鈍器のようなもの
「たあっ!」
ぶん。
「とお!」
ぶんぶん。
「うわわわ」
ばきっ。
「いたたた…」
どこかで見たような光景が、今日も繰り広げられていた。
空を切るメイスと、それをかわしながら襲いかかる魔物。そして、威勢だけは良いアコライト。
戦う相手はファーミリアからロッカーになっていたけれど。
「下水道でファーミリアと戦ったときに、少しはコツを掴んだと思っていたんだけど」
「あれはやっぱり、愛するシャリーのための奇跡だったんだねえ」
「………………脳にチョンチョンでも湧いてるんじゃない?」
しまりのない笑顔で私を見るロー。精神的な打たれ強さはたいしたものだ。それを少しでも肉体の方に回してほしい。
今日はカプラ職員の仕事が休みだったので、久しぶりにカプラの倉庫から(自分で)取り出した皮鎧とヘルムに身を包み、ローと二人で街を離れている。数日間の基礎練習を経て彼がどれくらい強くなったのかを、実戦で見てみたかったからだ。
しかし、ロッカーとの戦闘で実際に見ることができたのは、彼が『どれくらい強くなっていないか』だった。
私たちは道を離れ、木陰に移動する。街からここまでの移動時間1時間に対して、戦いの時間はわずか3分。早くも戦線離脱するようでは、効率が悪いどころかローの身体が保たない。私は実戦をあきらめ、講義を再開することにした。
風でほつれた髪をもう一度背中でまとめ、背負い袋から彼とほぼ同じ型のメイスを取り出す。もともと私の専門は両手剣だから、これは鈍器の使い方を教えるために購入したものだ。
「いい? 何度も言ったけど、鈍器や杖は一番使いやすい武器なんだから、基本くらい身につけなさい」
私は、取り出したメイスを両手に持つ。斜め30度で天を指すその先に、ローの丸顔がある。
「でも僕、戦いは専門外だし剣士の後ろで支援してる方が性に合ってるし傷つけるより傷を癒すのが聖職者の生きる道だし…」
「マジシャンが杖を使うのは、魔法の発動の助けになるから。アコライトが鈍器を使うのは、刃物を好まない教義のため。そう言われているし実際にその通りだけど、単純に武器として見てもこの2種類は扱いやすいから、戦闘に不向きな彼らでも使用できるという利点があるのよ」
次々に出てくる言い訳をすべて無視する。口の達者な彼に付き合っていては、いつまでたっても話が進まないことは学習済だ。
彼もようやく諦めたのか、一度しまったメイスを再び取り出す。こびりついたロッカーの体液が、かすかな異臭を放つ。
「じゃ、復習ね。剣より鈍器や杖の方が扱いやすい理由は?」
「え? えっと……なんだっけ?」
「剣は細い刃を鋭角にぶつけなければ威力が半減するけど、鈍器や杖は当たりさえすれば傷を与えられるから、でしょ」
あまりに見事な忘れっぷりに、少し声が大きくなる。
「そうそうそう。剣は致命傷を負わせることも出来るけどミスも多い、メイスは多少狙いを外してもダメージを追わせることが出来る、だったよね」
追いかけるように笑って続けるロー。なんというか、本当に得な性格だ。
「じゃ、基本の持ち方は覚えてる?」
「右利きの人間は左手で柄の根本を持って、右手を添える。肘は曲げないようにする。左手1本で勢いをつけるようにして、右手は狙いを調節するために使う。だったよね」
「分かってても実践出来なきゃ意味がないでしょ。さっきの戦いじゃ、相変わらずメイスに振り回されてたけど」
調子に乗って素振りまで見せるローに、私が冷たく応じる。数回の上下動を繰り返したメイスが、彼の頭上で静止した。掲げた右腕の陰から、おびえた小動物のように弱々しい反論を繰り出す。
「でも…相手だって動いてるわけだし…いつも正しい攻撃するのは難しいよ」
「当たり前じゃない。だからメイスで敵の攻撃を払いのけながら反撃する方法も教えたんだけど」
「一応……やってはみたんだけど」
またもメイスを振り回すロー。今度の素振りは払いの予備動作つきだ。
