市立隆山中学校第九十八期卒業生

 

 

                                                       松本 裕太


 

「会ってもらいたい人が居るって…誰なの?」

「私の友達です。…ご迷惑でしょうか…」

「いや、全然そんなことはないけど」

 初めてのことで、ちょっと戸惑った。

 

 

 楓ちゃんと付き合いはじめて半年が経った。

 「異常な状況下ではじまった恋は……」というジンクスを打ち破るべく、けっこう普通の彼氏彼女をやっていると思う。住んでいる場所が離れているから休みにならないと会えないけど、時間だけは売るほどある大学2年生のこと、「自主休講」ならぬ「自主連休」さえ作ることができる。学期末のテストだけは怖いけど。

 というわけで、俺はあの夏休み以来、10月、年末年始、そしてこの春と、柏木のお屋敷を頻繁に訪れている。

「いつでも来てくださいね」と言う千鶴さんの好意に甘えまくっている状況だ。

余談だが、家のマイラインはフュージョンコミュニケーションズに決めている。3分20円万歳。

 

隆山温泉は、俺が住んでいるところよりもずっと北にある。もう4月だというのに、道の端々に氷となった根雪が残っている。そんな土地だから、桜もまだ三分咲きといったところだ。俺がバイトを終えて出発したとき、向こうではもう花見ができるぐらいだったから、ちょっと過去へ戻ってきたように感じる。

 もちろん錯覚だ。時間は知らない間に進んでいく。

 梓は俺と入れ違いになるようにこの家を出た。大学進学のためだ。

 勉強(と言う名の『身体を動かさない状況』)が苦手なあいつも、陸上部引退の後はそれなりに頑張ったらしく、志望校に合格した。

 そして、楓ちゃんと初音ちゃんもそれぞれ学年が上がる。2人とも明日から新学期を迎えるそうで、今日は春休み最後の日になる。

 俺は楓ちゃんと買い物をする予定だったけど、彼女の提案で急遽変更となった。もっとも、別に目的があったわけでなし、楓ちゃんからのお誘いという珍しい状況に乗ったほうが面白いに決まっている。

 それも、「紹介したい人がいるんです」なんて思わせぶりなことを言われては尚更だ。

 

 楓ちゃんが言うには、近所の喫茶店が約束の場所だそうだ。

 途中、通り過ぎた商店から漏れ流れるラジオが4時の時報を鳴らした。空が少し焼けはじめた。

 短い商店街を抜けて普通の住宅地に入り、話題に出来るものも無くなる。楓ちゃんは気にしないと思うけど、俺はこういう無言の空間が苦手だ。気まずさとさっきからの好奇心に背中を押されて口を開く。

「今日会うのって、どんな人なの? 女の子? それとも…男?」

 俺も、別に『男』のところで不機嫌にならなくてもいいよな。子供じゃないんだから。

「女の子です」

「そうか」

 だから、いい大人がそこで機嫌良くならなくてもいいだろ。

「学校の友達かい?」

「中学校のときの同級生です。今は別の高校に通っていますけど…今でもよく会ってますよ」

「へえ・・・」

 穏やかに笑う顔を見て、二人の仲睦まじい関係は簡単に想像できた。

 ……やっぱり、その子が男じゃなくて良かった。

 

 

 約束の場所だという喫茶店は、席の数が十にも満たない小さな店だった。名前は表の看板に書いてあったが、フランス語のようで俺にはさっぱり読めない。…去年まで第二外国語として習っていたフランス語の授業は、まったく身についていなかった。

店の建物自体はかなり古びているが、店内に入るとそれが落ち着いた印象を与えはじめる。いい雰囲気の店だ。

店の中には、店を切り盛りしているらしいおじさんとおばさん以外には誰も居なかった。

「やあ楓ちゃん。いらっしゃい。あの子はまだ来てないよ」

 何も言わないうちに、おばさんの方からこんな言葉を掛けてくる。おしゃれな店のイメージからやや外れた人。いま着ている淡い緑のエプロンより、白の三角巾と割烹着が似合いそうだ。

「はい。待たせてもらってよいですか? すぐ来ると思いますから」

「ああ、どうせ客は居ないしね」

「ありがとうございます」

 一つお辞儀をして店に入る。なんだか、知り合いの家に遊びに来たような会話だ。よほど馴染みの深い店らしい。俺も会釈をして後に続く。

「おや、見かけない顔だね。あんた、柏木さんちのお客さんかい?」

「はい」

 言葉と裏腹に、中の感情まで乱暴ではなかったから、素直に返事ができる。

「そうかいそうかい。へえ、あんたがねえ」

 変な笑いとともに、勝手に納得されてしまった。まあ、大体想像どおりの関係なんだけど。

「………ごゆっくり」

 そこで初めて聞いたおじさんの声は、なかなかに渋かった。

 フランクな長瀬さん、ではない。念の為。

 

