞き返している。おれの経験では、ここで出てくるものには興味を示してはいけないのだが。新参者のあゆが、そんなことをわきまえているはずもない。興味津々といった表情をしている。秋子さんとしても珍しいそのリアクションに、やる気満々のようだ。やれやれ・・・

「それは、ジャムよ。昨日久しぶりに作ったんだけど、食べてみる?」

「うん、ボク、ジャムって大好きなんだよ!」

「お、おい、あ――」

「そう。じゃあちょっと待っててね」

 おれの言葉にかぶせるように秋子さんがしゃべって、ジャムを取りに行ってしまった。この隙に、とおれはあゆを引き止めにかかる。なんといっても、いまのあゆの身体はおれの身体なのだ。なにかあると、困るのは他でもない、おれなのだから。ここは是が非でも止めなければ。

「おい、あゆ、そろそろ時間がなくなってきたぞ。メシはこの辺で終わらせて、早く行こうぜ!」

「なにいってるんだよ、祐一君。秋子さんのジャムを食べないと・・・」

「お前、あれがどんなものだか知らないからそんなこというんだ。あれはな――」

「ハイ、おまちどおさま」

 またしても、おれの言葉をさえぎるように、秋子さんが割り込んでくる。意識してやっているのだろうか・・・いや、秋子さんの性格からしてそれはないか。しかし、このジャムに関しては秋子さんは・・・考えまい。

「わあ、キレイ!何のジャムなの?」

「秘密。色々と入っているのよ。食べてのお楽しみよ」

「うん!じゃあ早速」

 あゆは嬉々としてパンにジャムを塗っていっている。

「お、おい、あゆ。塗りすぎじゃないか?その辺でやめとけよ」

「え?このくらいつけないと美味しくないよ。じゃあ、いただきまーす」

「ハイどうぞ☆」

 ぱくりとかなり大きめに食べてしまうあゆ。女として、控えるっていうことのない、子供のような食べ方だ。もっとも、今はおれになっているわけだから、違和感はあまりないのだが。
 数回咀嚼したあゆの口の動きが突然停止する。うれしそうに細められていた目が丸く見開かれ、なにか恐ろしいものでも発見したかのような表情に変わる。
 何かジャムの中に異物でも入っていたのだろうか?いや、そんなことでないことはおれはよく分かっている。すべてはあのジャムなのだ・・・・

 仕方ない、おれは助け舟を出すことにした。

「おっ!もう時間だぞ、あゆ。その辺でやめておいて、早く学校に行かないと!」

 固まっていたあゆは、おれの言葉に我に帰ると、渡りに船と、持っていたパンを皿に戻し、勢いよく立ち上がった。

「そ、そうだねっ!遅刻しちゃ、祐一君にも迷惑がかかっちゃうもんね」

 あゆは慌てて椅子の下からかばんを取ると、おれよりも先にダイニングを飛び出していってしまった。おれもそれに続く。

「あ、じゃあ行ってきますので」

「いってらっしゃい」



「で、どうだったんだ、あゆ?あれの感想は?」

 あゆはそれを聞いて複雑な表情をした。なんといっていいものか、知恵をふりしぼっているようだ。

「気を遣わなくていいんだ。思ったままを素直にいってみろよ」

「・・・個性的な味だった・・・」

「やっぱりそうなのか」

 誰に聞いても同じ答えが返ってくる。しかも今回の場合、同じ舌で同じ味を味わっているのだ。同じ答えが返ってくるのは、当然といえば当然かもしれない。

「で、二度と味わいたくはない味だったんだろ?」

 あゆは無言でうなずいた。そうはいっても、おれの身体はあの味を二度味わったことになるのだが。

「それはそうと祐一君。今日はどうするの?」

「そうだな、また『捜し物』を続けることにするよ。あ、それで思い出したけど」

「ん?どうしたの、祐一君?」

「ああ、あゆはあの森に行ったことはあるだろ?」

 おれはその方向をゆびさしながらそういった。あとで考えてみると、そこはあゆが「学校がある」といっていた方向なのだが、この時点ではおれはそれらを結びつけることはできなかった。