「あれじゃ駄目よ。交わすときの動きに無駄が多すぎる。敵と一緒に自分の体勢まで崩れちゃ、何の意味もないでしょ」
ローは肩を落としてため息をつく。持っていたメイスが軟らかい土に跡を残す。彼は、表情だけでなく動作もオーバーだ。
「分かった? じゃ、もう1度練習を始めるから」
「え? ここで?」
「大丈夫よ。ロッカーは無闇やたらと人間を襲うほど凶暴じゃないから」
「………了解です、先生」
『先生』の呼び名が出てくるのが、練習を始めるいつもの合図だった。私は左手を痛めているから、自分が教えたやり方に反して、右手でメイスの根本を持つ。それを見たローが、張りついた土を散らしながら自分の武器を構えた。私が寸止めの振りを繰り出し、それを避けながらローが攻撃を行う練習だ。私は防具をつけているから、多少の打ち込みがあっても傷は負わない。彼には遠慮なく攻撃するよう伝えている。
もっとも、ローが私にメイスを当てたことは、昨日まで一度もないのだけど。
そして今日も、ローの不名誉な記録は更新された。
「つ………」
「?」
「疲れたああああぁぁぁ……………」
地の底に沈むような声を上げると、ローは背中から木にもたれ、そのまま座り込む。
再度、木の下にて。太陽の上昇とともに影の面積は小さくなってきたが、それでもこの大木は、2人で休むに十分なほどの休息の場を作ってくれていた。特にローにとっては、モロクへの旅の途中にたどり着いたオアシスに見えたことだろう。当人は木に寄りかかり座っているつもりだろうが、腰ですらその体重を支えきれていない。その身体は、地面と限りなく平行に近づく。金色の髪が幹に掛かって数本取り残され、きらきらと木漏れ日を反射するが、そんなことを気にする余裕もないらしい。
「お疲れさま」
取り出した水筒からハンカチに水を落とし、軽く絞って彼の額に乗せる。
「冷たいいぃ………」
その布の重さ、もしくは心地良さがとどめだったのだろう。高い音を立てて、彼の後頭部が地面から溢れた木の根にぶつかる。やはり少々の痛みより疲労の方が堪えているようで、半分だけ口を開けた締まりのない表情で顔を伝う水滴を味わう。
これで舌でも出して涼を取っていれば、まるっきり『水浴びをする小犬』だ。悪いとは思いつつ、少し笑ってしまった。
「でも、ちょっとは身に付いたでしょ?」
「うーー……どうかなあ…?」
緩慢な動作で、仰向けになったまま首をひねる。
「まあ、練習の成果を戦いの場で出せるかどうかが大事なんだけど。相手のモンスターによって対処法を変えなきゃならないし」
「メイスを振り回すより、そういうのを憶える方がずっと得意だなあ…」
「それなら尚のこと、、基礎の動きを身体に覚えさせないとね」
「あ………やっぱりそうなる?」
「ええ」
その笑い顔では、頬の筋肉が震えていた。
「じゃあ、30分ほど休んでから練習を再開しましょうか」
「………?」
「次は………そうね、相手の目先を変えるために、振り下ろし以外の動作でやってみる?」
「……………」
「? どうしたの?」
いつの間にか1人で話していることに気づき、ローの顔を見下ろす。彼は相変わらず目を閉じたままだったが、その表情が若干硬くなっていた。
「ロー?」
「………え? あ、ああ、まだ練習あるのかと思って…」
「…当たり前でしょ。まだお日様は真上に居るんだから」
「そうだね………」
言いながら、ローは何か考え事をしているようだった。
「本当にどうしたの? 疲れが取れないならもう少し休んでてもいいけど」
「あ、大丈夫大丈夫。ただ…」
「ただ?」
「…ごめん。近くに川があったよね。そこで顔を洗ってすっきりしてくるよ。シャリーはここで待ってて」
「え…」
一息に言うと、返事も待たずに彼は立ち上がり、先刻までのぐったりした様子が嘘のように、素早く走り出した。
どことなく様子がおかしかった気もするが、走って追いかけるほどでもなさそうだと思い、浮かせかけた腰を下ろした。
ローが走り去り、5分ほど経っただろうか。
