錬金術師とその助手
松本 裕太 


 ほんの数分前。私は「自分で片づけられないことには首を突っ込まないように」といったはずだ。
 その教訓は青痣となって彼の腹部に残っている。

「お願いっ! あたしと一緒についてきてっ!」
 銀髪の女商人が、ローの両腕を掴んで頭を下げる。
 ローが薄い胸板を右の拳で勢いよく叩く。
「うん! 僕にまかせて!」

 教訓はまったく生かされなかったようだ。

 そのときの私はというと。
 あの手の少し幼い顔立ちでこういうことを言うとちゃんと御利益があるんだなあ、と冷静に観察していた。
 自分で吐き気を催すほど似合わないから、私には一切役に立たないけど。



「いってらっしゃい。私はプロンテラに帰るから」
 数十秒後に口をついた私の答えは、客観的に見て至極もっともなものだったという自信がある。



「うちの先生はすごいのよ。錬金術師としても一流なんだけど、それだけじゃないの」
「どういうこと?」
「ローくんみたいなアコライトやプリーストの『奇跡』も融合させて、すごい道具を作るんだから」
「へえ。確かに聞いたこと無いなあ」
「………私、どこかで聞いたような気がするんだけど」
「え? 大陸中を探しても、そんなことができる人はほとんど居ないんだって話ですけど」
「どこで聞いたんだっけ…?」
「まあ、家に行ってみれば分かりますよ」
 なだらかに続く上り坂。少しずつ険しくなる傾斜を乗り越え乗り越え、私たち3人が歩いていく。
 結局ついてくる私も、付き合いが良いというか何というか。

 彼女の名前はステイ。この近くの山中に住む、錬金術師の助手をしている。普段は研究の手伝いをし、必要な材料や器具が出てきたら買い出しに街まで出向いているらしい。
 先刻彼女を襲った連中は、その錬金術師の研究の邪魔をしている輩だという。彼らが追ってくるのが怖いから、私たちについてきてほしいのだろう。
 嘘をついている口振りではなかったけれど、彼女の落ち着きのない言動を見ると、全幅の信頼を置けない気がする。自分の側に都合が悪いことは言っていない、とか。

 初対面の人間に「スーちゃんでもスッティーでも好きなように呼んでくださいね!」と言われたとき。その相手に親しみを感じる人間と、逆に距離を感じてしまう人間が居る。
 前者の代表は、彼女の隣で興味深そうに話を聞いているが。



 小さな山とはいえ、頂上がごく間近に見えるような場所。人の通り道からもかなり離れたところに、その小屋はあった。
 『小屋』というよりほかない、古びた建物の外。同じように雨風に朽ちかけたようなテーブルが1つと椅子が2つ。
 背中まで届く赤褐色の長髪を、先端近くで無造作にまとめた男性がそこに座っていた。柔和な笑顔は若く見えるが、歳は30を幾つか超えているだろうか。
 これが誰なのか、考えるまでもない。山びこが響きそうな音量で、ステイが名前を呼んで走っていった。何というか、ローとは別の意味で分かりやすい子だ。
 彼女曰く『一流の錬金術師』、ウェル先生のお出迎えだった。

「おかえり、ステイ。危ないことはなかったかい?」
「連中が雇ったらしい奴らに追われましたけど」
「え! 大丈夫だった?」
「はい。この2人が助けてくれたんです」
 そう言って彼女は、主に向けた身体を半分ずらし、後ろから歩いてきた私たちの視界を開いた。
「シャリーさんとローくんです」
「こんにちはー。ローフィですー」
「初めまして」
 気力を根こそぎ奪われるような声が、深めに下げた私の隣から降ってくる。真面目にお辞儀をした自分が馬鹿らしくなった。
「はじめまして。ステイを助けてくれてありがとう。私の名前はウェル。ここで錬金術師をやってます」


