第3回 絵心のない神明社、およびデジタルお絵かきの可能性
![]()
どうも〜、Leijiです。
僕のなかではデジタルお絵かきがブームです。
前回の「神明社」の本をご覧になった方(ありがとうございます〜っ!)はおわかりでしょうが、
僕は絵がダメダメ君なんですね。そこらへんの事情は松本裕太も似たようなもんで、
いつもこの「絵」というところで悩んでいます。
というのも、僕らのような「SS専門サークル」の人間にとっては、
中に適当でもいいから目を通してくれる、それが最大の目標なんです。
美術的な要因で集客力を持つ(よーするに、良い絵描きさんがいるということです)サークルさんなら
表紙と挿絵だけで「買う」か「買わない」かをお客さんに選んでもらえるわけで。
(もちろん、それだけいい絵を載せられる実力のある絵描きさんを抱えるサークルなら、
それだけ作品全体にきっちり手を掛けている可能性が高く
内容的にもそれなり以上のモノを持っていることがほとんどなのですが)
このときに「字ばかり」の本しか配布物がないと、
買う人の側でも内容を吟味する時間が必要になってしまいます。
で、そんな時間をあなたは「見たことも聞いたこともない露骨に弱小なサークル」の
本のために割くことができますか?
即売会って、結構忙しいですよね。買う側は。
いつも回るサークルが固定されてる人はともかくとして、
普通のおたく戦士(笑)なら、いつもの定番サークルの新刊を買い集めた後は
まだ自分が見たこともないサークルのスペースを回り、
「ダイヤの原石」探しにいそしむ…のが正しい即売会の過ごし方でしょう。
そうなるとやっぱり字ばかりの本は後回しなんだわ、これが。
時間かかるし、疲れるし。
僕だってめったにやらんもん、実際。
「こみパ」の彩ちゃんのサークル、「Jamming Book Store」の状況に
似ている…と言えなくもありません。
(余談ですけど、純粋な美術的技量ではゲーム中の登場人物中明らかに上位クラスであろう
彩ちゃんのサークルに読者がいないというのは、個人的にやや割り切れないものがありますが。
特に「萌え絵」をあまり必要としない分野の典型、
ミリタリー系にも手を染めているという描写があるので。
女性の参加が珍しい世界ですから、こんな可愛い娘が本格ミリタリー描けば売れますよ〜?
もちろん僕も並びますね。ええ、もちろん)
実際、前回の「寺女祭」でも、
はじめの三十分はだれもスペースに足を止めてくれる人がいなかったんですよね。
「中を見るだけ」は予想のうちなので別に気にしませんが
手にもとってくれないというのはさすがに焦ります。
これまた「こみパ」の詠美の初こみパを思い出したりしてビクビクものだったのですが。
しかし風向きはすぐに変わるもの。
そもそも季節的に大きな即売会の連発の直後で、
「寺女祭」に本格的な新刊を投入できたサークルが少ないという天運に助けられ
お昼すぎからは次々と足を止めてくださる方々に恵まれました。
でも、これって「運がよかった」というのに尽きますよね。
コンスタントに一般参加者の方が本を手に取ってくれるような、そんな状況が僕らの望みですから。
実際、読まれないのに比べたら立ち読みのほうが
まだずっと嬉しいですね。それでたとえお買い上げいただけなかったとしても、
少なくとも評価の機会をいただけたわけですから、
いつかは「気に入った」と言ってもらえる可能性が生まれるわけですし。
もちろん買ってくださった方への嬉しさはそれ以上、
はっきり言って、表現する言葉さえもみつかりません。
そんな機会をすこしでも増やしたい。
そのために、サークルとして絵の技能を手に入れなければ!!
