| 私が夢の世界でしたいこと |
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| 夢の中では空を飛ぶことができます。壁も通り抜けられます。離れた所にある物を念力で持ち上げることもできます。「夢の世界」と「現実世界」では、ほんの少しルールが違うようです。もっと探せば更にそのルールの違いを見つけられるかもしれません。私達はまだ「夢の世界」での力の使い方をほとんど理解していないのかもしれません。だから私はそれを探してみたいのです。 |
| 私が思う夢の世界とは |
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| 私は夢の世界とは死後の世界だと思っています。根拠なんてないのですが、そう思う事にしたのです。だから私は自分の夢の世界を楽しいものにしたいのです。楽しいとは、例えば好きな人に逢おうと思えばいつでもあえたりすることです。 もし、死後の世界が何もない暗黒の世界だったとしましょう。肉体を失うのだからそうなる可能性は否定できないと思います。しかも、その何もない時が永遠に続くとしたら、私達はそれに耐えることができるでしょうか。 もしそうなったら、私はまず手を伸ばして辺りをさぐるでしょう。自分に手があるのかどうかも分からないのですが、とにかく自分の置かれた環境を理解することに努めると思います。 しかし、どうあがいても何も見つからなかったら、自分の肉体さえ感じることができなかったらどうすればいいのでしょうか? あきらめて石になったかのように何もせず永遠の時をその世界で漂っているのでしょうか? もし、そういう状況になったら、私はこう思うことにしています。「私は自分というものの使い方をまだ理解していないのだ」と。つまり、肉体をなくし、五感を失ったら、違う感覚を探せばいいということです。それは、第六感と言われるものかもしれません。 夢の世界とは、肉体がない世界です。肉体はないが感覚はあります。夢の中では見ることができ、聴くことができ、触れることができ、味わい、匂いをかぐことも全てできます。それは幻覚なのかもしれませんが、もしかしたらなんらかの理屈があってそうなっているのかもしれません。その何らかの理屈というのを探すことも、私の目標です。 夢の世界では時間も一定方向に流れていません。現実世界では確実に歳をとっていくのに、夢の世界では自分が子供だったり、青年だったり、老人だったりします。自分が自分ではなく、アニメのキャラクターだったりすることもあります。誰かに聞いたのですが、死後の世界では、自分が人生で一番充実していた時の姿になるらしいです。夢の世界もそれに近い感じがするので、私は、夢の世界は死後の世界だと思うことにしたのです。 |
| 夢日記をつけるようになったきっかけ |
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| 私が夢日記を付け始めたのは、2001年1月29日のことでした。当時の夢日記は、ノートに書くのではなくコピー用紙に書いていました。そんなに何年も付けようと思っていなかったので、管理のしにくいコピー用紙でもいいかと思っていたのですが、日が経つにつれて用紙がたまり、管理しにくいと思い、2001年4月9日にノートに書くことを決意しました。その時、何故夢日記を書くのか、あらためて定義する為に、一冊目の夢日記の表紙の裏に次の文章を書きました。 「僕は夢の中の自分は、現実の自分だと思ってません。でも現実の自分に大きく影響されてはいます。だからおもしろいと思います。僕は僕でない僕と話す為にこれを書きます。」 当時の目的は、今のように夢の世界で能力を開発することではなく、単純に自分の無意識の世界を認識するのが目的でした。それは次に述べるようなことです。 ある晩とても印象的な夢を見たとします。その情景は起きた時は、はっきりと憶えているのですが、そのままどこにも記録しておかないと一週間もすれば記憶はすっかりなくなっているはずです。中にはずっと憶えている夢もありますが、そんな夢は一年に一つぐらいです。それも、何回も頭の中で反芻し、誰かにその夢の体験を話したりしてやっと心に残るのだと思います。 しかし、その夢を夢日記に書いたとします。そして何ヶ月か後、その夢をすっかり忘れてしまった時にその夢日記を見て、その夢の情景をすっかり思い出せたとしたら、それは自分の脳にその記憶が残っていたということになります。 夢日記を付けていなかったら永遠に忘れ去っていた記憶なのに、そんなものが自分の脳のどこかに保存されているということが、何だか不思議で興味があったのです。それが、私が夢日記を付けるようになったきっかけでした。 |
