カーテンコールの裏側で

              Leiji


 

 スタッフロールが終わり、画面がホワイト・アウトして…そして、さくら吹雪とともに、画面中央に浮かび上がる「Key」のロゴ。

 

 

 その裏側で、俺はひとつの疑問を捨てきれないでいた。

 俺が、こうしていとこの同居人と女剣士と病弱娘とタイヤキ泥棒とキツネの五択を迫られることになった、この物語。

 さまざまな苦労の甲斐あって、いまこうして俺は「達成率100%」の名声を勝ちえることが……できたというのに。

 なにか、俺のなかに引っかかるものが残りつづけているのだ。まだ解き明かしていない、この世界に潜む謎が……。

 

 

 と、その五択の一人、「キツネ」が、そんなこんなで座り込んで思索にふけっていた俺の前で、足を止めた。

 

 

「…祐一? なに、考え込んでるの?」

「……真琴、か」

 まこと。

 さわたりまこと。

 そうだ、この単語だ。俺が引っかかりつづけているのは…。

「…さわたりまこと」

 もう一度、俺はその名を口にした。

 …なんだ?

 この感覚……。

 甘い感覚。

 

 

懐かしさ? あこがれ? 愛しさ? 

 

 

 そのどれとも違うような、でもそのどれよりも大切な……。

 と、そこまで思って顔を上げると、真琴が、なんかえらく幸せそうな顔をしている。

なんの脈絡もなくされると、かえって不気味だ。

「……真琴?」

「祐一…真琴のこと、そこまで愛してくれてるんだ…」

「……は?」

「だって、いま自分で言ったじゃない。『懐かしさ? あこがれ? 愛しさ? そのどれともちがうような、でもそのどれよりもたいせつな……』って。そうだよね、やっぱり祐一がいつも真琴をいじめるのは、このふかいあいじょうの裏返しなのね…」

 

 

 やべぇ。完全にイッてる。

 

 

 思っていることがそのまま口に出る癖は、直さなきゃいかんな。これは。

 と、俺はその場をテキトーに総括した。

 そして、勝手に少女マンガばりの妄想に酔っている真琴のそばを、俺はそっと抜け出した。

 ったく、話がぜんぜん進まないぜ、こいつといると。

 

 

 そう、要するに、俺はこの数週間で取り戻し損ねた記憶、「さわたりまこと」を取り戻したいのだ。

 幸い、昔の俺にとって、このことばがそれなりの意味を持っていたことまでは、本編で思い出すことができた。なら、そののこりの記憶を手に入れることが、それこそがこの俺に与えられた、最後の使命じゃないか!

 

 

 と、言うわけで、俺は定番待ち合わせスポット、駅前のベンチに座っている。

 エンディングでベンチに座って待ち合わせといえばほかでもない。そう、「タイヤキ泥棒」こと、月宮あゆとの待ち合わせだ。

 こいつは、俺のこの街に関する重大な記憶喪失のカギになったヤツ。つまり、それはそのまま昔の俺にとって、重要な時間を共有していたことをも意味する。なら、俺の記憶を取り戻すことについても、こいつが役に立たないはずがないだろ?

 我ながら、みごとな論理展開だ。

 

 

 …と、突然俺は、身に迫る危険を察知した! 迫りくる「それ」から、俺はひらりと身をかわす。

「それ」は、案の定そのまま飛び込んできた勢いのままで…。

ベンチの、俺が座っていたあたりに、もろに…。

 

 

ひびきわたる、「うぐぅっ!」という叫び。

 

 