「ステイの恩人に何のおもてなしも出来ず、申し訳ありません」
「いえ、気にしないでください」
 こぽこぽと音を立て、ポットに注がれるお湯が霧を作る。ウェルさんの鼻に乗った小さな眼鏡が白く濁った。
 白木の丸テーブルを囲んで椅子が4つ。そのうち2つは、私とローのために物置から運び出されたものだ。紅茶を準備するウェルさんと、小さな音を立てながらティーカップを並べていくステイ。私たちは2人をぼんやり眺めていた。
「お上手ですね」
 慣れた手つきで茶葉を配合していくウェルさん。何種類もの缶から、迷う様子もなく葉を選びとっていく。
「好きなだけですよ。こうやって葉を調合して美味しい紅茶を作るのは、仕事に通じる物がありますし」
 錬金術師など、無学な私の理解をはるかに超えた存在だが、何を生業にしているかくらいは知っている。価値のない物から価値のある物を、世にある物から世にない物を作り出す人々だ。
 納得した私の視線を勘違いしたのか、彼は慌てて一言付け加えた。
「あ、別に皆さんを実験台にしようと言うわけではないんですよ」

 被験者が味わうには勿体ないほど落ち着いた味の紅茶を頂きながら、お互いの自己紹介が始まった。
 ウェルさんは、世界中を転々としながら研究を行っているらしい。ここしばらくは、この山小屋で暮らしているそうだ。その助手兼買い出し係兼炊事洗濯係がステイというわけだ。
「でもここ、研究には不便じゃないですか?」
 錬金術師は研究室にこもって試験管を傾けている人種、という偏見があった。これは思わず発してしまった不躾な質問だ。
「誰より早く未知の発見をしたいというなら、アルデバランの錬金術師ギルドに蓄積された知識やプロンテラの豊富な物資が役に立つでしょうけどね。私の研究は、そういうタイプのものではないんですよ」
「どういうことです?」
「誰もが存在を知っている技術を、より使いやすくする研究です。だから高度な機材や実験材料はあまり必要としません。むしろ、こういうのんびりした所で考えた方が、変わったアイディアが浮かぶんですよ」
「連中に見つからないように、って理由もあるんですよ」
 ステイが、口にするのも不快だと言わんばかりの口調で付け加える。
「ステイを追っていた人たち、荷物に興味があるみたいでしたけど…。研究の成果を盗みたかったんでしょうか?」
 その言葉で鈍痛まで思い出したのか、ローは開けられたままの服の穴に手をやる。白い皮膚が覆い隠された。
「それはないです。単に研究の邪魔をしたかっただけなんじゃないかと」
「先生は甘いですよ。あいつら、もっともっとタチが悪いですって」
 人畜無害そうなこの錬金術師には、あまり相応しくない物騒な話だ。
「いったい何を研究されてるんですか?」
 ローは他意のない素朴な疑問をぶつけただけのようだったが、その顔を見るウェルさんの視線が、急に厳しくなった。
 だが、それも一瞬のこと。彼は、母親が子供をなだめるような口調ではぐらかした。
「ある種の人たちには、とても容認できない研究ですよ」



 お茶の時間の終わりとともに風が強くなり、あれほど輝いていた太陽もとうに雲間に消えた。この程度の標高でも、やはり山の天気は変わりやすいのだろう。私たちは急いでティーセットの片づけに入った。各自分担して、小屋の中の洗い場に運び込んでいく。
「シャリーさん」
 用意して貰った椅子2脚を運んでいた私に、桶へカップを沈ませていたはずのウェルさんがいつの間にか近づいていた。
「何か?」
「すみませんが、あとでお聞きしたいことがありまして」
「そうなんですか? ではこれが終わったらローと…」
 私が皆まで言い終わらないうちに、彼が慌てて首を振る。
「いえ、できればあなただけに来てほしいんです」
「は……はあ」
 意図が分からないまま、やや同意に傾いた曖昧な返事をしてしまう。それを素直に受け取ったウェルさんは、
「そうですか。では、2階でお待ちしていますので」
聞き返す暇もくれず、足取り軽く階段へと向かう。
 座面をあわせて積み重ねた椅子を持ったまま、私はそれを見送った。






