ある画家の遺言
「新しいダンジョン?」
思わず上げてしまった声が大きすぎたのか、周りの視線を集めてしまう。慌てて口を抑えて数秒、実に気まずい時間を過ごすこととなった。
「新しいと言っても、二週間くらいまえに見つかったんだけどね。仕事してるときに聞かなかった?」
「聞かなかったけど……そう言えば西門前の広場、いつもより人が少ないかも」
カプラ職員の仕事は特に力を要するものではないのだが、一日中立ったまま、しかもほぼ休みなしで接客をすればそれなりに疲労が溜まる。私とローは、そびえ立つ城壁を背にくつろぎながら、正面に沈む夕日を眺めていた。
「プロンテラの街から入れる地下の洞窟で、地下水路よりモンスターの数が多いんだって」
「そっちに人が流れてたのね」
「でも、理由はそれだけじゃないよ」
太陽から仕事を引き継いだ白い月が、いつのまにか空に現れていた。
「そこは、賞金つきダンジョンなんだ」
「みなさんようこそいらっしゃいました。お忙しいところお集まりいただき、大変感謝いたします」
貴族や豪商の屋敷が立ち並ぶ、プロンテラの高級住宅街。その中でも他にまったく引けを取らない立派な屋敷の庭に、似つかわしくない集団が集まっていた。自慢の腕力で大斧を担いだ剣士、油断なく周囲に視線を巡らせる神経質そうなシーフ、よく懐いた鷹を撫でているハンターなどなど。少なく見積もっても三十人以上はいそうな荒くれ者の集団の中に、私とローも混じっていた。
私たちの前に立ち、心のこもっていない挨拶をしているのがこの屋敷の主、クアラ氏だ。彼こそ、ローが言う『賞金つきダンジョン』の発案者である。
「……では私から、この仕事を依頼する経緯をご説明いたします」
「そんなもんいいからさっさとダンジョンの入り口に案内しやがれっ!」
早くも話に飽きたシーフから、直截な野次が飛ぶ。だがクアラ氏は動ずることがない。接客用の笑みを浮かべながら、淡々と続ける。
「ごもっともですが、私が依頼したいのは単純なダンジョンの攻略ではありません。よって、状況の説明が重要となるのです。これが」
下手な芝居で間を置き、彼がとどめの一言を口にする。
「賞金である百万ゼニーのヒントとなるかもしれませんよ」
あっという間にざわめきが止まる。その様子を冷たい目で見ながら、主の話は始まった。
『卑しい冒険者』に対する嫌味を目一杯つめこんだ口調を思い出すのも元冒険者として腹立たしいので、簡単に要約する。
タッドという名の画家がいた。彼は、芸術に一切興味のない私ですら噂を聞くほど名の知れた画家だった。プロンテラの城内や大聖堂にもその絵が飾られ、数少ない作品を巡って貴族や豪商が火花を散らせる、一流の風景画を描いたのだという。
クアラ氏は、タッド氏の弟の息子、つまり甥にあたる。
イズルードの街並と人々を描き続けた彼は、生涯そこに居を構え、数か月前にこの世を去った。病死、一言で言えば老衰だという。
問題はこの時に始まる。彼は質素な生活を好み、イズルードの古びた小さな家に住んでいた。金銭にはさほど欲を出さなかったらしい。だが、好むと好まざるとに関わらず彼の絵の評価は高まるばかりで、財産は増える一方だった。あとに遺された資産は、考えるだけでも気が遠くなるような額だと思われた。
彼は生涯妻子を持たなかったため、今では甥のクアラ氏以外に血縁者がいない。タッド氏の援助でプロンテラにの屋敷を買い、今また莫大な遺産が転がり込むクアラ氏は、人々の羨望の的だった。
しかし、その予想は大きく外れた。タッド氏は死の直前、一通の遺言状を残した。その中身は(甥のクアラ氏にとっては)恐るべきものだったからだ。
『自分の死後、全財産はイズルードの孤児院に寄付する。余裕があればプロンテラやフェイヨンなどの各地の孤児院に回してよい。その管理は大聖堂に委ねる。ただし、死後一年以内に我が不出来な甥が相応の知恵と眼力を示す場合には、彼に全財産の半分を与え、孤児院への寄付は半分とする』
クアラ氏は前代未聞の遺言と戦った。まずは大聖堂へ通いつめ、負託された遺産の返還を訴え出た。しかし、タッド氏は用意周到だった。死の直前に大司教と話し合い、既にすべての財産を条件付きで寄付してしまっていたのだ。その条件とは、もちろん遺言状のとおりだった。その事実を記す書面には、引退した前大臣が証人としてサインをしていた。クアラ氏がいかに唯一の血縁者とはいえ、政治と宗教の二大権力に抗えるはずもなかった。