遅まきながら私も、何かが起こったことに気がついた。この場所から河辺までは、水の音が聞こえるほどの距離しかない。それなのにローは、いまだに帰ってくる様子もない。
私は地面に放っていたメイスだけを持ち、駆け出そうとして気がつく。ローのメイスが何処にもなかった。
「………ばか」
川へ水浴びに行くというだけで重いメイスを持って行く用心深さが、あの脳天気なアコライトにあるだろうか。
ここまで失態を晒した自分に、そんなことを言う資格はないのだけど。
数分前の記憶を頼りに、私はローが向かった方向へ全力で駆けた。
あてもなく森をさまよう覚悟は出来ていたが、進むべき道はあっさりと見つかった。若い女商人が、短い銀髪を揺らしながら息を切らせて走ってきたからだ。
「あ………た、助けてくださいっ!」
小柄な身体はとうに限界だったのだろう。それだけ言うと、彼女は私の足下へ崩れるように倒れ込んだ。肩どころか全身で息をしているその姿は、私よりいくらか年下に見える。全力疾走の過程で乱れたネックレスや髪を除けば、小綺麗な身なりをしていた。
「あなたの所に向かったアコライトはどうしたの?」
「私を逃がしてくれたんです。私も追われてきたから、そのあとどうなったかは……」
その先を聞いても有益な情報は聞けそうになかったから、突然の乱入者も会話の妨げにはなり得なかった。自身の頭ほどもある大きな斧を担いだ小男が、彼女が走ってきた方向から現れたのだ。薄汚れたシャツは汗が外にまで染み出し、足下でおびえる娘より
「おとなしくその娘を渡してもらおうか」
台本でもあるかのような陳腐な台詞を吐き、凄んでみせる男。だが、構えも何もなくただ肩に乗せただけのアックスが、その言葉から迫力を奪っていた。
「アコライトはどうしたの?」
私はこの男とまともな会話をするつもりはない。何も答えず、ただ自分が聞きたいことを聞く。
それを侮辱と捉えると考える理性もないのか、彼は嬉々としてしゃべり出す。
「ああ、邪魔をしてくれたあいつか。いまごろ俺の仲間にやられて…」
彼はまだ喋り足りないようだったが、私にはもう十分だった。体勢を低くして間合いを一気に詰め、右手のメイスを振りかざす。
「………こ…このっ!」
右手のメイスを隠していたわけでもないのだが、私が攻撃してくること自体が予想外だったのだろう。あわてて大きく振りかぶった斧が下へ動き始めたとき、すでに私はアックスの間合いからメイスが届く距離まで近づいていた。
けっきょく、斧は振り下ろされたのではなく、地面に落下したにすぎなかった。その自重で地面に突き刺さり、持ち主が腹部を強打されて倒れたあとも、細かく揺れながらその場に立っていた。
「あ、ありがとう……」
礼を言いかけた彼女を、手のひらで制止する。
「話は後で。あなたたちが居たのはどのあたり?」
「え? えっと、この道を真っ直ぐ行った、木の少ない開けた場所ですけど…」
「分かった。ロープか何か持ってる?」
「は、はい…持ってます…」
「じゃ、こいつの腕でも縛って、どこかへ逃げなさい」
私は白目をむいて転がった身体を見て言うと、再び駆け出した。
女商人の言葉は、短いながらも的確だった。下草の勢いが人間の足跡よりも遙かに強いような道を5分も行くと、彼女が言ったとおり、急に視界が開けた。人2人すれ違うのがやっとの道がちょっとした広場のように変わり、木々の枝から漏れ落ちるだけだった陽光が一気に勢力を広げた。
その平和な光景に似つかわしくない人間が、2組に分かれてそこに居た。
私の正面には、ついさっき倒した男と同じ斧を担いだ年若い男と、黒々とした髭で顔の下半分を覆った30過ぎの大男。
そして右横には、アコライトの僧衣に穴を開け、口から僅かに血を溢れさせた少年。大木にもたれかかっている、というより、そこに叩きつけられた、という方が正しいのだろう。右手から数メートル離れた愛用のメイスにより、彼の身体が数瞬前に描いた軌跡が知れた。