「え?うん、あるけど?」

「あゆはそこになにか思い出とかなかったか?」

「うーん、ボクはあそこには・・・・・あ!そういえば大事なことがあったような・・・忘れちゃいけないことが・・・でも思い出したくないような・・・」

「お、あゆもなのか。おれもそうなんだよ。あそこにも昨日の並木道と同じような感じがあるんだよな。だから、今日はそこに行ってみようと思ってるんだが」

「気をつけてね。悪い思い出もあるみたいだから、なにか危険があるのかも知れないよ」

「ああ、いまのおれはあゆの身体を預かってるんだからな。あまりムチャはしないよ」

「うん、じゃあボク、行くね」

「ああ、遅刻するんじゃないぞ」

「分かってるよ〜」

 あゆは手を大きく振ると、雪の道を駆け出していった。あっという間に角を曲がり、おれの視界から消え去ってしまう。

「よし、じゃあおれも行くか」

 おれはあゆとは別の道を進み、森へと向かうことにした。おれ自身は、この街に帰ってきてからは、あそこには行ったことがないのだ。しかし、あそこには何かがあると、おれの中にある、記憶の断片のようなものが告げていた。あるいは、それはあゆの記憶だったのかもしれないが。

 誰も踏みしめることのない新雪に足を取られながらも、何とか目的地である、森の中心地へと辿り着いたのは、それから2時間ほど経ってからのことだった。

 そこは広場のようになっていて、森の中とは思えないほど、木が茂ってはいなかった。その原因はすぐに分かった。広場の中心に、周りの木とは比較にならないほどの大きさの、外周が4人分の腕の長さはほどはあろうかという、太い木が存在していたのだ。

 しかし、おれはここに辿り着くまではその存在に気付くことがなかった。何故ならば、「存在していた」とはまさに文字通りで、いまはその「木」はそこにはなかったのだ。そこには、その大きさを偲ぶことができる巨大な切り株が存在していた。

「・・・」

 ここに着いた瞬間、おれの封じられていた記憶に残る風景と、自分の目で見た映像が一致したのを感じてしまった。同時に大きな違和感も生じた。おれの記憶に残っているここの風景は、もっと暗かったような・・・・

 そこまで考えておれは一つの結論に辿り着いた。そう、あれが「木」として存在していたのなら、ここは木陰になり、もっと暗いのではないかと。

 昔はあそこに「木」があった。その「木」に登っている人物がいたような・・・・・あんな大きな木だ、随分と高いところまで登れるだろう。

「・・・・!」

 そこまで考えたおれの全身に、なにか恐怖心みたいなものが駆け巡った。その恐怖がおれの精神からきたものか、あゆの身体からきたものか、それは分からなかった。いや、もしかすると、それは両方かもしれない。おれにとってもあゆにとっても思い出したくない記憶・・・それがいい記憶であるはずがない。

「ん?風が出てきたな・・・」

 いつの間にか、空を雲が覆い、そのせいか、少し風が出てきていた。雪が降る前触れなのかもしれない。おれの頬を風が撫で、全身がぶるっと震える。

 しかし、おれは寒さで震えていたわけではなかった。「風が吹いている」と感じた瞬間、閃光のようにおれの脳裏に映像が浮かんできたからだった。

木の上に誰かが座っている。
それはおれの一番大切な人。
その姿が唐突に消えうせる。
おれは必死に手を伸ばした。
しかし、間に合わなかった。


真っ白だった雪が赤く染まっていく・・・・・


「あああ!!」

 とうとう、おれ、いや、おれたちの封じ込められていた記憶を取り戻してしまった。それはとてものこと、楽しい記憶といえるあるはずがないものだった。しかも、これがあゆの捜し物ですらあるはずがない。それとも、あゆはこんな悲しいものを捜していたというのだろうか?

「ちょっと待てよ・・・あれがあゆだとしたら、あゆって一体・・・?」

 いまの場面では確かにあゆは・・・・しかし、中身は違えど、現にあゆはここにこうして存在しているじゃないか。一体これはどういうことなのだろうか?
記憶の件といい、この姿といい、あゆが同じ名前の別人、ということは考えられない。これは間違いなく、おれの記憶に残る「月宮あゆ」その人のはずだ。それならばどうして・・・・・

「な!!」

 おれがそんなことを考えはじめた瞬間、全身の力が抜け、思考能力さえも失われはじめたのだ。まるでこの世から消え去ろうとしているかのように――

 それに気がついたおれは、必死に自分を取り戻そうとした。自分のこと、名雪や秋子さんのこと、そしてあゆのこと。ただ一心に「自分」というものを念じた。

 その甲斐あってか、身体にも力が入るようになり、頭の中もハッキリしてきたようだ。

「いったいいまのは・・・・!?」

 「あゆ」っていったいどういう存在なのか?おれはそう思わざるをえない。だからといって、あゆの存在自体を疑ってはいけない、ということなのだろうか?

