秘めたる想い
Leiji
ちゅん、ちゅん、ちゅん。
すずめの鳴く声が聞こえてくる。
あたしはお布団のなかで、うーんと伸びをした。
そして、はぁ、と息をつく。はいた息が白くなった。
いつもの、屯所のあたしの部屋。
今日も一日が始まる。
縁側から庭に降りてみる。
朝はまだ早く、庭の葉っぱにも霜が降りている。冬の京都はやっぱり寒いな。京都にきてからずいぶん経つけど、相変わらずこの寒さには慣れないな。
せっかく早起きしたんだから、なにか変わったことがしたいな。
庭を見回してみると、かべぞいにたてかけてある竹箒が目に付いた。
うん、これだ。
あたしは竹箒を片手に、屯所の門を出た。屯所といっても奉行所の一角を借りてるだけなんだけど。
警備の人にかるくお辞儀をして、あたしは朝の街路に出る。ちょっと手が冷たくなってきたけど、気にしない。
で、奉行所の塀の下をあたしは掃きだした。
ざっ、ざっ、ざっ。
屯所の庭だったらときどき鈴音ちゃんが掃除してたし、あんまりそれが上手いからあたしがやることがない。
でも、屯所の外の通りを掃除したりは……だれもやらない。
前のところでそれが気になってたあたしは、早起きできたある日に外の掃除をやってみたことがある。
鈴音ちゃんほど手際は良くなかったから、けっこう手間もかかっちゃったのを覚えてる。
でも、それよりもっと覚えてるのは、近所のおじいさんに掃除してたのをほめられて、おまけに柿までごちそうになったこと。
歳江ちゃんにはあとで「局長たる威厳に欠ける」と怒られちゃったけど、あたしにはとっても嬉しいことだった。
それから、あたしは早起きしたときにはときどきこうして近所のお掃除をしてる。
でも、もうあのようなことは当分ないんだろうな。
あたしたち新撰組は、京の治安維持のためにキンノーたちと戦っている。
けど、その戦いもあんまり上手くいっているというわけじゃない。
三年前の池田屋の戦いの後、報復戦争をしかけてきたキンノーとの戦いで、京の町は大きく傷ついた。
隊士の中でも大怪我をした者、命を落とした者もいた。
昔、試衛館時代からの仲間たちや京に来てからの仲間たちの中にも、規律を破って処分されたりする人もいる。そして、仲間割れから敵に回り、やむなく斬らなくちゃいけなかった人も……。
おっと、いけないいけない。せっかく早起きしたのに、暗くなっちゃいけないよね。
一通り掃除を終えて、あたしは屯所の中にもどった。
警備の人も、最近はあたしの趣味を覚えてくれてるのか、前みたいにへんな目で見たりはしない。
みんなで朝ご飯。
わかめのお味噌汁に塩じゃけ、たくわん。
奉行所に移ってからは、前よりもごはんは良くなったと思う。寄らば大樹のなんとやら、か。
歳江ちゃんはいつもどおり、静かに口を動かしている。
沙乃ちゃんとアラタちゃんのふたりも、さすがに歳江ちゃんの前でにぎやかにはできないみたい。あくまで物静かに、しゃけとたくわんのとりあいをしてる。本当、ふたりって仲がいいな。
気になるのは鈴音ちゃん。最近、あんまり食が進んでない。
身体の具合、ほんとに良くないんだろうか。
ご飯のあとは、午前の課業。
みんなが巡察に行ってしまうと、屯所にはあたしと井上のおじさんくらいしかいなくなってしまう。
あたしは部屋で書類の決裁。ちょっと前だったらあらかた歳江ちゃんがやっていたことなんだけど、最近はいよいよキンノーの動きも活発になってきている。先の長州攻めが失敗したあと、キンノーはますます勢力を伸ばしてきたらしい、と歳江ちゃんは言う。
手が足りない理由は、それだけじゃない。
つい先日の、御陵衛士騒動。あれで隊員のかなりの人数を、あたしたちは失うことになった。
それでとうとう、あたしも以前のように屯所でのんびりしているヒマもなくなってしまった。
以前だったら今頃は、井上のおじさんと二人でお茶でも……、という時間だったんだけど。
しょうがない。そのうちヒマを見つけて、また井上のおじさんとお茶がのめるといいな。
それにしても、この書類の山はなんとかならないものかなあ。
カーモさんみたいに「頭痛くなるから嫌」なんてことは言わないけど、他人様のお金でモノを買うとこんなにいろんな手続きが要るなんて、道場やってたころには考えもしなかったなあ。
けーこちゃんご本人、いや京都守護職・松平中将ご自身は、
「あー、そこらへんはてきとーでいいからさ」
なんて言ってくれるんだけど、全てがそれでうまくいくわけでもないし。
これがこうなって、ここがこれと関係してて、で、こっちがこれと同じことを書いてて……。
ああ、頭が痛いよぅ。
ん、これは?
