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Leiji
早鐘のような心臓の鼓動。
目の前に横たわる、からくりに心身を侵された少女のなきがら。
それを足蹴にしながら俺に短銃をつきつける坂本。
奴の端正な顔が嘲りの笑みに歪み、そして短銃の乾いた音。
肩口に、太腿に、つづけざまに走る衝撃。
四肢から力が抜けてゆく。やっとのことで刀を杖にして身体を支える俺。
奴はその俺を、満足そうに見下ろしてくる。
そして奴は、狙いを俺の胸につけ……。
は、と目がさめた。
薄暗い天井、月明かり。そして視界を半分遮る豊かな金色の髪。
「島田くん……?」
俺の顔を心配そうにのぞきこんでくる、妻。
「あ、カモちゃんさん……、いや、カモちゃん」
なかばぼんやりとした頭で、彼女の名を呼ぶ。
呼ばれた彼女は、何故か寂しげに笑った。
「島田くん、ずいぶんうなされてたよ?」
「……やっぱ、そう見えました?」
「うん。寝言、ひどかったよ」
「そうですか……」
ちょっと沈黙。
俺が見ていた夢は、一年ちょっと前の出来事だった。
京の治安維持を目的とする武装組織「新撰組」の一員だった俺の、最後の戦闘。
この戦闘で俺は刀を握れない身体になってしまい、直前におなじく重傷で再起不能の診断を下された局長・カモミール=芹沢、つまり今の俺の妻だ……と、ふたりで隊を抜けてこの近江の片田舎で暮らしている。
当初のしばらくの間は、ゆーこさんや歳江さんから餞別にもらった金で暮らしていた。ちょっとずつ畑を造ってみたりはしたものの、俺も彼女もそうそう以前のように動き回れる身体ではなかったのでやむをえない。
その金もいよいよ尽き、つぎは新撰組時代の武具やなんやらを売り払う番か、と思っていたのだが、驚いたのは彼女の回復の早さだった。
もともと新撰組時代から、鉄扇ひとつで刀や槍、はては銃までもちだしてくるキンノー相手に渡り合っていた豪傑として知られた彼女だが、まさかあの負傷からほんの数ヶ月で再起してしまうとは、そりゃお天道さまでも思うまい。
そんなわけで、復活した彼女が畑の開墾、まだ満足に動き回れない俺が家の中の仕事と彼女の手伝い、という分担がいつのまにかできあがっていたのだ。「武士は家事などしない」? 冗談ではない、使用人を山ほど抱えられる大身の家の子ならともかく、俺みたいな貧乏人の子ならひととおりの家事くらいはできる。むしろ純粋に家事の能力だけでいうなら、郷士出身とはいえそれなりに金持ちの家の生まれの彼女のほうがよほどヘタだったりするからな。
その分彼女の力はたいしたもので、農家一軒分を超える田畑をあっさりと作ってしまった。驚いた近くの村の人に頼まれ、稲刈りの手伝いまでひきうけて日銭を稼いできていたりもする。京にいたころは放蕩ざんまいの彼女に泥にまみれる暮らしができるのかどうか気になっていたが、どうやら杞憂のようだった。
そんなわけでなんとか自給自足できるだけの基盤は整った。うーむ、カモちゃんさまさまだ。刀こそもう持てないながら、俺の身体もそれなりに回復してきていて、今年の田植えは二人で済ませられた。晴れた日は田畑の世話、雨の日は隊時代に買っていた本で勉学に励む。そして夜は俺の料理の腕を披露し、食欲の次は……とまあ、やや早めの引退生活を満喫していた、はずだった。
それなのに、なぜ今頃になって……?