ぐぐ〜

 突然、おれのお腹が空腹を訴えてきた。そういわれてみれば、まだ昼飯を摂っていなかったことを思い出す。おれは思わず吹き出してしまった。

 こんなでもちゃんとお腹は空くんだ。そう考えると、悩んでいるのがなにかバカらしくなってきた。どれだけおかしくはあっても、あゆはあゆなんだ、いまおれのそばにいるあゆ、それがすべてだ。それでいいじゃないか。

「よし!メシでも食いに行くか!」


 さすがにもう一度森の中に行く気にはならず、昼からはおれは商店街を中心に捜索することにした。

 とはいえ、さっきのことが気になって仕方がない。取り戻した記憶のこと、存在が消えようとした?こと。しかし、さっき気にしないと決めたおれは、深く考えず、極力捜索に専念しようとしていた。

 なんといっても、まだ「捜し物」は見付かっていないのだ。もちろん、それにまつわる記憶も取り戻してはいない。あの森でのことがそうではないことは、時間が経つにつれて、確信へと変わってきていた。

「祐一君!」

「うわっ!」

 おれが振り返る間もなく、おれの背中にぶつかってきた人物がいたのだ・・・っていうまでもないことか。おかげで、おれは前のめりに雪の上に倒れ込み、それほど高くはない鼻をしこたまぶつけることになってしまった。やれやれ、いまのおれの身体は小さな女の子だというのに・・・・

「うう・・・あゆ、なにするんだ」

「あっ、ご、ごめん!」

 おれの上に乗っていたあゆは、慌てて立ち上がり、おれに手を貸した。肌が乾燥しているのか、固いように感じる。それは単におれの手があゆのもので、あゆの手が、男のおれのものになっている、というだけのことかもしれないが。

 おれは立ち上がると、あゆに向かって文句をいうことにした。それほど怒っているわけじゃないが、申し訳なさそうにしているその姿を見ていると、ついついからかってやりたくなるのだ。

「いてて・・・なんだよ、いきなり。雪まみれになったじゃないか・・・」

「ご、ごめんね!祐一君の姿を見付けて、ついうれしくなっちゃって・・・」

「またか。でも、いまのおれはあゆの身体なんだからな。ちょっとしたタックルでもすぐに倒れてしまうんだぜ?気を付けてくれないと」

「うぐぅ・・タックルじゃないもん」

「まあ、鼻が低くてよかったよ。おかげで被害は最小限ですんだからな!」

「うぐぅ・・・低くないもん・・・」

 突然、あゆの表情がパッと明るくなる。

「そういえば!」

「ん?」

「いま、祐一君を見付けて駆け出したんだけど、いつもより早くて。それで勢いがついちゃって、ぶつかっちゃったんだよ」

「ほう・・・あくまでもおれの身体のせいだといいたいのか・・・」

「あっ、そんなことない!けど・・・そうかな?」

「まあいいよ。で、学校では何もなかったのか?」

「うん!楽しかったよ。それで・・・祐一君のほうは?捜し物は見付かった?」

「いや、まだだな・・・」

 おれはここであゆに、さっき森の中で取り戻した記憶については話さないことにした。いい話だとはとてもいえないものだということもあったが、なんといっても、これはあゆの存在自体にかかわることなのだ。おれと同様に、あゆも消えてしまう、なんてことになりかねない。そんな危険を冒す気はおれにはなかった。

「森には行ったんでしょ?何かあった?」

「いや、特にはなかったな・・・寒いだけだった」

「ふーん・・・あそこにはボクの学校があるんだけど・・・見付からなかった?」

「えっ!?あ、ああ、あったよ。学校は」

 おれはそういわれて唐突に思い出した。あの「木」はおれとあゆだけの「学校」だったのだと。そして、あゆはいまもそこを学校だと思っている・・・やはりあゆは・・・

「どうだった?すてきだったでしょ?」

「ああ、そうだな。いいところだったよ」

「でしょでしょ!祐一君もそう思うでしょ!?」

「ああ・・・おっと、それよりあゆ、名雪はどうしたんだ?今日は部活休みの日じゃなかったっけ?一緒じゃないんだな。何かあったのか?」

「え?うん。名雪さん、秋子さんに頼まれたことがあるからっていって、先に帰っちゃったんだよ」

「ほう・・・なるほどね」

 名雪のやつは、またおれたちに気を遣ったに違いなかった。そうやって思い返してみると、同じ家に住んでいるというのに、昨日辺りから名雪の姿をあまり見ていないような気がする。まったく、恐ろしいまでの気の遣いようだ。見ようによっては、避けられているようにさえ感じるほどだ。