この几帳面な字はすぐに誰の字だか分かっちゃう。歳江ちゃんの字だ。
どれどれ、「邪葡荷嘉俳句帳 三冊」……か。
……見なかったことにしよう。お仕事、お仕事。
午後は会津藩のお屋敷に行き、中将に今月のご報告。
例の御陵衛士騒動の件の報告をしなくちゃいけない。
ちょうどお昼だし、ついでに今日は外食だ。
近習の隊士をつれて、会津藩邸ちかくのお蕎麦屋さんに入る。
今日は……お小遣いが出たばっかりだから、たぬきそばにえび天、卵もつけてもらおう。
ついてきてくれた隊士にもお蕎麦をおごる。喜んでくれて、あたしも嬉しいな。
と、突然あたしの後ろから声がかかってきた。
「あ、局長。お疲れっす」
その声で、あたしは振り向く。
「島田くん! 偶然ね〜」
偶然とはいえ、ちょっと嬉しいな……。そんな言葉は、ちょっとまだ言えない、けど。
一応他の隊士の目もあることだし、あんまり嬉しそうにしちゃいけないかな、とは思う。けど、ちょっとくらい顔に出ても、悪いことじゃないよね?
「あ、局長、今日は豪勢ですねー」
「ふふ、お小遣い出たばっかりだもんね」
「いいなあ。俺なんかこの間アラタや沙乃と飲みに行って、かなり飲まれちゃったもんで……」
「ふ〜ん……。ね、良かったらおごったげようか?」
「え、ま、本気ですか?」
「うん、たまたま会ったんだし、ね」
「いやいや、嬉しいっすよ。今日はかけそば頼んで、汁とそば湯飲んで腹ふくらませようと思ってましたから。いや〜、さすがはゆーこさん、名局長!」
「あはは、それだったら大盛り頼むといいよ。良かったらあたしみたいにてんぷらつけてみる?」
「え、いいんすか? もう俺、マジで大感謝っす。こんなことだったら、これからお昼は毎日局長と食べようかな〜?」
「もう、そんなのあたしのお小遣いが保たないよ〜」
そんなことを言い合いながら、ちょっとだけ想像してみる。
お昼は屯所を出て、監察に出ている島田くんと待ち合わせ。
二人で並んでお昼。
お代はいつもわりかんで、ときどきおごってあげたりおごってもらったり。
そのあと、ちょっと河原で食後の一休み。
……ちょっと、がらじゃない、かなあ。
そんなこんなで会津藩邸。
あたしたち新撰組が、けーこさんのお抱えだってことが知れ渡ってるから、ここの警備の人はほかよりちょっとあたしたちを丁重にあつかってくれている。まだ世間から怪しまれてたころからずっとそうだから、ここは多分あたしたちにとって屯所のつぎに居心地がいい場所だ、と思う。
お座敷に通されて、しばらく待つ。
たいくつで眠くなりだしたころ、あちらの近習の人が「中将様の御成りー」と声をかけてくれる。
あたしは頭を下げた。
足音。
「近藤、オモテをあげい」
けーこさんだ。
「松平中将様にはごきげんうるわしく……」
まいどまいどの口上を繰り返すあたし。
「あー、分かった分かった。ほれそこの二人、さがっていいぞ。近藤の近習よ、そちもちょっとさがっとれ。菓子など用意させる、話が終わるまで待っておれ」
上下関係のある人間を退出させるけーこさん。そうしないとあたしもけーこさんも、いつもの口調で話すわけにもいかないわけで……。
「いつもいつも、お気遣いどうもすみません」
「ん、気にしなくていーって。こっちだって昔は『奥羽の赤き雌豹』だしね。分かっちゃいたけど家督なんて継いでから、固っ苦しくってありゃしない。そういうのを無視して話せる連中も、もうゆーこちゃんたちくらいだからねえ」
「大大名も大変ですよね」
「まったく。それはそーと、例の一件、お疲れ」
「ええ」
「甲子のことで今年は大変だったみたいだけど、これで一段落、ね」
「……はい」
「ずいぶんそっちも痛手だったようね。困ったことがあったらいつでも言ってよ。こっちのできる範囲でなら、力になるからね」
「ほんとうに、けーこさんにはお世話になりっ放しで……」
