Ver−2.8.8                      名前は全て仮名です。

     仕事後記

       「こんな事もやりました!」

                                             松岡 修 

       

                         Part1
****************************  開発業務で  *****************************

 1975年入社早々の6月頃、後にフジテレビに行った大先輩の仲摩邦夫(明大卒)氏
が、突然私に、NTTの無線制御端末装置「TZ―1」を見せながらこれは真空管式だ
からトランジスタで作れと言った。それから約3ヶ月、大学の教科書「電子回路」など
参考に教科書通りにラインアンプなど作ったが、歪みが大きく正常な波形は再現されな
いし全く駄目。大学の教科書って何なんだ!…。その時から20年先輩の好奇心旺盛な
大法螺ながら実践・理論派の森田鉚一氏(慶大卒)と日本新聞協会・情報通信部会部会長
もした10年先輩のコツコツ・理論派の高岸氏(電通大卒)にアドバイスを受けながら、
ケースだけを流用して電源からラインアンプまで作って何とか使える制御端末を作った。
 当時「TZ―1」の新品を購入すると75万円だったので経費節減だと褒められた。
これがすべての物作りの始まりだった。その後、作ったもの全てを書いても印象が薄れ
るので、新聞界に少なからず影響を与えたもの、また特に印象に残っているものだけを
列記します。
                          文中の名前は仮名です。

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1)「アナログスイッチを使った無線交換装置の開発」(高岸 務/松岡 修)
  <新聞技術掲載> 

 昭和56年(1981年)、アナログスイッチという新しい電子ディバイスの実験(これ
だけで3ヶ月)、回線切替で使うTTL回路(AND,ORなど)の再勉強とスイッチ
素子として信号系の切替に本当に使えるのか?という素子の研究から始まり、交換装置
の開発が始まった。TTL制御回路、回線制御回路、基地局制御回路から端末制御器(子
電話機)の設計をした。そして設計が完了後、基板設計をして両面基板のエッチング、穴
明け、半田付け、基板間配線、コンソールとラック間配線まで自社で製作した。更にホ
ームパソコンPC8001にで「どこの部署がどの基地局を何時から何時まで」使った
かが直ぐ判るように「運用ログ表示」ソフトとインターフェースの開発もした。メーカ
ーに頼んだのは唯一コンソールの刻印だけで、すべて完全ホームメイド。 つまり回路
設計、基板作成、配線・組上げして装置化、メーカーならばそれぞれの担当技術者が何
人もかけてやることを高岸氏と2人だけでやったということである。回路設計ほか全て
の製作作業は通常業務が終わった24時以降で、ほとんどが徹夜の作業だった。今やれ
と言われてもできないことだ。
 こうして世界で初めて「アナログスイッチ」を信号線の制御素子として使った「完全
自社開発&製作」の『7つの無線基地局を制御する交換装置』が約1年半の大作業の上
完成した。当時、佐鳥電機や沖電気に見積もりを出させたところ最低で3,500万円
だった。毎日新聞や読売新聞は、同様の装置をそれ以上の導入価格でやらせていた…。
(平成12年11月の新ビル移転で廃棄したが、17年間使った装置だ)


⇒この時の疲労が原因で腎臓を壊し血尿(ホントに真っ赤な…)が始まった。昭和63
年潜水艦「なだしお」が遊漁船と衝突して30人以上が死亡する大事故で、船からの取
材、ヘリ取材と久しぶりに無線交信が飛び交う大取材の横須賀の現場で2日連続の徹夜
になった。3日目の夕刊最終版締め切り少し前に真っ赤な小便が…、「血尿が再発しま
した!」と交代要請、入社以来初めてだ。血尿は十年以上止まらなかった。2日連続の
徹夜をしなければ血尿は出ないことが判っただけの話ですが…。腎臓を悪くしてしまっ
たので、残ったのは疲れ易い体だけでした。


