機種は不明。父はちょっと緊張してます。

機種はデハビランドタイガーモスでしょうか。

昭和20年1月10日撮影。戦局は悪化しているはずですが、あまり悲壮感が感じられません。皆さん穏やかな表情です。中段左から3人目が三郎。この写真に写っている方々の何人が散華されているのでしょうか。

飛行訓練中

私の父、三郎は陸軍のパイロットでした。
法政大学の航空部から陸軍航空隊に志願したそうですが、家族には戦中のことはあまり多くを語りませんでした。戦後は日本ヘリコプター(現ANA)を経て、設立されたばかりの航空自衛隊に入隊、など戦後の航空を目の当たりにして来ました。そんな貴重な体験もこれといった手記など残さず1984年に他界しました。2008年母の死後、遺品の中から当時の写真が大量にでてきました。多くを語らなかった父ですが、不幸な時代を生きた証(貴重な記録)をここに公開することで少しでも父の供養になればと願っています。

残照・・・父の遺したフォトグラフ   

左が父、三郎。

昭和15年、学生航空大会に参加しています。

父はエントリーNo43 八の字飛行でした。当時パイロットは今のF1ドライバーぐらいに人気があったはずです。

父が搭乗していたのと同型の九九軍偵。偵察機は単機で行動することが多いのでしょう。   
なにか一抹の淋しさが感じられる写真です。父の所属部隊が不明なのですが独立飛行第47中隊かもしれません。(調査中)   

終戦・・・   

ベル47ヘリコプター。設立間もない日本ヘリコプター輸送。左が父です。ちょっと宣伝写真っぽいですが。

全日空のCMです。(2010年)

「たった二機のヘリコプターから出発した小さな純民間航空会社、それが私たちANAのはじまりでした
。」

*当時のことを回想した父の手記を発見しましたので順次、アップしてゆきます。

父はANA設立時の数少ないパイロットの一人でした。

航空自衛隊時代とT−6テキサン。手にしているカメラに注目。戦後も偵察?

陸軍に入隊したころでしょうか。

背後はたぶんセバスキーです。
だとすればちょっとレアな写真です。セバスキーは少数しか輸入されませんでした。



P-35に後部銃手を加えた複座型を2PAという。1937年、日本海軍が2PA-B3型を20機輸入し、「セバスキー陸上複座戦闘機(A8V1)」として中国戦線で使用した。(ウィキペディア

本物に乗ってるのに模型飛行機・・・。
後ろ姿の学生服が父か。

これも貴重な写真ですね。かなりレトロなエンジン始動車。

陸軍特別操縦見習士官第一期
昭和18年10月1日
仙台飛行学校 入校

父の手記  木場ヘリポート追想へ

デハビランドタイガーモス