本来なら駆け寄ってきてそのまま俺に抱きつこうとしていた、その姿勢のままで「それ」は、ベンチに突っ込んでいる。

 あーあ。思いっきり膝と胸とあごをぶつけたみたいで…。

「痛そうだ。いや、見ているこっちまで痛くなってくる」

「だ、…だ、だれのせいだと……」

「おぉ、あゆ。元気そうだな」

「し、死にそうだよ…」

「そうかそうか、元気だから持病の『うぐぅ』も出ないか」

「…ゆう、いちくん……、本気で、言ってるの…?」

さすがに怒っているらしい。もっとも、まだダメージがキツいらしく、膝を抱えてぜぇぜぇと息をつきつつ脳震盪でへばっているので、ぜんぜん怖くないが。

「あのな、あゆ…。いつも言っているが、普通に登場しろ、おまえは」

 と言いつつ、あゆを助け起こす。

「…うぐぅ」

「けがは?」

「…膝と、あごと、胸、痛い…」

「どれどれ。膝は…けがはしてないな。ちょっと曲げてみろ? …大丈夫か。あごは…と、ちょっと口あけてみろ?」

「うぐぅ…はずかしいよぉ」

「いいから。どれ……と、しゃべれるなら大丈夫だろ。舌とか、噛んでないな? うん。じゃ、…胸は…と」

「ち、ちょっと、祐一君! 人前でどこ触ろうとしてるんだよぅ」

「…よし、それだけ反応できれば大丈夫。いや〜、何事もなくてよかったよかった♪」

「うぐぅ、勝手にまとめないでよぉ…」

 

 

「というわけで、『さわたりまこと』について、何か知らないか?」

「それが聞きたくて、ボクを呼んだの?」

「ああそうだ」

「うぐぅ……プライベートで呼ばれたから、期待してきたのに……」

なんの期待だ。

「とにかく、なにか知らんか?」

 と、畳み掛けて尋ねる俺に、あゆはすこし首をかしげて考える。

「うーん……祐一君と前に会ったころ?」

「そうだ。だからお前に聞くのが一番いいと思ってな」

「そう、言ってくれるのは嬉しいんだけれど……」

「思い出せない、か?」

「うん……」

「そう、か…」

「だって、『さわたりまこと』って人が、もし祐一君の個人的な知り合いなんだったら、ボクがわかるわけがないよ。祐一君の家族だって、秋子さんと名雪さんしか知らないしね」

「芸能人とか、だったら?」

「…それじゃ、もっとダメだよ。だって、あのころのボクは、そんなの見ていられるような生活してなかったもの…」

「……そう、か」

 昔を思い出したのだろう、あゆの声からいつもの元気さが消えていく。俺も、なんとなくいつもの軽口をたたく気分じゃなくなってしまった。

 そのかわり、俺はうつむき加減のあゆの頭に、ぽんと手を乗せた。

「ま、いいさ。今は…すこしはマシになったんだろ?」

「…う、うん。…変わっていないけれど、ちょっと、変わった」

 なんだか、意味不明なことを言い出すあゆ。

「難しいな…」

 と応える俺に、ついと立ち上がったあゆは、こっちに微笑みかける。

「いいんだ。ボク、もう…一人じゃないからね!」

 そんなふうに、あゆは言った。

 

 

 

 

「昔のことだったら、やっぱり秋子さんがいちばん詳しいんじゃないかな?」

 というアドバイスを唯一の成果として、俺はあゆと別れた。

 そして、水瀬家。

 台所。

 ちょうどお昼ご飯の準備の最中の秋子さんに、俺は話をきりだそうとした。

「秋子さん? ちょっと、聞きたいことがあるんだけれど……」

「却下」

背を向けたまま、確かにそう言った。

「……え?」あっけにとられる俺。

「却下、です」

「…いや、秋子さんの場合ならここは『了承』でしょう?」

「たまには私も違うことを言ってみたいんです、祐一さん」

「いや、だからって…」

「とにかく、却下です」

「い、いや、せめて話くらい…」

「却下」

「…なんでなんですか?」

 さすがにここまで話を聞いてくれないと、少し腹も立つ。

 と、秋子さんがいきなり俺に向き直る。

 そしてその笑みを崩さないまま、ついと俺の耳元に唇を寄せ、そして言った。

「あんまりしつこいと……」

 その抑えた声に、ぞくりとして俺は飛びのく。

「あ、秋子さん……?」

「却下、です」

 ダメ押しの笑顔に、俺はとうとう、

「……はい」

 と、屈服するしかなかった。

 