「で、どうするの、祐一君?今日もまた捜し物を?」

「ああ、かなりつかめてきてるからな。この辺りにあるのは間違いないような気がするんだ」

「うん、ボクもそう思うよ。じゃあ、ボクも一緒に探すねっ!」

「ああ・・・・あ、その前にやりたいことがあるんだが」

「ん?何?どうしたの、祐一君?」

「さっきからいいにおいがしてきてるだろ?昼飯が足りなかったせいか、急に食べたくなってきたんだよ」

「えっ?あ、ああ、たいやきだねっ!じゃあボク買ってくるね!」

 あっという間に視界からいなくなってしまうあゆ。おれの身体になって、体力を持て余しているように見える。まあ、もともと元気だけがとりえみたいなヤツだからな。

 そういえば、おれが記憶が戻ってきたように、あゆにも記憶が戻っていないんだろうか?昨日の話じゃ、そんな様子もなかったのだが。しかし、おれのほうは今日、重要な記憶を取り戻したのだ、あゆにもそれがないとはいいきれないものがある。

「でもなあ、それなら黙っているはずもないし・・・」

「ん?なんのこと?」

「うわっ!いつの間に・・・!」

「いまだよ。ハイ、たいやき、買ってきたよ〜」

「おっと、さんきゅ」

 しばらく二人でたいやきタイムを楽しんだ。もともとここのたいやきは美味しかったのだが、あゆの身体になってからは、ひときわ美味しいように感じられるのだ。やはり女の子は甘いものが好きだっていうのは本当なんだな。

「なあ、あゆ。お前、たいやきが食い逃げするほど大好きだったじゃないか。いまはどうだ?」

「うぐぅ・・・食い逃げじゃないもん・・・あとでお金払ったんだもん」

「まあ、それはいいとして、味とか変わらないか?おれはお前になってから、美味しく感じられるようになったんだよな」

「えっ?いまも美味しいよ。でも・・・今日は別に『食べたい』って思わなかったなあ・・どうしてだろ?」

「ふむ。やはり、味の感じ方が変わってきてるんだろうな。おれも前は別に、買ってまで食べたいとは思わなかったし」

 と、おれはここで聞こうと思っていたことを思い出した。

「おっと、そうだ。あゆ、今日何か思い出さなかったか?」

「思い出す?昔のこと?」

「ああ、おれとあゆが昔会っていたころの記憶・・・何か思い出してないのか?」

「うーん・・・何も思い出してないよ。そういう祐一君は何か思い出したの?」

「いや・・・別に、だな」

 おれは言葉を濁した。まだあの森での記憶を話す勇気はなかった。

 あゆに記憶が戻っていない、ということに関しては、ある程度納得できるものがある。おれはあの場に行って実感したからこそ、記憶を取り戻すことができたのだ。ずっと学校で授業を受けていたあゆにそれがないのは、当たり前のことだともいえた。

 だから、あの森にあゆが行けば――あそこに「学校」などないとあゆが知ってしまったら――あゆの記憶は一気に戻ることになるのかもしれない。それは決して好ましいことではないと思う。少なくとも今はまだ。

「よし、腹ごしらえも終わったし、捜索を再開するか!」



「ふぅ〜・・・」

 おれは湯船に浸かりながら、一日の疲れを癒していた。この季節に、あの「森」に入ったのだ、身体が冷え切っているようだった。

 あの「森」・・・あそこであゆは・・・

 おれは自分の身体を見下ろしてみた。ゆらゆらと揺れる水面の中に、あゆの裸体が見えている。子供っぽい割には、意外と膨らんでいる胸、見た目通りというべきか、あまり濃くはない恥毛、そして、あまり大きくはない腰つき・・・個人差レベルでの違いこそあれ、立派な女性の身体だ。あの記憶での、子供そのもののあゆとはまったく違っている。

 何となく、確認してみたくなったおれは、胸に手を添えてみる。

「ほう・・柔らかいんだな・・」

 実のところ、何度か触ってはいるのだが、あえてそういってみる。ひとつひとつその存在を確かめるように、身体全体を撫でるように触っていく。どこを触っても、男の身体のように、ザラつくところがなく、しかも、肌のほうは触られた感覚を鋭敏に感じ取ることができるのだ。男と女ではこれほど違うのか、まさに身をもってそう実感してしまう。

 こうやって触ってみても、おれにはこのあゆの身体が普通の女の子のものと同じとしか思えない。確かに、この肌の白さは何かおかしなものを感じるが、こうやって風呂に入れば、すぐに身体が火照って、赤くなってくるのだ。