やむなく遺言状の秘密を解こうとした彼は、イズルードに赴き、タッド氏に三十年付き従った老召使に話を聞いた。そして、画家が死の直前にプロンテラの職人に家の修理を依頼したことを知った。彼は首都へとんぼ返りをし、その職人に聞いた話をもとに、屋根裏の物置を見つけたのだ。そこには、タッド氏の第二の遺言状があった。
『よくこれを見つけた。この場所に遺言状とその証拠となるものが隠されている。クアラがそれを大聖堂の司祭に届ければ、彼らに管理を委ねた遺産の半分を与える』
同封されていたのは簡略化されたプロンテラの地図であり、その中の一点に丸がされていた。それがどこを指すのかは考えるまでもなかった。現在クアラ氏が住んでいる、プロンテラの屋敷のだったからだ。
屋敷に戻った彼は、工夫を雇って庭を掘らせた。そこから現れたのは、直径三メートルはある円形の鉄板だった。工夫数人がかりでそれを開けさせたところ、数羽のファミリアが突然の光を浴びて驚き、耳障りな声で鳴きながら飛び去っていったという。
そこは地下深くまで続く洞窟であり、地下水路と同じような魔物が住んでいた。洞窟の奥深くで地下水路と繋がっていたのだ。いわば、地下水路に現れた魔物の巣といえる場所だったのだ。
どちらにしろ、戦う術を持たないクアラ氏には何も出来なかった。大慌てで逃げ帰り、プロンテラの酒場で冒険者を募集しはじめたのだ。
好奇心の強い冒険者たちのこと、新しいダンジョンの話はすぐに広まった。加えて、遺言状を発見してクアラ氏に届ければ、百万ゼニーという莫大な報酬が得られるのだ。これで人が集まらない方がどうかしている。
かくして餌に釣られた冒険者たちは、それまでに何度となく繰り返されたであろうクアラ氏の説明を聞き、敷地内にあるダンジョンの入り口に案内された。
だが。
「どうして行かないの?」
クアラ氏に先導された彼らが敷地の奥へ移動をはじめても、ローは腰を上げようとはしなかった。
「いいんだ。今日は話を聞きに来ただけだから」
何かに納得した表情。そしてようやく立ち上がったかと思うと、クアラ氏たちとは反対の方向に歩き出す。
「ちょ、ちょっと…」
ローが本気でダンジョンを攻略するとは思わなかったけれど、まさかそれを見もせずに帰ることになるとは、さすがに予想外だった。
ローは屋敷の門番に声を掛けた。イズルードにあるタッド氏の家にまだ執事が住んでいることを確認すると、礼を言って門を出る。
「洞窟に行かないの?」
「……怪しいんだよね」
ようやく返ってきた答えがこれでは、聞き返すのが数秒遅れたのも仕方がないと思う。
「どういうこと? 確かに遺言が洞窟にあるなんて突拍子もないけど、あれだけお金を持ってる人ならやりかねないことじゃない?」
「違うよ」
ローが振り返り、諭すような口調で言う。
いつもどおり、私は生徒役だろうか。
「『洞窟に遺言がある』ことよりも、『まだ見つかっていない』ことが怪しいんだ」
「え? だってまだ2週間…」
言いかける私に、掌を向けて制止する。
「もう2週間、だよ。このプロンテラには国中の冒険者が集まってる。そこで100万ゼニーの賞金を出して冒険者を募ってるんだ。どれだけ強い魔物が居る洞窟でも、遺言状があるなら、そろそろ見つかってもいい頃だと思う」
「…『遺言状があるなら』?」
オウム返しに呟く私を見て、我が意を得たと頷く。
「遺言状は、あの洞窟にはないんじゃないかな」
クアラ氏が仕事を依頼したのは、冒険者が集まる店『27分の酒場』だ。風変わりな店名の由来は、道路が真円を描くプロンテラの街を、南門から時計に見立てると分かる。時計の長針が27分を示す位置にこの店が立地するからだ。
ちなみに、大袈裟なネーミングを揶揄して『27秒の酒場』と呼ばれることも多い。
ここには発端となった遺言状の写しがあった。文章を書き写し、地図は可能な限り模写したというそれを主人に借りると、昼食として食べ終わったパスタの皿を脇に追いやった。遺言を初めから追ってみたい、というのがローの主張だった。
「…何か変なところ、ある?」
2枚の紙を並べて考え込むロー。私たちの元に遺言状の写しが渡されて十数分。いまだ一言も発さずにらめっこを続ける彼に、小声で尋ねる。
「……ないね」
困ったような顔でローが答えた。