「常連さんなんだね」

 オレたちは4人掛けのテーブルで向かい合って座り、とりあえずコーヒーと紅茶を頼んだ。

「はい。今日会う子に教えてもらったんです。いつも一緒に来てますから」

「えっと、その子なんだけど、なんで俺と会わせたいの? …あ、別に迷惑だとか思ってる訳じゃないんだけどさ」

「約束なんです」

「約束?」

「はい。…ちゃんと…気持ちが通じたら、紹介するって」

 二人して顔を赤くする。またあのおばさんにからかわれそうだ。

「本当はもっと早く紹介したかったんですけど、この春まであの子は忙しかったみたいで…」

「特別なんだ、その子は」

 楓ちゃんは表情の変化に乏しいから、これだけ分かりやすいのは本当に珍しい。

「はい。昔、助けてもらったことがあって」

「助けてもらった? 何かあったの?」

「はい。中学3年のときでした。本当はそんなに大げさなものじゃないんですけど……」

 そして、無口な彼女にしては、少し長い話をはじめた。

 

 

 

 

「やめなよ」

 修学旅行でも体育祭でも私をかばってくれたから、こう言って私の前に立つ後ろ姿が一番記憶に残っている。

 崎山大介くん。4月から同じクラスになり、私と一緒に学級委員をやっている。どちらも半ば押し付けられたようなものだったけど、ただ真面目そうに見えるせいで推薦された私と違い、彼は明らかに一種のいたずらで推薦されたのだと思う。学級会で推薦した人たちはみんな笑っていたし、彼も困った顔で苦笑いしていたから。

 でも彼は、しっかり学級委員を務めた。修学旅行も体育祭も、誰に言われるでもなくクラスをまとめた。人の「意見」はよく聞いて、ただの「わがまま」はやわらかく、でもしっかりと拒否した。

 その彼が。

 

「好きです」

 夏の終わり。2学期が始まったばかりのある放課後に、私はグラウンドの外れに誘われた。運動部もまだ練習をはじめていない無人のグラウンドを背景にして、彼はこう言った。

 

 

 何も言えず、ただ彼を見ていた。

 いつも見せているおとなしめの笑顔とは違う、真剣な顔。彼は小柄で身長はほとんど同じだから、ごく目の前にそれがある。そのまっすぐな視線に耐えられず、下を向いてしまう。ほんの一瞬、身体の横で小刻みに震える彼の指先が見えた。

 こんなことを言われたのは初めてだったし、崎山くんに言われるなんて思いもしなかった。

 彼とは委員の仕事でよく話したし、そのたび優しくしてくれた。愛想笑いが少し多くても、最後の一線では譲らない強さも見てきた。…こういうことを思うのは失礼かもしれないけど、整った顔立ちをしてもいる。

 でも。

 断らないといけない。

 私は……少なくとも今の私は、彼の気持ちにこたえられない。

 

「そう……」

 

 私が再び彼の目を見たのは、一つの言葉を話す時間だけだった。もう、彼の目は見られない。

「僕のこと…嫌い?」

 絶対にそんなことはない。この6か月近くは、本当に楽しかった。家で漏れ聞くいろいろなことを忘れてしまうくらいに。

「じゃあ…他に好きな人がいるの?」

 下に向けた顔を、さらに下げる。彼はそれを肯定と受け止めたようだった。

「僕じゃ…その人にかなわないかな…?」

 私だってわからない。目の前の崎山くんより、妄想じみた夢の中の記憶に惹かれる理由なんて。

「柏木さん…ちゃんと答えて…そんなんじゃ諦められないよ…!」

 激しくなる言葉とともに、彼の両腕が私を掴む。自分のものと変わらないような細い腕に、こんな力があるとは思わなかった。

「ねえ…柏木さん…っ!」

 

