第9回   鳥取県西部地震

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 こういう名前になったようです。
 
 2000年10月6日午後1時30分。
 最大震度6強。マグニチュード7.3。震度の深さは10km。
 阪神大震災とほぼ同クラスと言って良いでしょう。

 これを書いている松本裕太は、鳥取県鳥取市に住んでいます。
 高校までの18年間は、震源地の日野町とならんで震度6強を記録した境港市に住んでいました。

 
 午後1時30分。職場で大きな揺れを感じました。建物全体が騒然となりました。隣の席の女性が泣きそうな顔をしてこちらを見ます。
 自分は阪神大震災のときに境港市で震度4を体験しました。当時と同じぐらいの揺れだな…と思いました。
 阪神大震災では1分半ほど揺れが続きましたが、今回は30秒ほどでした。体感時間なので誤差は大きいと思いますが。
 
 職場の被害はゼロ。物が落ちることすらありませんでした。
 電気も無事です。

 揺れが完全に収まってから数十秒。誰かが思い立って、職場の小さなテレビに電源が入ります。
 今回の地震では、第一報のニュース速報が早かったように思います。
 
 今日一番ショックを受けたのはこのときでした。
 
 「震度6強」

 その文字が、鳥取県の形を獣とすると、その「しっぽ」として突き出た半島の上に乗っています。
 

 不謹慎な話かもしれませんが、頭に浮かんだのは阪神大震災の映像でした。
 立ちのぼる煙。押し潰された家。亀裂の入った道路。


 それらがすべて、自分の見慣れた光景に翻訳されて脳の中に映ります。
 この町には親や友人が住んでいます。


 テレビはすぐに特別番組となり、松江市や米子市の映像が流れます。揺れは鳥取市と同じレベルのように見えました。
 ただ、これらの地域はいずれも震度4から5でした。
 境港市には放送局がなく、そのため映像は流れません。
 境港市がある弓ヶ浜半島は日野川が形成した砂の塊で、地盤が軟弱です。
 そもそも地震に弱く、また山がないため津波が来ればひとたまりもありません。

 職場の電話を私用に使い、実家に電話を掛けます。どういう理由か通じません。
 携帯電話。当然繋がりません。

 もう一度テレビを見ても、状況は不明。

 職場の電話を掛け直します。聞こえてきたのは電話の呼び出し音。
 電話の音は嫌いなのですが、このときだけは救われました。
 家庭の電話が無事で、さらに電話回線も生きている。壊滅的な被害は避けられたことが分かります。
 両親とも仕事に出かけていて留守でしたが、今はこれで安心するしかありません。

 
 1時間ほど経ってからでしょうか。ヘリコプターから見た境港市の映像が流されます。
 火事の様子はありません。ただ建物の破損具合までは分からず、まだ不安が残ります。

 
 次第に被害の全容が明らかになってきます。
 テレビからは断片的な情報が流れ出しました。停電、断水、ガス漏れ、電話不通。
 ただしどれも比較的小規模なものです。
 自然災害では、時間が経つにつれて被害が明らかになっていきます。阪神大震災でも、ほぼ半日経つまで被害の規模は伝わりませんでした。
 
 
 ちなみに、地震後30分ほどして、電話は極端に繋がりにくくなりました。
 この頃から、安否確認の電話が殺到し始めたようです。
 
 緊急の電話が繋がらなくなるので電話を控える。
 分かっていても実行は難しいものです。
 反省はしますが、もう一度地震があったらまた無責任に電話を掛けてしまうかもしれません。


 被害の状況が報道され続けていますが、人命に関わるものはありません。
 不幸中の幸い。
 この言葉が見事に当てはまります。
 
 
 後になってからわかったことですが、もっと大きな人的被害が出る可能性は十分ありました。
 鉄道のトンネルは崩落。道路は陥没もしくは隆起。土砂崩れ。落石。
 少なくとも今の時点(10月6日午後11時)で死者が報告されていないのは、幸運以外の何物でもありません。


 鳥取県内の鉄道は不通が多いようです。自分が高校の通学に使っていた境線も、止まったまま。
 避難されている方は多く、ライフラインの完全復旧も先の話です。
 境港の岸壁には大きな亀裂があります。
 実家から数百メートルの距離にある中浦水門は、普段は橋として使われていますが、復旧のめどすら立ちません。
 埋立地は液状化に襲われました。
 

 この全てが、生まれ育った土地で起こりました。
 まだどこか信じられないでいます。




 地震の周辺にいた人間の感想でした。

 

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