 ローとステイが、階段最上部に陣取っている。かなり難易度の高い、タワー状の姿勢で壁沿いに重なった2つの顔がこちらを見ていた。

「何よあれ。2人でコソコソ話して…」
「やっぱりシャリー、年の差を気にしてたのかな。僕に隠れて2人っきりで良い雰囲気になっちゃって」
「あなたと彼女、何歳差なの?」
「8歳だけど」
「それはきついわねえ…」
「大丈夫。シャリーのためなら8歳くらいすぐ追いつくよ」
「…ウェル先生に時間を超える薬でも作ってもらいなさい」
「………………………それ、いいかも」
「緩みきった顔で妄想に浸ってるところ悪いけど、歳とったからって身長まで伸びるとは限らないわよ」
「大丈夫だよ」
「根拠ゼロの自信はいいから、あたしの話聞いてくれる?」
「………へ? 何?」
「あんた、あの人のこと好きなんでしょ? ちゃんと首に縄つけて放さないようにしなさいよ」
「…あ」
「な、何よ」
「ステイ、ウェルさんのことが好きなんだね」
「どうでもいいでしょそんなこと」
「君とウェルさん、何歳差なの?」
「反撃のつもり? 悪いけど絶対教えないから」
「18歳くらいかな?」
「失礼ね! 15歳よっ………あ」
「それはきついねえ。ウェルさんに時間を超える薬でも作ってもらったら?」
「うるさいっ! 年上趣味の何が悪いのっ!」





「………」
「………」
 私は、ついに取っ組み合い(正確にはステイが一方的に掴みかかっているのだが)を始めた2人を指さす。そこまでしても、彼らに変化は訪れない。私たちの監視という当初の目的は、とうに忘却の彼方なのだろう。
「…あの2人、あれで気づかれていないと思ってるんでしょうか? それともわざと?」
「前者だろうね」
 自分の助手を見て笑いながら言ってのけるこの人は、錬金術の腕前を除いてもかなりの大物だと思う。

 私が2階に来てから十数分。ウェルさんの研究の実態を聞き、彼の質問にいくつか答えていたところだった。
 彼の研究成果の凄さはそれなりに理解できたし、ローを遠ざけて私だけに話を聞きたかった理由も良く分かった。
 当然ながら、あの子たちが考えているようなものではない。だが、それを説明するのはなかなか難しい。ついに鬼ごっこをはじめたローとステイが階段を駆け下りてゆく足音を聞きながら、どうでもいい悩みに頭を痛めた。