              <山根編集局長、西村製作両局長も出席してくださったお披露目パーティで>

            自社開発した無線交換装置      警視庁のラジオカーと交信する山根編集局長

                      
後列左から、松岡、比留間文化事業局文化事業部長、高岸、木村、西村製作局長、高宮製作局次長、海老原製版
部長、市園地方部長、前列左から、山根編集局長、山下KC庁キャップ(現日工社長)、福井社会部長(現情報大教
授)、森田機報担当次長、間山写真部次長 =旧サンケイビル4Fの編集局・機報・航空管理室で


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2)「総支局無線基地局・リモート接続装置の自社開発」(松岡 修)

昭和61年(1986年)、総支局に設置されている無線基地局を本社で遠隔制御するリ
モコン装置
を制作した。大地震・大災害などの非常時・緊急時に、本社の社会部など
の「デスク」がこの装置を使って、支局のラジオカーに乗った記者やハンディトーキ
ーを持った記者と直接コンタクトでき、取材支持を出すことができるようにした支局
無線基地局・遠隔制御システムだ。東海大地震が警戒される静岡支局や仙台、新潟、
長野、松本などの支局に設置した。長野支局のラジオカーを使って社会部長が支局の
記者と通話、さらにポラロイド写真を撮影してラジオカーからF9写真電送を実際に
やって、当時の新谷・静岡支局長、島崎・長野支局長、山根・編集局長、山下・社会
部長などはみな大感激していた。これも一人で作った完全ホームメイド装置。NTT
に端末制御装置として正式認可を受けるためにデータ仕様書などの書類を作成し相談
にいったが、未受理のまま、暗黙の了解(
口頭で使って結構です:時効)のもと使用した。
(今は回路図のみで装置はなし)


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3)「NEC・68T」改造カラー電送機の自社開発(松岡 修)

昭和63年(1988年)、ラッテンのカラーフィルタの研究から始まって、最終的には
シャ
ープで開発したビデオカメラのホワイトバランス用『RGB』受光素子を使った
『色フィルターを交換する必要が無い画期
的なもの』(=これもアイディア)だったが、
Y信号増幅のための微小信号アンプの自作が結果的にうまく出来ず、S/Nが悪かっ
たためあと一息のところで失敗に終わった。これも成功していれば新聞・通信社に数
千台の68T型・写真電送機を販売したNECは採用していただろう。
シャープの中央研究所に「受光素子」の無償提供をお願いしたり、高価なラッテンの
カラーフィルタを上司を説得して買ったが、結局、最高にぶざまな悔しい失敗に終わ
った。先輩の野口彰司氏がちょうど他のテーマをやっていて、タイミングが悪く、具
体的な低雑音・微小信号アンプ基板作りなどの協力を、残念ながら得られなかったの
は無念でならない。野口彰司氏だったら求めるアンプを間違えなく作り上げることが
できたと思う。これを機に一人だけでやる開発に限界を感じ、以降、2人以上のグル
ープ開発(3人寄ればモンジュの知恵)を基本原則にする考えが固まった。


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4)「松下・201S」改造カラー電送機の自社開発」(松岡 修)

昭和64年(1989年)、松下電送の201Sモノクロ電送機のカラー電送機への改造
は「ラッテン」の3色のカラーフィルタを手で交換する「フィルタ手動切替方式」で
完成した。本社で速報用に使っていた201S、201SPの内の3台を改造して、
実践に使用した。「ラッテン」のフィルタの選択と電送機内に収めるためRGB各ア
ンプの小型化には苦労した。完全ホームメイド。実際に紙面掲載されたカラー写真と
この201Sと201SPの改造機を見せて、機械屋さんじゃないのでできなかった
けれど、このカラーフィルタを機械的に自動切替すれば完成しますよと提案、松下電
送(株)は「カラーフィルタ自動切替アダプター」を製品化して販売した。


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5)「マック・オンライン写真入力システムの自社開発」(高岸 務/松岡 修)

平成2年(1990年)、日本の新聞各社に先駆けて「印画紙レス」を目指し、取材写真
のマッキントッシュコンピューターによるデジタル入力システムの構築に成功した。
河合氏が写真部長の時、「技術開発研究会」(河合、高岸、松岡の3人構成)を作っ
た結果の成果。
(ベースのオンライン入力システムは、現在も使われている)