「いーのよいーの。表立って会津の兵を使えないこともこれまで何度もあったんだし、あんたたちのおかげでこれまで何回もこっちだって助かってきてるんだから。池田屋のときだって、大樹公からじきじきにお褒めいただいてるんだから、ちっとは自信もっていいんだからね」
「ありがとうございます、みんな……喜びます」
「うん。……それはそうと、ゆーこちゃんには聞いておきたいんだけど」
「……え?」
「あの、前に連れてきた子。島田くんだっけ、もう食った?」
「え、そ、その、食った、って……」
「はっきり言えば、もう寝た?」
「い、いえ、その、彼は、あたしの、そうあたしの大事な部下ですから……」
「つまり進展なし、と。……いろいろあったのは知ってるけど、言いたいことは言えるうちに言っておかないと、あとで後悔するよ?」
「は、はい……って、いったいなんなんですか、突然?」
「うん、今のうちに言っておけ、っていう『人生の先輩』からのアドバイス」
「今のうちに、というと?」
けーこさんのメガネの下の瞳が厳しくなる。
「キンノー、いよいよやばくなってきたようね。大樹公の上京の話は聞いてると思うし、あちこちからの動員令もかかってるから、うすうすは気がついてると思うけど……」
「いよいよ、ですか?」
「ん。場合によっては年明けそうそうにも、薩長のキンノー諸藩との全面戦争ね。それも先の長州攻め以来の、大樹公にご出馬いただくような規模になるわ、ありゃ」
「そう、ですか……」
「ん。いつもだったらそっちも『出世の機会』なんてのんきなこと言ってられるんだろーけど、今度はそうはいきそうにないわね。マジで天下分け目の決戦。覚悟はしといたほうがいいよ。ったく、こっちが下にでてれば思い上がりやがって、あの馬鹿キンノーどもは」
「……」
「だからね、言えることばは今のうちに……って、なんだかマジね」
「いえ、重要な情報、お教えいただいてありがとうございます。来るその日には、あたしたち新撰組もかならずや中将に目をかけていただいたご恩に報いるべく……」
「ちょ、ちょっと何よ、ガラでもない」
「……あ、やっぱりそうでしょうか? もしかしたら最後かなー、って思ったら、一回くらいきちんとお礼を言っておいてもいいかなー、って思ったんですけど……」
「馬鹿たれ。他の人間だったらそれでもいいけど、芹沢やあんたはそれ禁止。たしかにこっちはそっちにとってスポンサーだし、身分も全然違う。……けどね、少なくとも『ダチ』だって思ってる人間に、そんな言い方されて嬉しく思うほど、こっちゃ腐ってないつもりだよ」
「け、けーこさん……」
「……なんて、ね。最後、ってんならこっちにもこれくらい言わせなよ」
けーこさんの厳しい表情が緩む。あたしも微笑んだ。
その晩。
夕食も終わり、あたしは自分の部屋で一息いれていた。
それにつけても思い出されるのは、けーこさんの言葉。
「覚悟はしといたほうがいいよ……」
いつも飄々とした態度を崩さないあのひとが、本気で言ったことば。それだけにその意味は、あたしには重いものだ。
あたし個人なら、もう腹は決まってる。武士を目指してここまでやってきたんだ、今度の戦いがそれほど大きなものになるのなら、それこそ望むところ、と言ってもいいのかも知れない。
けど……。
と、あたしの部屋の入り口のふすまの桟を叩く音。
「誰ですか?」
「私だ」
あ、歳江ちゃんだ。
あたしはふすまを開けた。
「ちょっと失礼するぞ?」
「うん、座って座って〜」
「では、失礼して、と」
火鉢をはさんで座るあたしたち。
しばらくそのまま、歳江ちゃんは喋らなかった。
あたしは火鉢にかけた薬缶のお湯で、歳江ちゃんにお茶を淹れる。
「はい、お茶」
「あ、すまない。局長に茶を淹れさせるとはな、士道不覚悟、か」
「ううん、いいの。今日はなんだかそういう気分だから」
「そういう気分、か……。黙ってるのは趣味じゃないから単刀直入に聞くぞ。会津藩邸で何を聞いてきた?」
「あ、分かる?」