 結論から言って、その悩みはまったく無駄に終わる。
 ある乱入者の登場によって。


「先生助けてっ!」
 さっきの倍の勢いで階段を駆け上がってきたステイ。転がるようにして、私とウェルさんが座るテーブルに駆け寄る。遅れること十数秒。体格に似合わぬ短いグラディウスを2本持った髭面が、ゆっくりと階段を上がってきた。
 その足音を聞いて、テーブルの横に立て掛けていたメイスを慌てて握る。
「武器を置いてもらおうか」
 思い出したくもなかったが、記憶が無理やりに呼び覚まされる。つい先ほど森の中でやり合った、あの男だった。私はウェルさんの手を引き、ささやかなベランダに面した窓を背にする。ステイも必死になってついてきた。彼らとの距離は5メートルあるかないか。
 状況は把握できているだろうが、ウェルさんの表情には変化が見られない。穏やかに笑っているだけだ。
「わざわざ後をつけてきたの? 仕事熱心にもほどがあるんじゃない?」
 テーブル脇にあった背負い袋からメイスを取り出し、右手に構える。僅か数メートル先に見える男の顔は、私とは対照的に余裕たっぷりだ。
「今度は十八番の二刀流だ。さっきみたいにはいかねえぞ」
「こっちは3人居るんだけど、その計算はできないみたいね」
 口元だけを微かに歪め、彼が笑い飛ばす。
「その錬金術師は戦いなんかできねえって調査済みだ。そっちの嬢ちゃんも戦力にはならんさ。なあ?」
「そうですね」
「ごめんなさい! 無理です!」
 他人事のように頷くウェルさんと、男の一睨みで震え上がったステイ。私は胸の奥でため息をつく。ハッタリにくらい付き合ってくれても、バチは当たらない思ったのだが。
「それにな。今度はあの坊やの助けも入らねえぞ」
 何を演出しているのか知らないが、その言葉と同時に彼の2人の部下。確か、斧を担いだ方がコンド、頭を剃り上げた方がサファという名前だ。
 そして、そのサファの両手は。
「ごめん……」
 涙目のアコライトの両手首を、その身体の後ろで括っていた。
 誰かを人質に取られるというのは、生まれて初めての経験だった。
「だから武器を置けって言っただろ? こいつの命が惜しかったら、だがな」
 大男の笑みはいっそう深くなった。
「こういう卑怯な手口は使わない親分さんだと思ったのに、私の勘違いだったみたいね」
「善人より悪人の方が真面目に仕事をやり遂げるもんだ。その手段は問わねえけどな」
 最後の挑発にも動じず、男は泰然自若と短剣を構える。
 メイスを構えるべきか下ろすべきか迷っていた私の手に、血管が浮いた細い掌が添えられる。見た目よりも強い力でそれが押され、私のメイスはその先端を床に落とす。思わずウェルさんの顔を見ようとしたが、彼は既に私の前に立っている。その表情を窺い知ることは出来ない。
「皆さんの目的は何でしょうか?」
 賊に押し入られた家の主とは思えない穏やかな声で、ウェルさんが男に問いかける。きょとんとして短剣の角度が僅かに下がった男も、同じ感想を抱いたようだった。
「安心しな。命までとるつもりはねえよ。俺はあんたの作ったオーブを持って帰りゃそれでいいんだ」
「ああ、ステイに渡して試してもらっていたあれですね。確かに効果はいちおう発揮できますが、まだ試作品で耐久性に問題が…」
 そのまま研究の説明に入りそうな会話を引き取って、男が声を被せる。
「構やしねえよ。それを、ここにあるだけ渡しな。何個か隠そうなんて思わない方がいいぞ」
 ステイには効果を発揮した男の威嚇も受け流し、ウェルさんが答える。
「ステイ。あのオーブ、まだ持ってますか?」
「………持ってません。全部使っちゃいました…」
 悪いことでもしたかのように落ち込むステイを見て考え込んだウェルさんは、やがて小さく頷いた。
「では、これが最後ですね」
 胸元に手を入れ、掌にすっぽりと収まる小さな球体を取り出す。前方に掲げられたそれは、薄い紅に染まっている以外はただのガラス玉に見える。これが先ほど私とした話で出てきた、新しいオーブなのだろう。
「…確かに聞いていたのと同じ外見だが……本当にそれが最後の1つなのか?」
「ええ。信じられないなら家中探せば良いでしょう? ご自由にどうぞ」
 まったく慌てず言ってのける。もしこれが嘘だとしたら、ウェルさんは相当の役者だ。数秒の間にらみを利かせた男もとりあえずは納得したらしく、一歩前に出て眼前のオーブに近づく。
 しかしウェルさんは、近づかれた距離と同じだけ後ずさり、その間合いを保つ。彼の左肩と私の右肩がぶつかり、鈍い音を上げた。
「…どういうつもりだ?」
「先にローフィくんを放してください」
 険しくなった男の顔も意に介さず、ウェルさんは続ける。
「せめて交換じゃなければ、これは渡せません」
「何考えてやがる。条件出せる立場じゃなかろうに」
 大きく息を吐き出して、ウェルさんが頷く。
「分かりました。では、ローフィくんを捕まえた彼だけはそのままで結構です。あなたとそちらの斧を担いだ方、お二人だけこちらにいらしてください。刃物を持った人が彼の側に居ては、これは渡せません」
「………」
「………」
 短い対峙の後、男の顎髭が上下に割れ、奥からヤニがこびりついた前歯が覗く。
「分かった分かった。そのかわりその嬢ちゃんはメイスを捨てな。また痛い目に会いたくないんでな」
「……へ? あたし?」
 呼びかけが同じ『嬢ちゃん』だったからステイまで反応したが、これは私に向けられた言葉だ。
 右膝を付き、メイスを彼らの方へゆっくり滑らせる。凹凸の激しい材木に弾みながら、髭の男の元へ届く。彼は視線も向けず左足で踏み、身体の外側へ蹴り出した。空きの多い本棚にぶつかり、不安定に立っていた数冊の本がバタバタと横倒しになる。
「よし」
 男は背後の部下に声を掛ける。斧を担いだ男、コンドがそれに応じて数歩前に出る。彼はウェルさんでも主でもなく、私にだけ鋭い視線を送っていた。
 腹には青痣の1つも残っているだろうし、その原因となった私を忘れるわけもない。大男は取引に応じる限り武器を振るうことはないだろうが、部下の方はどうか分からない。

