た か は ぎ 市 の 案 内


十王町の隣り街” 高萩市 ”を簡単に紹介 します

〇高萩市の地理 〇市の歴史 〇名所・旧跡など


 高萩市の地理
   東は太平洋に面し、西は阿武隈山脈が連なり、海や山の自然景観は茨城県の自然公園に指定 されています。
  また、北部は北茨城市と福島県塙町に接し、南部は十王町、西部は里美村に接しており、市の総面積 は大子町
  つくば市に次ぐ広さで、県全体の3.2%を占めています。
  東京からの道程は、約150kmで常磐自動車道、又はJR常磐線を利用して約2時間の距離に位置 しています。

 市の歴史
   6000年前の遺跡 「小場遺跡」 が発掘されて縄文時代の人の生活が営まれていた、また 1200年前に編纂
  された万葉集の中にも 「手綱浜の歌」 が詠まれ、多珂国の行政機関が置かれるなど長い歴史の あるまちです。
  明治以降は、郡役所・税務署・営林署などが設置され多賀郡の中心地であった。また、明治30年 ころより石炭産
  業のまちとして経済の発展をみせた。
  昭和29年には、高萩町・松岡町・高岡村が合併して高萩市が誕生した。その後、昭和30年代の 中頃からエネル
  ギー革命が進み、基幹産業であった石炭産業が次第に衰退して、昭和42年に石炭産業のまちと しての歴史を
  閉じた。市の人口は、現在ほぼ3万5千人で推移している。

  市の主なできごと ここをクリックして下さい。

 名所・旧跡

万葉の道

・719年ころ万葉集高橋虫麻呂歌集に載っている「手綱浜の歌」が詠まれる
  「遠妻し高にありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし」
・高戸海岸の崖の上に遊歩道があり、昭和55年に整備されて「万葉の道」となった

松岡城址と
  旧城下町

・松岡中学校北側にある竜子山が、戦国時代の山城があったところで、1420年に
 大塚信濃守が城主となり、その子孫が170年にわたり続いた
・江戸時代1602年に戸沢政盛が城主となり、4年後に竜子山城を修築、さらに平城
 を築城し、あわせて松岡城と改称した。城普請と同時に城下町も建設された
 城跡は、今の松岡小学校や中学校、幼稚園などがある所
 松岡3万3千石を拝領し、領地は「南は日立市成沢、北は勿来の関」迄であった
・1646年には、水戸藩の附家老中山信正が城主となり、明治維新まで続く
・関根橋から松岡小学校までの大通りの両側には、武家屋敷が並んでいた。門や塀
 が改装されて、今も城下町の雰囲気を作り出している

松岩寺の山桜

・松岩寺は、1607年下君田に開山された
・門前の山桜は、推定樹齢300年で根回り5.7m、高さ25m

穂積家住宅

・穂積家住宅は1789年上手綱に建てられ、当時の豪農の生活がわかる貴重な建物
・主屋は約120坪の寄棟作り萱葺で、梁材は太さ6,70cmの松材を使っている
・他に土蔵、衣装蔵、長屋門(塀を含む)がある
・建物は、県指定文化財で一般に無料で公開している

長久保赤水旧家

・赤水は1717年に赤浜村の庄屋(農家)の子として生れた
・1767年「改正日本扶桑分里図」を作製し地理学者としての名声を高め、1777年には
 水戸藩主徳川治保の侍講となった(一農民から侍講となったのは赤水が初めて)
・1780年「改正日本興地路程全図」を出版した

花貫渓谷・土岳山

・花貫渓谷の自然林は、エドヒガン桜など貴重な植物が生育し、市の天然記念物
 に指定されている。また花貫渓谷・土岳山は県立自然公園にもなっていて、春の
 新緑・秋の紅葉が楽しめます
・土岳山は、花貫渓谷の小滝沢キャンプ場の南側に位置し、標高600mの気軽な
 ハイキングコースです、詳しくはJICのホームページ「レジャー」に載っています

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