『神様っていんの?』 2000.12.26
始めまして。jesus_is_aliveさんに、僕の『ホームページを作成する練習』ということで、僕の「証」と「イエスキリストを信じていない、又は信仰生活に入って間もない方への福音」を載せて頂く事になりました、masaと言います。月に一回のペースで更新します。どうかよろしくお願いします。
では、まず1回目は始めに自己紹介や証は面白くないから簡単に「神様っていんの?」ってことをお話しいたす。
当たり前ですが僕は神様を見たことが無いです。でも、「神が確かにいる」ってことは分かります。なぜなら、人間や、その他の動物は偶然に出来てそれが進化した動物ではないからです。海で生活している動物が強く「陸で生活したい」と望んで努力すれば陸に上がり、陸で生活する動物が強く「空に飛びたい」と望んで努力すれば空に飛べるようになる。または、「二足歩行をすれば活動しやすくなる」と長い間望んで努力すれば二足歩行が出来るようになる。常識で考えてみるとかなりロマンチックなお話ですね。しかもそれは一代で出来ることではなく何世代、何万世代もその夢を追い続けて手に入れた体です。ここで1つ簡単な物語を作ります。
「とある進化前の首の短いキリンの家族がいました。その家族は高い木の枝の葉っぱを食べるためにみんなで首を長くしようと一生懸命努力しました。その努力も空しく、その家族の父親は老いてもう残りの命が短いのを悟ると、自分の子にこんな遺言を伝えました。『わしゃーあの木の葉っぱを食べるのが無理じゃったが、おまえなら必ずやあの葉っぱを食べれるぐらいの長い首を持つことが出来るじゃろう』それを聞いた子はその言葉を心に留めて次の我が子へ、また、その子も次の我が子へと、何万代へと受け継がれて今のような長い首になったとさ。めでたしめでたし。」果たして本当にそうなったのでしょうか?もしそうなら水泳選手や海女さんが何万代も続けばクジラのようになれるのでしょうか?少し考えると進化論は”夢物語”であることが分かります。まだまだ話したいことがありますが、これで一回目は終わりにします。
《補 足》
「生物は生物からだけ生まれる。」というのが生物学の鉄則だが、進化論の中でこの鉄則が一度だけ破られたことがある。それは、地球上で最初の生物(バクテリア)の誕生である。ことときだけは、無生物から生物が生まれた。これはまさに『大奇跡』である。
アンモニアや二酸化炭素や水などの単純な分子が光や熱などのエネルギーを受けて、糖やアミノ酸などの複雑な分子に進化し、これらの複雑な分子がさらに複雑になって、分子進化が進み遺伝物質や細胞成分などの生命分子ができ、これらが海の泡からできた膜に包まれるようになり、単細胞生物のバクテリアが誕生した。
だが、単細胞生物ができるように秩序正しく集まる確立は無理な話で、「箱の中にいろいろなパーツを入れて混ぜていると、いつのまにか自動車ができた」というような無理な話である。
例えできたとしても、それだけでは生命は誕生しそうにない。生命を誕生させるには、その中になにか別の(神秘的な)力が必要のように思え、進化論の立場からしても、『大奇跡』が必要なのである。
[参考文献]
・早わかり聖書 生田 哲 著 (株)日本実業出版社(2000年)
『イエス・キリスト』 2001.03.21
月に一回載せると言っときながら、一ヶ月以上たってしまいましたが、まあ暇 つぶし程度でも見てください。このコーナーで、一人でも多くの人が真実を知る きっかけになってくださればこれ以上の喜びはありません。
では、二回目見てください。
イエスキリストという人物はただの歴史に出てくるすごい人間だったのでしょ うか?もし実際にそうだったら、僕達は「イエスキリストの罪の身代わりによっ て天国に行けるんだ!」と思ってる変な人でしょうね。でもちがいます。イエス様は、本当にこの世を創造され、また、人となってこの世にこられて、僕達を作 ってくださった方なのに、僕達のどうしようもない罪のために、ご自分の命を犠 牲に罪の身代わりに十字架にかかられた救い主です。これは、「昔いたのかいな かったのかどうでもええやん」ではすまされない問題です。僕達の命がかかって る重要な問題です。実際に救い主である証拠の1つにクリスチャンに対する迫害 があります。紀元300年ごろローマ帝国ではイエス・キリストの名を語るもので あれば誰であっても処刑されました。ある人はコロシアムで猛獣と戦わされ、またある人は柱に縛られて焼き殺されたそうです。焼き殺された人の数はイスラエル中の木が無くなるほどだそうです。普通なら「そんな人知りません」と答える はずです。でもそうしなかったのは、自分の命に代えても真実を伝えようとした からです。日本でも昔これと似たようなことがありました。踏み絵を踏まなければ処刑される。でも昔のクリスチャンは踏めば死ぬと分かってて踏みました。イエス・キリストの十字架の死と復活が嘘ならこんなことはしなかったでしょう。
キリスト教は、ただ心のより所を求めてる人が行く所だと思っている人もいるか もしれませんが、それだけでは自分の命を捨てることは絶対にしないはずです。
『つまづき』 2001.05.28
今回は、クリスチャンになったばかりの方を対象に書いてみました。誰もが経験することですので参考に見てください。
イエスキリストを自分の救い主と信じた人は大体が経験したことがあることが、「自分はクリスチャンになっていても罪の考えや行動が出てきてしまう」という悩み(思い)があると思います。勿論、僕も経験しました。「なぜこんなことを考えるんだろう」とか、「なぜこれをやめる事ができないんだろう」とかいろいろ考えると思います。
確かにクリスチャンは一度死んで生まれ変わった者ですが、内にある肉(欲)の思いを無くす事は難しいことで、無くそうと思ってもその思いが長く続くことはまずないと思います。逆にストレスがたまるだけです。
あの大伝道者であるパウロでも「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。・・・・・私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。」(ローマ7.15〜19)と言ってます。だから一度信じると言ったら「自分はまだ信じていないんじゃないのか」と心配する必要はありません。