「ロー!」
私は後者に声を掛ける。なくなっていた意識が戻ってきたのか、その顔がいっそう苦痛に歪む。だがその反応は、より悪い事態を想像してしまった私にとっては、むしろほっとするものだった。
「そいつの仲間か? 大丈夫だぜ、親分が手加減してくれたからな」
綺麗に剃り上げた頭に太陽を映した若い男が、甲高い声で御丁寧に説明してくれた。一方、彼の言う『親分』は何も言わず、ただこちらを見ている。私は彼らから視線を外さないまま、ローの近くへゆっくりと移動する。
「どういうことか、説明してくれませんか? 理由もなしに仲間がやられては、黙っていられませんから」
細切れの吐息を悟られぬよう、早口で問いかける。
いつ戦いが始まるか分からないような状況では、全力疾走を長く続けるなどもってのほかだ。肝心の時になって息を切らせているようでは、命がいくらあっても足りない。
だが私は、その『もってのほか』のことをやっていた。自分の不注意に腹が立ち、冷静さを欠いていたのだろう。
だから、身体と気持ちが落ち着くまでの時間稼ぎの意味も込めて、彼らと話を始めた。
「理由? それならあるさ。そいつが人の仕事を邪魔をしやがったからだよ」
「こんなところで何の仕事です?」
「……もう知ってるだろ? 俺の部下をやってくれたんだからな」
髭の男が初めて声を発する。その言葉に驚いたのは、彼のもう1人の部下だった。
「へ? どういうことですかい?」
「ばーか」
言って、部下の髪のない頭を平手で叩く。
「いてっ!」
「こっちの道から来たってことは、時間から見てコンドの野郎とすれ違ったはずじゃねえか。それなのにこの嬢ちゃんがここに居るってのは、コンドがしくじったってことだろうが」
「ま、まさか」
疑わしい目で私を見る禿頭と、ベルトにぶら下げたチェインを右手に握り、油断なく構える大男。
能ある鷹が爪を隠しきっていない限り、前者の方は簡単に倒せそうだ。問題は後者。日に焼けた二の腕が見せる腕力だけでなく、武器の扱いにも手慣れている。
緊張しながらメイスの先端を男たちの方へ向けたとき。その先にある髭の固まりが上下に開き、その顔が一気に緩んだ。
拍子抜けする私に、先刻の印象とは正反対の人なつっこい笑顔で再び話しはじめた。
「なあ、ここは手を引いちゃくれねえか」
「………どういうことですか」
「無駄な喧嘩は好きじゃねえんだ。今から嬢ちゃんがそこに転がってる坊主を連れて余所に行くなら、俺たちもあんたらに仕掛けたりしねえからよ」
「親分! コンドの仇は…」
言いかけた男の頭に再度の平手打ちが入る。間抜けな高音が、静かな森に響いた。
「サファはこう言ってるが、こっちも嬢ちゃんの仲間に怪我させちまったんだからお互い様だ。そっちが仕事の邪魔さえしないなら不満はないぜ。俺も嬢ちゃんみたいに強そうな奴とやり合いたくねえんだ」
さすがに『親分』などと言われているだけあって、なかなか頭が切れるらしい。私が相手の強さを推し量れる程度に戦い慣れしていることを見越して、戦わずに目的を達成できる方法を取りたいのだろう。
「その仕事っていうのは、あの商人を追いかけ回すことですか?」
冷たい口調で切り返すが、堪えた様子は無い。
「なあに、取って食う訳じゃねえよ。必要がなけりゃ傷つけもしねえ。俺たちは、あいつが持ってる荷物がほしいだけなんだ」
「……泥棒? けっきょく悪いことでしょう」
悪びれた風もなく言ってのける男に、少しあきれて呟いた。
「ま、そうかもしれねえ。だが、それが嬢ちゃんたちに何か関係あるかい?」
「………」
「何も見なかったことにして立ち去るのが、賢いやり方だと思うがなあ」
視線だけは鈍らせず計算高い笑顔を浮かべる男を見ながら、考えた。
彼が言うことはおそらく正しい。そもそもあの女商人が、単なる被害者だとは限らない。元々は彼女の方が彼らの持ち物を盗んだだけかも知れないのだ。私よりローの方が状況を知っているだろうが、未だに眉をしかめて唸り続けている彼を見れば、何かを聞き出すことなどできるはずもない。
