旅立ち

               Leiji  


 よく晴れた五月の火曜日。

 それが、私の西音寺女子学院での最後の一日だった。

 

 ことの起こりは、去年の私の誕生日。

 兄さんが突然、とんでもないことを言い出したのだ。

「理奈ぁ・・・・・・俺、引退するから」

「・・・え?」

 私の九歳違いの兄、緒方英二はこのときデビュー七年目。音楽だけでなく自分のステージ演出やデザインまでこなし、「天才」の名を欲しいままにしてきた。妹の私も、そうやって兄さんの曲を下校中に耳にしたりするのはうれしかった。

 兄さんは、ちょくちょく私にそういった仕事の領域のことをたずねていたから。曲について私がもった疑問にも、きちんと分かるまでこたえてくれた。そうやって芸術の話をしているときの兄さんが、私はとても好きだった。

 その兄さんが、いきなりケーキの前で、言ったのだ。

「引退するぜ。・・・本気だ」

 いつもの軽口じゃない・・・。

「な、・・・なんで?突然に・・・」

 その問いには答えずに、兄さんはメガネを軽く直して私を睨むようにしながら言った。

「理奈、お前・・・自分でステージ上がる気、ないか?」

 今でも思い出す、そのときの兄さんの目。

「兄」としての緒方英二でなく、「プロヂューサー」の緒方英二をはじめて私は目にした。その目は、私の心の中に深く刺さる。

「俺、自分を使ってやりたいことは、もう一通りやり終わったからな。・・・理奈、お前は素質がある。ステージに上がる人間の素質が。俺は今度はそれを見てみたい。・・・だから、引退する」

 重い言葉。

「に、兄さん・・・」

「もちろん、お前がその気がないなら別にそれでもいい。ステージの裏側がどんなところか、お前も少しは分かっているはずだからな」

「・・・」

 いきなり突きつけられた選択に、戸惑う私。それを見て兄さんは軽く笑った。

「まあ、そんなに深く考えることはない。『やる』気なら、俺が全面的にサポートするさ。それにもし『やらない』と言っても、俺、引退する気は変わらないぜ。その場合は、お前並みの素質を持ってるやつをどこかから探して・・・」

 その瞬間、私の気持ちは固まった。

「やるわ。やらせてよ、兄さん!」

 

 それから半年。

 学校から戻れば、発声訓練に体力トレーニング、作詞・作曲の勉強(これは私が無理に言ってやらせてもらっている)、そして合間を縫って学校の勉強。そんな日々が続いた。

 兄さんは、正直言って厳しかった。私がすることをしないときは容赦なく怒鳴るし、それだけでも怒鳴る。言われたことをやって、さらにその兄さんの予想を上回って、それではじめてなんとか納得してもらえるという感じ。兄さんが、どうして「天才」と呼ばれるかがすこし分かった気がした。

 当然、学校では授業どころではない。

「緒方さん、居眠りとは珍しいですね」

「緒方さん、最近たるんでいますよ」

になり、

「また緒方さんですか・・・」

になるのも時間の問題だった。・・・成績が目立つほど下がらなかったのは奇跡といってもいいかもしれない。

 やがてそんな状況はそのうち保護者である兄さんに知られるところになった。

 そして、

「潮時だな」

のひとことで、私の高校生活は終わった。

 

 そして、今日がその最後の登校日。

 朝、先生は一言、

「家庭の事情で緒方さんは今日が最後になります」

とだけ言った。

 私はそのことを同級生には説明していなかった。だから、クラスにかすかにざわめきが起こったのも当然ではあった。

 ホームルームのあと、私の机の周りには友達が集まってきた。

「理奈ぁ、なんで辞めちゃうのぉー」

「うん、・・・もう黙っててもしょうがないから言うけど、レッスン受けてるんだ。兄さんの」

「え、あの緒方英二さんの?」

「それって・・・もしかして・・・」

「うん、もし兄さんのめがねにかなったら、だけど」

「ふわぁ・・・・・・」

 いっぺんで静かになるまわり。

「や、なによぉ・・・みんな、静かになっちゃって」

「でも、理奈、それってすごいことよ・・・」

「うん、理奈が緒方英二の妹でも・・・だって、前テレビで見たけど、英二さんって気難しそうじゃない。そんな人に『デビューしてみないか』なんていわれるなんて、すごいわよ・・・」