この国の騎士には2種類の人間がいる。1つは貴族の子弟が騎士団に入隊し、専門の教育と訓練を受け、試験に合格して騎士叙勲を受けた者。そしてもう1つは、冒険者として功績を挙げ、王国から騎士の資格が与えられた者だ。もちろん私は後者にあたる。ちなみにこの両者は、事あるごとに「下賤の者」「苦労知らずのおぼっちゃん」と陰口をたたき合う、実に素敵な間柄にある。
話が逸れた。いま関係があるのは、農家に生まれ冒険者から騎士になった私はきちんとした教育を受けておらず、ごく簡単な文字しか読めないということだ。
一方ローは、修道士の教養として当然ながら読み書きができる。遺言状の読解を任せた彼によると、遺言に書かれた文字やプロンテラの絵には、クアラ氏の話と異なる部分はまったくないそうだ。
「そうなると、やっぱりあの洞窟の中に3つ目の遺言状があるってことにならない?」
「……シャリー、午後も付き合ってくれる?」
真剣な表情で私に向けられる、彼の青い瞳。
「いいけど…何をするの?」
「イズルードの海が見える丘でデート」
「たったいま都合が悪くなったから遠慮します」
「冗談だって…」
ワープポータルでたどり着いたのは、イズルードの町外れだった。数歩も歩けば岩場となり、さらに数歩進めば岩肌が海へと急降下する、海のすぐ近くだった。周りに人気もなく、ワープポータルの転移先としてはあまり便利なように見えない。
「……ほんとにデートコース用?」
「違うってば。何となく海辺が好きなんだよ。僕、海辺の村で育ったから」
「ああ、前にそんなこと言ってたわね」
慌てて弁解するローの言葉を、とりあえず信じることにした。海に背を向け、私たちは目的地へと急ぐ。
同じ港町ではあるが、イズルードとアルベルタでは町並みが全く異なる。かつてのイズルードはプロンテラの玄関口として貿易商が集まい、首都に劣らぬ活気を見せたという。だが、王国の領土が拡大するにつれ、この狭い島では手狭になっていった。そのため王国は、南のアルベルタを交易の拠点として切りひらいたのだという。その後のイズルードは、生き血を吸われるように住人を失っていった。
現在のイズルードは、アルベルタとの連絡船が発着する以外には、漁師と海底の迷宮を訪れる冒険者が集うだけの、やや寂れた町となってしまっている。
そんな町だから、目的の場所はすぐに見つかった。小綺麗なプロンテラの町中にあれば廃屋と間違えられてしまいそうな、小さな木造の住居。だが、家を取り囲む雑草1本生えていない庭が、今なおそこに人が生活していることを主張していた。
「ごめんくださーい」
子供が遊びに来たかのような間延びした声で、ローが軽く戸を叩く。待つこと数十秒、白髪を丁寧にととのえた柔和な笑顔の老人が、ドアを開けて現れた。
「どのような御用ですか?」
「突然おじゃましてすみません。クアラさんの依頼を受けた冒険者で、ローフィと言います。こちらはシャリーです。タッドさんのことでお尋ねしたいことがあって来たんですが…」
「遺言状のことならクアラぼっちゃんにお聞きください。すべてお伝えいたしましたから」
ローの言葉を聞いた途端、表情が一変した。ローの言葉を遮って早口で答えると、そのまま横開きの扉を閉めようとする。
「違うんです。遺言状のことじゃなくて、タッドさんのことが聞きたいんです」
ドアを両手で押さえて、かすかに覗く老人に懇願する。
その強引な要求が実ったのか、扉は再び開かれた。
「こんな場所で申し訳ありません」
私たちが案内されたのは、気持ちばかりの廊下が突き当たった先にある、画家のかつてのアトリエだった。床には数々の筆やパレットの他、私の知らない絵具が散乱している。キャンパスを支える三脚には、描きかけのスケッチが載せられていた。かろうじて人間と船らしき線とが見えるだけの、完成にはほど遠いものだ。
「あれ? この絵、『帆を揚げる』って作品じゃないですか? 大聖堂で見たことがあります」
「はい。旦那様はあの絵が気に入っていまして、同じモチーフで何度も描いておられます。それは最後の作品として描き始めたものでしたが…」
言葉を詰まらせる老人。彼にとってタッド氏は、単なる雇い主ではなかったのだろう。私もローも口を開けなかった。
「…私はタッド先生の召使でスツールと申します」
「お手数をおかけしてすみません。僕たちはクアラさんからは聞けないことを知るために来ました。立ち入ったことを質問してしまうかも知れませんがお許しください」
頭を下げるローと私に、落ち着いた声が掛けられた。先ほどの警戒が綺麗に消え去っている。
「構いませんよ。あの絵を一目で分かる方が来られて、旦那様も喜ばれていると思いますから」