| 明晰夢を見たいと思うようになったきっかけ |
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| 夢日記を付けていると夢について興味をいだくようになり、図書館で夢に関する本を借りて読んだり、ホームページで夢に関して調べるようになりました。そこで初めて「明晰夢」という言葉を知りました。明晰夢という現象はそれ以前に体験していたので別に驚きませんでしたが、夢を研究している人がいるということを知り、私も研究したいなと思いました。 その本の中に、私が夢研究をし始めるきっかけがありました。それは、「夢の中で太陽を見たものはいない」という一文でした。以前私は、夢がカラーか白黒かということを明晰夢で確認した事がありました。それで、夢の中に太陽があるのかないのかも確認してみようと思いました。結局、太陽があるのかないのかはっきりと確認できないまま現在に至っておりますが、2002年1月15日の明晰夢をきっかけに、私は明晰夢にはまってしまいました。更に、この日の夢は、太陽を確認しようとしたということだけでなく、私にとって初めての体験も含んでおりました。それは今までに体験したことがない明晰夢への入り方でした。 それまで夢日記を付け初めて一年間で明晰夢を見たのは数回ぐらいだったのですが、この日を境に、自分から明晰夢を見ようとするようになり、そうすることにより明晰夢を見ることが飛躍的に多くなりました。 |
| 35歳の誕生日の記念に |
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| 午後10時20分。速く文章を書かないと誕生日が終わってしまうと思いながら書いてます。 昨日は久しぶりにパラグライダーをしに行って楽しかったです。まだ春だと言うのに日差しが強くて日焼けしてしまいました。ゴールデンウイーク中にもう一度行きたいと思っています。 話が夢の世界からそれてしまったので戻しますが、ここ数日で考えた事があります。それは夢の中にいる登場人物についてです。夢の世界の登場人物には、現実世界で実在する親、兄弟、友人もいますが、誰だか分からない人もいます。それでは、この夢の世界の登場人物とは一体なんなのでしょうか。 こう考える人もいるかもしれません。それは、夢の世界の登場人物は全て(亡くなった方も含めて)実在しており、その人の霊または無意識とコンタクトをとっているのだと。 しかし、私はこの考えは間違っていると思います。その一番の証拠は「アニメ夢」だと思います。アニメが好きなら、一度や二度はアニメ夢を見たことがあると思いますが、アニメのキャラクター達は夢の中で、まさにテレビで見ているのと同じような行動をします。しかし、彼らに魂があったり、無意識があったりするはずはありません。だから私はこの考えを否定します。 それで、最近私が思いついたのは、「夢の世界の人物は全て自分の脳の中に存在している人格だ」と言うことです。 つまり、私達は起きている時は一つの人格を持っていると思っていますが、実は脳の中には多重人格者のようにいくつもの人格が存在しており、それが夢の中に現れるのです。 言うなれば、私達は現実世界で触れ合った人の人格を自分の頭の中にコピーしているのです。しかし、これは主観的要素がありますので、正確にコピーできているのではなく、あくまでも「私から見たあなた」という感じでコピーされるのです。 自分の脳の中に、色々な人格が存在しているなんて、なんだか信じられないことですが、でも、私は「夢の世界」自体が信じられないぐらいち密にできていると思うし、とても自分の脳が作り上げた映像だと思えません。こんなに凄い能力を秘めた脳であるので、たくさんの人格を持っていても不思議ではないと思います。 例えば、自動書記というのがあります。これは自分が何も考えていないのに、手が勝手に動いて紙に文字を書くというものです。これも、言うなれば脳の中にある自分以外の人格が文字を書かせたのだと思います。 夜、寝入りばな、私はたまに頭の中で思い描いた人に話しかけることがあります。するとその人が思いもよらぬ返事をしてくれることがあります。こういう時は、なんでそんなことを思いついたのだろう、と我ながら不思議に思います。 人間の脳には、まだまだ思いもよらぬ機能が隠されていると思いますので、夢の世界でその研究もしていきたいです。 |
