実験レポート

課題 「目を閉じてものを見る」 2010年12月24日
 以前、目を閉じて走る実験をしたことを、「夢の中の視覚」という題で本にも書いたり、たまたま目を閉じているのに教室でクラスメートが見えた体験を本に書いた。当時は、どうやったら目を閉じたままものが見えるのかはわからなかったが、今回、意識的にそれを行う方法を発見した。
 ヒントは意外なところに隠されているものだ。子供のころ、蛍光灯を見つめて、しばらくした後に目を閉じると、まぶたの裏に、緑色の蛍光灯の残像が見えるということをやったことはなかっただろうか。その経験を生かし、わたしは、残像が見えるはずだと意識しながらまぶたを閉じると、目を閉じていても周りの景色が見えるということを発見した。
 この能力は、いまのところ、これといって使い道がない。欠点は、いったん目を閉じると、こんど開けるときに目が覚めるのではないかと思い、なかなか開けられないことだ。
 しかし、ある意味、これは透視能力なので、イメージしだいでは色々なものを透視できるのかもしれない。今後、どんな能力に発展するかはわからないが、期待したい。
課題 「目を閉じてものを見る」 2010年12月28日
 今朝は、明晰夢がみられて実験をおこなうことができた。そのときわたしは、6時15分ぐらいに目が覚めて、あと40分ぐらいあるからもう一度寝て明晰夢を見ようと思った。実はこのときすでに夢の中だったのだが、それは目が覚めてから分かった。理由は、そこが実家だったからだ。
 それで、布団に入って目をつぶり、「今度何かが見えたら、それは夢だ」と思いながら視覚に意識を集中した。すると、すぐに実家の廊下が見えた。これで夢の中に入れたと思い、今回の実験をすべく人のいるところに移動した。
 今回の実験は、目を閉じてものを見るということなのだが、ただ単に、景色を見るだけというのは面白みがないので、変化させることを目的とした。といえば、まともな実験のように聞こえるかもしれないが、実は、人を見つけて、その人が裸のところを想像して目を閉じたら、裸になっちゃうのかな、という実験である。とくに女性限定で。
 
それで、今回不幸にもターゲットとなってしまったのは、妹だった。だって、実家だったから。それで、廊下を歩いて、6畳間にいくと、コタツで寝そべっている妹の姿があった。年齢は20歳ぐらいだった。現実ではもう40歳なのだが。
 わたしは、妹に、「立って」と言った。すると妹は素直に立ち上がった。夢の中の人物は、意外かもしれないが、お願いするとある程度のことはやってくれるみたいなのだ。
 わたしは、裸を想像しつつ目を閉じた。すると何も見えなくなった。どうやら、裸の方に意識がいきすぎたようで、目の前の情景が残像として残らなかったようである。
 それで、もう一度目をあけ、今度は残像を残すことに意識を少し傾けて目を閉じた。今度はうまく見えたのだが、裸にはならず、目を閉じる前と同じような服装だった。
 もう一度、裸をイメージしつつやってみたのだが、どうもうまくいかない。それで、脱衣ゲームのように服がだんだんなくなっていくことをイメージしてみた。すると、長袖だったシャツが半袖になるぐらいにはなったのだが、やはり裸にはならなかった。
 妹なのでやりずらいという、メンタルブロックがかかっているのかもしれないと思い、外に出て他の女性を探そうとしている内に目がさめてしまった。
 この文章をさっき書こうとまとめていたとき、ひとつのアイデアが浮かんだ。それは、今回、夢に入るところで、「今度何かが見えたら、それは夢だ」とイメージしたら廊下が見えて、明晰夢に入れたのだが、これがヒントになった。つまり、夢の中で目を閉じて何かが見えると意識すれば、何か分からないが、見えてくることがあるということである。
 もし、明晰夢の中で目を閉じて、何かが見えてくると意識を集中すれば、何かが見えるのかもしれない。そして、「何か」という部分は、指定可能であるのかもしれない。つまり、裸の女性が見えてくると目を閉じて念じれば、見えてくるのかもしれないということである。
 今までに、目の前の景色を思い通りに変えたいと実験をしたことはあったが、うまくいかなかった。しかし、今回、目を閉じてものを見ることができる能力が身についたので、できるのかもしれない。
 ということで、今晩からは、「目を閉じて好きなものを見る」という実験を開始する。
課題 「目を閉じてものを見る」 2011年1月17日
 今朝は、2回明晰夢を見た。1回目の明晰夢で、大きなマンションの廊下にいたのだが、近くに人がいなかったので、廊下を走った。この走るという行動は、夢の中でもけっこう疲れるし、へたをすると目が覚めてしまう。そう考え、全力疾走をやめて、早歩きにした。しかし、今度は移動スピードが遅くなり、イライラしてきた。
 そこで考えたのが、滑るという走法だった。つまり、アイススケートをしているみたいに、床の上を滑るのだ。これがうまくいき、少ない労力で、そこそこの移動スピードを確保することができた。
 新しい発見ができたと喜んでいたのだが、2回目に見た明晰夢で問題点を発見した。その夢では、わたしはリュックサックを背負って買い物に行くところだった。そこで、なんとなく夢だと思って、さっきみたいに滑って移動しようとした。しかし、今度はそれができなかった。原因は何かと夢の中で考えた。すると、背中にあるリュックサックが、どうも重たくて、その重みのせいで滑れないのではないかと思い当たった。
