「同じ人間なんだなあ。」北部九州夏の少年少女キャンプで韓国の子供たちと日本の子供たちが言葉の壁を越えて何とかやっている。身振り手振りと単語英語だけで……。キヤンプファイヤー、歌、踊り、そして、余韻……。  帰国の関釜フェリーでは、紙テープの見送り。ホームスティーしてたところの家族の子供が涙流していた。そして、船上の子供たちも……。あの子たち今とってもいい経験してるんだな。十才前後で外国の人間に対して涙流せること体験できたなんて。きっと将来、彼らの世界観、人間観みたいなものは、とても優しく大きなものになるだろうね。それを見ている二十六才の僕は、その光景が眩しくも羨ましくあった。そして思った、 言葉は違っても同じ人間なんだなあ。そんな当たり前のこと彼らは心で体験できたんだなあ。  高校一年生の頃だったか、『天国に一番近い島』という本を読んだ。それまで海外に行く人って、体も心もタフで、お金も時間も語学力もすべてある人という思い込みがあったのだけれど、主人公の彼女はまるで逆だった。そういうことで、金がなくても船で安く行けること、そしてタフな人でなくても勇気さえあれば行けるものなのかという思いが僕の心の隅に残った。しかし、そんなことはまだ自分に出来そうには思えなかった。時は流れた。そして、去年、『龍馬がゆく』を読んだ。まだチャンバラの時代に「気分は太平洋ぜよ。」と既にアメリカを胸に抱いていた龍馬に感動。自分もデカイ視点でいろんなこと見なくてはと思ったのだった。そんなおり、とても落ち込むことがあって、何か賭けるものが欲しかった。そんなとき、植村直巳さんの『青春を山に賭けて』と出会い、映画『植村直巳物語』を見た。彼もまた不器用な生き方しか出来ない男だった。偉大なことをした彼も普通の男なんだなということで、自分を重ねることが出来た。  それから僕は、アメリカの勉強、海外旅行の勉強を始めた。天神のアメリカンセンターに行って、地図やY・H、キャンプ地のある場所、参考文献など探した。  図書館に行っては、海外旅行のこと書いてある本をあさって読みまくった。パスポートやビザを自分で取った方が安いので、自分で手続きをしに行った。アメリカ領事館に行くと、女の黒人さんが何やら分からん英語で対応している。アメリカに行ったらあんな外人さんと話し出来るんやろかと、少し不安になって来る。しかし、今はそれより、無職の自分にビザ発行してくれるやろうか、しつこく指摘されてビザ貰えんやったらどうしようと心配していた。だけど、長いこと待たされて、ようやく取れた。そのときは、たかがパスポートにスタンプ押してあっただけだったけど、青と赤と緑のアメリカらしいスタンプで一歩一歩旅のスタートに近付いていってる充実した気分になって来た。  国際免許証もあったら何かと良いかもしれんし、身分証明書がわりにも使えるだろうと思い、福岡県警まで取りに行った。とてもお堅そうな感じのお回りさん。これまたやばいかなと思ったけど、威張った態度の割りには、少し待たされたが発行してもらえた。 出来たての国際免許証を見ると、海外では二輪なら何 までも乗れるように記載されている。僕は125 までの免許なのにいいのかと聞くと、さも常識を説明するのに疲れたように、書かれてあるとうりだと教えてくれた。「ラッキー。もしチャンスが有れば、俺はハーレー・ダビットソンにも乗れるんだ。やったね。」  次ぎは、飛行機のチケットだ。海外旅行の本を読むとどうやら安く切符を買えるらしい。まともに買うのと比べて何万円も安い格安航空運賃というのがあるという。雑誌で調べて天神にそんなのを売っている店を捜し当てた。しかし、見る限りでは、ただのアパートの一部屋としか思えない感じ。店構えからして頼りないが、まあ、いっちょ行ってみるか、辺りを二三度行ったり来りした後トアのノブを回した。