「って、ヤバイ!・・・かなりのぼせてきてるんじゃないのか?」

 身体を撫で回したりしていたせいで、すっかり長湯してしまったようだ。おれはフラフラになりながらも、なんとか風呂から上がり、二階まで戻ることができた。

「はぁ・・・まだクラクラしてるよ・・・」

 こうやってお湯に長く入っていると、この身体はちゃんとのぼせたりするし、お腹が空けば、お腹がなったりもするんだ。そんな身体が夢や幻であるはずがない・・・おれはそう思うようになって、いや、思おうとしていた。

「祐一君・・・?」

「ん?あゆか?何だ、入っていいぞ」

「祐一君・・・」

「どうしたんだよ、あゆ。なにかいいたそうじゃないか。いってみろよ」

「うん、ボクってここ何日か、祐一君の学校に行ってるんだけど・・・」

「ああ、そうだよな。それがどうかしたのか?」

「とっても楽しかったんだよ!もういろんなことがあって。忘れようとしても忘れられないほどなんだよ!」

「・・・・?」

 暗かったあゆの表情が急にパッと明るくなったかと思うと、言葉をいい終わると一転してまた暗いものに戻ってしまう。あゆは一体何がいいたいのだろうか?

「・・・この数日の学校の思い出って、ものすごくはっきり残ってるんだよ。でも・・・ボクが通ってる学校のことは全然思い出せないんだ。『行った』ってことしか思い出せないんだよ・・・・どうしてなんだろ?」

 なるほど・・・あゆはとうとうそこに行き着いてしまったのか。実在することのない学校に行っていたあゆに、学校での記憶など残っているはずがないのだ。

「うーん、よく分からないけど、おれの身体になっているからじゃないのか?」

「え〜?そうかなあ・・・他のことはよく覚えているんだよ?それに、入れ替わる前だって、学校のこと、よく思い出せなかったし・・・」

「――ふうむ。それで、あゆは何かしたいんだろ?どうしたいんだ?」

「うん。明日、『学校』に行ってみたいんだよ」

「え?いつも行ってるじゃないか。今日だって・・・・」

「違うよっ!ボクの学校に、だよ。行って、確かめてみたいんだよ」

「だ、だめだ。お前はおれの学校に行かなくちゃいけないだろ?放課後行くとしても、あそこまで結構時間がかかるんだよ。往復する時間を考えたら、やっぱりムリだ」

「で、でも・・・」

「でもも何もない。お前が学校に行かないと、みんなが迷惑することになるんだ。それを忘れないでくれよな」

「・・・・分かったよ。明日は学校に行くよ」

「分かってくれたか。また土曜にでも行けばいいさ」

「――うん・・・じゃあボク、もう寝るね」

 あゆは重々しい足取りで部屋から出て行ってしまった。柄にもなく、おれも激昂してしまったが、そうでもしないと、あゆを説得できそうもなかったのだ。まだあゆに「学校」のことを知らせるのはまずいだろう。

 明日はどうするか・・・そんなことを考えながらおれは眠りに就いた。



 おれたちは「学校」から帰っていた。

 いや、「いた」のだが、今はそうではなかった。
どうやら、道に迷ってしまったようだ。

 明日に別れを控えていたおれたちは、時間を惜しむあまりちょっと遅くまで遊びすぎたようだ。すでに辺りが暗くなり、道がよく分からなくなってしまっていた。

 おれたちは必死に道なき道を進み、ようやく開けた道に出たのだ。

 そこは明かりが少ないため少し暗いが、見事な並木道だった。

「ここどこ?」

「さあな。おれにも分からないよ。でも、道にさえ出ればこっちのもんさ」

「うん、そうだといいけど・・・あっ!」

「ん?どうした、あゆ?」

 突然、あゆが何かを見付けたのか、駆け出したのだ。わけが分からなかったが、おれもその後に続く。

 あゆは並木道の一本に向かっているようだった。何があるのかと思ってそちらを見ると、木の根元に、街灯の光に反射して、キラッと光るものがあるのが分かった。

 あゆはそれを拾い上げ、おれのほうを振り返ってそれを示した。どうやら、それはガラス瓶のようだった。透明なガラスだが、ラベルなどが貼られてなくて、口にはガラスのふたがついていて、それを金具で閉めるようになっていた。中には僅かだが、何かの粕のようなものが残っている。どうやら、お菓子か何かを入れていた瓶のようだった。

「・・・祐一君、これでタイムカプセル作ろうよ」

「タイムカプセル?ってあの、何かを入れて土に埋めるあの?」

「うん!そうだよ。この瓶、それっぽいと思わない?」

「まあ、そうだけど・・・一体何を入れるんだ?」

「これだよ!」

 あゆが取り出したもの、それは天使をかたどった人形だった。いつだったか、おれがクレーンゲームでやっとのことで取ることができたものだ。確かに、これならこの瓶の大きさにはちょうどいいかもしれない。そして、おれたちの思い出の象徴としても。

