キングズ・ハイウェーを走破(99年6月9日)

6月9日からの4連休を利用して、アカバ、ペトラに旅行してきました。今回はキングズハイウェーを縦断しましたので、その様子をレポートします。キングズハイウェーは今から5000年前の旧約聖書の時代アブラハムとその甥のロトの時代からあったと伝えられています。(赴任する直前にビデオで「旧約聖書物語」を見たのですが、その中にこの話もありました。神から約束の地であるカナンを与えられたアブラハムとロトは豊かな生活を送っていたのですが、豊かになるにつれて人々間に争いが生じるようになり、結局運命を共にしてきた二人が別れることになると言う物語で、ロトがヨルダンの荒野に下って行く場面です。)その後A.D.106年にローマ帝国のトラヤヌス帝により整備されました。歴史の中では、アレクサンダー大王、ローマ軍、十字軍、サラディンのイスラム軍など様々な軍隊がこの道を行き交っています。この道路に沿って、旧約聖書の時代からその名をとどめる町や数々の遺跡が点在しています。今回は、この沿線の様子をハイライトで紹介したいと思います。(史跡は史跡紹介で詳しく取り上げたいと考えていますが、テーマが重すぎて、まとめるのに相当に時間がかかると思います。)では出発しましょう。

(キングズ・ハイウェー)

ヨルダンはどちらかというと北部に人口が集中しており、アンマンから南は人口の少ない砂漠地帯になっています。しかし、唯一海に面するアカバが物流の出入口になっているため、アンマンとアカバを結ぶ道路はヨルダンの物流の動脈となっています。この2都市を結ぶルートは3つ有り、物流は主に起伏の少ないデザート・ハイウェーに集中しています。しかしラクダで旅をする時代には、水のない砂漠を横断できるはずもなく、水のあるキングズ・ハイウェーが利用されていました。もう一つのルートは最近開通した死海沿いの道ですが、これはどちらかと言うと軍事的な意味合いの方が強いように感じられます。

(アンマン〜マダバ間)

アンマンを出てキングズ・ハイウェーに入ったところです。片側2車線のすばらしい道路で、この道がアカバまで通じていると思ったのですが、実はそうではありませんでした。道の両側は農地になっていて、野菜やその他の農作物が生産され、非常に豊かな景色を見ることが出来ます。あちらこちらに温室も見受けられます。でもこの国の温室は温度を保つと言うよりむしろ湿度を逃がさないために、設けられています。

(マダバの聖ジョージ教会)

旧約聖書の中ではメドバ(Medba)と呼ばれているのが、現在のマダバの町で、アンマンから南に約30キロのところにあります。この町の教会や家屋には膨大な量のモザイクの装飾があるためモザイクの町とも呼ばれているそうです。その中でもとりわけ有名なモザイクがこの写真の教会の中に残っています。教会はギリシャ正教会です。

(聖ジョージ教会の床に残るモザイク地図)

聖ジョージ教会に残る有名なモザイクというのが、この写真の床に残るモザイクの地図です。この地図は6世紀の作品で、ヨルダンやパレスチナ地域の町と、エルサレムが描かれています。現代のパレスチナ地域の領土問題は、突き詰めていくとこの地図の中に根拠があるとも言われています。教会の内部はヨルダンというイスラムの国の中にあっては、非常に不思議な空間であると共に、古びた祭壇、宗教画などは、見る者を圧倒する歴史の重みがあります。

(地図に残るエルサレム)

写真の中央の丸い城壁で取り囲まれている町がエルサレムです。この他にもベツレヘム(イスラエル)ジェリコ(パレスチナ)、カラク(ヨルダン)の町や死海、ナイル川、シナイ山(エジプト)などをこの地図の中に見ることが出来ます。昔エルサレムへの巡礼者はこのモザイクのような地図を持ち歩いていたそうです。このマダバの町の郊外にネボ山というモーゼ昇天の地(「十戎」の最後の場面)がありますが、これはまた別のレポートで報告したいと思います。