口にこそ出さなかったが、彼が思い浮かべたのはクアラ氏ではなかっただろうか。画家の唯一の血縁者には、この絵が何なのか分からなかったのかもしれない。
「ではお言葉に甘えさせていただきます。タッドさんが亡くなられる前に、何か変わったことはありませんでしたか」
「おっしゃっているのは、先生が屋根裏の増築をされたことでしょうか?」
「それは知っています。そういった大きなことではなくて、もっと些細なことでもいいんです。長年付き添われたスツールさんの目から見て、普段と違う様子がなかったでしょうか」
ローの言葉を受け、瞼を閉じて考える。
「…難しいですね。お身体はゆっくりと衰えていきましたが、先生はそれを受け入れておられるようでした。特に何をするわけでもなく、今までどおり絵筆を握っておられましたから」
「そうですか…」
「ああ、1つだけ。珍しい行動がありました」
「それは?」
「屋根裏の工事をする前に、プロンテラに赴かれたのです」
勢いづいて机に手をつきスツールさんに顔を寄せたローは、そのままの姿勢で急停止した。 気持ちは分かる。イズルードにほど近いプロンテラに行く。このどこが変わった行動なのか、私にも理解できなかった。スツールさんの、次の言葉を聞くまでは。
「…旦那様がプロンテラを訪れたのは、およそ20年ぶりのことでした」
「え…?」
「20年…」
根無し草の冒険者を除けば、生まれた町で一生を終える人間も珍しくはない。だが、イズルードはプロンテラの外港である。距離も近いし、交易が衰えてからは町の中に商店も少ない。ここに住む人間は、ちょくちょくプロンテラに遠出して生活必需品を買い求めるのが一般的だ。
ましてやタッド氏ほどの画家ともなれば、王城や大聖堂からの招待が矢のようにやって来るはずだと思うのだが。
「旦那様はプロンテラの人の多さがお気に召さないようでして、いつも『あそこは人が住める所ではない』と……あ、失礼しました」
私たちがプロンテラから来たということを失念していたらしい。礼儀正しいスツールさんがそんなことを言ってしまうあたり、彼も主人と同意見なのだろう。
「気にしなくていいですよ。僕はイズルードの近くの出身ですから、その気持ちは分かります」
「………」
しっぽを振りそうな勢いで裏切った男が1人。そんなことを言い始めれば、私だってプロンテラの城壁の中で生まれたわけではないのだけど。
「ま、まあそういうわけでして、旦那様がプロンテラに行くのは珍しいことだったのです」
私の沈黙はローへ向けたつもりだったのに、スツールさんが先に感じ取ってしまったらしい。
一方、いちばん感じ取ってほしい人間には効果がない。すんなりと話を進めていく。
「先生の目的は何だったのですか?」
「それがよく分からないのです。屋根裏の工事は…」
言って、スツールさんが天井を指さす。そこにはクアラ氏が開けさせたのであろう、屋根裏へと通じる大穴があった。修理もされず放置されたそれが、クアラ氏とスツールさんの関係を物語る。
「プロンテラの職人に依頼されました。その相手を探しに行ったのだと、お帰りになってから仰っていましたが」
「…それにしては腑に落ちない点がある、というわけですね」
煮え切らない物言いに対し、ローが口を挟む。
「……はい。滞在期間が長すぎたのです。その頃にはお体も弱っていたのですが、2週間もプロンテラにおられました」
「職人捜しに手間取ったのでしょうか?」
「ですが、連れてきた職人は、腕はそれなりで信頼の置けそうな壮年の男でしたが、それほど有名な者というわけではありません。旦那様があの職人を捜して2週間もプロンテラにおられたのが不思議でして」
スツールさんの脳裏には、当時の光景が甦っているのだろう。首をかしげながら考え込む。
「その他に変わったことはなかったでしょうか」
「……今はちょっと思い浮かびませんが」
「分かりました。不躾な質問ばかりして申し訳ありませんでした」
「いえいえ。私も旦那様がおられなくなってからは、暇を持て余していたものですから」
「そういえばスツールさんは、先生が亡くなられた後もこの家に住み続けるのですか?」
ローはスツールさんの背後の壁に顔を巡らせる。ドアの向こうに廊下が見え、そこに寝室と台所へ繋がる2つのドアが見えるだけの、小さな平屋建てだ。