 

 

 

 結局、秋子さんは昼食の最中にも、それ以上のことは教えてくれなかった。ただ、

「気持ち的には、わたしはあの子の味方だから…」

 とだけ、秋子さんは言った。その表情は、いつもの穏やかな笑顔のままだった…。

 

 

 

 

 お昼を済ませ、俺はまた外に出た。秋子さんの言葉は気になったけれど、それで諦められるほど、俺の中の疑問は小さいわけじゃない。

 公園まで出てきたところで、栞を見かけた。噴水の縁石に腰掛け、スケッチブックに鉛筆を走らせている。

 その様子があんまり真剣なので、俺は声をかけるのも悪いと思い……。

「…普通、そう思う人は、いきなり相手の隣に座ったりしません」

「まあ、細かいことは抜きにして」

「…挨拶とか、途中の過程も抜きにして、いきなり他人の肩に手を回すのは問題ですよ」

「……」

「……」

「なぁ、栞?」

「はい?」

「…もしかして、俺のこと、嫌い?」

「……お約束ですけど、そういうこと言う人、嫌いです」

「あ…そう?」

「本当に嫌いな人だったら、……」

 そこまで言って、栞は俺の方に身体を預けてきた。

「…こんなこと、しません」

 なんか、ここまで素直な相手だと、からかいようがないな…。

「今日は、香里といっしょじゃないのか?」

「香里お姉ちゃんは、クラスの人とお出かけだそうです」と、微笑む栞。

「クラスの人……名雪、じゃないよな?」

「はい。名雪さんじゃないですよ」

 何故か、うれしそうに栞は話す。

「と、すると……まさか、なぁ」

「多分、そのまさかです」

「そうか…そりゃびっくりだ。あの香里が、まさか担任教師と…」

「そういうボケをかます人って、」

『嫌いです』

 と、きれいに二人の声が重なる。互いの顔を見あわせ、ちょっと笑った。

「もう…祐一さんったら…」

「悪い悪い。つい、な。…しかし、まさか北川が…香里を、なぁ」

「そんなに、不思議ですか?」

「ああ、不思議だ。こんなことが起こりうるならこの世から『ご都合主義』という言葉が消えてなくなる。奇跡だって起こるのも当然だ」

「そこまで言いますか……?」

「そりゃ、そうだ。あの香里が北川に、なんて」

「…そうなんですか」

「そうだ! …しかし、なんか嬉しそうだな、栞ちゃんは?」

「…分かります? ええ、嬉しいですよ」

「なんで?」即座に聞き返す。

「だって…やっぱり、私のことがあったからだと思うんですけれど、お姉ちゃんにそういう浮いた話、ちっともなかったし」

「……」

 俺は黙って聞いていた。

 が、俺は内心、栞の指摘の鋭さに驚いていた。香里が美人なのは分かる。アタマもいい。なのにあいつの周りに、俺たち以外の人が集まったことを見たことがない。

 理由は、俺もすぐにわかった。いつだったか、俺と名雪が「奇跡」で軽口をたたいたときの、あいつの冷たい言葉…。すべての事情を知った今になってみれば、あいつのそんな、他人にうまく甘えられないところも分かってやれるだろうけれど、あれを普通の人間にいきなりかましたら、そいつはもう香里のそばに近寄ろうとは思わないだろう。あのときは俺だって、名雪があのとおり重度の天然ボケだから耐えられたようなものだったし…。 

「……だから、香里お姉ちゃんに、普通にそういう誘いがきたことがなんだか嬉しくって……」

 そんな栞の肩に回しっぱなしの手に、俺は少し力をこめた。

 栞、けっこうすごいよな、おまえ。

 絵はあいかわらずどうしようもないけど。

 

 