 もっとも。
 私は何の心配もしていなかった。ウェルさんが私と同じ考えなら、この2人はすぐに無力化されるはずだ。
 私の視線は彼ら2人を越え、ローの手首を掴んで放さないサファという男に向かう。
 その途中で見えたローの顔は、自分の数歩前を行く2人の男を見つめていた。

 状況を見極めようとするその姿勢だけは、少しだけ好ましい。


 ウェルさんの動きは、予想より素早かった。隣に居る私すら聞き取れないほど小さな声で、言葉を唇に載せていく。
「てめえ魔法使いかっ!」
 それに気づいた大男は、とっさに前へと駆け出す。意表を突かれたにしては良い反応だった。それに一歩遅れて、コンドも上司の後に続く。背後で縮こまったのだろうか、ステイのくぐもった悲鳴が響いた。
 男の行動は的確だ。ウェルさんの立っている場所まで僅か3歩ほど。普通の魔法なら一度撃てるかどうかという間合いだ。大魔法なら詠唱が終わる前に片をつけ、ソウルストライクのような詠唱の短い魔法なら、一撃喰らっても耐えられるから2撃目が来る前に斬りかかることができる。そういう読みだろう。
 だが、その計算は間違いだ。まず前提が間違っている。ウェルさんは魔法使いではないから、これは魔法の詠唱ではない。行おうとしているのは誰にでも使えるよう簡略化されたものだから、時間もほとんどかからない。簡単な言葉と、道具があれば発動する。

 新しいオーブの効果は絶大だった。私たちの目の前に、見慣れた青の光が出来上がる。ただ、その大きさだけが見慣れないものだった。かなりの加速で飛び込んできた2人の男は為す術もなく捕らわれる。その光景は、水槽に閉じこめられた哀れな魚を思わせた。
 そんな感想も一瞬。2匹の大きな魚はすぐに薄れゆき、怒りと驚きが入り混じった表情を最後に、跡形もなく消え去った。
 確認した私は部屋の端へ跳ぶ。巨大な青の円柱の脇をすり抜け、事態が飲み込めず突っ立っているサファへと駆けた。
「こ…このやろう…!」
 慌てて彼は、目の前のローを床に叩きつけ、ベルトに隠し持っていた短剣を握る。
 親分とは違い、彼は冷静な判断が出来ていなかった。人質という切り札を捨てなければ、まだ面倒な事態になっていただろうが。
 左足を床に叩きつけ、加速しかけた身体を無理やり押しとどめる。私の目の前で振り払われた短剣は、大きく空を切った。さらにその勢いで身体のバランスまでをも大きく崩す。
 左に流れてしまった身体を立て直す暇はなかった。私の右足が彼の無防備な脇腹を完全に捉え、1メートルほど離れた壁へ飛ばす。打ち所が悪かったのか、サファという男は起きあがる気配もない。
「オーブを貸していただけますか?」
 いつの間にか、不定形の青い光は姿を消していた。ウェルさんとステイが歩み寄ってくる。私は戦闘向けの姿勢を元に戻した。机の脇に置いていた袋からカプラ職員が持つオーブを取り出し、ウェルさんに渡す。
 笑顔で頷いたウェルさんは、それを手にしてまだ意識を取り戻さない男の前に立つ。
「お仲間と同じ所へお送りします」
 先ほどのものとは比べ物にならない小さな青い光がサファを包む。彼は半口を開けた間抜けな表情のまま、どこかへと消え失せた。
 このささやかな光を、全力で駆ける人間に当てるのは至難の業だ。先刻の作戦は、あの新しいオーブがなければ無理だっただろう。