部屋の中は狭かったけど、それなりに旅行会社らしかったので、まずは安心する。しかし、もし高いチケット押し付けられたら、絶対振り切るぞ、の心構え。ちょっとチャーミングな女の人が説明してくれた。どうやら信頼できるかな?韓国経由の大韓航空の切符が安いとのこと、それに決めて前金を払う。しかし、航空券は当日渡しとのこと、大丈夫かなと、少し不安。まあ、なるようになるさ。帰りに、Y・Hの会員になっておくと世界中のY・Hに泊まれるので、入会しに博多駅まで自転車で行った。  そうそう、自転車、かんじんの自転車。まず輪行するためには輪行袋がいるので、自転車屋に見に行く。海外旅行に耐えられそうな頑丈なやつがない。店のおやじさんに聞くと、注文なら取れるとのこと。出発までもうあまりないので諦めた。いっそのこと自分で厚布買って作ろうかと思いつつ、数軒自転車屋をまわっていたら、厚布でできた丈夫そうなのが見付かった。少し高かったけど買うことにした。家に帰ってさっそく袋を広げてニンマリ。これに俺の自転車を入れて、そして抱えて、俺の旅が始まるんだ さて、それはいいとして、まずは自転車を分解する練習だ。  当日てこずって飛行機に乗り遅れたらいけないので、空港まで下見に行く。福岡国際空港を初めて利用する悲しさ、慎重に家からの時間も計った。(ただし、飛行機乗るのは初めてじゃないぞ )  前日の夜、自転車を分解していて、タイヤパンク修理パッチの予備がないのに気付いた。やばあ、もう自転車屋閉まっとうかも。いや開いとうかも。望みを掛けて宵闇の町々を歩き回ったが……、もうどこの店もシャッター降ろしている。明日の朝出発というのに、我ながら情けなくなってきた。まあいいさ、アメリカに着いて現地調達するさ。  十月三日朝六時半起床。朝焼けでカーテンが赤い。窓を開け最後の空気を吸う。  今日も良い天気になりそうだ。さあ、出発のときだ。いくぞ  家から自転車の入ったでかい袋を肩に、いざ地下鉄姪浜駅へ ……朝のラッシュ、通勤通学の人で段々詰まって行くなかで、みんな日常の今を生きているなかで、自分だけ違うことが、申し訳無いような寂しいような変な気分になる。博多駅で降りて空港行きのバス乗り場に行く。人が沢山並んでいる。僕だけじゃないんだなあ。この人達の中には僕と同じように初めての海外旅行の人もいて、まだ見ぬ異国のことに胸膨らませているんだろうな、なんて思ったりなんかして、 いい旅せえよ  と行ってあげたい気分になってくる。でも、バスが来る時刻になってきて人の数が増えてくると、もし満員で後のバスになったりしてフライトに間に合わんやったらやばいななどと思ってしまう、悲しいかな。が、うまく乗れた。  当然だが空港は昨日と変わってなかった。ただ朝出る飛行機が多いからだろう昨日より人が多い。見るに、少し派手な人もいるが大きな荷物さえなければ、街に買い物に行く人と変わらない。    さて、当日航空券もらえるということだけれど……。待つことしばらく、まだ素人ぽさのある女の人が係りだった。やっとチケットもらえるぞと思いきや、何やら手はずがまだで、もう少し待ってくれとの事、おいおいいいかげんにしてくれって言いたくなる。また待つこと少し、三人集められてやっとチケット授与式。ロスアンゼルスまで行くのはこの三人だけですとの事。まあとにかく手続きして重い荷物をカウンターに預け搭乗券をもらう。  三人とも初めての海外旅行だ。やはり不安な気持ちがお互いあるからか話しが始まった。今から外国に行くのに同病相哀れまなくてもと粋がる気持ちもあって始めは二人のおしゃべり聞き流して、旅慣れた態度装っていたんだけど、やっぱやあめた 旅は道連れだ。カメラマンの   は、いろいろな美術やなんかを見に行くという。