信仰生活を続けていれば少しづつ神様に変えられていきます。「神は、御心のままに、あなた方のうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2.13)
肉による行いを何度も悔い改め、自分の力はどうしようもないということを教えられます。
神様はこんなどうしようもない僕達でも愛して、いつもそばにいてくださり、恵みを与えてくださいます。
『質 問』 2001.07.25
このコラムを見ているまだイエスキリストを救い主と信じていない皆さんにお願
いしたいことがあります。
それはキリスト教を疑ってほしいということです。ただ疑うだけじゃなく、キリスト教が間違っていると思うところを探して近くのクリスチャンに「キリスト教 のここが間違っているんじゃないか?」って質問してほしいんです。僕達は僕達が信じている神は正しいと思っていますからどんなことでも質問してください。
僕も信じる前はクリスチャンは間違っているからこの人たちの間違いを正したいと思って矛盾があると思う点を何回も何回も質問しました。その結果僕もクリスチャンになっています。だから皆さんも思ってることをどんなことでもいいですから打ち明けてください。
僕が昔は憧れていて、僕の家の近所でも評判のいい和尚さんがいます。その和尚 さんが最近僕の親戚の家でお経を読み終わった後こんなことを言いました。「仏教は信仰から始まります。」これを聞いて僕は心の中で「はぁ?」と思いました。正しいかどうか分からないのに信仰を持てと言われてもできるものじゃあないですよね。和尚さんの話は続いて、その和尚さんの知り合いで東大の近くにあるお寺の和尚さんがいるそうです。ある日、東大生が三人で和尚さんを試そうとそのお寺に入って和尚さんに話をしたそうです。仏教を試すことは良くないらしく、その和尚さんはすぐにその東大生を追い出したそうです。これって仏教は真理ではないから、まずは無理やり信仰を持たせて信者にすると言ってるようなものですよね。でもキリスト教は違います。進化論のこと、遺伝子、十字架についてのたくさんの予言、復活の証拠、正しい科学が昔から書いてある聖書、数多くの迫害に耐えてきた聖書、ありとあらゆるものでイエス様は僕達の罪の身代わりに死んでくださったんだなと分かります。それに神様はクリスチャンにはいろいろな奇跡を見せてくださいます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたし(イエス様)の名によってそれをあなたがたにお与えになります(ヨハネ16:23)。
僕もいろいろな奇跡を経験しました(またいつか載せます)。
イエス・キリストについて、思ったこと・感じたこと・質問したいこと、なんでもいいですから僕かjesus_is_aliveさんに聞いてください。何も分からないまま人生を終えてしまうなんて悲しい最後にはならないで欲しいから…。
『求める』 2001.10.10
僕達の信仰しているキリスト教は、信じれば天国に行き、そして信じなければ地獄に行ってしまうと教えています。それを聞いて誰でも疑問が出てくると思います。
例えば、生まれてすぐに死んでしまった子供や最近テレビでよく言われる虐待されて死んでしまった子供やテロが起こる前からアフガニスタンの内戦で飢えに苦しんでいる子供達はどうなるのかという疑問が出てくると思います。
ある人は「信じて死んだ人は天国に行って信じないで死んだ人はハデスに行き、そこで神の最後の審判があって天国に行くか地獄に行くか分かれる」と言います。つまり、信じなくて死んだ人も天国に行けるかもしれないということです。
その教理は正しいのか間違っているのかは分かりません。でもそれじゃあこの世に人として来られて、信じるすべての人のためのなだめの供え物である十字架の死が必要の無いもののように思うので、僕はその教理は間違っていると思います。
では信じないで死んだ子供達は地獄に行ったのかというとそうも言い切れないと思います。マルコ10.15に『子供のように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに、はいることはできません。』と書いてあります。これを直接読み取れば「子供のように」と言うことは子供は天国に行けるということになります。それでは何歳まで大丈夫なのかと言うとそれもわかりません。
ローマ3.10〜12に『それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。』と書いてあるとおり、罪を犯したことが無いという人はこの世に一人もいません。たった一つでも罪を犯せば自力では天国に行けません。だからイエスキリストを信じないで死んでしまった子供達が必ず天国に行けるという保証もありません。
というよりも僕達が、あの人は天国に行けるとか、あの人は天国に行けないとか決めることじたいがするべきではないと思います。ローマ10.6〜7『しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、誰が天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。また、だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。』と書いてあります。結局僕達罪を持った人間が何歳から何歳までは天国に行けるとかを決める権利はありません。
では、イエス様のことを何も知らないで死んだ人はどうなるんでしょうか。旧約のエレミヤ29.12〜13に『あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。』と書いてあります。新約のルカ11.9にも『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』と書いてあります。真実を求めれば、神様からその人に真実を与えてくださる。たとえキリスト教が伝わる前の日本でも、正しい情報がほとんど入ってこない現在のアフガニスタンの難民の方でも求めれば必ず神様が真理を与えてくださると僕は思います。