Contrailにようこそ!
管理人のJamesKomuroです。山羊座のA型、へび年です。
映像の仕事を生業としています。私の生まれた年は本格的なテレビ放送が始まった年でもあります。(1953年・街頭テレビ・力道山)


管理人 J.Kom

父が第2次大戦中、陸軍のパイロット(キー51 99式襲撃機・軍偵察機に搭乗)だったこともあり、私は幼少の頃から飛行機の玩具で遊ぶことが多かったようです。戦後、父は日本ヘリコプター輸送(全日空)でヘリを操縦。その後、創立間もない航空自衛隊に入りました。自衛隊は米軍ベースの施設を共用してましたので、家族は米軍ハウスに住み、私たちガキンチョは基地内に展示してあるT-33やF-86D、T-6などで遊んでました。
当時の月間漫画雑誌「冒険王」「少年」や週間誌「少年マガジン」「少年サンデー」などの特集はしょっちゅう「ゼロ戦」「大和」でした。漫画も「ゼロ戦レッド」「ゼロ戦隼人」そしてあの「紫電改のタカ」。
父はUコン・ラジコンなど本当に飛ぶ?模型が好きでした。多分あのオイルの匂いとエンジンの音が父に戦中のレシプロ機を思い起こさせたのでしょうか・・・。私はどちらかというと実物のミニチュアであるスケールモデル(当時流行しだしたマルサンなどのプラモデル)にひかれてゆきました。「ゴジラ」などの特撮映画が好きだったせいもあるのでしょう。


陸軍 キー51 99式襲撃機

日本機にしては珍しくコックピット下の防弾装備がしっかりしていたそうです。
問屋?
相変わらずマイナーな外国キットは迷わず購入。
本人の性格も(へそまがり)反映されています。



不遇な子供時代のトラウマか、大人?になってしばらくしてから俄然コレクターの血が騒ぎだし、気がついたらへたな模型屋より外国製品の品揃えが豊富になってしまいました。
世界の名機、珍機、駄作機のコレクションです。
たしかに念のいったデカールで添付の小冊子も資料的価値大。
品質もいまでいう「カルトグラフ」ぐらい。
フランスのエスプリとでもいうのでしょうか、パッケージもおしゃれです。
注・一部使用済み
●ABTデカール
フランスの高品質なデカール。お値段も高品質?。たしか当時(1970年代)でも500円ぐらいしたと思います。それでも少ない小遣いをせっせと通販につぎ込んでポストを覗くのが楽しみの日々でした。



ライト航空という本屋さんで通販で購入しました。
当時の受領書がでてきましたが、一冊¥180だったんですね。現在の¥500〜600ぐらいの値段でしょうか?
●プロファイル
イギリスの小冊子。当時は今ほど豊富に資料がなっかった時代なのでかなりの人がこの本のお世話になっていると思います。


田舎の中学生だった私はやがてプラモガイドにのっていた東京の輸入模型専門店の通販で洋書やデカールなどを購入し始めます。ある時、(たしか1967年・・当時の値段¥600ぐらいだと思います。)父が出張のお土産にモノグラムのKit(Fw190)を買って来てくれました。
パッケージを開けるときの興奮。
外国のインクの匂い。
田舎の子だった私には舶来品の匂いや手触りが強烈な印象でした。
そう、外国映画を始めて映画館で字幕で観た時のえもいわれぬ感慨に近いと思います。しかもモノグラム伝説といわれるほどにこのメーカーのKitには魔力がありました。そして次第にこの世界にのめりこんでいったのです。


「オールウェイズ 3丁目の夕日」をご覧になった方はわかると思いますが、まさにあの時代を生きてきました。急速に自分を取り巻く環境が変化してゆきます。プラモも日進月歩。日本は高度経済成長の時代へと突き進んでゆきます。
●モノグラムの1/48 FW190


小学生の私を夢中にさせたのはプラモ・ガイド(航空情報・別冊)でした。すみからすみまで穴の開くほど見つめてはため息をつく日々でした。私の住んでいた田舎にはこんな模型を売ってる店がなかったからです。
注目!「ご気嫌最高 モノグラム」
プラモガイドは私のバイブルBibleでした。このころからピラーなどのラッカー塗料でレベルのファイターシリーズ(1機100円也)に着色するようになりました。しかしラッカーは乾燥が早く筆塗りしか方法がなかったので仕上がりはいつもボテボテでした。ハンブロールやパクトラなどの高品質のエナメルカラー(輸入品)が欲しかったのを覚えています。




やはり父のDNAなのでしょうか・・・レシプロ機に愛着があります。
ちなみ父はフィリピン、台湾方面を転戦、特攻に2度も志願したそうですが、その都度マラリアで断念。もし、父が出撃していれば私もこのHPも今存在しなかったわけです。