「はい、旦那様のご配慮です。私はこの家と、この老いぼれが死ぬまでは十分やっていけるだけのお金を頂きました。ただ、この部屋だけは手をつけるに忍びなく、ご存命中のままにしておりますが」
最後にローがプロンテラで屋根裏の工事をしたという職人の住所と名前を聞いた後で、私たちは礼を言って退出した。扉を開けた腕に、ごわごわした潮風がまとわりつく。
町外れにある画家の家を出た途端、ローの足はイズルードの大通りへと向かっていた。
「どこに行くの?」
「この町唯一の大工さんのところだよ」
私とっては数えるほどしか訪れていない不慣れな街だが、この近くで育ったという彼にとっては庭のようなものなのだろう。迷うことなく歩を進めていく。
プロンテラほど商店や職人がいないこの街では、パン屋や衣装屋、武器屋など職種ごとに集まって一角を作ったりはしない。みんなまとめて『商店街』といった形だ。
だから、掲げられた商店の看板の絵柄はバラバラで統一性がない。もっともこれらの絵柄は、文字が読めない普通の人にも何の店か理解できるように作られたものだから、他との違いがあるほうが趣旨に叶うのだが。
その中の一軒、鉄製の看板に金槌の絵が描かれた店でローが立ち止まる。開け放たれたドアの向こうには、椅子に腰掛けてかんなの刃を研ぐ老人の姿があった。
「こんにちは〜」
相変わらずの間延び声でローが呼びかけると、
「ほい〜〜」
それ以上に間延びした返事が返ってきた。
立派な白髭を蓄えた老人が、顔だけを上げて私たちを手招きする。それを見たローは敷居をまたぎ、老人の元へ向かう。私も急いで後に続いた。
「おお、久しぶりじゃのう、ロー」
「はい。ご無沙汰してます」
目を細めすぎて糸のようになった笑い顔からは、年齢はよく分からない。ただ、先ほどのスツールさんよりも上であることは間違いない。かなりの高齢だが、言葉ははっきりとして聞き取りやすかった。
「ん? そっちのお嬢さんは…初めての顔じゃの」
「あ、こちらは僕の…」
「仲間です。シャリーといいます」
なんとなく嫌な予感がしたので、ローの言葉を遮って自己紹介をした。
「ほおほお、新しい恋人かね」
「………新しい…」
「わ、わ、ゲムじいさん、変なこと言わないでよっ」
「1年ほど前にこの街に来たときは、別のおなごを連れておったの」
「……へえ。そのお話、ゆっくりお聞かせ頂けますか?」
「それ、もっとずっと前の話でしょ! シャリーまで乗ってこないでっ」
1つぐらい弱みを握っておくのも悪くないと思っただけなんだけど。
まあ、いつか本人をゆっくり問いつめてあげよう。
ゲムじいさん、と呼ばれたこの老人は、ローがイズルード近くの村に住んでいた頃の顔見知りだという。この街の大工仕事を一手に引き受けている職人らしい。小さな町とはいえ1人で全てをこなすのは大変なのではないかと聞くと、「修理だけなら何とかなる。ここで新しく家を建てる者なんぞ、ここ何年もおらんからの」と寂しそうに答えてくれた。
「タッド先生の家なんだけど、あそこもじいさんが修理してたんだよね?」
「ん? ああ、あの家か。古い家じゃから、嵐が来る度にそこかしこ直してやったぞ」
「じゃあ、先生が亡くなるちょっと前に、何か依頼や相談はなかった?」
「変なことを聞くのお。何があったんじゃ」
「うん。ちょっとね。先生に関係する仕事、引き受けちゃったから」
賞金付きダンジョンの噂は、イズルードの職人には何の関係もないことなのだろう。不思議そうな顔でローを見ていたが、やがて口を開いた。
「最近は、あの家の仕事はしとらんよ。どこかが壊れたとか、そんな相談もないわい」
「そう……」
「しかし変な仕事じゃな。そんなこと、何の関係してくるんじゃ?」
「まあ、ちょっとね。じゃ、僕たちこれで帰るから。ゲムじいさんも元気でね」
「ばかもん。わしはまだまだ死なんわい。危ない仕事をやっとるお前さんこそ気をつけい」
「うん。ありがとう」
笑い合う2人を見ながら私は、しばらく故郷の村に戻ってないな、と何となく思った。
「自分の所に仕事が来なかったって知ったら、あのじいさん拗ねちゃいそうだしね」
訪問の理由を伝えなかったことを私に説明しながら、店を離れる。
「次は…プロンテラの職人さんの家?」
「そのとおり」
人がすれ違うのも難しいほど細い路地を通り抜けた、日の当たらない袋小路。そこでローはブルージェムストーンを取り出す。
私に背を向け、詠唱に入ったローを見る。
いつも思うのだけど、彼はワープポータルの詠唱をしているときがいちばん楽しそうに見える。