「やめなさいよ」

 彼の手を私から引き離したのは、突然現れたクラスの女の子だった。伸ばしかけた髪の揺れ方で、少し走ってきたことが分かる。たしか名前は……。

「柏木さん、泣いてるじゃない」

「え……」

 その言葉で、初めて涙に気づいたようだった。彼も、私も。

「あ……あの…ごめん…」

 彼の手が、私の身体から滑り落ちる。

「…ごめん…ごめんね……」

「謝らないでください。悪いのは私の方ですから…」

「どうして…そんなことないよ」

「いいえ、私のせいです。ごめんなさい」

「やめてよ……」

「ああもう! いつまで続ける気なの?」

 女の子が割って入り、二人を交互に見ながら早口でまくし立てる。

「どっちも悪くないでしょ! 好きになったのも悪くないし、好きになれなかったのも悪くないでしょ!」

 そして今度は崎山くんだけに、

「だからね、残念だけど諦めるしかないと思うよ」

そう言った。

「………うん。ありがとう」

 女の子にそう言ってから、彼は再び私を見つめる。

「もう何も聞かない。でも、柏木さんのこと、まだ諦められないと思う。しばらくの間、それだけは許してくれないかな。いつか、ちゃんと整理するから」

「はい…」

「ありがとう。…あと……ごめん」

 私に背を向けた。

「またね」

 最後はいつもどおりの言葉。ただ、声が少しだけ震えていたかもしれないけど。

「だから、謝らなくてもいいって言ってるのに…って、わたしが決めることじゃないか」

「私もそう思います」

「あ、そう? 良かった」

 私も彼女に笑顔で返した。

 

「ところで」

「?」

 崎山君の姿が校舎に隠れた頃、彼女が口を開く。

「他に好きな人がいるんでしょ? それも、相手に少し訳ありね」

 顔を覗き込むようにして笑う彼女。

「…どうしてそう思うんですか?」

「さっきの反応見てたら分かるって。それでわたし、助けに入ったんだから」

「そうだったんですか…」

 助かったことは確かだ。理由なんて、言っても信じてもらえなかっただろうから。

「だから、当然わたしも聞かない。でも」

 彼女は続ける。

「できれば、決着がついたら結果を教えて欲しいな。けっこう関わっちゃったし、何より興味あるから」

 照れたように笑った。

 

 

 

 楓ちゃんとその子は、それまでは話したことすら少なかったそうだが、それから仲良くなったらしい。

「告白されたんだ…」

 俺はそっちの方も気になったけど。

「はい…」

「まあ、楓ちゃんはかわいいもんな。男は放っとかないよなあ」

「…」

 真っ赤。分かってて言う俺もタチが悪い。

「で、その子なんだけど。ちょっと遅くない…」

「楓、ごめーん。部の練習が長引いちゃって」

 約束の時間を10分ほどすぎた頃、1人の女の子が店に入ってきた。当然その子もこの店にはなじみの顔らしく、多少の大声を出すことに躊躇はないらしい。前の席に座っていた楓ちゃんが、笑って手を振る。初対面のはずなのに、なぜか聞き覚えのある声。ドアに背を向けて座っていた俺は、声の方に振り向く。

「………へ?」

「………げ!」

 そこには、柏木家で何度か見た顔があった。日吉かおりちゃん。梓の後輩で、陸上部のマネージャーをやっているという子だ。…もっとも俺には、別のイメージで記憶に残っているが。

 

 