「キャプションのラスタライズ化」、「コダックフィルムスキャナーの選択理由(フ
ィルムスキャナー・メーカー各社の細かいテストを半年がかりで実施)」などなど開
発の目的と工夫のポイントを明確化にすべきところを、不鮮明に「単純なただのオン
ライン入力」として、大阪のY氏が「PCから画像集配信システムへの取り込みの工
夫」として「新聞技術」に発表してしまったので、共同通信社などより先に導入した
にもかかわらず、他社に評価されることなく終わってしまった。東京本社は「モノク
ロ」&「カラー」を同時進行させようということで「夕刊グラフ」などで再三テスト
を行っている間に、「モノクロ」だけをスタートさせたり、自分だけ評価を受けよう
とした大阪本社の一人の人間の横暴のために、このシステムの工夫や成果などの正し
い情報が、キチンと新聞業界に伝わらず、評価されるべきものが評価されずに終わっ
た典型だ。

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6)NSK TIFF プラグインソフトの共同開発」(高岸 務/松岡 修)

  平成4年(1992年)、産経新聞社とサカタインクス(ゼロソフト)が共同開発した
JPEG圧縮画像などに画像情報を付加して「NSK TIFF」フォーマットに変換
する「フォトショップ」のプラグインソフトで、 共同開発したゼロソフトの担当者に
「RGB」「CMYK」「カラーマスキング」「UCR」などの基本的な説明から始ま
って毎日夜遅くまでレクチャーをしてソフトの開発を開始した。メーカーと一緒に大変
な思いをして開発したことは普通あまり表には現れない。
このソフトの開発は産経が最初に完成させたので、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日
経などの全国紙をはじめ、全スポーツ紙、共同通信社、時事通信社など日本のほとんど
全ての新聞社・通信社がこのプラグインソフトを購入して使っている。販売総数は百数
10本。(製品版として世に出たので、各社まだ使っている)

    
   プラグイン(送信情報)の画面    プラグイン(詳細情報)画面

上記のプラグインソフトの画面回りも「私が家で一所懸命デザインした画面」そのまま
です。朝日新聞社、読売新聞社、時事通信社や新聞協会で、このプラグインが開かれる
機会が多かったが、「あれ!これ僕が家でデザインした画面だ!」と叫んだ。実に気分
の良かった。この時期、同時に開発していた「C/Sサーバー」の構築などで多忙のた
め「新聞技術」に発表できずに終わってしまった。
平成5年度(1993年)『日本新聞協会・協会賞』を逃したね。というのは新聞協会の担
当者に「惜しいことをしましたね、汎用パソコンの汎用ソフトとしては初めてのケース
だったのに…」とかなり長い間言われた。ちょう平成5年は、新聞協会賞の候補になる
ような大きなシステムが無く、大きなシステム以外が受賞する良いチャンスだったとい
うことだった。我家は母子家庭の第2期。


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7)「ネガレス外電データベースの自社開発」(高岸 務/松岡 修)
   <新聞技術掲載>


 ★ 平成6年度(1994年)
  『日本新聞協会・報道通信技術賞』
を受賞

平成5年(1993年)、安価な汎用データベースソフト「グランミュゼ」を使い、AP
通信社やロイター通信社から配信された写真の実データを5インチの光磁気ディスク
「MO」に保存す
る簡易データベースを開発した。書誌情報と実データを別々に保存
するこの方式(アイディア)は、各社に簡易データベース開発の契機を作り、簡易デ
ータベースブームに・・・。大きなDBシステムの基本構成になった。
完全ホームメイド。
画像データベースは製作局で作りますと言われて2年、今は亡き製作局の畑山さんが
平成4年頃、「製作局では出来ないのでデータベースの件は頼みます」と私の所にお
願いに来たことを憶えている。
そして書誌情報と実データを別々に保存するこのアイディアが19年ぶりの日本新聞
協会・報道通信技術賞を受賞した。これが産経新聞社としての第1期・画像データベ
ースになった。1996年に完成した第2期・画像データベースは、サカタインクス
とこのデータベースを元にUnix・OSに移植、共同開発した。現在は松下電器・サカタ
インクスと共同開発して2000年に完成した高速全文検索エンジン「PanaSearch」
を使った第3期・産経画像データベースが運用されている。