「そんなわけで、『さわたりまこと』を探しているんだ」

「『さわたりまこと』……すみません、ちょっと、記憶には…ないです」

「そうか……残念だな」

「でも、ちょっと考えたことがあるんです」

「…と、いうと?」

「秋子さんは、確かに『却下』しか言わなかったんですよね?」

「…まあ、な」

「ということは、秋子さんは何かを知っているんですよね?」

「…それは俺でも分かる」

「でも、教えてくれないんですよね?」

「ああ。『あの子の味方だから』とか何とか言って、な」

「……あの子、ですか」

「多分、真琴のことなんだろうな」

「………」

 そこまで俺が話したところで、何故か栞は黙り込んでしまう。

「……どうした?」

「なんだか、悪いことをしている気がします…」

「何が?」

「秋子さんが、そこまで言っていること」

「…そう?」

「そうです」

「そうか……ま、いいや。絵、邪魔して悪かったな」

「いいえ……でも、たぶんですけど、止めたほうがいいと思いますよ。理由はよく分かりませんけれど」

「まあ、聞くだけ聞いとくよ。じゃな」

 

 

 

 

「…と、いうわけなんだよ」

 卒業式帰り、女学生スタイルの舞と佐祐理さん。二人に、今度は話を振ってみた。

「…舞の前で、ほかの女の子の話をするなんて、祐一さんもなかなか意地悪ですねー」

「……」

 舞、佐祐理さんにチョップ。

「ということは、妬いてくれてるんだな?」

 舞、俺にチョップ。…それなりに痛い。

「あははーっ、舞、照れてますねー」

 舞、佐祐理さんにチョップ。

「お、顔、赤くなってきてるぞー?」

 舞、俺に……思いっきり腕を振り上げ、全力の手刀を――!

「じゃ、なくて。あんまりページ数ないから、話をまぜっかえさないでくれよ、舞」

「まぜっかえしてるのは、祐一だ」

「あははーっ」

 本当に、そうなのか?

 

 

 ともかく、俺は舞と佐祐理さんを頼った。彼女たちの強みは、俺より年上だということだ。いまの年なら、一才くらいは大した差じゃないけれど、あのころの年代にとっては一年という差はかなりデカい。

「で、なんだけれど…どう?」

「さわたりまこと……聞いたこと、ある気もしますねー」

「私も、無くはない」

「お、さすがに頼りになるなー」

「あははーっ、それほどでもありませんよーっ。『聞いたことがある』ような気がする、だけですから」

「私も……」

「……ま、でも覚えているっぽいだけでも、かなりありがたいよ。少なくとも、俺の個人的な知り合いという線はなくなったわけだから…」

「あははーっ、でも平凡なオチになりそうですねーっ」

「舞も、そう思う」

「ま、そう言うなって。それに俺、ここしばらくの間で、予想外の事態に慣れちまったしな。これ以上に予想外のネタというのがあるとしたら、『魔界の大王』とか『神の子』とかでないと…インパクトないだろうし、な」

「それはそうと、その『さわたりまこと』なんですけれど……」

 フォロー、無しかよ。

「…佐祐理さん、なにか名案が?」

「はい、佐祐理の家に、そういう昔の本とか、ちょっとありますから――」

「そうか、それを調べれば、何か面白いことが分かるかも、ってわけだ」

「はい」

「そうか…いやー、さすが佐祐理さん、頼りになるなぁー」

「あははーっ、それほどでも――」

 そういや、さっきからぜんぜん喋ってない舞は? 小説なんだから、喋らないと存在なくなっちまうぞ…と、舞のほうを振り返ると……。

「舞、なにやっているんだ」

「…やっぱり、私がいると祐一に迷惑をかける。何の役にも立たないから……」

 …しゃがみこんで、卒業証書の筒で地面を引っ掻き回している。いじけている、らしい。あいかわらず無表情なので、正確なところはよく分からんが。

「いや、舞、そんなことはない。舞も知っているんだから、佐祐理さんの個人的な知り合いという可能性も無くなった。な、役に立っているだろ…?」

「――佐祐理と祐一、私と佐祐理より仲がいいから……」

 ……あ、妬いてるんだ。

 手がかかるといえばかかるんだが、それでも本編中みたいにあっさり切腹されるより、いくらかマシだ。

 舞も、シナリオのなかで成長したんだな、と無難に総括しておく。

「祐一、何も言ってくれない……」

 …単に甘えんぼさんになっただけ、か?