「ねっ!いいでしょ?」

「だけどあゆ、まだ願い事がひとつ残っているだろ?それはいいのか?」

 おれはそれが気になってあゆに聞いてみた。

 願い事――それはおれがあゆにあの人形を贈ったときに、おれがあゆに吹き込んだものだった。「その人形に願えば、おれにできることであればなんでもみっつだけかなえてやる」、そんなたわいもない話だった。

 あゆは喜んで、すぐに願いをふたついった。

 ひとつ目は帰ってからも、おれにあゆのことを忘れてくれるな、というものだった。もちろん、この時点でのおれは、あゆに次の年にも会いたいと思っていたほどなので、ふたつ返事でOKしたのだが――

 ふたつ目はおれと一緒の学校に通いたい、というものだった。あのときから、あの「木」が学校になったのだ。おれとあゆ、2人だけの学校に――

 そんなわけで、願いはもうひとつ残っているはずなのだ。あゆはそれを封印したまま土に埋めるっていうのだろうか?

「うん、ボクはもうふたつも願いを叶えてもらったから、それでじゅうぶんだよ」

 あゆはもう瓶の中に人形を入れてしまっていた。あゆはそれを見つめながらさらにいった。

「だから、あとひとつは、未来の自分・・・ううん、もしかすると、自分じゃない他の人にあげたいんだ」

「でも、願いを叶えるのはおれなんだけど」

 あゆはにっこりと微笑んだ。

「頑張ってね、祐一君!」

「うっ、分かったよ。あゆがそう望むなら」

「うんっ!じゃあ埋めるね」

「ああ、おれも手伝うよ」

 おれたちは雪を掻き分け、土を掘ってそのガラス瓶を埋めてしまった。その上から雪をかぶせ、穴を隠してしまった。この季節、春になるまでここが露出することはないだろうし、少し時間が経てば、すぐに新雪に覆われてしまい、こんな不十分な偽装でも問題ないはずだった。

「よし、これでいいな。じゃあ帰ろうか」

「うん・・・でもここがどこだか・・・」

「何とかなるさ!とにかく行こうぜ」

「うんっ、そうだね!」

 おれたちはすっかり暗くなってしまった雪の並木道を駆け出した。次の日の別れのことを忘れようとするかのように――



「うーん・・・・」

 おれはいつものごとく、飛び起きるように目を覚ましてしまった。しかし、また何かの夢を見ていたことには確信があるのだが、例によってその内容に関しては全く思い出せなかった。

 しかし、今日の夢に関しては、何となくではあるが、「捜し物」に関係している、という気がしていた。もう、真相が目前にまで迫ってきている、そんな思いがしてならなかった。

「まあいい。とりあえずあゆを起こしに行くか!」

 名雪は今日も朝練のはずだ、起こす必要はないだろう。ちょっと早かったが、おれはあゆをたたき起こすべく、あゆの部屋に向かった。

「あゆ、入るぞ!」

 おれはあゆのいるおれの部屋のドアをノックすると、ドアを開け、部屋に入った。

「あゆ、朝だ・・・・えっ!?」

 おれは、あゆを起こそうとかけた言葉を途中で言葉を切ってしまった。それに意味がないことに気付いたからだ。

 部屋の中には誰もいなかったのだ。そこにいるはずのあゆの姿が・・・

 おれは一瞬、あゆが消えてしまったのかと思った。昨日のおれのように。しかし、よく考えると、いまのあゆの身体はおれの身体なのだ。おれはさすがに自分は正常な人間だと思いたい。となると――

「!!ま、まさか・・・」

 おれは駆け出していた。自分の部屋に戻り、慌てて着替えて、背中に聞こえる秋子さんの挨拶を無視して水瀬家を飛び出した。

 おれの頭の中には、昨日のあゆのセリフが思い出されていた。

――『学校』に行ってみたい・・・・

 あゆのあの思いつめた表情――何か思うところがあったのだ。ひょっとすると、完全ではないにせよ、記憶が戻ってきているのかもしれなかった。

 あゆはあの「学校」に行ったに違いなかった。いま、あゆがあの事実に気がついてしまったら・・・あゆもおれもどうなるか分からない。正直いうと、おれはあゆを心配するだけでなく、自分の身も心配だったのだ。

