火の見櫓の未来

火の見櫓の歴史とその背景

↑半鐘を打つのには決まりがあります・・

火の見櫓を望楼という人がおりますが、

望楼とは、常に見張りを置いて火事の発生の発見に努めているもの。

火の見櫓とは、火事の発生を皆に知らせるもの。

とに分けられると思います。

望楼は慶安3年(1650年)定火消しが組織された時に、火消し屋敷(江戸城専属の消防署)に

建てられたのが、はじまりとされています。

これが、火の見櫓のルーツではないでしょうか?

また、時を同じくして大名屋敷や町火消しにも建てられましたが、

「八万石以上の大名でなければ建てられない」など、いろいろと制約があったようです。

現在残っている火の見櫓は、第二次大戦で鉄として供出されたりして

無くなった後、昭和20年代後半から昭和30年代前半に建てられたものだと思われます。

そもそも「俺の街は俺が守る」の国土愛の精神のもとに、大都市以外では

常備消防(市町村の専任消防)が整備されていないこともあり、

消防団が組織されそのシンボルが火の見櫓だったのでは、と思います。

火の見櫓が建つ場所も、生活の中心となるところで、

寺、神社、集会所などが多いのはそのためではないでしょうか?

近年、火の見櫓が急速に姿を消しています。

その原因は、火の見櫓の老朽化で、これが一番でしょう。

また、先日ある中都市で私のお気に入りだった火の見櫓が解体されました。

火の見櫓は街道沿いの民家の敷地に建っていたもので、

解体された理由をそこに住む住民の方に伺ってみました。

話によると、「隣の町会に在るのに(櫓が)うちに(町会に)はないので建てたが、

遠くの火事でもサイレンが鳴りうるさいし、土地も永年無償提供だったので撤去してもらった。」とのことでした。

結局、父が必要として建てた櫓は、息子にとっては「無用の長物」であった、ということでしょうか。

現存の火の見櫓は、ふたつのタイプに分類できます。

1、消防団の詰所の脇などに建ち、防災無線のスピーカーやホースの乾燥などに利用されている櫓。

2、街のよく見える高台や神社などに建ち、そのまま朽ち果てている櫓。

1、は管理も消防団がやっていますので問題ないのですが、2、はいつ壊されてもおかしくありません。

なにせ、使っていないのですから。

ところが皮肉なことに、装備が何も無い2、の方が「絵」になるのです。

アンテナもスピーカーも無く、「ただ鐘が吊り下げられて、夕刻にポーッと白熱電球が燈る・・」

そんな火の見櫓を、これからも探し続けていきたいと思っています。

そして願わくば、「無用の長物」として消えて行く火の見櫓の歴史を、

人々の心の片隅にでも忘れずにあって欲しいと思います。

 

解体された中都市の火の見櫓。   夕刻にポーッと白熱電球が燈る


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