第15回    無題

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 お久しぶりです・・・という言葉すら恥ずかしくなるくらい久々のこのコーナー、そして気がつけば更新のネタを松本氏に頼りっきりにするようになってからもどれだけの月日が経ったことやら。最近すっかり影が消えつつあるLeijiです。

 実は僕、去年の12月から実家のある愛媛に移っております。日の出と共に起き、日付の変わるころに眠りにつくというある意味健康的な生活を強制される毎日を送っておりまして、まさに「もとの濁りの田沼恋しき」状態。将来のこと、独立をいかに果たすかということ、いろいろ考えながら働き学ぶ日々です。
 いま僕がやっているのは交通警備員の仕事。工事現場や休日のショッピングセンターの駐車場出口などで、赤白の旗を持って何やらやっている、アレです。朝は7時過ぎに事務所に出勤、現場が終わる五時に伝票を切ってもらい、事務所を経由して帰宅。車がくれば赤で止め白で進ませる、自転車には「気を付けてお通りください」と一声かけ、歩行者には安全な通路を誘導する、たまに来る短気な方には現場の方になりかわって怒られ役になり、ときには現場監督からも怒られ、・・・まあ、そんな毎日なのです。
 いま僕が担当している現場は郊外の田園地帯で、住宅と田畑、そして近所に小学校といったのどかな場所。車も人通りも少ないときには、そうした風景をゆっくり眺めていたりもしています。雀に烏、メジロといった野鳥もちらほら見え、その背景で旅客機が離陸していく(空港滑走路が近いのです)という図を、地上から眺めているわけですな。天気次第できつさがまるっきり変わる仕事であることもあわせて考えると、僕の人生でもっとも空を眺めている時間が多い時期が今なのかもしれません。

 空を鳥を眺め、そこに現状からの脱出への想いを寄せるのは、どうやら人間一般の性のようです。いにしえの詩歌から今のミュージックシーンまで、「つばさ」という言葉にはどうしてもそういう意味合いが切り離せないようです。
 僕と同じくらいの年代のひとだったら、小学校で「翼をください」という歌を教わった記憶があるかと思われます。もう一回り上の年代の方だったら、この歌が世に広まりだしたときのことも覚えていらっしゃるかもしれません。もちろん数年前のリメイクのことを思い出していただいても一向に構いませんが。

 いま私の願い事が 
 かなうならば 翼が欲しい
 この背中に 鳥のように
 白い翼 つけてください
 この大空に 翼を広げ
 飛んでゆきたいよ
 悲しみのない 自由な空へ
 翼はためかせ 行きたい

 いま富とか名誉ならば
 いらないけど 翼が欲しい
 子供のとき 夢みたこと
 今も同じ 夢に見ている
 この大空に 翼を広げ
 飛んでゆきたいよ
 悲しみのない 自由な空へ
 翼はためかせ 行きたい

 自分も小学校の音楽の時間では、この曲を歌うのが好きだったクチです。サビ直前あたりから一気に力を増していくピアノの伴奏に、飛行機の離陸の時の力感を内心重ねあわせていたことを思い出します。
 仕事が暇なとき、飛行機が離陸していく、そのときに鳥の一羽二羽でも空にいたならふとこの歌を口ずさんだりするのですが、よく考えてみるとこの歌、子供に歌わせるにはかなりアブナイ歌なのかもなあ、と、ときどき思うのです。
 富、名誉。それを何故人は(一般論として)求めるか? 言うまでもなくそれを手にしていることが、自分に降りかかる「悲しみ」を避ける盾になってくれるから、です。カネは生きるためだけに必要なのではなく自分の意志を貫くためにも必要なのですし、ヒトは誰かしら自分を評価してくれる他人なくして生きてはいけない生物です。一般的にこの二要素を(どちらかだけでも)満足に満たせる人間はなかなか居ない、だからこそこの歌で「富や名誉」という言葉がわざわざ出てくるのでしょう。
 しかし、「わたし」はそれよりも「翼」を願った。もっと言えば「翼」という言葉に象徴される、「あらゆる悩み・苦しみからの解脱を与えてくれる何か」を願ったわけです。たしかに富や名誉はそれなりにヒトの人生の助けにはなってくれますが、それでもそれがあったらあったでまた何か別の心労が出てくるものです。オールマイティな切り札なんて、実際の人生ではそう簡単には手に入らない。
 もちろんこの歌の作者がそんなことを気付いていなかったわけがありません。ちょっと調べてみれば、この歌における「わたし」は、もはやそんなオールマイティなものにしか望みを託しえない状況におかれた人間だったということが判るでしょう。そしてそれでも何かに希望を託して残りの生を過ごさざるを得ない、そういう人生の一面に作者が創作欲を刺激されたってえ話なのですから。
 でも・・・そう考えると、子供に歌わせるべき歌かねぇ、これ? 富や名誉の有り難さすら判らない子供に、いきなり「富や名誉はいらないけれど」なんて教えこんで、果たしていいものなのやら。十数年前にこの歌を好きだった子供、そしてやっぱりまだこの歌を好きでいる二十台半ばのダメ人間として、ちょっと気にかかるところではあります。

 「富や名誉はいらない」とは、口が裂けても言えない。この程度のことを理解するのに自分は十数年もの月日を必要としたのだな、ということでもありますが。

 今日も鳥の背後から、轟音を立てて旅客機が飛んでいきます。大空へ人類が抱き続けた夢、その結晶であるはずのヒコーキですが、ウン千年前の人間に「これで空が飛べるんだよ」と言ってこの光景を見せたら、きっと首をかしげて「おれ、こんなのがほしいって思ったんじゃないんだけどなあ」と呟くことでしょう。
 そんな、どこかでちょっと履き違えてしまった夢のあらわれである飛行機、そして鳥、いずれも僕は大好きだったりするのです。そして今日もきっと、そんな光景を眺めながら「いつかは松山を出てやるぞ!」と、呟きつづけるのです。

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