速度増加やヒールのような戦いのために使用するものより、性に合っているのだろうか。
「はい。確かにその仕事を引き受けましたが」
プロンテラの職人、その中でも大工が集まる一画にその店はある。スツールさんに書いてもらった地図は実に正確だった。のこぎりの絵が描かれた看板の下にプロンテラの俯瞰図をぶら下げるというという、素っ気ないのか大仰なのかよく分からない看板を掲げた小さな店は、すぐに見つかった。
今は無愛想な中年の主人が玄関に現れ、私たちの相手をしている。
あまり話し好きではなさそうな様子を察知したのか、ローは挨拶もそこそこに本題へと向かう。
「それまでに、タッドさんの依頼を受けたことはありますか?」
「いいえ。仕事どころか、お会いしたのも初めてでした」
主人の言葉は淀みなく、嘘やごまかしがあるとは思えなかった。
「どうしてあなたの所に依頼されたのか、尋ねられましたか?」
「ええ。ここを通っていて急に思いついたからだ、と仰っていましたが」
「急に…ですか」
「はい。そのことはクアラさんにお話ししましたが」
私たちが遺言状のことを調べていることは、言わなくても見破られているらしい。
その返事には、招かれざる客を追い払う意味も込められていた。収穫がなく落ち込んだローも、退散を余儀なくされた。
「骨折り損だったなあ」
ローのビールと私のワインが、何処にも捧げられない、空しい乾杯を交わす。
日の落ちたプロンテラで私たちが落ちついたのは、最初にいた『27分の酒場』だった。
「屋根裏の工事のことを聞いて回っていたけど…何が目的だったの?」
「タッドさんの行動を追ってみたかったんだよ。遺言があの洞窟にないとすれば、別のどこかに隠しているはずだからね。それで手始めに、屋根裏の工事をら調べたかったんだけど」
「どうしてイズルードのゲムじいさんに頼まなかったのか、が引っかかるのわけね。隠しておきたいのものだから、近所の大工に頼むのは嫌だったんじゃない?」
「それはないと思うよ。隠したい相手は、プロンテラに住むクアラさんだもの」
首を振るローに言われて納得する。確かにそうかもしれない。プロンテラに住むクアラ氏の目をごまかしたいのなら、別の街…フェイヨンでもゲフェンでも、そこから大工を呼べばよい。遠方から人を呼ぶので多少費用はかさむかも知れないが、タッド氏の財産から見れば何でもない額だろう。
「それにあの大工さん…えっと……」
「モッカさん?」
最初に聞いた名前を口にする。
「そう、モッカさん。あの人、クアラさんが来たら屋根裏の工事のことをあっさり喋っちゃったみたいだし。隠したいのなら、せめて秘密にするように頼むと思うんだけど」
「…そうね」
クアラさんはともかく、今日は私たちにまで教えてくれたわけだし。タッド氏から口止めをされたとは思えない。
「何より分からないのが、タッドさんが2週間もこの街に滞在したってことだよ。弱った身体で、長年寄りつかなかったほど嫌いな街に寝泊まりした理由は何だろう」
「職人探しは…1日もあれば十分だものね。ひょっとして、遺言で指定するのに適当な洞窟を探していたとか?」
「うーん…。タッドさん、あの洞窟の存在は昔から知ってたんじゃないかと思うんだよ。クアラさんの家を建てたのはタッドさんでしょ? 土地を買ったときに気づいたんじゃないのかな」
「魔物の住処の近くと知ってて甥の家を建てたの?」
驚いた私に、ローが黙って首を振る。
「下水道にモンスターが現れたのって、割と最近の話でしょ? クアラさんの家を建てたときには、下水へと繋がったただの洞窟だったんじゃないかな。そこを塞いで家や庭を造るのに不都合がないようにした、と」
「じゃあ、指定した場所がモンスターの住処になっていたこと、タッドさんは知らなかったってこと?」
「推測だけどね。首都に寄りつかなかったタッドさんなら不思議はないよ。いくら何でも、危険な所と分かってて甥を行かせるわけないよ」
その物言いにいちばん端的に現れていたから、私はずっと気になっていたことを聞いてみる。
「あなた、あの先生と知り合いなの?」
「どうして?」
「妙に先生側に立って物を言っている気がするから」
金の髪を掻いて、照れたように笑う。
「違うよ。単にタッドさんの絵が好きだっただけ」
「絵が…?」
「そう。先生の絵、大聖堂にたくさん飾ってあったんだ。それを見るのが好きだっただけ。会ったことは一度もないよ」
