たとえばこんな瞬間も


 お昼休み。いつものように学食でご飯を食べた後、私は廊下を歩いていた。なにか用事があるわけじゃない。でも、こうして学校の中を散歩するのは大好きだ。特にお昼休みと放課後は、学校中に元気があって、それでこっちまで楽しくなる。

 今日は雪ちゃんに「見てると気持ち悪くなる」と言われて、ご飯をおかわりするのを止められてしまった。どうして私がご飯を食べていると、雪ちゃんが気持ち悪くなるんだろう。食べてる私は何ともないのに。
でもそのおかげで、いつもより長く散歩できる。普段は来ることのない二階の廊下を散歩する時間もある。ここは一年生の教室がある階だ。部活に入っていない私には、一年生の知り合いは少ない。だから用事はないのだけれど、ただ楽しい空気を吸っているだけで私は幸せだった。

ぐいぐい。

 そんなことを考えながら歩いていると、右手が誰かに引っ張られた。そちらに向き直る。もちろん誰かは分からない。
「だれ?」
 しばらく待つ。でも、返事はない。
「だれ?」
 聞こえなかったのかもしれないと思って、もう少し大きな声で聞いた。でも、やっぱり返事はない。
 少し変だな。私の事を知っている人なら、すぐに話し掛けてくれるはずなのに。それに、始めから声をかけて呼び止めてるはずだし。
 あ、誰かのいたずらかもしれない。きっと私が言い当てるのを待ってるんだ。
 そうと分かれば、絶対に当ててみせるよ。
「雪ちゃんでしょ?」
 返事がない。
「ね、当たりだよね?分かってるんだから。降参しなさい」
 やっぱり返事がない。
「違うの?…違うみたいだね。じゃあ、えっと…浩平君?」
 またまた返事がない。
「違う?」
 それでも返事がない。
「うー、分からないよー。私の負けでいいから、早くしゃべってよ」
 あくまで返事がない。
私の右手を掴む両手が、困ったように揺れていた。
 何かがひらめいた。「浩平君」で思い出した。彼に言ったことがある。話さないんじゃなくて、話せないのかもしれないよ、って。
 一年生の廊下…浩平君…話さない人…。この三つが示す人は。
「澪ちゃん?」
 返事はなかったけど、代わりに右手を掴む力が増した。きっと正解だ。
「私、すごいね。見事に推理したよ」
「……」
「将来は名探偵かな」
「……」
 …反応が分からないから、寂しい。
「困ったね。浩平君が居ないから、澪ちゃんの言うことが分からないよ」
「……」
「どうしよう」
「……」
 澪ちゃんの両手が、あたしの右手を掴んだまま、ぶらぶらと揺れている。澪ちゃんも困ってるみたいだ。
それを感じて、またひらめくものがあった。
「ね、いい事を考えたよ。今私の手を掴んでるよね?」
「……」
「それを使うの。『はい』って答えたいときは、それを縦に振って。『いいえ』だったら、横に振るの。いい?」
「……」
「『はい』なら縦で、『いいえ』なら横だよ」
 私の右手が、元気よく縦に振られる。
「そうそう、それでいいよ。じゃ、やりなおしね。あなたは澪ちゃんですか」
 右手が縦に動く。
「澪ちゃんは男の子ですか」
 今度は横に振られる。
「1+1はいくつ?」
 ピタッと止まる、私の右手。なんとなく、彼女の困った表情が浮かぶ。
「冗談だよ」
 縦。
「でも私、今日は本当に冴えてるよね。こんな方法思いつくんだから」
 縦。
「将来は大発明家かな」
 縦。
 うっ、本気に取られてしまった。澪ちゃん素直すぎて、冗談を言う甲斐がない。
「そうそう、浩平君と約束してたんだ。澪ちゃんに聞きたいことがあるんだよ」
 縦。
「澪ちゃん、演劇部だよね」
 縦。
「三月の舞台、澪ちゃんも出るの?」
 これまでで一番元気よく、右手が縦に振られる。よっぽど嬉しいみたいだ。
「ひょっとして、主役?」
 横。
「じゃ、村人Dの役?」
 力いっぱい、横。
そんなに嫌かな。小学校の学芸会で、私が熱演した重要な役なんだけど。
「それじゃ今、澪ちゃんは練習で大変だね」
 横。
「そうだね、好きなことは大変じゃないよね」
 さっきよりも強く、縦。
「偉い偉い。舞台楽しみにしてるから、頑張ってね」
 縦。
「浩平くんと応援に行くから」
 縦。

 そんな変な会話も、普通の会話と一緒。チャイムが鳴れば終わりになる。にぎやかだった廊下も、すこしづつ静かになっていく。
「いけない、話し込んじゃった。澪ちゃん、急がないと授業に遅れるよ」
 縦。
「じゃ、またね」
 私の右手を何度も縦に振ったあと、澪ちゃんは走っていった。
 その元気な足音が、他の足音にまぎれて聞こえなくなるまで、私はそこに立っていた。



 次の時間は、古文だったかな。
 そんなことを考えながら、私も教室に向かう。
 でもすぐに思いなおして、反対側に走り出す。
 パンを買いに、学食へ。
 あの先生なら、授業中に何か食べてても怒られないもんね。

「やっぱりあれだけじゃお腹がすくよ、雪ちゃん」

 


【あとがき】
 これはタクティクスさまの「旧」ホームページにあったショートストーリーのコーナーに投稿した物です。ほんの少しだけ手直ししましたが、ほとんど元のままです。
 自分が書いたものの中で、文章力の無さが一番はっきり分かるのがこれでしょう。「縦」「横」の繰り返しだもんなあ。どなたか、あの辺りの良い書き方を教えてください(切実)。
 
 それはともかく、みさき先輩と澪の会話の方法を考えたらこうなりました。でも、後で「筆談(先輩の手のひらに澪が字を書く)」という方法を教えられ、かなりがっかりしました(書く前に気づけよ自分)。

 少しでも「ほのぼの〜」という感じを受け取ってもらえたら幸せです。ではまた。


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