        
  報道通信技術賞受賞        技術委員会賞受賞    技術委員会賞受賞を報じる産経新聞
「ネガレス画像データベース」        「ComMac」      「インターネットFTP/Webサーバー」
 を伝える産経新聞社内報     を伝える産経新聞社内報


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8)「パソコン電送機(=Com Mac )の自社開発」(松岡 修/菊本 和人)
   <新聞技術掲載>


 ★ 平成10年度(1998年)
  『日本新聞協会・技術委員会賞』
を受賞
  

 平成8年(1996年)Mac OSの「Apple Script」、「ハイパーカード」、通信ソフト
「Jterm」などの汎用ソフト、そして「NSK TIFFプラグインソフト」を統合的に制御
する
電送ソフト。新聞通信社で使うパソコン電送ソフトはニコンの「IT1000」
のみの時代に、メーカーに対する問題提起を含めて「スイッチひとつで簡単送信」を
キャッチフレーズに、マックでパソコン電送用統合ソフトを「ComMac」を作っ
た。
発表後、各社が自社開発電送ソフトを競い合って作り始めた。電送ソフトの自社開発
ブームになった。「パソコン電送機、携帯電話、衛星携帯電話」をハードケースにパ
ッケージ化して、事件が起きたら「デジタルカメラ」と「これ」さえ持っていけば、
速報取材を可能にした。ハードケースの色が黄色だったので“イエローボックス”と
いう名前で各社は呼び、現場では新聞各社の話題となった。


<背景>パソコン嫌いだった私を駆り立てたのが「マックOS」だった。Ufxを会社
使い始めてSCSI接続の障害やフリーズで悩まされながら「フォトショップ」を
使い始めたのはその頃だったか? 画像処理ソフトの「フォトショップ」も誰よりも
早くマスターした。次に目の前に見えたのがマック独自のソフト「アップルスクリプ
ト」と「ハイパーカード」だった。「えェ〜!」これだったら素人でも「ソフトが作
れる!」と私は飛びついた。「ComMac」は当然完全ホームブルー。

<反響>
「新聞技術」に掲載した「スイッチひとつで簡単送信」の基本コンセプトの問題提起
に対して、ニコン、NECなどが東京本社に見学に来た。その後、ニコンも改良版を
そしてサカタも「これでどうでしょうか?」と自社開発ソフトのβ版の評価と検証を
私のところに頼みに来た。

  
平成10年 日本新聞協会・技術委員会賞  これが「ComMac」画面!!   これがイエローボックスだ!

    
平成10年 新聞協会・技術委員会賞授与式  受賞を伝える     右から小林取締役、菊本、小生、高岸部長
委員長の産経新聞社・北井取締役から授与  産経新聞紙面   

<備考>
今までこの種(報道システム部ではあまり受賞したことが無いが)の表彰状は代表者
1名だけの名前を表記する社が多かった。私は一緒に仕事をした部員は当然表記して
貰いたいと新聞協会にお願いした。今はほとんど代表者表記から個人表記に変わった。
良いことだ!


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9)「産経インターネットサーバの開発」(松岡/高岸/高津)
   <新聞技術掲載>
 

 ★ 平成12年度(2000年)
  『日本新聞協会・技術委員会賞』
を受賞

平成10年(1998年)、インターネットを電送路に有効的に利用した第3世代の受信
システムと配信のシステムを構築。海外出張取材、海外支局の通信経費節約、通信速
度の改善、接続のための労力低減などで新聞界で「電送路にインターネットを!」が
ブームになる。
第2期・産経インターネットFTPサーバ。 高津は何をやったんだ?と先輩に叱ら
れた。第1期の配信サーバを手伝ってもらったんです。