成程。彼はイズルード近くの出身でもあるし、故郷の近くを描いた絵に惹かれるのも分かる気がする。
「だからこの仕事が、ちょっと気になったんだよ」
食事とアルコールを綺麗に片づけて店を出た。
ローが真面目な顔で語ってくれたこの仕事への熱意は、その十数分後には報われることになった。
『27分の酒場』の店先で、私に続いて出てきた彼が急に立ち止まった。目の前を見つめてぼうっとしている。その視線の先には、酒場の看板が掲げられていた。
「これがどうかしたの?」
あわてて引き返した私は、ローの肩越しに手を伸ばし、視線の先の看板を摘む。
「これ…」
「この店の名前の由来、知ってるでしょ? そのままよ」
普通の酒場には酒樽やジョッキなど、商売道具を描いた看板を掲げる。だがここでは、店名にちなんだ時計の絵を掲げている。時刻はいつも8時27分だ。そのせいで、土地に不慣れな人間は時計屋と勘違いして入ってくるそうだが。
「……………なるほど」
ローもそのことは知っているはずなのに、一人頷いている。
何を考えているのか聞こうとしたとき、彼の身体が半回転してこちらを向いた。満面の笑みを浮かべて。
「ごめん。もう1回、ついてきてくれないかな」
私たちは、酒場に来るまでに通った道を逆戻りしている。ローは行き先を言わなかったが、方向から考えてモッカさんの店へ行くようだった。酒場から職人が集まる通りまで、歩いて15分もかからない。
「あの看板が何か関係あるの?」
「うん。あの看板のおかげで、遺言状の在処が分かったんだ」
「え?」
絶句して立ち止まる私を置いて、ローはとことこと歩いていく。早足で再び隣に並んで表情を窺うが、からかっているだけのようには見えない。
「どういうこと?」
「まあ、あんまり意味がないんだけどね。僕にもタッドさんの言う『資格』がなかったんだし」
間もなくモッカさんの店が見えてきた。先ほど開け放たれていた扉は半分閉じられているが、まだ明かりは漏れている。営業は終わったが後かたづけその他が残っている、といったところか。
すぐに店へ入るのかと思ったが、彼はその直前で立ち止まった。再び、店の看板の目の前で。
どういうことか聞こうとしたが、彼の両手が慎重に看板へ――プロンテラを南門から俯瞰した絵に添えられているのを見て、ようやく察することが出来た。
分かったみたいだね、と目で語りかけながら。ローは芝居じみた口調で言った。
「これが巨匠の遺作にして、彼が初めて描いたプロンテラだよ」
「構いませんよ」
不躾にも看板を貸してほしいと頼んだ私たちへの答えは、何ともあっさりしたものだった。切り出したローが呆気に取られるほどに。
「いいんですか?」
「ええ。タッド先生から言われているんです。この絵を欲しがる人間が現れれば渡してくれ、と。その代わりと言われて、同じ絵をもう1枚頂いたんですよ」
1度店の奥に戻ったモッカさんが持ってきたのは、表に掲げられていた看板と同じ絵画だった。
「前にお見えになった先生の甥御さんは何も言われませんでしたし、どうしようかと思っていたんです。良ければ差し上げてもよろしいですが」
その手際の良さに、作品を通じてしか知らなかった画家の人となりを見たのだろう。ローは口元を緩めた。
「いえいえ、また返しに来ますから」
夜も深まり、人通りも少なくなった通りの脇。街灯の下にあるベンチに腰を下ろし、私たちはある作業をしていた。
「このあたり?」
「うーん、そうだね。そのあたりに小さく穴を開けてくれるかな」
「わかった」
芸術家や豪商が見れば絶叫したくなるような光景だっただろう。タッド氏の遺作をひっくり返し、私の右手に握られたナイフが裏の板に潜り込んでいくのだから。
ナイフが潜り込んだ場所は言うまでもない。クアラ氏の屋敷が建っている場所を、この俯瞰図に当てはめた所だ。「27分の酒場」風に言えば、おおよそ13分の位置にあたる。
「慎重にね。中に紙がそのまま入っているかもしれないから」
「ええ」
ゆっくりゆっくり刃を動かす。板が口を開く必要最低限の力で、少しずつ円を描いていく。
「あった」
ローが思わず声に出す。2人の頭越しに街灯の明かりが差し込んだその奥に、小さな木箱が見えた。
『おまえのことを金だけが目当ての男と軽蔑しておったが、わしの仕事を少しは理解していたようだな。これまでの誤解への詫びを込めて、わしの財産の半分を譲ろう。だが、これにあぐらをかかぬよう、自分を高めていくことを忘れるな』