国鉄マンの   は、留学して人生をいろいろ考えてみたいとのこと。搭乗券をもらっていよいよ二階に上がって行く。荷物や身体チェックの後出国手続きだ。難しいだろうと思っていたが、すんなり流れてる。なんだ、たいしたことないやないかなどと余裕もでてくる。免税店で、アメリカにいる友達になんかお土産をと二人は…。米US$や円で値段がついてる。国鉄マンの   は米$を既に現金でもっている。負けてしまった。私はトラベラーズチェックだけなのだ。もし、ここではトラベラーズチェックは使えません何て言われたら恥ずかしいと思って、彼らの買い物を見ておく。だいたいトラベラーズチェックを使うのも初めてのことで、本当にこんなおもちゃみたいな紙というか模様入り領収書みたいなのが使えるのかという不安な気持ちがあって…。バカだね。  さてだんだんフライトの時間が迫って来る問いうのに、実感がない。いよいよ搭乗。ジャバラの廊下を通って、飛行機のドアの前には韓国人のスチュワーデスさんが挨拶してくれる。機内に入る。やはり福岡ソウル間の飛行機は小さいなあ、なんていっちょまえに思ってみたりなんかする。禁煙席の関係でか、青沼さんと僕は隣の席だが梅沢さんは離れてしまった。  いよいよ離陸。飛行機は滑走路を動き初めて加速しだした。その振動が体に伝わってくる。とうとう日本を今僕は飛び立とうとしてるんだ。青沼さんも横にいるけど、この瞬間を心に刻んでいるんだろうか、物静かだ。浮いた。機体が地面から浮いた。タイヤからの振動は消え、もはや過去へと去って行く。もう俺は外国という外の世界へ旅立ったんだ。と小説の主人公よろしく思ってみる。にんまり たかが福岡空港内滑走路上空数 の所での、お・は・な・し。  今日はいい天気だ。福岡よ、日本よ、我が故郷よ、山よ、友よ、しばらくおまえ達とさよならだ。いつかわからんけどまた戻って来るからな。元気でいろよ。グッドラック 自分のほうが旅立っているのに……  高度が上がって行く、街が小さくなって行く、機体が斜めになって空中に浮いているこの鉄の塊、大自然の中ではちっぽけな小鳥なんだなあ。自然は、泣いたり笑ったり争ったりして一所懸命?生きてるホモ・サピエンスをどんな瞳で見守っていてくれてるんだろう。海が青い。そして小さな島が見える。あの島、日本なのかなあ、こんなに離れたところにも島があるんだなあ。人住んでんのかな。住んでたら、こんな離島で生きてるなんてすごいな。それとも無人島かな?もしかしてまだ地図にもない未発見の島だったら面白いね。それにしても、飛行機に乗ると思うけど日本て深緑色してるんだね。都会をちょっと離れると山で、常緑樹で自然に恵まれているんだね。日本の自然もまだ捨てたもんじゃないな。勿論植林し尽くされた色なんだろうけど、それでもこの恵まれた環境大切にせんとだめだよね。  なんて思ってたのもつかの間、機内サービスのジュースやアーモンドにパクつく。青沼さんの奥さんの手作りのケーキパン(あっ 密輸出だ。)を、ああこれが最後の日本食?か、と味わって戴きます   そうこうしてたら、もう韓国国土上をとんでる。ついに外国だ。そうだキャンプのあの子たちはこの国に住んでいるんだと思うと初めての土地じゃない気もする。しかし土の色がもろにみえる大地はなんか潟のようなところがあってあんまし奇麗じゃないなあ。空も曇りだして福岡の冬の曇りの暗い日みたいだ。金浦空港に近付いて来たのか高度が下がり出す。さっきまで小さかった建物なんかが大きくなって、タイヤが接地した。もっと着地はドラマチックだろうと思ってたけど、振動と大きな滑走音が、完全に止まるまで長く感じた。でもでも、いよいよ韓国だ  あいむ・あ・ふぉりなあ となったんだ。機窓から空港を見るといろんな国の飛行機がある。でも韓国一の国際空港にしては福岡空港と大差ないような気がする。