 おれはいつもの通学路を抜け、森へと続く道を疾駆していた。それにしても、この上手く動かないあゆの身体がうらめしい。気が急いているせいもあるのだろうが、本来のおれの身体の半分ほどしか進まないような気がする。

 とうとうおれは息が切れて走れなくなり、歩きはじめた。寝起きで、朝食すら摂っていないこの状態で、しかもあゆの身体なのだ。体力にも限界がある。しかし、寝起きで腹ペコなのはあゆも同じはずだ。しかし、結果としては体力の差がものをいったようだ。おれは重々しい足取りで雪を掻き分け、森の中を進んでいった。

「お・・・やはりあゆのやつが・・・」

 途中、おれは真新しい足跡を発見したのだ。足の大きさからいっても、それはおれがいつも履いている靴のものに違いなかった。おれはあゆに近づいていることを確認して、少し気力が回復し、進む足取りも軽くなりながら、道なき道を進んでいった。

「あ・・・あゆ・・・」

 やっとのことで「学校」のある広場に辿り着いたおれは、そこに立ち尽くしているあゆを見付けることになった。

 あゆは全く動かずに、ただ、目の前にある「学校」――もはや木ではないその一点を凝視しているようだった。

「あゆ!」

 おれはあゆに駆け寄っていた。声に気付いたあゆが振り向いた。

「祐一君・・・・」

 あゆの、おれの顔から血の気が引いていた。もちろん、それは寒さによるものだけではないはずだ。

 とうとうあゆは知ってしまったのだ。

――「学校」のこと。
――あの日ここで起こった出来事。
――赤く染まっていく雪。
――そして・・・・

「あゆ・・・」

 あゆはわずかに微笑んだ。それはもちろん、楽しいというものではなく、必死に何かに耐えているかのような、そんな笑みだった。

 おれはそんなあゆにかけるべき言葉が見付からず、立ち尽くすのみだった。

「ここがボクたちの学校だったんだね。やっと思い出したよ・・・」

「お、おい、あゆ・・・」

「どうしてボクに学校の記憶がないのかも分かった・・・ボクはここにいちゃいけない人間なんだね・・・」

「そ、それは違う、あゆ!そんなこと誰もいってないじゃないか!少なくとも、おれはお前を必要としてるんだ!そんなこといわないでくれよ!」

 おれは全身全霊をこめてあゆに訴えかけた。おれ自身、これほど魂の底から声を絞り出して話したことなど、これまでに一度もなかったのだ。それは、おれにここが瀬戸際だという予感があったのことによるのかもしれない。しかし、何より、おれがあゆを失いたくないという気持ちが一番強かったのだ。

「ありがと・・・でもダメなんだよ。ボクは知ってしまった。もうボクはここにはいられないんだ・・・」

「あゆ、ダメだ、いなくなるなんて!おれの頼みが聞けないのか!?」

「祐一君の頼みでもそれだけはできないよ・・・」

 冷えた声で拒絶していたあゆの目に、突然、涙が浮かびはじめた。

「ううっ、ボクだって別れたくないよ・・・・こうやって祐一君と同じ時を過ごせて、いつまでも一緒にいたいって思ってるんだよ!でも、ダメなんだ。ボクの力ではどうすることもできないんだよ!」

 あゆはとうとう大声で泣きはじめた。おれは思わずそのあゆを抱きしめてしまった。もっとも、今のおれの身体はあゆなので、おれが抱きついただけのように見えるのだが。

「あゆ・・・最後にひとつだけ頼みを聞いてくれるか」

「え・・・分かった」

 おれは目を閉じ、少し背伸びをした。ほどなく、おれの口にあゆの口が触れる。口からあゆの体温が伝わってくる。

 これがおれたちのファーストキス――最初で最後の――

「!!」

 突然、おれの口から一切の感触が伝わらなくなり、あれほど感じていたあゆの体温でさえも感じられなくなってしまった。

 思わず目を開けたおれは、そこに何者も存在しないことを知ることになった。今の今まで、目の前にあったはずのあゆの姿はどこにもなかった。

 そして、いつからなのだろうか、おれはおれの身体に戻っていた。久々に戻った自分の身体・・・だからといって、喜ぶ気になど、とてもなれなかった。

「あゆ・・・おれはどうしたらいいんだ!」

 おれはなす術を知らず、ただ悲嘆に暮れていた。もはや、おれにはどうすることもできないのか――何かおれにできること・・何か・・・

 おれの頬を涙が伝い、きらめきながら雪の上に落ちていく。

 その幻想的な光景によって、あまりに唐突で衝撃的なできごとにカラ回りしていたおれの思考能力が、ようやく回復してくる。

(まだおれにできることがあるじゃないか!)