| 39歳の誕生日の記念に |
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| 最近、ホームページの更新もしてないし、明晰夢もあまり見られない状況が続いています。しかし、今朝は珍しく明晰夢を見られました。たいした明晰夢ではなかったのですが、夢をみて目覚めた後、もう一度夢の中に入れないだろうかと思い、そのまま布団の上で、目を閉じていました。すると、体が立っている感覚がしました。そのときはまだ、視覚は機能しておらず、見えない状況だったのですが、体にかかる重力で、自分が立っているというのがわかりました。それで、現実では布団の上で寝ているはずなので、これが夢だとわかりました。 そこは、実家の8畳間でした。近くに兄が寝ていました。わたしは、6畳間に行きました。そこには母がいました。そこで、久しぶりに明晰夢を見られたので、とりあえず、夢であることを確認しようと思い、右手の人差し指をこめかみに押し当て、頭の中に突っ込みました。これが、いつもわたしがやる夢かどうかを判断する方法です。指は、ズボッと頭の中に入りませんが、頭が少しへこんだ感覚があったので、夢であることは確認できました。 その後、玄関から外にでました。夜でした。ここで、いまやっている実験のことを思い出しました。目を閉じて見るという実験をずーっとしているのですが、あまり気乗りはしていませんでした。それで、とりあえず目を閉じてみました。いやな予感はしていたのですが、案の定、目が覚めてしまいました。原因は、朝の9時に見た明晰夢だったので、眠りが浅かったのだと思います。 夢の話は、さておき。最近、わたしが考えていることは、この後の人生をどうするのかということです。実は、2年間続けていたアルバイトを5月20日をもってやめることが決まっています。そして、その後のスケジュールは、ありません。つまり、プータローになるということです。もちろんハローワークにはいきますが。 しかし、会社に入って働くという気力は、いまのところありません。しばらくは、休みたいです。この2年間やっていたのはアルバイトなので、責任は重くなく、気楽ではあったのですが、連休はとれませんでした。2年間で連休できたのは、最長で3連休だったと思います。それで、少し疲れました。人生にも疲れました。 実は、次にやることは、心の中では、ほぼ決まっています。それは、ある食べ物を作って売るというものです。ただ、そのある食べ物のイメージはできているのですが、作り方がわからないので、研究をしなければならないという段階です。つまり、完成するまでに、どれぐらいの期間が必要なのかもわからない状況です。 まあ、こんな状況なので、いつになったら社会人に復活できるのかはわかりませんが、あっちこっちに行って食べ物屋さんを研究するというのも楽しいかな、と思っています。 |
| 2010年クリスマスイブに |
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| 前回ここに書き込んだのが、39歳の誕生日でしたので、あれから3年以上経ちました。あの後、一年ほどぶらぶらし、そして、田舎に家を買って移り住みました。庭で野菜をつくったりしながら半年ぐらい経ち、温泉ホテルのレストランでちょうど2年間アルバイトをして、今月中旬に辞めて、また無職にもどりました。とりあえず、やることがなくなったので、こうやって文章を書いています。 今日は、ほとんど家からでませんでした。「それでも町は廻っている」の最終回を見て、ちょっと感動したり、「あずまんが大王」を3話まで見たりしてました。 こんな話は誰にするわけでもなく、ただ、何年かした後に、自分で読み返したときに、なんらかのノスタルジーを感じてしまうのかなと思い、書いてます。 そう言えば、今日は、久しぶりに通帳記入をしました。どうでもいい話ですが、他に、2010年クリスマスイブの思い出なんてありません。 前回の書き込みで、ある食べ物を作って売るのが次の仕事だと書いたのですが、あれはどうもできそうにないので、あきらめました。しかし、今度は、もう少し簡単に作れる食べ物を思いつきました。こっちのほうは、それほど特別なものではないので、今のわたしでも作れます。ただ、作れるからといってすぐに店をもって売れるという訳ではありませんので、もうしばらく時間がかかりそうです。とりあえず、あと1年位は、色々と考えて、のんびりとやっていこうと思っています。 |