左の漢文は、「常陸國風土記」原文の一部です。多賀郡の事を最初に記載した文献だと思います。今の「多賀」の文字は「多珂」と成っていますが、多賀郡の源流をチョットだけ訪ねてみました。 JIC会員のTKOさんがMSワードで書いて下さいました。 このホームページ名に「多賀郡」を使いましたので、敢えて、掲載します。

出典:

高萩市図書館の茨城県史料 古代(茨城県発行)



常陸國風土記の
歴史的背景:

歴史の年表によると713年に撰上の詔が出たと有りますので 、この頃作成と思われます。作者は不明。前後して古事記や日本書紀が創られています。








面白い内容 :  解釈ミスはご勘弁下さいね

・現在のいわき市当たりも多賀郡であったようですが、地理的に統治が大変なので、石城郡と 多賀郡に分けた。
・山には鹿が群をなし、海の幸も豊富だった。
・太平洋に面する石壁に観世音菩薩像が彫刻されており仏浜と云った。(現在の何処か?)
・伊師浜−碁石が浦(濱碁と称したらしい)の石は、珠玉のような色で碁子のようだ。