「『この場所に遺言状とその証拠となるものが隠されている』ね。確かに嘘じゃないけど…」
2番目の遺言状の一節を思い出し、思わず呟く。
第3の遺言状と、おそらく証拠となるのであろう、半分に欠けたエメラルドを眺める。かの画家も、ずいぶんと手の込んだ遺言をのこしたものだ。
「ここに滞在した2週間で、この絵を描いていたんだね」
「そうね。それに今なら、イズルードで仕事の依頼が出来なかった訳も分かる。店先によその街の絵が飾ってあったら、いくら何でも不自然だし」
「クアラさんを試したかったんだろうね。彼はクアラさんのような、そして今日僕たちが辿ったような調べ方を先読みしていた。その上で題材も画風も異なる絵をあの店に渡し、それがタッドさんの絵だと気づくかどうかテストしたんだよ」
「画風も…?」
私は彼の名声は知っていても、その絵の中身については全く分からない。題材を変えたというのは、今までのイズルードからプロンテラに変えたという意味だと分かるのだが。
「うん。タッドさんの絵はいつも、イズルードで暮らす人たちを大写しにした動きのある絵なんだ。遠くから見下ろしたこの構図は他にないはずだよ」
「ますます意地が悪い…」
「まあね。偶然とはいえ魔物の巣窟を掘り出しちゃったし、人騒がせなことに違いはないけど」
ローが私の膝の上から絵を持ち上げ、ぐるっと回して表を見る。両手でなければ支えられない程度の大きさがあるそれは、整然としたプロンテラの街を丁寧に描いていた。
建物だけが映し出され、人1人居ない無人のプロンテラ図を見る。
視線で絵を覆い尽くすように目をこらすローを見る。。
この街を毛嫌いしていたという画家は、2枚の俯瞰図を描き、職人の店を訪れ、1つの仕事を依頼し、2週間で去っていった。
そして、もう2度とここには来ない。
滞在中に彼は、少しでもプロンテラの良いところを見つけてくれただろうか。それともやはり嫌いなまま、遺言のため義務的に寝泊まりしただけだっただろうか。この街に住む者として、今となっては確かめようもないことが、少し気がかりだった。
「さて、どうするの?」
「何が?」
「その絵はモッカさんに返すとして、遺言状とエメラルドはどうするの?」
ローは私を見返す。何を今さら、といった顔だ。
彼は絵を再びうつ伏せにし、開いた穴に木箱を入れる。遺言状と、エメラルドを一緒に。
「僕たちには、タッドさんの言う『資格』がないって言ったでしょ? 絵を見るだけでこれがタッドさんの絵だと分からなかったんだから」
私は『27分の酒場』の看板を思い出す。あれがヒントとなったことを言っているのだとしたら、随分と自分に厳しいことだ。
「だから、これはここに戻して、クアラさんが気づくのを待つしかないね」
嫌味な笑い顔で言う。それが非常に低い確率であることは分かっているのだろう。
本音はこちらか。
「同感ね」
「100万zenyは惜しいけど、タッドさんの意思は尊重しないと」
通りがかった冒険者から売り物にならない木屑をもらうと、彼は開けた穴の部分にそれを当てた。それを器用に縫い針で刺し、即席のふたを作る。
…彼が裁縫道具を持ち歩いているとは知らなかった。
「さ。モッカさんの店に返してこようか」
「でもこれ、本当に骨折り損ね」
当然ながら、クアラ氏からの報酬はゼロだ。今日1日の行動は何だったんだろう。
「シャリーには…というより、カプラサービスには得があると思うよ」
「…どういうこと?」
両手を後頭部に当て、空を見上げるロー。つられて上がった視界には、無数の星が光を放っている。
「あの洞窟の前に、冒険者が集まってたじゃない。たぶん1年間はあのままだから、あそこでカプラの営業をしてみれば? みんな助かると思うよ」
灰色の雲も数えるほどしかない素晴らしい星空の下で、実に生臭い話をする。
とりあえず。
いい提案だとは思うので、支店長に言うだけ言ってみようと思った。
あとがき
『変な泥棒』の次は『変な遺言』です。いや、『偏屈な遺言』でしょうか。
ミステリオタにとっての王道萌えシチュエーションです。
本編と合わせて4本目ですが、シャリーを女として描いてないことにやっと気づきました。まあローフィも男として描いてないので、それはそれで良いのかもしれません。
そういえば『ローとシャリー』って『トムとジェリー』に似てますね。身長差と語感だけ。
中身は…トム役は適任ですが、ジェリー役に愛想が足りないのでイマイチ。
目次へ戻る