          
  平成12年 日本新聞協会・技術委員会賞   新聞技術紙面      第一期インターネットサーバ

  
 平成12年 日本新聞協会・技術委員会賞の授賞式     住田専務(現社長)とお祝い会食
 委員長の読売新聞社・桜井取締役から授与


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10) 「PDA・CASSIOPEIA」の開発のアシスト (松岡 修)

 平成9年(1997年)、カシオが「カシオペア」というPDA(携帯情報端末)を作っており、画像
も送る機能を付加しようと考えているという話をカシオの営業マンから聞いた。 ならば新聞・通信社
の記者が簡単に「NSK TIFF」フォーマット画像や単純なJPEG画像を「Zmodem」で送稿できるよ
うな携帯端末にしたらどうかと提案して、法人向け(新聞・通信社向け)PDA・カシオペアを完成させ
た。カシオの担当者が売り込みの時、産経の松岡さんが・・・と名前を随分出したようで、地方紙を含
めた新聞社や通信社などが記者の海外出張用の送稿端末として数百台(1,000台製造)を導入し
たそうだ。産経は3台だけを導入したが、当然無償だった。考えてみればアイディア提供・協力費用
が\150,000×3で約45万円ということになりますか・・・。

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                      【 番外編 】 

 良いアイディアあっても実際に業務に使い実績を挙げ、業界紙に発表しなければ賞というものは
授ける権利がない。しかし社では事情があったりして採用されなくても、ホントは素晴らしい開発で
ある場合も間々ある。そのようなケースの場合も発表ができる”場”を「新聞技術」などに設けるよ
うに新聞協会に提言している。

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【番外1】
「写真報道局インターネット配信サーバ」の自社開発
 (松岡/高津

平成7年(1995年)マックPCをサーバにするソフトとルーターを使って「配信用の
インターネットサーバ」を構築した。「京都経済新聞社」に産経新聞社の掲載写真を
配信するのが目的だが、通信料の節減のためインターネット配信することを提案、マ
ックは中古を流用、ルーターはテスト使用ということでメーカ貸与(無償)、ソフト
の購入費約5万円だけでサーバを自社で構築した。これにより月額80万円の収入を
得ることとなった。
完全ホームメイド。第1期・産経インターネットサーバ。

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番外2】
「ひまわり画像自動カラーリング」ソフトの開発 (松岡 修)

 平成8年(1996年)共同通信社から配信される気象衛星モノクロ写真「ひまわり画
像」をMac OSの「Apple Script」を使って、自動的にカラーリング、産経・一面「ひ
まわり画像」作成
用に開発したソフト。 完全に完成していたので命名までしていた。
名前は「Actosin(アクトシン)」。 ライブとバックアップと2台のマックPCが必
要で、2セットで200万円の設備予算がOKにならずお流れ。これもほとんど自宅
のマックPCで再起動を繰り返しながら英語版スクリプで作った
完全ホームメイドソ
フト。

平成9年にほとんど同じスクリプトソフトを作った東京新聞社が発表「平成11年度
の技術委員会賞」を受賞した。お流れにならなかったら少なくとも1年前に発表でき
ていたのにとても残念だった。つまり「日本新聞協会・技術委員会賞」の3年連続受
賞を逃した。

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【お話1】
1980年後半頃から1999年頃まで、報道システム部(機報)では、まず各社
の先鞭を切って自社開発して写真をデジタル化してオンラインで集配信システムに入
力する@『マックオンライン入力システム』の構築をし、そして新聞協会の「NSK
TIFFフォーマット」の完成とともにA「NSK TIFFプラグインソフト」をサ
カタインクスと共同開発して公開し汎用化した。そしてB「パソコン電送ソフト」の
完全自社開発を行って新聞・通信界に電送ソフトの自社開発ブームを作ったのは間違
いない。またC「インターネット回線」を有効利用して速報業務への利用も各社は直
ぐに追随してきた。十年弱だか日本新聞協会での数々の発表の事実が証明するように
リーダーシップを取ったのは間違いが無い。

