LSの名機(1/75)をレストアします。30年前に作ったものを回収。表面は経年変化で本当にJ3の飴色がかりたるもの。ペーパーで磨いたらオオッ!下から鮮やかな?「明灰白色」が出現。かつての私はなんの疑いも抱かずせっせと「明灰白色」を塗りたくっていたわけです。
LS 1/72



早速、新しい考証で
Contrail 飛行機雲 ******(世界の名機、珍機、駄作機のコレクションです。)
零戦の塗色に関するいくつかの考察。

Photo From WarBird Photos
http://www.warbirdphotographs.com/
物議を醸した零戦の塗色「現用飴色」。
何時ごろから始まった論議なのか、あくまでも私自身の経験の中から検証してみます。
私が最初に目にしたのは「モデルアート増刊・日本海軍機の塗装とマーキング」平成元年6月臨時増刊号(第2刷)でした。*昭和61年6月30日初版第1刷

日本海軍機の塗装とマーキングの系統だてた本がこれまであまりなく(あっても高価な本だったりします)これはかなりの労作でした。初見の菅野大尉の紫電改の写真に感動!零戦の塗色がそれまでの「明灰白色」のイメージよりずっと暗い色であることは新たに認識できました。カウリングの黒色が中島と三菱で違う事など興味深いリサーチも多々ありました。
が!衝撃的だったのはN氏が零戦の塗色は「現用飴色」が正式名称である、と断言したこと。
これがその後の飴色論争を引き起こすきっかけとなったのです。


「モデルアート増刊・日本海軍機の塗装とマーキング」P45・この写真の機体をさして「現用飴色」が 非常に暗い塗色であるというのは少々強引です。しかも背景に「現用飴色」?の32型が明るく写っています。


さて、この「モデルアート増刊・日本海軍機の塗装とマーキング」自体におおきな矛盾が生じていました。。大戦機考証研究家の長谷川一郎氏のカラーチップが添付してあり、しかも「三菱系・明灰白色」「中島系・明灰緑色」とあるのです。

1970〜80年代ごろでしたか、「航空ファン」に長谷川一郎氏の旧日本軍機のカラー見開き側面図とエッセイが連載されていました。長谷川氏は戦時中からの軍用機マニアで、当時の整備士の話や実際に自分の目で見たこと、体験したことなどを交えながら話は非常に興味深いものがありました。特に自分自身ソリッドモデルのモデラーであり、大戦機の塗装とマーキングの洞察力に優れ、私は毎号夢中で読んだものでした。
このことに関しては何の説明もありません。塗装とマーキングという雑誌にとってはかなり重要な問題ですが・・・。
現用飴色の衝撃

そのままフォトショップでモノクロ変換。とくに画質はいじっていないが、かなり暗いグレーに感じる。


キャノピーはハセガワ旧21型(第1世代)1/72のもの.
30年前、まともな零戦21型はこのKitしかなかった。



21型 V−173 復元機
キャンベラ戦争記念博物館・オーストラリア
Mrカラー56を明るくしたような色調

零戦の塗装は速度性能向上のためのもので、塗装表面をツルツルにする必要があったそうです。つまり新品の零戦はピカピカだったということです。


右から2つめが外板サンプルを元に調合した「明灰緑色」

皮肉なことに今改めて見ると「モデルアート増刊・日本海軍機の塗装とマーキング」の表紙の零戦の塗色はかなりいいセンいってる色調です。結局「現用飴色」が正式名称であるなどと意地を張らず「おもいのほか暗い色調だった」[褐色を帯びた灰色だった」という事実だけで十分説得力のあるリサーチになったはずです。
一度抜いた矛を鞘に戻すことは勇気のいることです。私たちも固定観念や権威主義だけで物事を判断してはいけないという教訓。


百聞は〜・・・実物の色を目の当たりにするとこれまでの議論がなんだったんだろうか・・・と思うほど
【灰緑色】のイメージが確かなものになってきます。
修正済みの色調。きっとこんな色だったんだろうな、と一人悦に入る。


多少、サンプルは経年変化で褐色を帯びてはいますが当時の「J3灰色」を再現できたような気がします。わたしがイメージしていたよりも渋い色調です。元の機体色は「青畳色」に近いのでこれはこれでアリだと思います。

フォトショップで色相、彩度、明度、明るさ、コントラストを調整。
サンプルと見比べながら、見た目で追い込んでゆきます。
実機は太陽光の下ですからサンプルの色調を若干明るくします。
灰緑色を再現する!