 

 

 

 

 そんなわけで、佐祐理さんの家で、俺は古い資料をあさった。その成果はあり、『さわたりまこと』が、ちょうどそのころに活動していた芸能人の名前であることまでは分かった。どんな人だったかまでは分からないので、役に立ったといえば言えるし、あまり役に立っていないとも言えるのだけれど。

 そんなわけで佐祐理さんの家を出て、俺は水瀬家に戻った。

 と、ちょうど玄関に入ったところで、部活から帰ってきていた名雪とぶつかる。

「お、おう、名雪」

「祐一、『ただいま』、だよ」

「おう、ただいま、名雪」

「うん、お帰りなさい、祐一。…ところで、今日は祐一、どこに行っていたの?」

「おまえは?」

「ずっと、部活だよ〜。今年で引退だから、部長としては休むわけにはいかないよ。…で、祐一は?」

 と、畳み掛けて聞いてくる。俺もべつに答えない理由はない。そんなわけで、きちんと詳しく教えてやった。

「かくかくしかじか」

「……」

「…と、いうわけだ」

「……祐一、意地悪だよね」

「――は?」

「しかも自覚、ないよね」

「あのな、名雪。『かくかくしかじか』で話が通じるのが、幼馴染みの特殊能力じゃないのか? 伝説の幼馴染み、『藤田くんと神岸さん』とか『折原くんと長森さん』とかは出来ていたことじゃないか。俺たちにできないわけが……」

「そこじゃないよ、私が言いたいのは。…やっぱり、自覚ないんだね」

「……?」

 さっぱりわけがわからない俺を無視して、名雪はキッチンに入っていく。

「お母さん、今日の夕ご飯は?」

「おかえりなさい、名雪。今日はね…」

 ――そして、あとに取り残される俺。

 何か、悪いことでもしたのか? 俺。

 相手が『一言も二言も言葉が足りない』名雪なだけに、なに考えてるか細かいことが分からないぶん、かえって怖いぞ。

 

 

 

 

 というわけで、自室。

 夕飯まで時間でもつぶすか、とマンガを広げたところで、ドアがノックされる。

「……誰だ?」

「…真琴」

 なんだか元気がないな?

「真琴か? 入れよ」

「うん……」

 と、入ってきた真琴。本当に元気がない

ようだ。

「どうした、真琴? なんか、悪いものでも拾い食いしたのか?」

「……ううん、ちがう」

「じゃ、何だ? 普段うるさいやつが静かだと、気になっちまうぜ?」

「……うん」

 あいかわらず、声にはりが無い。体調が悪い、ような感じじゃないが。

 

 

 ――だれから聞いたのか、真琴が口を開いた。

「あのね、祐一…『さわたりまこと』って、だれだったの?」

「ああ、別にそんな大したことじゃ…」

 なかったよ、と言いかけて、俺は、それ以上言葉を続けることができなくなった。

 気がついたのだ。

 沢渡真琴。

俺ともう一度めぐり合いたいがために、本来の生を捨てて、人の姿になった狐――にとって、その『さわたりまこと』という言葉が、どういう意味を持っているのかを。

しかも今はエンディング後、真琴は自分の境遇を、なんとなくではあるけれど、理解しているだろう。

 

 

 そう。

 俺の中で、少年の日…あの丘で、狐の子を拾ったときのことが、鮮やかによみがえってくる。

 あのとき、俺はこいつを、『まこと』とは呼んでいなかった。それは確かだ。

 なら、なぜこいつは自分のことを『さわたりまこと』と名乗ったんだ?