 ま、そういう反応は分かるわね。

「でも、それと理奈が学校辞めるというののどこでつながるわけ?」

「うん・・・実はもう、レッスンと学校と、両立が厳しくなってきてて、ね・・・」

「そっか・・・」

「じゃ、しょうがないのかな・・・」

「・・・」

「・・・」

 と、そこで涼子が声をあげる。

「ね、それだったら、今日放課後、理奈の送別会やろうよ。・・・理奈の都合が良ければ、だけど」

「それいいね、涼子。理奈、大丈夫?」

 私は、

「うん、行く」

と笑って答えた。一瞬、また兄さんに怒られるかな、と思ったけれど、それでもいいと思った。『何時までに帰って来い』とは、今日は珍しく言われていなかったし。

 

 授業はそんな私には関係なく続いていく。

 英語。

 初めて英語の教科書を開いたときのあのドキドキする気持ちを、なぜか思い出した。いつごろから英語が、面倒くさいだけの教科になってしまったんだろう。

 数学。

 『算数』から『数学』に名前が変わることについて、一時間かけていろいろ話してくれた、中学校のときの先生。あなたが言っていた「学問の楽しみ」、私は少しでもわかる事ができたんだろうか。

 世界史。

 長期休みのたびに海外を飛び回っては、その国の話をしてくれた、一年強の付き合いの先生。今度はどこへ行こうと思っていますか?・・・そのとき、また楽しいお話ができるだけのものが、まだまだたくさんこの世にはあるのですか?

体育。

 運動は嫌いじゃなかった。でも、こんな風にうまくできなくても許してもらえる運動はもう一生ないだろう。明日からはできないことがそのまま未来を左右する運動しかできないから。

 お昼休み。

 学食のおばさん。

 ごめんなさい。頼まれた兄さんのサイン、もらってくることはできないままになってしまいます。せっかくご飯、大盛りをおまけしてもらったのに。

 現代文。

 一度だけ、賢治の詩で泣いたこともあったっけ。教科書で泣くなんて、と思っていたけれど、後で聞くとそのとき泣きそうになっていたのは私だけじゃなかったみたいで、ちょっと安心したりしたこともあった。その顔ぶれが、みんな兄弟がいると分かったときにはちょっとおかしかったけれど。

 ホームルーム。

 六月に迫った修学旅行の話し合い。

 本当は、このときまでは学校にいたかった。兄さんがそれを許してくれなかったわけは分からない。でも、兄さんからみたら、私が修学旅行に行くことで行けなくなる世界があって、きっと兄さんの言う「ステージ」は、そんな世界なんだろう。

 

 そして、放課後を告げるチャイムが鳴った。

 

 送別会は、いつもの商店街のカラオケスタジオ。パーティールームを一部屋借りて、二十人くらいのクラスメイトが集まってくれている。

 言い出しっぺの涼子が音頭を取って、それから一人づつ、歌とスピーチの順番を回していく。そして、最後にわたしの順番が回ってきた。

 マイクを受け取り、私は立った。

「・・・みんな、今日は・・・ありがとう。きちんと説明もできないまま、私、学校を辞めることになりました。だから、ここでみんなにお礼をいいたいと思います。

 みんなの話を聞いていて、私、この一年を思い出しています。入学式のあと、クラスで行ったカラオケ。研修合宿の夜、部屋を抜け出して買ってきたビール。バザーの準備で学校に泊り込んだこと。運動会の屋外劇。・・・たった一年とちょっとでしたけれど、本当に楽しい一年でした。これもみんなのおかげです。

 それと、歌・・・なんですけど、やっぱりみんな、兄さんの歌を歌ってくれましたね。妹として、兄の歌があちこちで聞かれるのはやっぱりうれしいです。そしていつか、その歌を私も歌うようになりたい、そう思います。

 それで、みんなにちょっと協力してもらいたいんだけど・・・今から歌う歌は、まだカラオケにも何にも入っていません。兄さんが、いつかデビューできたら、といって書いてくれた、取って置きの新曲です。だから、手拍子をお願い。いつか私が本当にデビューしたら、そのときに『そういえばこの歌うたってたかな』と思ってくれればうれしいです・・・ウチの兄さん、気まぐれだから、今これからうたう歌をそのまま製品にするかどうか分からないから。・・・それじゃ、『緒方理奈 ファーストライブ』、ちょっと狭いけれど・・・はじめますっ!」

 