いただいた資料をもとに「灰緑色」を再現してみました。
「なんてったって零戦Part-1」から零戦のファイルをコピー。

A6M232氏よりー
「添付は中島も三菱も統制された色を使用した故、この様に現在に残る外板も同じ傾向が見られる一例です。(略)勿論これが当時の色ではなく、クリヤ成分が黄ばんで茶系方向(飴色?方向)に変色している外板と私は考えています。」
先日ハンドルネームA6M232氏より掲載色見本の間違いを指摘していただき、「なんてったって零戦Part-1」から削除しました。不特定の方が訪れるHPの情報ですから間違っている情報は正さなくてはいけません。
さらに貴重な実機の資料を提供していただきましたので公開させていただきます。

もともと「灰緑色」という色自体が複雑な色で経年変化しやすい色調のため、実機に残っている塗料も決定的な物証にならないという意見もあります。しかし百聞は一見にしかず!サンプルの色は充分説得力のあるものだと思います。
三菱・中島の外板。両社でそれほど色調は変わりません。
零戦の弾倉パネル
再検証

現在、飴色論争もさすがに収束してきたかに思われます。
静観していた塗料メーカーは「現用飴色」という色は発売しませんでした。
現在は零戦の「灰緑色」ということで何社か製品化されています。
時々思い出したように模型雑誌に「茶色の零戦」が登場するのもいまではご愛嬌。
どうせ趣味のことだし、そんなにめくじら立てなくても・・・
平成3年4月20日発行(重版・増刷)の「世界の傑作機No5・零式艦上戦闘機11−21型」もN氏の同じような主張が続きます。もうかなり感情的なほどに「全面飴色」という文字が躍っています。客観的にみればかなり大人気無い論争かもしれません。
たかが灰色、されど灰色・・・。
しかしこの時点でも他の識者の意見はなぜか完全に無視され続けます。海外の模型誌にまでameiro が出現。編集者は「世界の傑作機」の影響力を考えればこの辺の事情にもう少し配慮が欲しかったと思います。


継続・・・
「灰緑色」イコール「J3灰色」だとして、このうえに「ワニス」を塗ったというのが「飴色」のおおきな根拠になっているのですが現在残っている外板などの部品からはその確証はないそうです。ただ補修目的で96戦に「ワニス」を塗ったという事実から、零戦にもそういう機体があったかもしれないということは否定できません。
主に「MA増刊・日本海軍機の塗装とマーキング」昭和61年6月30日初版第1刷および「世界の傑作機No5・零式艦上戦闘機11−21型」1987年7月に対しての検証。
「飴色」という正式で公式の色は存在せず、その根拠となったワニスの塗布も応急補修塗装の域を出ない。
日本には長谷川一郎氏や渡部利久氏、吉村仁氏などベテランの作画・考証研究者がいて一方では「零戦は灰緑色」という説があるのにもかかわらず、なぜかN氏の意見だけが正論とされて「現用飴色」が一人歩きしてゆきます。結果、「茶色い零戦」が模型誌のグラビアを飾ることになるのです。
「なんてったって零戦Part−1」でも疑問にしているような事例を理詰めで解説。ほぼこの時点で解決と思わせるような内容でした。
期せずして、平成元年5月25日発行された「レプリカ・特集 零式艦上戦闘機」 に「零戦飴色説を斬る」という記事が掲載されました。日本軍軍用機の研究者である吉村仁氏の事実の検証と反論でした。




反証

1980年10月 航空ファン