「いたたたた…」
 背後から、気の抜ける声が聞こえる。振り向くと、掌で右のこめかみを押さえローが起きあがっていた。
「大丈夫?」
 両手を掴まれたまま前に放り出されたため、顔の前で手を突くこともできなかったようだ。隠された場所以外にも、鼻の頭が赤くなっている。
「たぶんね。こぶになってるだけみたい。あの人にシャリーほど力がなくて助かったよ」
「…余計なことは言わなくていいから」
「はい」





「カプラサービスの会長?」
「肩書きだけですよ。経営は社長さんに任せっきりですから」
 ウェルさんは自分の身分をローに話すのは気が進まないようだった。だが、彼もワープポータルを使う人間だ。聖職者の奇跡とカプラ職員の空間転移の違いくらいは気がつく。最低限の説明はしなければ、好奇心旺盛なこの男を納得させることはできなかった。
「シャリーとはそのことで話をしてたんですか」
「ええ。1度だけプロンテラ支社ですれ違ったことがあったので、ひょっとしたらと思いまして。カプラの普段の仕事について教えてもらっていました」
「良かった……」
「……その感想は何?」
 呟いた言葉は彼の耳を素通りして逃げていったようだ。何の反応も示さない。
「それもただの会長じゃないんだから。カプラ職員が使うオーブを開発したのは先生なのよ」
「え……すごい……」
「ステイ! そんなことは言わなくても良いんです!」
 ローはただただ感心するばかりだったが、ウェルさんの反応は違った。言葉だけは丁寧だったが、口調は叱責と言うに相応しいものだ。
「あ……。ごめんなさい…」
 こちらも似合わないほど落ち込むステイ。彼女にも、ウェルさんの意図がやっと伝わったようだった。
「えっと…」
「じゃあ、さっきのは新しいオーブの力なんですね?」
 どう収拾をつけようか迷っていた私は、見事に無視された。彼の両手ははウェルさんの両手を握って離さない。生まれて初めて魔法を見た子供のような目だ。
「え、ええ………。空間転移の効果を一定範囲に及ぼすための実験作ですが…」
「じゃあ大勢でどこかへ行くときはあれを使えば便利になるんですね?」
「いえ、まだ実用段階ではないんです。オーブの耐久性に問題がありまして、費用が掛かりすぎるのですよ」
 粉々に割れて床に落ちたオーブの欠片を指さすウェルさん。ローの勢いに押されて、黙っておきたい筈だった事を、どんどん喋っていく。
 もっとも。何かというと自分の研究を説明したがるのは、ほぼ全ての賢者や魔術師、錬金術師に共通する資質だ。
「やっぱり普通の空間転移より力が必要なんですか?」
「そうですね。今までは人とその身につけている物、だけでした。これはある一定の範囲にある物すべて、です。必要なエネルギーは比較になりません」
「でも、一度だけでも成功するのは凄いですよ!」
「自然界に発生した魔術的エネルギーは、その場に留まって形を成す瞬間を待っているだけではありません。目には見えず動きも緩やかですが、それは世界中を循環しています。その魔術的な『風下』への転移に使用を限定すれば、エネルギーの不足も補えなくはないのです。そしてその『追い風』を捉えるには……………………」

 カプラオーブという世界を変えてしまうほど偉大な発明をしたウェルさんも、その意味では他の錬金術師と同じだった。
「…先生、こうなると長いんですよ…」
「その上ローは、ものすごく聞き上手だしね…」
 私とステイがため息のハーモニーを奏でている間も、1対1の臨時講義は続いていた。