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【お話2】
その昔、代表取材の写真の配信は、当番の新聞社が印画紙に焼いて各新聞社にバイク
便で配信した。結構時間が掛かった。そして一時期、オンラインでやろうということに
なり毎日新聞社が提案した「電話会議サービス」を利用した同報通信による配信(一つ
の回線に産経、朝日、読売、日経、毎日、共同、時事などがどんどん接続していき、全
社がパラレルに接続される形で、送信担当社は各社の応答を聞きながら“ピッコロ”か
ら“白”そして“スタート”して送稿を開始した)が使われた。その後、東京写真記者
協会に乞われて、私が日本新聞協会に提出した「松岡方式」という配信の方法(代表取
材担当社が代表撮影の写真原稿を電送パソコンで、NSK TIFFのファイルフォーマットを
Zmodemを使って、共同通信社と時事通信社に配信、両通信社が加盟各社に配信する)で
運用、「共同フロント」に代わるまで使われた。私がベース案を提出、東京写真記者協
会のメンバー各社の承認を受けた方法で、新聞協会の通信部会で「松岡方式」と呼んで
実用化された同報配信方式だ。しかし私が全て一人で発案決定した訳ではないので「松岡
方式」という全ての議事録上の呼称を訂正してもらい、天皇・皇后両陛下がブラジルを訪
問した時に初めて採用したので、略して「天ブラ方式」と名付けた。

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【お話3】
”Com Mac”の開発をすでに終えた1997年2月頃だったか、友人の白鴎大・
藤森吉之・助教授や私の奥さんの前で、それまで週に何度も我が家に来て一緒に仕事を
していた菊本和人君に2人で作ったこの電送ソフト“Com Mac”で賞を取ろうや!
新聞協会賞は無理だけど、兎に角、賞を取ろう!と2人で宣言して新聞技術の原稿を書
き始めた。それから半年後、2人はプレスセンターの大会議場で日本新聞協会・技術委
員会賞・表彰式の会場で授賞式に臨み、委員長から表彰状をもらっていた。
 そして数ヵ月後、高津君に、我々がMacで完全自社開発したインターネット回線を
利用したWebサーバで賞を取ろうや!と、我々が自分たちで作ったサーバをベースに
メーカと共同開発、「インターネットFTP受信とWeb配信の2つの機能を持ったサ
ーバ」を作った。約1年後、やはり2人はプレスセンターの日本新聞協会・技術委員会
賞・表彰式会場で授賞式で賞を受けていた。そして名古屋浩之君に「今度は君の番だな、
何をやって賞を取るかネ?」と言ったまま大阪本社に転勤になってしまった。
部長賞や局長賞の獲得は勿論素晴らしいことだがいわば「内輪の賞」、同業の新聞各社
が認める「公の賞」の獲得を目指したいものだ。

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【お話4】
大阪本社に転勤して、平成13年5月22日、共同通信社の加盟社ブロック部長会議
の懇親会で「新聞技術に載った松岡部長の“パソコン電送機=
Com Mac ”の開発記事は
読みましたよく憶えています。だってその記事を見て秋吉部長(共同通信情報技術部長)
に“プロジェクトチームを作って
Windowsマシンのパソコン電送機を作れ!”って言われ
たんですよ。触発されましてね」と共同通信社の若手2名伊藤氏と○○氏が声を掛けてき
ました。確かに発表して新聞・通信各社に電送ソフトの自社開発ブームが起きました。
あの時は嬉しかったですね。中締めの挨拶もさせられましたが、私の影響を受けた同業
他社の中堅社員がいた中での挨拶は楽しかったですね。