となれば。どちらが正しいのか判断材料もない状況で、無関係な私たちが首をつっこむ事ではないはずだ。
でもそれは、『本来なら』という条件付きだけど。
「私はそこのナンパ師みたいに、無条件で女の子の味方をするような人間じゃない。あなたが言うことが正しいのも判っている」
条件を呑むかのような言葉を発したにもかかわらず、『親分』はにこやかな表情を一変させ、垂れ下がったチェインの先端を左手に持ち上げた。
へらへらと笑う部下は気づかなくても、聡い彼は気づいたのだろう。私の言葉から、彼我の年齢差による上辺だけの敬意すら消えてしまったことに。
「でも。自分の仲間の傷と相手の仲間の傷を比べて『お互い様』なんて思うほど、私は賢くない」
僅かに下がったメイスを右手に握り直し、再びその延長線上に髭面が来るよう構える。用をなさない左手にまで、余計な力が入っているのが感じられる。
「………おい、手を出すなよ。おまえが掛かっていったって足止めもできねえぞ」
臨戦態勢に入った主人の迫力に気圧されたのか、口数の多いあの部下も無言で数歩後ずさる。それを確認した男は、両手でチェインを斜め前方に掲げた。
「喜びな、嬢ちゃん。あの商人を殺すのも可哀想だと思って、いつもみたいなグラディウスの二刀流じゃねえんだ。よっぽど不運じゃなきゃあ死なずに済むだろうよ」
英雄譚の決闘に付きものの、互いの睨み合いなどは一切なかった。
瞬きほどの時間も空けず、彼がこちらに駆け寄りチェインを振り下ろす。牽制として放ったその軌跡は直線的で、私は左に跳び難なくかわす。
その程度は織り込み済みだったらしい。土煙を上げて地面に叩きつけられるや、チェインを振り下ろした太い右腕がしなって私の身体を追う。下手な反撃を狙っていればまともに食らっていただろうが、回避に専念していた私には届かず空振りに終わる。互いの位置は変わったが、間合いは振り出しに戻った。
「ちっ!」
舌打ちをしてこちらを睨みつけるその顔は、なかなかに凄味があった。
ローには偉そうなことを言っているが、私もメイスの専門家というわけではない。実践で鈍器を使った経験はあまり多くなかった。この類の武器については、基礎的な修練を終えた程度だ。
お互い不慣れな武器かもしれないが、相手の腕はおそらく私を上回っている。武器のリーチも破壊力も向こうに分がある。勝ち目は薄いけど、たった1つだけ私に有利な点があった。
彼の焦りだ。
先ほどのように自ら懐に飛び込むようなことをしなくても、体格と武器の差を生かして距離を取った戦いをした方が安全に勝てる。彼もそんなことは百も承知だろう。しかし彼の目的は、私を倒すことではない。私を排除して女商人を捕まえることだ。だから彼には時間制限がある。
私はそこを突いていくしかない。だがあの二段攻撃は、それも容易ではないことを思い知らせてくれた。
悪い汗が、背中を流れ落ちる。
「もらったっ!」
「…ぐっ!」
数合の、というには『合』がない。変則的なチェインの動きに翻弄され、一方的に私が逃げまどうだけの時間が終わりを告げた。私の右手に鉄鎖が打ち込まれ、その衝撃でメイスがこぼれ落ちたその時に。
「はは、これで最後だな」
地面に転がった頼みの綱のメイスは、彼の右足により遙か遠くへ転がされた。なお痺れがが残る右手を押さえ、私は丸腰で彼の前に立つ。
「…っ」
「丸腰の相手に武器を振るうのは気が引けるが、こっちも商売なんでな。恨むなよ」
余裕の笑みを浮かべ、じりじりと近づく男。頭1つ高いその目を見つめながら、私はこの小さな広場の端へ端へと追いつめられていく。
僅か数歩の後退で、左足の踵が背後の木に触れた。
「…」
目の前の男は、鈍い光を放つ鎖を頭上に掲げる。あと1、2歩で私を捉える彼は歩みを遅くし、私の動きに目を光らせる。今更逃げようとしたところで、彼の追撃がすぐさま届くに違いない。
