エターナリー湘南
V−2010.4.5
大正、昭和の時代に
撮影された我家の昔の写真
我家にある一番古い写真がこれだ!
板部家の人びとで、大正5年生まれの母が祖母のひざの上にちょこんと
座っている。サングラスを掛けているのが祖父・板部忠兵衛でおそらく
大正6年頃、福岡県甘木で撮影されたもの思われる。
この20数年後、国の命令で今の北朝鮮の威興(かんこう)に移り住み、
「果樹園」や「印刷工場」を経営していたが、終戦後、無一文で引き揚
げてきた。大事な長男・暹と妹・郁子を連れて帰国するのが精一杯で、
その時、お金よりも大切にアルバムから剥がして持ってきたのがこれら
の写真だと聞いている。引き揚げの途中、田んぼの水を飲んだこと(正
露丸を必ず一緒に飲んだそうだ)、長男・暹が喉が渇いて海の水をどう
しても飲みたいというので飲ませたが、2度と飲むと言わなかったこと
など母から聞いたことがある。
国の命令で祖父・板部忠兵衛は住んでいた故郷・甘木を出て行ったのに、
国は何もしてくれないと母は嘆いていた。現在の換算で何十億もの財産
を残したまま引き揚げて来たのだから悔しいのは十分に解る話だ。
沖縄の浦添で戦死した母の弟・忠人が通っていた福岡高校の授業風景や
ストーブの周りでシェークスピアを語り合う風景や、放課後、屋台でお
でんを食す姿が撮影されている。戦死する6年前の昭和14年頃だ。
昭和37年頃、自宅前の浜須賀海岸で
遊ぶ右から従兄弟の忠文さん、隆、修。
写真左の波打ち際から右の国道134
号線までの距離がかなりある。やはり
プレートが沈み込んでいるのかな?
昭和35年頃、庭に造られた池。
中央部の深さは1,2mほどあり、
鯉は黄金や金冑や40cm近い真鯉が
たくさんいた。池の淵を叩くと寄
って来て、指をチュパチュパ吸う
のが面白かった。私は足を滑らせ
て一度溺れたことがある。
昭和28年に父が建てた前の家の
6畳の和室。右奥が玄関、正面に
茶釜が置いてあるが、前の家には
茶室があった。手前に6畳の広縁
右には4畳半の和室があった。
昭和30年頃、川崎駅と思われる。
右から南武線、横須賀線、東海道線
のようだ。
昭和30年頃の京浜急行・鎌田駅の駅前ターミナルと思われる
昭和33年頃と思われる
県立公園・蔵王温泉
昭和41年頃の舗装されていない
自宅前の道路。この後、マンホ
ールが埋設、水洗化された。
昭和35年頃、ご近所総出で
逗子に雲丹取りに行った。
昭和34年頃、自宅の庭で。右上に水を貯めたドラム缶
が写っている。当時、水道は無く、手動のポンプで揚げ
ていた。その後モーターで揚げるようになった。
昭和46年、青森までサイクリングした時、
自宅を出発する時と一ノ関の銭湯の前。
3億円事件があった年、
CB250を真っ白に塗って
昭和52年、アマチュア
無線の機器類と愛猫
昭和46年、庭に置かれた
サーフボードと愛猫たち
昭和52年、二階の茶室を占拠したオーディオセット、ソニーのアンプと
チューナー、ダイレクトドライブのプレーヤー、松下のダイレクトドライ
ブのカセットデッキ、スピーカーはJBLのスタジオマスター4311を
真似て自作した3Wayで、総額50万円は超えていた。
最初に購入した日産・レパード。トヨタのソアラと比較してドアの大きさが
5cm大きかったので選んだ。