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善隣の輪を広げます。

宮島家Miyajima family

明治から昭和の時代、日中親善の魁けとなった宮島誠一郎、宮島大八(詠士)という親子がいた。
米沢生れ。宮島誠一郎は戊辰戦争に際して戦争回避に向けて奔走した。
後に「興亜会」を設立した。
その次男大八は中国に渡り書法家張廉卿に師事。
帰国後中国語塾善隣書院を開き、院長として日中親善のために尽くした。
宮島誠一郎の資料は、早稲田大学と国立国会図書館に所蔵されている。
その資料により、戊辰戦争について、あるいは憲政史の研究などさまざまな角度からの研究に役立っている。


宮島吉利
宮島誠一郎

宮島大八(詠士)

宮島吉利(1806-1880)

1806年(文化3年)
    米沢藩士。五十騎組に属する中級武士の子として誕生。
1810年(文化7年)
    米沢藩は、様々な改革が進み、財政困難の最悪から脱した頃です。
    2月父吉弥逝去
    9月家督を相続(4歳)
    米沢藩の藩主は、九代藩主上杉鷹山でした。
1843年(天保14年)
    書に秀で、藩の祐筆(役職)につく。37歳。
    江戸詰と国元米沢でほぼ1年ごと勤めている。
1863年(文久3年)
    12代藩主上杉齊憲に従って、上洛した。
    詳細な日記を残している。
1880年(明治22年)
    12月に死去した。
    誠一郎四三歳。詠士一四歳。

宮島誠一郎(1838-1911)

1838年(天保9年)
    7月米沢藩士宮島吉利の長男として誕生。
    誠一郎は、
    四歳で唐詩を暗唱
    十歳の時から藩校輿譲館に入り四書五経、史記や漢書等を学ぶ。
    十四歳の時、藩主上杉斉憲の前で史記を読んだという秀才である。
1863年(文久3年)
    藩主上杉斉憲に従って、父吉利と京都に赴任。
    情報収集と諸藩との交渉に当たり、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、
    会津戦争ついて『戊辰日記』に記録している。
1867年(慶応3年)
    1月、長男元次郎が亡くなる。
    3月、自身が興譲館走詰勤学生となつた。(三十歳)
    10月、父吉利が隠居して誠一郎は家督を相続。
     同月、大八(詠士)が誕生。
    明治になり、誠一郎は新政府に仕えた。
1872年(明治5年)
    清国の官僚との交渉もおこなった。
    特に初代駐日清国公使何如璋第二代公使黎庶昌など
    の清国官僚と筆談で外交や文化を論じた記録を残している。
    漢詩にも巧みで、『養浩堂詩鈔』が有る。
    誠一郎は日本と清国との提携を説いた。
    息子の大八に中国語を習わせ、清国に留学させた。
1879年(明治12年)
    内務卿大久保利通と清国公債何如埠との発案によって、
    東亜振興を目的に「振亜会」(翌年「興亜会」と改称)を設立し、
    中心人物として運営にあたった。
    興亜会「興亜学校」で、中国語を息子詠士を学ばせる。
1882年(明治15年)
    興亜学校は、東京外語学校に吸収統合された。
    その精神は後に詠士が設立した「善隣書院」に引き継がれた。
1896年(明治29年)
    左院・修史館・参事院・宮内省に奉職
1896年(明治29年)
     貴族院議員に勅撰された。
     左院少議官時代に、薩摩出身の伊地知正治の下にあって、
    「国憲を立つるの議」(立国憲議)を作成、憲法制定を説いた。
    日本の民主政治の先駆をなすものである。
1911年(明治44年)
    逝去享年73歳

宮島大八(詠士)(1867-1943)

 
1867年(慶応3年)
     山形県米沢市で、米沢藩士宮島誠一郎(30歳)の次男として誕生。
 1868年(慶応4年)
     明治元年に改元。
 1871年(明治4年)
     父誠一郎とともに上京。
 1877年(明治10年)
     勝海舟の門下生となる。
     清国公使何如璋の部下黃遵憲に中国語の指導を受ける。
 1884年(明治17年)
     東京外国語学校中国語科卒業。
 1887年(明治20年)
     清国に留学
     誠一郎の紹介で、直隶省(河北省)保定府にある蓮池書院に行き、
     張廉卿(1823-1894)の下に弟子入りした。
 1894年(明治27年)
     2月師張廉卿逝去
     7月日清戦争勃発の為、帰国。
 1895年(明治28年)
     東京帝国大学文学部講師。
     自宅に詠帰舎(中国語学校善隣書院の前身)設立。
 1898年(明治31年)学舎を平河天神脇に移して「善隣書院」と改称。
 1900年(明治33年)
     東京外語大学講師。
 1904年(明治37年)
     中国語教科書「急就篇」刊行。
     (戦前の中国語教育に大きな影響を与えた。)
 1906年(明治39年)
     紀尾井町に善隣書院新校舎を建設。
 1914年(大正3年)
     橋本綱常碑揮毫(戦災により破壊さる)
 1917年(大正6年)
     佐藤氏念祖揮毫(香川県屋島)
 1936年(昭和11年)
     犬養公之碑揮毫(岡山県庭瀬)
 1937年(昭和12年)
     堕涙の碑揮毫(新潟県寺泊)
 1940年(昭和15年)
     文部大臣表彰を受ける。
 1943年(昭和18年)
     逝去享年77歳

宮島貞亮(1895-1974)
 
 1895年(明治28年)
     誕生
 1922年(大正6年)
     慶応義塾大学文学部史学科卒業
 1926年(昭和元年)
     慶応義塾大学 予科教授
     慶応義塾大学 文学部講師
     慶応義塾大学 法学部講師他
 1943年(昭和18年)
     善隣書院 院長
 1974年(昭和49年)
     逝去享年79歳
     (叙勲)従6位 

宮島吉亮(1835-   )
 
 
1935年(昭和10年)
     誕生
 1958年(昭和33年)
     慶応義塾大学文学部仏文科卒業
 1975年(昭和50年)
     善隣書院 院長
 1977年(昭和52年)
     南京大学にて、中国語海外授業の実施
 1984年(昭和59年)
     北京、中国美術館に於いて、「張裕釗・宮島詠士師弟書法展」開催


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