「お世話になりました」
「大丈夫ですか? お送りする必要はないですか?」
 外に出ると、夕日が山の端に沈む時間になっていた。雲は昼から大きく膨らんでいたが、雨が落ちるには至らない。
 家の前で別れの挨拶をしたところで、私はやっと思い出す。
「そういえば……さっきの3人はどこへ行ったんですか?」
 新しいカプラオーブと旧来のオーブの空間転移で消えた3人。「同じ場所へ」とは聞いたが、どこへ行ったのかは確認していなかった。
「アルデバランのカプラ本社ですよ。実はあの街は、この大陸でゲフェンに次いで優れた魔術的風下です。その一角に本社の地下牢を作ってもらいました。今ごろは本社の人たちに監視されているでしょうね」
 にこにこと笑いながら言ってのける。この錬金術師さん、意外に怖い人かもしれない。
「じゃあそちらの心配もないですね。僕たちはワープポータルで帰りますから」
「そうですか。またお越しください……とは言えませんが」
「え?」
「まあ、見つかっちゃいましたしね」
「またどこかに引っ越すのよ」
 ウェルさんとステイは、ごく普通にそんなことを言う。
「そんなにしょっちゅう…襲われているんですか?」
 ちょっと顔が真剣すぎたのか、逆に気を遣わせてしまったらしい。ウェルさんは慌ててかぶりを振る。
「いえいえ。向こうも命まで狙ってはいないようですし、まあ趣味も半分なんですよ。『のんびりした所で考えた方が』っていうのも嘘ではないですし」
「そうそう」
 ウェルさんとは違う意味で2人の生活を望んでいるであろうステイも、明るく頷く。こちらは別にどうでもいいけれど。
「じゃ、本当に夜になっちゃうんで、このへんで失礼します」
 ローは修道衣の懐に右手を入れ……首を捻る。
「あれ? あれ?」
 首をかしげながら、服のポケットだけでなく背負い袋もひっくり返して荷物をあさり始めた。
「どうしたの?」
「ブルージェムストーンが無い…何個か持ってたはずなのに……」
「どこに入れて…って、もしかして」
 彼が最初に手を伸ばしたそこは。
「内ポケット……」
 最初の戦いで服に大穴を開けた、まさにその場所だった。
「あの時落としたのね。今ごろは誰かに拾われたか、ポリンにでも食べられたか」
「散財だあ…」
 大袈裟に悲嘆にくれるロー。ウェルさんとステイも(呆れて)言葉がない。
「じゃあオーブで帰りましょうか」
 私が荷物袋から取り出したのは、先ほど使ったカプラオーブだった。めそめそと悔やむローからウェルさんに向き直って言う。
「すみません。公私混同ですが、プロンテラまでの空間転移の許可をもらえないでしょうか?」
「あ、いいよいいよ。支店長には今度話しておくから」
「そういうことだから」
「ありがとーー」
 潤んだ瞳で抱きつかんばかりの勢いの礼を言われる。
 ……いい年した人間が青ジェム数個で目を潤ませないでほしい。
「じゃあプロンテラまで送ります」
「その手は何?」
 目の前に伸ばされた掌をまじまじと見つめるロー。意味は明らかだと思うけど。
「代金よ。まあ距離はフェイヨンからと同じくらいと考えて、1800zenyでいいけど」
「お金取るの?」
「当たり前でしょ。私も同じだけ出すんだから、あなたも出しなさい」
「これ、ぜんぜん公私混同じゃないような気が……」
 ぶつぶつ言いながら、自分の財布を開ける。私の右手に、コイン十数個が置かれた。
「ご利用ありがとうございます」
 お辞儀を無視して散財散財と言い続けるアコライトを、私は無言でプロンテラに転移させた。
「………あ……う……」
 ローが慌てて何かを喋ったが、その声すらも転移してしまったかのように流れていく。
「…シャリーさん、商人の方が向いてるんじゃ…」
 苦笑いを浮かべてそれだけを言うステイ。
「当たり前のことのような気がするけど」
「ま、まあそれはともかく。今日はありがとう」
 ウェルさんが深々と頭を下げる。
「いえ。こちらこそお邪魔しました」
 それ以上に深く頭を下げて。
 カプラサービスのトップと最底辺の従業員は、そこで別れた。





 自分に空間転移をかけてプロンテラに戻ると、すぐそこにローが待っていた。
 建物の壁に寄りかかり、さっきより数段しょぼくれた顔をして。
「ここに着いてから気づいたんだけどさ」
「?」
「空間転移で送ってもらうより、カプラの倉庫から青ジェムを出してもらった方がずっと安上がりだったよね?」
「……………あ」


 散財を嘆くローの声が、一段と大きくなった。












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