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【お話5】
昔、機報は受信業務・速報取材などの日常の編集サポート業務が大変多かったために
「ながら族」でいろいろな仕事をしなければならなかった。つまり前記の時間に追われ
る日常業務の合間に「自己テーマの開発の仕事」をする。忙中閑で遊ぶこともしなかっ
た。プロ野球シーズンが終わって秋になると「勉強の季節(時間)」「開発の季節(時間)」
だった。プロ野球のナイターが終了し23時、24時を過ぎて「自己テーマである開発
の仕事」を集中してやりだす。徹夜作業も実に多かったな!“やるひと”と“やらない
ひと”の個人差はとても大きかった。 昭和50年代に何人かで話をしていて、例えば
本社が急に停電になった場合、外電のAPとロイターの写真を直接大阪本社で受信させ
るため、回線は既存の専用線を使ってバッテリーでバックアップしたアンプで中継させ
れば簡単にできます直ぐに作りましょうと提案して、その日のうちに徹夜で中継装置を
作ってしまったこともある。いつの時代もそうだ! 仕事を夢中になってやることの楽
しさは皆に経験して貰いたい、そして結果を出した時の喜びを知ってもらいたい。。
 会議で、本やインターネットで知り得た情報を、ただ単に、俺はこんな情報も知って
いるんだ、こんな最新情報知らないだろう、とお互いに言っているだけではだめ。会議
の前にメーカーのしかもIBMのSEに電話をして情報を聞いている。 会議の直前に
NTTの担当者に電話をして聞いている。そしてメーカーが話す前に同じことを話して
部長がいる。元々メーカーの考えだから全く意味の無い発言だ。
 ひとつのシステムは、メーカーが工学部出身のその道のプロを使って時間を掛けて練
りに練って作ったもの。システム構成から電源回路の細かい設計まで、それぞれ採用に
際してはいろいろある中で長所短所など議論、トータル、検討をして最終的な決定する。
これに対して我々は、メーカーには他にも方式がある中で、何でこの方式を採用したの
か考えを教えてもらいたいといった疑問を基本的に投げ掛けて追求する。また産経とし
ては、こんなシステム構成が考えられるがこんなシステム構成はどうだろうかといった
「システムのアイディア」の提案や運用者が運用し易くなるような、こんな「運用上の
アイディア」が採用できるか?といったアイディア主体の提案にすべき。運用をより深
く知るべし。現場を全く知らない人間がシステムを作っても駄目だ。それではメーカー
が一方的に作る机上のシステムと同じ。

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【お話6】
◎新聞技術への発表記事もメーカーの仕様書をそのまま写しても意味が無い。現場の人
たちが、実際、何に困っているかを把握していないと、賛同を得られる的を得た賞を取
れるような記事にならない。現場はこれに困っていて、これをこう解決したというのを
明確に書かないと賞を取れるような記事にはならない。これから「画像最適化システム」
が開発されるだろうが、どの新聞社の現場の人たちも使うに使って熟知している画像処
理ソフト・PhotoShopの「自動レベル調整」(トーンカーブの自動設定)の処理結果とどの
程度違うのか、比較サンプル例やヒット率(これが全てではないが…)を的確に出さな
いと恥を掻くだけだ。画像処理は100%が方程式に当てはまらない難しい問題だ。恥
を掻くだけで終わらないことを祈るだけだ。

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【お話7】
◎2000年問題や新ビル移転は、画像集配信システム、画像データベースそして各種
関連の端末類の移設は全て無難に何事も無く終了したが、当然、管理職は徹夜の連続で
人数が少ないだけに大島、鬼頭両君ともに苦労した。私はこの時に『不整脈』を発症、
慈恵医大、東京医科歯科大とも原因不明、慈恵医大では「期外収縮」だろうとの診断で
大丈夫との話だったが、自覚症状がなければどうということはないが、脈が少なくなっ
て、このまま止まってしまうのではないか?という恐怖心、そして抹消まで血液が行か
なくなり手先・足先が冷たくなるのは恐ろしい。脈が速くなるのも怖い。昭和62年に
次男を心臓病で亡くし、叔母も心臓弁膜症で亡くなった。心臓が悪い家系のようで…。
北井とかいう常務さんに「自己管理が悪いんだ!」って言われても…。心の中で「ふざ
けんなよ!」としか反論できない。


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今、思い返して憶えているのは、こんなところでしょうか。
もっといっぱいやった気がするのですが…、
いやもっといっぱいやっています。
思い出したらまた書きましょう。

名前は全て仮名です。


平成14年8月8日
                                               文責・松岡 修