まあ、そんなこんなで僕は絵を描きたいと思い立ったわけです。
長い長い前ふりでしたね。
思えば絵を描くのは高校のとき以来です。
だいたい僕は、昔から「下絵はそれなりに気に入っていても色を塗って幻滅」というのが
美術の時間にはやたら多かったものです。
自分のアタマのなかの画像を紙の上に再現するのが絵だとすると、
鉛筆で再現率65パーセント、筆で3パーセントの再現といった感じでしょうか。
ちょっと考えれば分かることかもしれませんが、
絵の具で色をつけるという行為はいくつものアナログ作業の集合です。
まず、「適当に」色を混ぜます。
そして「適当に」水で絵の具を溶きます。
さらに「適当に」筆に絵の具を含ませ、
そして「適当に」強さや速度を調整しながら、筆で絵の具を紙に塗りつけていくわけです。
これらすべての行為は、やり直しのきかない一発勝負。
しかもその結果はが、常にアタマのなかでシミュレートされた完成形をなぞるように
行わなくてはいけません。
元来いいかげんな僕に、そんなことができるはずもありません。
これだけ「適当」が重なれば、そりゃ最終的な成果は「制御不能」になりますって。
しかし、時代は変わりました!
今の僕には「パソコン」という、デジタル世界の使者がついているのです!
デジタルだということは、どういうことか。
簡単に言えば、上であげられている「適当に」の部分のすべてにおいて、
実際に作業にかかる前に予想結果を見ることができるようになります。
そして、その結果が気に入らなければやり直せるようになります。
もう、
「パレットの上でいい感じだと思った色が実際は周囲と調和しない」とか
「塗ってみたら絵の具が水っぽくて困る」とか
はたまた「使った色がまわりにはみ出て修正不可能」とか、
そんなうっとうしい世界とは(かなり、それなりに)オサラバです!
なんていうのか、失敗することを怖く思う必要がないというのが
これほど「絵を描く」ということに対する印象を変えるとは思いませんでした。
できた絵は、相変わらずヘボなんですけど
「ここも失敗した、ここもダメ」と思って描いた絵と
「ここはやり方わからないけどこっちは自分なりにがんばった」と思える絵とは
なんだか自分自身でも印象違いますね。
そして、普段見過ごしがちなゲームの絵も、
グラフィックソフトで拡大してみるといろんなことがわかります。
とくに、今よりやや昔のゲーム。具体的に言うと「雫」「痕」とか。
PC−98時代のタイル絵技術の精髄、ここに極まるといった感アリです。
江戸時代の多色刷り木版画技術は現代のそれをはるかにしのぎ
もはや再現不可能という話を聞きますが、それに近いものがあるんじゃないか?
とさえ思えます。
とくに「雫」「痕」は、絵的にはほぼ98版のベタ移植とのこと。
Leaf史上もっとも美しいと言われる一枚絵「月光の中、裸身をさらす千鶴」も、
あれが十六色しか色を使っていないというのが何度見ても驚きです。
もっとも、日本の美術史ではやはり黙殺されていく素材なんでしょうけど。
江戸時代の浮世絵にしたって、日本の美術界はその価値を
自力で見つけることはついに出来ずじまいでした。
そのくせ外国で価値が認められていることを知るや、
「芸術作品」なんて扱いをしようというのですからナサケナイ。
今の「萌え絵」にしたって、そのデフォルメの思想は
平安時代の「引目鉤鼻」とまったく変わりません。
それどころか「源氏物語」も「枕草子」も、
おそらく世界初の同人誌であるはずです!(笑)
(というのは、印刷術の発明までは出版物というものは
基本的に国家かそれに比する権力機構くらいしか作りえない
高価なものだったのです。民衆の物語は、基本的に口伝が基本だった時代です。
個人が自分の物語をつむぎ、それを待ちわびる一定数の読者がいて、
その関係が私人と私人であるということがこの場合の「同人誌」の定義ですが)
そういえばコミケも、もともとは女性が中心のイベントだったことも
この「源氏物語=世界初の同人誌」説の傍証になるような気もします。
でも、こういう伝統は、
多分いまの保守派の人の考える「日本の伝統」のなかには入れてもらえないんでしょうね。
少々話がそれましたが、
こういうデジタル絵という新しい絵の描き方は、これまでの「失敗できない絵画」のせいで
「僕、絵ダメだし」とか思っている方々に、もう一度絵心を、
ガキンチョのころの、画用紙におもいっきりクレヨンを塗りつけた、あの感覚を呼び戻す力になれるのでは?と、
そういうことを僕は言いたいのです。
少なくとも僕はそうでした。
スケッチブックと鉛筆を持って、どこかに写生に行きたいなんて思うのはもう七年ぶりですから…。
![]()