第18回 ドラえもんの呪い
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ドラえもんの声優が5人総取っ替えになるそうで。
大山のぶ代さんが「将来はオーディションでもやって後を託したい」と言っていたのですが、実現するとは思いませんでした。
唐突ですが。
藤子F不二雄氏は、ドラえもんに2つの呪いを掛けて世を去ったように思えて仕方ありません。
アシスタントたちに向けて書いたメッセージに、こんなものがあります。
「藤子プロ作品は、藤本本人が書かなくなってからグッと質が上ったと言われたら嬉しいのですが」
自分はひねくれているのでしょうか、この台詞に一面で感動しながら、他面で恐怖します。
この言葉に代表される何かで、死せる藤本弘が生ける藤子プロを走らせている気がするのです。
藤子プロや小学館は、「ドラえもん」に人工呼吸器を付けて「まだ生きている」と言い張っています。
この行為に『金稼ぎ』以外の理由、「先生の遺志を継ぐ」という大義名分を藤子F氏本人が与えているところが、この呪いの怖さです。
大山のぶ代に与えられたのは「ドラえもんはこういう声だったんですね」という呪いでした。
彼女はそのポリシーから他の声優仕事をほぼ全て断り、『ドラえもん』になりました。
25年。
彼女が1つのアニメ番組に捧げた時間です。
一漫画少年が辿り着いた漫画の方法論を、世に広める役割を引き受けました。
藤子F不二雄氏は、自身の作品がアニメとなると、その全てを放映時間にリアルタイムで観ていたと言われています。
自分は藤子アニメを全て観ていたわけではありません(むしろ観ていたものの方が少ないです)が、子供の目から見ても不出来な作品はいくつもありました。
それもこれも引っくるめて、原作者は観ていました。
凡人が考える『天才像』の限界というのは、「自身の作品を他人に曲解されて怒る原作者」辺りがせいぜいでしょう。
良作でも駄作でも自分の作品が広まれば良しとする姿勢は、自分などの理解の及ぶところではありません。
原作者死後の(作品の中身から販売戦略まで含めた)ドラえもんの展開も、作者は見通していたのではないでしょうか。
そうなると、藤子Fオタクがどれだけ現在のドラえもん映画を批判したところで、全てはお釈迦様の手の上ということなのかもしれません。
2005年春。彼が亡くなって、8年半の時間が経ちます。
そのとき、呪いの1つが解けます。
25年ぶりに、ドラえもん映画のない春がやって来ます。
以上、MMRばりの根拠薄味な陰謀史観でお送り致しました。
……4割くらい本気です。
藤子F氏の「ドラえもんが忙しくて他の漫画を描けない」という愚痴はあちこちで伝え聞きます。ドラえもんだけが一人歩きしていくことへの戸惑いも間違いなくあったでしょう。
ただ。
僕はそういう『平凡な天才』より、「ならばそれに乗っかって自分の漫画を限界まで膨張させよう」と考えた『異常な天才』に強く惹かれるわけで。
やっぱり勝手な思い込みですね。うん。
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