 

 

 

 

 テレビ。

 俺は、ひざを抱えてテレビを見ていた。

 そんなに大きくはない。けれど、実家のテレビより、俺はこの水瀬家のテレビが好きだった。わざわざ音声をコンポのスピーカーから出しているので、音楽とかがずっときれいに聞こえるのだ。そう、俺の好きだったその曲が……。

 でも、その日の俺には、テレビより大事なものがあった。夕方、丘の上で拾ってきた子狐。

 拾ったことがばれたら捨てさせられる。だから、俺はいつものように歌番組に夢中になっているふりをしていた…。

 そして、番組が終わるや否や階上にあがり、子狐と遊んだ。

 

 

 でも、秋子さんはいつだって何でもお見通しだ。

 あるとき、えさをやるのを忘れて家を出たことがあった。そのことに気が付いたのは、もう夕方。

「動物の子供は、一日にえさを何回も食べないと、死んでしまう」……。

 そんな、どこかの本の言葉がぐるぐる頭の中を回っていた。急いで、水瀬家に飛んでかえした。

 ただいまを言う余裕もなく、部屋に駆け込む。『こいつのいえ』と決めていた押入れの中……いない。

 泣きながら部屋をひっくりかえしていると、部屋のドアが開く。

 秋子さん……と、その腕の中の狐。

「あ、秋子さん……」

「祐一さん、だめですよ。飼いたいなら飼いたいと、きちんと言わなければね」

「う……飼いたい」

「その前に、ごめんなさい、は?」

「黙っていてごめんなさ――」

「じゃ、なくて。この子には?」

「―――!」

「…さあ、祐一さん」

「うん…ごめんな。えさをあげるのを忘れていて。……秋子さん、飼ってもいい?」

「……そうね、祐一さんが帰るまでなら、ね」

「う、…うん! ありがとう、秋子さん!」

「でも、名雪には内緒よ。アレルギーがどうなるか、分からないから…」

「うん、やくそくする」

 

 

 そして、俺は実家に帰るまでの間、そいつと過ごした。

 いっしょにテレビも見た。

 そのとき、俺が一番好きだった歌手。

 もう、今となってはだれも思い出すことはない、その歌手の名前……。

『さわたりまこと』…。

 

 

 

 

 きっと、こいつは俺があのころ一番好きだったものを、覚えていたんだろう。

 たったひとつの、俺のはっきりとした手がかりとして……。

 そんな名前の本当の意味は、真琴にとって意味がない、いやむしろ知りたくないことなんだ。

 そうでなくちゃあ、本当の「名前」を持たないこいつの、こいつである部分が消えてしまうから。

 『さわたりまこと』という名前に、こいつは自分のすべてを賭けてきたんだから…。

 

 

 

 

 元気のない真琴。

 俺は、そんなヤツの肩に、軽く手を置いた。

「ああ、…結局、分からなかったよ。『さわたりまこと』が何だったか、はな」

「え…? 祐一、だって今さっき…」

「いいんだ。結局分からなかった。俺にとって『さわたりまこと』っていうのは――」

 そこで、真琴を抱き寄せる。

「この、俺が今抱きしめてる女の子のことなんだから、な。…それで、いい」

「ゆ、祐一……」

 しばらくの沈黙。

 そして、真琴も俺の背中に手を回してきた。

「……ありがと」

 そんな、言葉。

 

 

 

 

「……でも、まだ話は終わっていない」

「のわあああぁっ!」

 突然耳元で舞がつぶやき、俺は飛びのいた。

「ま、舞、どこから…」

「祐一が誰のものか、まだ決着はついていない」

「そう、そう。やっぱりボクも、されちゃった責任はとってもらいたいもん……」

「あ、あゆっ! お前は生霊だったから、責任も何も、俺にはないだろうがっ!」

「心の、責任だよっ」

「んな無茶苦茶な! …な、名雪?」

「そうだよね〜、祐一、証拠残してくれてるもんね。ほら、この目覚まし〜。『おれが、そばにいてやる……』…ね?」

「ぐああああああぁ―――っ!」

「そんな、祐一さん……そういうところでうそつく人、私、嫌いです」

「し、栞までっ!」

「ゆーいち、いったいどうなのよっ!」

「ま、まこと、くび…しめるな……」

 

 

 

 

 

教訓。

  自分が幸せになりたかったら、やさしさは特定人物だけに注ぎましょう。

 


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