 あゆはいった。「おれとずっと一緒にいたい」と。おれはその願いを叶える方法を知っている。今朝までは思い出せなかった記憶の中にそれがあった。そう、どうやらおれの記憶は完全に戻ったようだった。おそらく、自分の身体に戻ったことが呼び水となって、おれの記憶を呼び覚ましたのだろう。

「あゆ、待ってろ。きっと・・・!」




「で、オレたちはどうしたらいいんだ?」

 放課後。名雪に頼み込んで、「捜し物」を手伝ってもらうことにしたのだが、その話を横で聞いていた北川と香里のふたりが、「オレたちに黙っているなんてみずくさい」といって協力を申し出てくれたのだ。おれは改めてこの友人たちに感謝していた。

「ああ、この並木道のどれかの木の根元に、ガラス瓶が埋められているはずなんだ。それを捜し出してほしい」

「うわ、ここの木を全部調べるとなると大変ね。早くしないと日が暮れそうだわ」

「うん、早速はじめようよ」

「ああ、そうだな。じゃあオレは向こうの端から行くよ」

「うん、あたしは反対側から行くわね」

「じゃあ私はあっちからかな」

「みんな、すまん。この借りはきっと返すからな」

「その話は見付かってからよ」

 おれたちは四方向に分かれて捜しはじめた。いくら記憶が戻ったといっても、さすがにどの木に埋めたかまでは思い出すことができなかった。

 おれは必死だった。こうして首尾よく人形を見付けられたとしても、その人形に願いを叶える力なぞあるはずがない。それは分かっている、が、そうせずにはいられなかった。あゆに対して、おれにいまできることはそれぐらいなものだったのだ。おれは手を真っ赤にしながら、雪を掻き分け、地面を掘り、それを捜していた。

「おい、これじゃないのか!?」

 あきらめかけたおれの耳に、北川の声が入ってきた。おれは名雪、香里に続いてそこへ駆け寄った。

「ホラ、これだろ?」

 北川が手にしていたもの、それはあの時と同じ、ガラス瓶に入ったあの天使の人形だった。おれの目に思わず涙がにじんでくる。

「ああ、これだ。これを捜してたんだ」

 おれは瓶の中から人形を取り出し、それを見つめた。あの時となんら変わることのないその姿に、おれは何故だか、あゆの姿を重ね合わせていた。

(あゆ、おれにできることはしたぞ)

 おれの手の中で、人形が微笑んだような気がした。



夢を見ている。
終わりのない夢の中で、迎えることのない朝を望みながら。
いつ終わるとも知れない夢。
でもとうとう終わるときがきたんだ。

――ボクの最後のお願いは――



「おはよ〜」

「おはようじゃないだろ。いくら休みだからって昼まで寝てるやつがあるかよ。昨日は何時に寝たんだよ」

「ん?8時半だったかな」

「ってことは・・・一日の半分以上寝てるんじゃないか・・・やれやれ」

 名雪は「それがどうしたの?」といった表情をしている。やれやれ。いつものことだが、名雪の眠り姫っぷりには呆れるばかりだ。

 おれは窓の外を見た。暖かい日差しが差し込んでくる。おれがこの街ではじめて迎えた春。あれだけ降り積もっていた雪はどこへやら、いまや鮮やかな新緑が顔をのぞかせている。

「あら、名雪、やっと起きたのね。じゃあお昼ご飯にしましょうか」

「そうですね」

「私、手伝うよ!」

「そうそう、祐一さん」

「はい?」

「さっきのニュースで見たんですけど、昔この街のはずれにあった大きな木のこと」

「えっ?」

「何年か前、あの木に登って遊んでいた女の子があの木から落ちて。それで危ないからって、あの木は切り倒されたんですけど・・・」

「・・・・・」

「そのとき落ちた女の子、それから意識が戻らなかったんですけど、今朝、その娘の意識が戻ったんですって」

 それは――
 おれは立ち上がっていた。
 記憶の中の赤かった雪が白く変わっていく。

「その女の子の名前が確か・・・・」


赤い雪――完



あとがき

いやはや。前編<中編<後編とどんどん長くなってしまいましたが(汗
何とか終わる事ができましたね。
「kanon」というゲーム自体のストーリーがしっかりしていましたから、
ラクといえばラクだったんですけどね(笑
SS自体が初めてでしたので、
苦労しつつ、楽しみつつ、そんな感じでした。
話的にオリジナリティーがなかったのが申し訳ないですが、

いや、TSSS?(笑)は難しい!
ってことで(爆

それでは長文にお付き合いくださり、ありがとうございました!