 夢の中では、けっこうこのようなちょっとしたことでうまくいかないことがある。例えば、空を飛ぼうと飛び上がるときに、目の前に木などの障害物があった場合、それをよけようとして上昇角度を変えると飛べなくなったりする。
 今回の滑れなかった原因も、それと似たようなものだろう。背中にちょっとした重みを感じるだけで、うまく滑れなくなってしまうのだ。もしかしたら、リュックサックを降ろしたら滑れたのかもしれない。しかし、一度失敗してしまうと、次から滑る前に、そのことを思い出してしまい、二度と滑れなくなってしまうこともある。それは、壁を抜けるときに、引っかからないだろうかと、最近いつも考えるので、結局ひっかかってしまうのだ。それと同じように。
 それはいいとして、夢の中で移動するいい方法はないのだろうか。テレポートや強制的な場面転換ができない以上、飛んだり、走ったり、しないといけない。そして、飛ぶのも走るのも体力や精神力を消耗する。今朝の1回目の明晰夢のように、少ない労力でうまく移動できる方法があればいいのだが。
 先日、夢の中で絵をかくことはできないだろうかと思った。現実世界では絵なんて書かないので、すごく下手なのだが、夢の中ならもしかしたら、すごい絵がかけるのかもしれない。偽りの目覚めで、よく夢日記を書いていることがあるので、文字を書くのは問題なくできると思う。今度、実験してみたいものである。
「夢に入りかけの時の聴覚」 2011年3月7日
 最近、実験はうまくいってない。けれども、今朝、めずらしい経験をしたので、記念に書いておく。今朝は実家に泊まっていた。ふすまを隔てた隣の部屋に母が寝ていた。朝、目がさめそうになって、夢うつつの中、なんとか夢の中に入ることができた。視覚はほとんど機能しておらず、ほぼ、真っ暗という状態だった。それなのに、なぜ、夢の中に入ったと断言できるのかと言えば、立っていたからである。
 現実世界では、もちろん布団の中で寝ている。それなのに、立ち上がって、立っている感覚があった。それだったら、現実でも寝ぼけて立っているんじゃないかと思われるかもしれないが、それだったら、目を開いて見ているのみ、何も見えないというのはおかしい。だから、夢の中に入れたと確信していた。
 この状態になって、次に行うのは、なんとかして、夢の世界になじみ、見えるようにすることだ。その方法は、視覚に意識を集中して、「何か見えるはずだ。見えるぞ、見えるぞ。」と心の中でつぶやく。
 こうやって、必死で夢の世界にしがみつこうとしているとき、「おはよう」という声で一気に目覚めさせられた。それは、母が、父に言った挨拶の言葉だった。母の声は、起きているときに聞こえるぐらいの音量で感知できた。
 夢に入りかけの状態のとき、聴覚は現実世界と同様の感度で機能しているようだ。
「まどろみ」 2011年4月28日
 また、これといって成果がないまま時間がたってしまった。おそらく、集中力がたりないのだと思う。ともあれ、今日はわたしにとって特別な日なので、記念に何か書いておく。
 明け方のまどろみについて少し書く。布団の中で目覚めてしまったと思っているとき、意外と、実はまだ目覚めてなくて、夢の中にいることがある。こんなまどろみ状態のときに、まぶたを閉じて色々イメージしてみる。このとき、何をイメージしたら面白いのか考えてみる。
 とにかく、何でもいいから見えてくるまで待つという方法もある。現実では見られないものを見るというのもいいかもしれない。例えば、宇宙の果てをイメージするとか、あの世をイメージするとか。
 視覚以外の感覚をイメージするという方法もある。以前やった方法で、野球のボールが目の前に迫ってくるというイメージをしたら、本当に体が反応して、ビクッとなったことがあった。この状態になっているときは、かなり自己催眠状態になっているんだと思う。
 おそらく、このまどろみ状態は、色々な発想をするには、とてもいいのではないかと思う。例えば、作詞や作曲をしたり、きれいな景色を想い描いたり。
 ということで、このまどろみ状態を使ってなにかできたらいいなと思う、今日この頃である。
「口と鼻を塞がれたら呼吸はできないのだろうか?」 2011年7月21日
 最近、またやるきがおきなくて、実験は進んでいないのだが、いまおこなっている実験は、とりあえず、「口と鼻を塞がれたときの対処法を考えること」だ。
 以前夢の中で、吸ができずにビックリした経験がある。そのとき、実家にあるガラスのついたドアを通り抜けようとしたのだが、失敗して顔にガラスが張り付いたのだ。正確には、張り付いたというより、顔の形にガラスが変形したのだ。それで、たった一度呼吸ができなかったため、ものすごくビビッた。
 幸いにして、ガラスは顔にへばりついておらず、体を後退させたらガラスから顔がはずれて呼吸ができるようになった。もし、あれが顔にへばりついていたのなら、おそらくパニックになっていただろう。
 だから、そんなことが起こらないように、口と鼻を塞がれても呼吸できる方法を考えているのだ。それで、思いついたのが、腹を出したり引っ込めたりして、なんとなく呼吸している気分になったら、苦しくないんじゃないかなということだった。つまり、腹式呼吸をしているふりをするということなんだが。
 で、実際やってみたのだが、だんだん苦しくなってきて、だめだった。ちなみに、どうやったのかといえば、自分で口と鼻を手で押さえて、腹式呼吸もどきをしたのだ。
 もちろん、苦しくなってきたので、手をどけて呼吸したのだが、あのまま手で塞いでいたら、どうなっていたのかはわからない。