「長い付き合いだ、今日は夕方からずっと変だったからな。副長にも話せないことならしょうがないが、私でよければ話してほしいぞ、ゆーこ」
「ふふ……、歳江ちゃんにそう呼ばれるのも久しぶりだよね。じゃ、話すから……」
数十分後。
「……なるほど、それほど今度の戦いは大きくなる、か」
「うん」
「で、それが何か、問題なのか? 新撰組の舞台が大きくなることは、良いことではないのか? ゆーこ」
「うん、そう、なんだけど……」
「そうなんだけど……?」
「いい、のかなって思うんだ、最近……」
「つまり?」
「うん、……怒らないで聞いてね? あたしたち、本当の武士を目指してここまできたんだよね?」
「そうだな」
「なんだかね、最近……それが本当に正しいのか、って……」
「……」
「『本当の』武士になることが、間違ったことだとは思わないの。でも、それってあたしと歳江ちゃん、そして鈴音ちゃん、……これくらいになっちゃったじゃない、あのときからの仲間って」
「……」
「あたしたちが戦うのは自然なことだと思う。でも、ほかのみんなはどうなんだろう、って……」
あたしは、自分でも意外なほど喋っていた。それも、ある意味言ってはいけない言葉を。
不安だった。ずっと不安だった。
あたしたちの夢。それを目指すのは当然だ、って思う。でも、それに付き合わされるほかのみんなは?
アラタちゃんや沙乃ちゃんだったら、分かってくれるかもしれない。でも、ほかの平隊士のみんなは?
止まらなかった。人の上に立つ人間として、言ってはいけない言葉なんだけど。
最後は半分涙混じりになっていたあたし。
そんなあたしを、歳江ちゃんは立ち上がり、目の前まで歩み寄ってきて、そして……あたしを抱きしめた。
「……え、え、え?」
ちょっと予想外の反応をされて、戸惑うあたし。
そんなあたしの頭をなでながら、歳江ちゃんは静かに言う。
「私は口下手だから、どういえばいいのか分からんが……。私はこれまで、鬼の副長として皆を律してきた。新撰組に、お前の率いる組織に、最強の結束を用意するために」
「……うん」
「お前が動揺する気持ちもわかる。正直、ここ一年ほどの道のりはいま振り返ってもキツかった」
「……うん」
「でも、だ。私がこの新撰組に規律を与えたのは、こういうときのためでもある。上に立つものが道に迷ったとき、そのときに下のものが道を指し示す。そういう集団があってもいいだろう、そう思わないか?」
「……うん」
「そのための規律だ。幸い、皆は私の規律を受け入れてくれている。なんでだと思う?」
「……どうして?」
「そうだな、あえて言うなら……、それは、隊士の皆がお前のことを好きだから、さ」
「好き、だから?」
「ああ、そうだ」
「歳江ちゃんも? 鈴音ちゃんも? アラタちゃんも、沙乃ちゃんも? ……あ、あと、それと」
「ふふ、……島田の奴も、な」
「え」
な、なんで歳江ちゃんまで……?! 頬が熱くなるのが自分でも分かる。
「見てれば分かるさ。死んでいった奴らも、みんなゆーこのことが好きだった。だからこそ私の厳しさにも、皆がついてきてくれた。そうとは思わないか?」
「……そう、なの?」
そこまで話して、歳江ちゃんは私を放した。
「私らしくもなく、喋りすぎたかな。ともかく皆は、ただ局長だからというだけでお前についてきてるわけじゃない。お前も、もう少しみんなを信じてみたらどうだ?」
歳江ちゃんはちょっと笑った。
そして、じゃ、と軽く手を振って部屋を出て行く。
あたしを、みんなが、好き……かあ。
火鉢の炭を灰の中に埋め、お布団にもぐりこむ。
歳江ちゃんにたしなめられても、まだ正直動揺が収まっているとは思えない。
でも、今日は眠れそうだ。
明日はどうなるか、それはわからない。
ただ、今日はこうして生き延びた。
できることなら明日も、そしてその次も。
ちょっとだけお祈りして、あたしは目を閉じた。
どうか、みんなが幸せになれますように、と。