俺が上体を起こしても、まだ心配そうに俺を見ているカモちゃん(局長を辞めた今、「さん」をつけるのは禁止だったりする)。俺は彼女の金色の髪をなでた。
「だいじょうぶ、どうってことないですよ。心配かけて……、すみません」
「うん……」
また、沈黙。
どこかで虫の鳴く声がする。お盆を過ぎたこの時期、夏もそろそろ終わりだ。
沈黙を破ったのは、今度は彼女のほうだった。
「ね、……まだ、隊に戻りたい?」
「え?」
「新撰組に、戻りたい?」
彼女の問い。
「いや、だってもう俺、戦えない身体だからなあ……。戻ってもやることないよ」
「そうじゃなくて、戻りたい?」
「いや、何をいきなり。今言ったじゃん、戻れないって」
「そ・う・じゃ・な・く・て、戻りたいか戻りたくないか、それを聞いてるの!」
怒られた。
「いや、その、……戻りたいか戻りたくないかといいますと、その……」
「その?」
「その……」
戻りたいか、と、申しますと。
考えなかったわけじゃあ、ない。
ガキのころから、俺はずっと剣を学んできた。師範のとこでは一番の腕と言われて、立身出世にこの腕を生かすべく京の都にやって来た。
そこでたまたまであったキンノー、坂本との因縁。たまたまそれを救われたことから入った新撰組。
何度も危険な目に遭った。ついには死にかけたが、それ以前にも何度も怪我をした。キンノーを追う最中で、何度も相手を斬った。ときには斬りたくなかった相手をも。
でも、俺は新撰組にいることを恥じたことはない。むしろ、ずっと誇りに思っていた。
個性豊かな隊員たち、それをまとめる首脳陣の力量。俺の見る限り、当代一流といっていい剣客たち。京の治安維持に貢献してるという自負。そして……なにより、実力を認め合った仲間たち。
実力を認め合った仲間だからこそ、負傷で刀を持てなくなった俺が、戻るわけにはいかない。戦闘集団である新撰組に、戦えない人間は不要だ。
だけど……
「戻りたい」
俺はつぶやいた。
正直な気持ちだ。
「……そう、だよね。実のところ言うと、アタシも、そう」
「そうですか、やっぱり」
「うん……」
ちょっと微笑みあう。けど、その笑みは正直言って固いままだ。
そして、また沈黙。
「カモちゃんも帰りたい、ですか?」
「うん。ここでも京のことは聞こえてくるし。池田屋のあと、キンノーが復讐しに攻め上ってきたことも、そのあとの長州攻めのことだって、ね。でも、それでキンノーが全部いなくなったわけじゃないじゃん?」
「まあ、確かに。土佐のキンノー集団が処刑されたって話も聞きますけど、長州はまたキンノーが増えてきたって話ですから……ね」
「うん。まだまだ、新撰組のみんなのやることは残ってるんだって、思うし」
「ですね」
「だから、いつか身体が治ったら二人で、また隊にもどろーって……、思ってたんだけど……」
「あ……」
俺がダメだ。
彼女が予想外にも、あっさり回復してしまったのに、俺の回復はいつになるか分からない。
ちょっとだけ、彼女の表情が曇る。だから、俺は言った。
「行ってきてよ。俺の代わりに、みんなのとこへ」
「……!」
「これからの戦いは、京のなかでの斬り合いよりも、大きな戦場での合戦になる。カモちゃん砲だって、ここで錆びさせておくよりもずっと使い道があるはずだ」
「……うん」
「何より、みんなが戦ってるときに、俺たちだけがここでのんびり農業やってるわけにもいかない」
「……」
「だから……」
と、そこまで言いかけたところで彼女が顔を上げた。
俺は続ける。
「俺のことなら気にしなくていい。ここまで治したんだ、すぐに刀を持てるようになってみせる。そしたら必ず京に追っかけてくから、それまでみんなと仲良くしてて欲しい。正直、俺がいなくてカモちゃんがうまくやっていけるかどうか、の方が不安なんだけど……」
「うん、……頑張る」
それだけ言って、彼女は俺に抱きついてきた。
「……ん?」
「へへ、いつもいつも、島田くんには……アタシが面倒みてもらってるみたい、だよね」
「そんなこと……」
ちょっと思うけど。
「今度は、ひとりで頑張ってみる。島田くんも、早く追いついてきて、ね」
「うん」
「だから……」
俺に抱きつく彼女の力が増してくる。
というか、押されてる。
押されてる。
押され……というか、押し倒してくる。
「ち、ちょ、ちょっと、ちょっち待って!」
「待たな〜い。なんかそういう気になっちゃったから、さ。しよ?」
「いや、しよ、ってその」
「あ、口でどうこう言ってるわりに、こっちはもう準備できてるね〜」
「いやだからその、下くらい自分で……っと、言ってる間に!」
「ほれほれ、往生際が悪いぞ〜?」
「いや、だってその」
「問答無用、えいっ!」
朝。
カモちゃんが寝てる間に、俺は布団を抜け出した。
彼女が起きてくる前に、試しておきたかったことがあるのだ。
いつもは彼女が使っている鍬を手に、そとに出る。
つかっていない畑のところまで行き、俺は鍬を振り上げ、一鍬入れてみた。
ざくり、という土の音。そして、それと同時に傷痕から走る痛み。
痛い。けど……、耐えられない痛みじゃない。
昨日の晩はあんなことを言ったけど、俺は彼女ほど超人じゃない。たぶんもう二度と、戦場に刀を持って出て行くことはできないだろう。それは俺だけでなく、きっと彼女も分かっているはず。
だからせめて、彼女が後顧の憂いなく戦えるように、俺ひとりでもメシを食えるようにしておきたい。
いつか、彼女が疲れて帰ってきたときに、彼女によけいな苦労をかけさせないように。
俺の隊士としての誇りをも背負って戦場に戻る彼女のために、今の俺にできる精一杯のことを。
もう一度、俺は鍬を振り上げる。
これが新しい俺の武器。俺の立身を支える、新しい剣なんだ。
痛みに耐えつつ、さらに一鍬。
東の山の向こうから、朝日が差し始めていた。