【木場ヘリポート】へ続く

(*執筆時・昭和53年・1978年)

木場ヘリポート追想  小室三郎

ANAのCMご存知でしょうか?

「たった二機のヘリコプターから出発した小さな純民間航空会社、それが私たちANAのはじまりでした。」

そのたった二機のヘリに乗っていたのが父三郎でした。

【まえがき】

昭和二十八年三月、私は確かに木場の塩崎町ヘリポートに居りました。
あれから二十五年もの歳月が、遠い昔の想い出として、果たして現実であったのか、夢であったのか・・・。

航空自衛隊、第3期幹部特別学生として、昭和二十九年十一月、浜松基地の操縦学校に入隊するまでの約一年半の事柄が、まるで大正から昭和にかけての無声映画のコマ切れの様に、どうしても途中でストップして終い、強い印象以外は思いだそうにも、つなげることが出来ないのです。短い期間でしたが、お世話になりました当時の皆様に、せめてもの、と思いつつ筆を取る度に「あ々今日も駄目だ、明日なら書けるのでは・・・」と。

江口さんからお話を承ってから、早や数ヶ月も過ぎ毎日毎日書けない原稿用紙を片目に、新しい仕事に追われ乍ら、「済まない」「済まない」と心苦しい毎日の連続でした。ましてや思い出をたどるべく目を閉じれば、ヘリポート時代を前後して空に憧れた多くの人が経験したであろうことの第二次大戦の参加、そして敗戦により、空への道は閉ざされ、終戦後の持って行き場のない不安な毎日、なまじ完全に閉ざされたなら今日の人生も大きく変わっていたことであったろうに。航空界復活の情報が流れ復員後の仕事も落ちつかず、家も職も投げ出して上京、都会での一年間の苦闘等、次から次と走馬灯の様に眼前に展開し、肝心のヘリポートの思い出が打ち消される始末に、全く困り果てて終いましたが、いたずらに流れる月日に意を決して、思い違い、度忘れ等による誤記がありましたなら宜しく御寛恕の程をお願いして書き始めた次第でございます。
右、呉々も宜しく、お願い申し上げます。