「楓のお相手って、この人だったの?」

「はい」

「………はあ」

 俺の前の席に楓ちゃんと並んで座ったかおりちゃんは、大きくため息をついた。

「訳ありの好きな人って、どこかの綺麗なおねーさまだと思ったのに…」

「自分を基準に考えるなよ…」

 聞こえないように小声で突っ込む俺。我ながらかなり情けない。

「でもかおりちゃん、このまえ梓に会いに来たときは、楓の部屋に行ったりしなかったよな」

「楓が先輩の妹だったなんて知らなかったから…」

「名字が同じだろ?」

「この辺り、柏木って名前は多いんです」

 ああ、特定の名字がやたら多い地方があるからな。隆山では確かに『柏木』が多い。商店の看板でもよく見かける。

「それに楓、家のことをあまり話したがらないから、私も家まで遊びに行ったことがなかったし」

「……そういう気の利かせ方を、梓に対しても使えばいいのに」

「それはそれ、これはこれです」

 ここまで見事に開き直られると、こっちの方が間違ってるような気になる。

「ねえ楓、崎山くんの方がずっと格好良かったよ? ほんとにこの人でいいの?」

 前言撤回。哀れむ余裕など無いようだ。

「はい。私にとっては耕一さんが一番ですから」

 この台詞、楓ちゃんにまで「世間的には柏木耕一より崎山大介の方が格好良い」と言われたも同然。

 まあ、ここは素直に照れておくのが正しいんだろうけどな。

「今からでも遅くないよ。私が素敵な先輩紹介しよっか?」

「かおりちゃん。それ、どうせ女の人だろ…」

「もちろん」

 腰に両手を当て、いばって見せるかおりちゃん。なぜか自信満々だ。

「楓ちゃんを変な道に引きずり込まないでくれ…」

「大丈夫ですよ。梓先輩を紹介するわけじゃないから、修羅場にはなりません」

「当たり前だっ!」

 同性愛に近親相姦や三角関係まで加えられてたまるか。大体、どうして妹の楓ちゃんが他人に実の姉を紹介してもらわないといけないんだ。

「まあそれは冗談として」

 冗談の範囲がどこからどこまでなのか、是非ともはっきりして欲しい。

「まあ、楓がいいんなら別にいいけど。この人、他人の恋路を邪魔する以外はいい人っぽいし」

 かおりちゃんはそう言って、目の前のケーキを一口すくった。

 十月の『梓先輩引退をチャンスに一気に最後まで作戦(命名俺)』を邪魔したこと、まだ根に持ってるらしい。あれは梓から頼まれたから渋々引き受けただけで、望んでやったわけじゃないんだけど。

「ありがとう。かおりが認めてくれてうれしい」

「別に…楓が良いと思うんなら誰でも…」

「これで約束が果たせた」

「約束って、そんな大げさなものじゃないから…」

 

 こうして隣で見ているだけでも、二人の仲の良さがよく分かる。かおりちゃんの第一印象はあまり良くなかったけど、どうも梓のことになると人が変わるらしい。まあ、そのせいで俺が嫌われまくっているんだけど。

 

「ところでさ」

 置いてきぼりの状況を抜け出すため、無理に話に割り込む。

「お、おのれー」

「いや、2週間前に中古で買った作者にのみタイムリーなガンパレードマーチはどうでもいいから」

「確かにどうでもいいです」

 気まずい雰囲気。………しつこい?

「梓は進学しちゃったけどさ、まだ…諦めてないんだよね?」

「当然です。同じ大学に行くために勉強してますから」

「そ、そう…」

 梓も晴れて自由の身になったかと思ったが、ただの保釈状態だったとは。

「卒業式の日には告白しましたけど…」

「…したの?」

「はい。なにか?」

 いや、当人が変だと思ってないなら別にいいけど。

「そのときは振られちゃいましたけど、時間と距離を置いたら、梓先輩も私の気持ちに応えてくれると思うんです」

 登場人物を上手く入れ替えれば、いい話に聞こえなくもないんだけど………あれ?

「かおりちゃんが崎山くんに『諦めなさい』って言ったんじゃなかったっけ?」

「そうですが」

「その言葉、自分には適用されないの?」

「梓先輩と私は運命の相手ですから特別です」

「そ、そうですか…」

 気圧されてつい敬語になってしまった。

「でも、なんか崎山くんが哀れだな…」

 小さな独り言に、それまで黙って聞いていた楓ちゃんが反応する。テーブルから身を乗り出し、俺のほうに顔を寄せる。二つの瞳が少女漫画モードに突入しているかおりちゃんは、少しも気づかない。

「彼なんですけど…今、かおりの学校で同じ部活にいるそうです」

「陸上部に?」

「はい。それで、このまえ3人で会ったんですけど、そのときこっそり言われたんです」

「まさか…」

「はい」

 未練たらしい奴だ…まだ楓ちゃんを泣かすようだったらぶん殴って、

「私にはどうしても言っておきたかったらしいんですけど」

す巻きにして例の水門に放り込んで、

「今はかおりのことが好きなんだそうです」

「………………へ」

 問いかけにもならない、情けない声が出る。

「楓ちゃんじゃ…なくて?」

「はい。彼とかおりも、あれ以来仲良くなったんです。本人にはまだ伝えていないそうですけど」

「そ、そうなんだ…」

 安心するやら驚くやらで気が抜けてしまった。

 これも、キャストを入れ替えたらいい話になりそうなんだけどなあ…

 

 極端に報われない恋ばかり体験している崎山くんと、男から恋敵扱いされるであろう梓にひどく同情した。

 

 

「梓先輩、寂しくて泣いてるんじゃないかな…でも私、来年にはぜったい側に行きますからね…待っててください……」

 目をキラキラさせながら自分の世界に入ってしまった彼女を見ていると、彼がかおりちゃんのどこに惚れたのか、さっぱり分からないけど。


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