 部屋に流れる私の歌声。それにあわせて響く手拍子。曲の合間に、学校や友達の思い出を絡めたトーク・・・。

「ね、ね、涼子・・・」

「何?里香」

「・・・上手いよね、理奈」

「うん。なんだか・・・場を引っ張ってる感じ、するもの」

「トークも、歌もね」

「・・・きっと理奈、ビッグになるよ」

「うん、あたしもそう思う」

私はそこに声をかける。

『はーい、そこのお二人さん?二人でしゃべってないで、さ。よかったら理奈にリクエストくれない?』

「え、え・・・」と里香。

「んじゃ・・・『GET THE WILDNESS』お願いっ!」これは涼子。

『オーケー、兄さんのナンバーね。関係ないけど、兄さんこの曲気に入ってて、家で何度も一人アレンジして遊んでるのよ。アニメの主題歌にもなったけど、実は原作の隠れファンで・・・』

 そんな私のファーストライブは、結局延長に延長を重ねて九時過ぎまで続いてしまった。ひとり二千八百五十円(ドリンク飲み放題)のそのライブが、たった一年後には破格の格安値段になってしまうことを、そのときはまだ誰も知らない。

 

  エピローグ

 

 帰り道。

 私はすこし遠回りをした。

 昼間はみんなといっしょでできなかったこと、やりのこしを済ませてしまうため。

 

 夜の校門は、もうとっくに鍵がかかっていた。私はその前に立ち、一つ息を吸い込む。その刹那、浮かんでくるいろんな記憶。

 

 これが、私の卒業式。

 ちょっと出かかった涙を振り払うように、私は心の中でいろんなことに『ありがとう』を言いながら、勢いよく頭を下げた。

 そして、・・・頭を上げる。

 もう、涙は出なかった。

 明日からは、ただの理奈じゃない。

 あの、兄さんの立っていたステージ、そのうえで一番輝く『緒方理奈』になる。

 

 と、脇の暗闇の中から車のクラクション。

 思いっきりびっくりして飛びすさる私。と、車のライトがついた。ダークグリーンのミニ。そしてその中から、窮屈そうにしていた兄さんが出てくる。

「もう、びっくりしたわよっ!いきなりクラクションならすなんて、レディに対してすることなの?兄さん」

「おぉ、悪い悪い。あんまり遅くなるものだから迎えにきたんだが、つい眠くなってしまってなぁ。起きてみたら門の前で頭振り回してる娘がいたから、ありゃあ理奈に違いないと・・・」

「なんで、そうなるのよっ!」

と悪態をつきながら、

「でも・・・ありがと。迎えにきてくれて・・・」

 と、私。

「うん、素直なのはいいな、うん」

 と、兄さん。

「・・・さ、理奈。帰るぞ」

「うん」

 

 車に乗り込む前に、私はもう一度思った。

 ありがとう、みんな。

 私、がんばるから。見ていてね。

 

 

 

 蛇足

 

 そして、私は半年後にデビューした。

 それからのことはみんなもよく知っていると思う。ノリにノッた兄さんは次々と私に曲を書いてくれ、立て続けにヒットをとばした私は、もう押しも押されぬチャート上位の常連だった。

 一年後、もう一人の兄さんの秘蔵っ子、森川由綺がデビュー。そのあと、私はあるADとの恋愛問題で芸能界を辞めることになった。

 

 そして、私は改めて高等教育を受けなおすことに・・・なったのに。

「兄さん、なんで寺女なのよっ!あたしもうハタチなのに、あの制服着ろって言うわけ?」

「いや、そうはいわれても、なあ。アッチのほうも、一応停学扱いにしてくれてたみたいだし。他人の好意は無にするものじゃあないよなあ、理奈ちゃん?」

「そ、それにしたってご都合主義もいいところじゃない・・・なにをたくらんでるのよっ!」

「しょうがないじゃないか。志保ちゃん情報によれば、なんでも『アイドル緒方理奈』が寺女に入ることになるらしいから、復学するのがいちばん簡単にプレ鳩との整合性が取れると思ったし・・・なあ」

 何言っているんだか。物語の登場人物でしかないはずの兄さんがなんでそんなところまで気にしているんだろう?

「そんな・・・しょうもない理由で・・・私に恥をかかせるなぁー!」

「あ、そうそう、例のカレと同棲するのも禁止な」

「じ、」

「じ?」

「冗談じゃないわよぉぉぉぉぉっ!何のために芸能界辞めたと・・・」

 がちゃん。

 電話が切れた。

 

 英二のオフィス。

 隣の名物マネージャー、篠塚弥生さん曰く

「最低、ですね・・・」

といったとか言わないとか。

 

緒方プロダクションは、今日も忙しい。

 

 


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