抵抗を半ば諦めたそのとき。意外な光景が眼前の大男の陰から覗いた。十数メートル離れた場所に転がった、私のものではないメイス。そこへ持ち主が這いずり寄っていたのだ。 服の前半分を土で茶色に染めながら、彼は愛用の武器を両手に掴んだ。
その視線が私に向けられたとき、ようやく彼の意図を察した。
背後の木が格好の踏み台となる。私は滑るように低空を跳んだ。
既に私を間合いに捉えていた男は、私が右や左に逃げることは予想しただろう。だが自分に向かって、それも何の攻撃もせずただ跳んで来るだけの動きは頭に入っていなかったに違いない。
武器を上段に構えるということは、完全な攻めの姿勢だ。逃げる敵には対処がしやすいが、近づいてくる敵に対しては死角が増える。慌てて振り下ろされたチェインは私の背後をかすめ、砂利を数個弾いただけだ。その間に私は彼の左横を転がるようにすり抜ける。傷めた左腕に体重がかかり痛みが走るが、構ってはいられなかった。
体勢を立て直して振り向いた彼が見たのは、メイスを持って左脛を打ち付ける私の姿だった。
放り投げられたローのメイスは、なかなかのコントロールで私の右手へと転がってきてくれたから。
「があっ!」
振り返る際の軸となった左足はそれに耐えきれない。大木が伐採されるように、巨体が倒れる。
「このやろ…」
かろうじて顔面からの着地を免れた男が目をやる先には、既に私は居ない。
立ち上がった私は、彼の背中めがけて最後の攻撃を始めていたから。
手慣れた戦いぶりから、彼の『普段はグラディウス使いだ』という言葉には半信半疑だった。だが、最後の最後でようやくそれが事実だと分かった。
背中に迫るメイスを察知した彼は、二刀流の人間が得意とするように、最後の抵抗として手にした武器でそれを受け流そうとしたからだ。
身体が覚えた動きというのは、瞬間的に機能する代わりに応用が利かない。今回の教訓として、ローにはしっかり教えておこうと思う。
グラディウスならともかく。柄から先が自在に動くチェインでメイスを受け流せる訳がない。
鎖をまとった鉄塊が背中を直撃し、半ば起きあがっていた彼は再び地に伏した。
私が顔を上げたとき、今度は顔から倒れた男の部下は、きれいさっぱり逃げ去っていた。
「部下に恵まれてないわね」
ほんの少しの同情も込めて呟きつつ、気絶した男の身体を眺める。
「…本当にごめん。危ない目に遭わせちゃって」
顔を上げたその先には、破れた腹部の布を左手で押さえたローが立っていた。持ち前の締まりのない笑顔が見る影もない。
「……」
無言で彼に近づくと、なお痺れが残る右手で金色の草原を真上からはたく。
「あたっ!」
前方に90度お辞儀した頭をゆっくり上げ、上目遣いに私の表情を窺う。
「自分で片づけられないことには首を突っ込まないようにしなさい」
「でも…女の子の悲鳴が聞こえたし……」
改めて思い返すが、私にはそれらしい音がまったく聞こえなかった。彼の耳は妙な方向に特化しているらしい。
「じゃ、せめて最初から私を連れて行けば良かったでしょうに」
「それじゃあシャリーがやきもち焼いちゃうかな、と思って……」
そこそこ血も流したはずなのに、まだ減らず口をたたく余裕があるらしい。もう少し強く叩いてやれば良かった。
……いや、いっそ最初から放っておけば良かっただろうか。
呼吸はしているものの目を覚ます気配のない親分−−子分2人の名前は分かったが彼の名前は最後まで聞かなかった−−をおいて、私たちはやって来た道をたどって戻り始める。
まず向かうのは、結果的に味方してしまった商人が待つあの場所だ。
このあと、彼女のためにもう一つ厄介事に巻き込まれてしまうのだが、それはまた別の話である。
あとがき
シャリーのメイス講座は結構いい加減だと思います。
ベースとなる知識が、昔かじった剣道しかないですから。しょせん付け焼き刃。
この話、次回に続きます。前編と後編にあまり関連性はないと思いますけど。