飛行機を降りるのだけど今度はタラップで地面に降りることになっている。そしてそこに待っていた少し古いバスに乗るのだ。ターミナルから遠いところに着陸していたのだ。もっとリッチな入国になると思っていたのに。飛行機では気付かなかったけど、バスいっぱいに人が乗り込んで来ると自然とひといきれ、この人達の誰が日本人で誰が韓国の人なのか分からない。大きな荷物は帰国の土産なのかな、みんなそれぞれだけど旅の終わりの幸せそうな顔に見える。彼や彼女らの帰りを待っている子供や恋人や家族がこの地に居るんだろうな。そして今から無事再び彼は日常の自分の生活へと変わっていくんだろうな。そして、入れ替わって僕達三人は今からが非日常の旅の始まりなんだと思うと、このバスが沢山の人生を包み込んだ地球の縮図のように思えて、空しいような、悲しいような、でも優しくなれるような気持ちになる。バスから降りると階段を歩かされる。もっとリッチな入国と想像してたのに。まあいいけどね。  三人はもう何年も前からの友人のような気分、数時間前会ったばかりなのに。トランジットルームでロス・アンジェルス行き747 を4時間待ち。 トランジットルームで自己紹介アドレスアメリカのどこに行くのか異国なんだけどアナウンスがハングル、テレビのコマーシャルも日本と変わらない、ラーメンの宣伝もハングルなだけ。サンドイッチをもらえるというのでロビーのカウンターに行くけどまだとのこと。金浦空港で乗り換え待ち3時間、ついに日本人は僕ら3人だけになってしまったけど、そして異国の地韓国にいるというのに、僕の心は落ち着いている。自分でも変だなと思うくらい。待合い場のTVを見たら日本そっくりのコマーシャル。アジア大会があっているが、やっぱハングル語がとひかっている。やっぱソウルなんだと頭で納得。「旅慣れてるみたいやね。と二人から言われる。僕は釣り用のポケットの多いベストにパスポート、お金、国際免許証Y,H会員証、アミーナイフ、それに、ポケット英和・和英字典を入れて、手には何も持ってなかったから、吹き抜けの明るいロビーを意識して軽快に歩いて見せていたからだ。本当は、外国ではおろおろして落ち着きないと返って盗難やなんかに会い易いという二人がさっき話してたこと横で聞いてて、そう言えば、海外旅行の本にもそんなこと書いてたなぁと思って、よし胸張って行こうと思ったからで、手荷物持ってる二人には、手ぶらな僕がそう見えたのかな?テレテレ。昼過ぎスナックサービスをトランジットデスクに貰いに行く。サンドイッチだったが中身はなんか韓国ぽい味がした。上の階に行くとスナックがあったので、そこで三人で三人の旅の成功を記して乾杯をする。まだまだ時間があるので免税店をブラブラ。民族衣装のチョゴリを着た女の人が店頭にいる。ソウルオリンピックのマスコット人形のホドリ君がいっぱいだ。電話ボックスも日本と違うが、今は別にかけないし…  いよいよ747のLAX行き搭乗客が集まって来た。3人の気安さか不思議とまだ落ち着いている。僕らの前では一組の若い白人の男女が名残を惜しんでかやたらじゃれついている。御馳走様。しかしやはり外国だなあ。さっきと違って今度の飛行機はやはり乗客にアメリカ人らしき人が多い。今から太平洋をこの金属の塊が空を渡るのである。また梅沢さんは席が別の所になってしまった。青沼さんと私はまた隣だ。一人にならないで少しホッとしたけど、梅沢さんに悪い気がした。私達は NO SMOKEの席をとカウンターでいってたのにどう間違えたかまわりはみんなたばこスパスパなのだ 煙いよー。でもまあいいか、こっちのほうが真の外国人の日常の姿なのだ、それが見られてるんだ、などと変な理屈つけて自分を納得させたりなんかする。それにしても真面目にピシッと座っている人が少ない。気楽な感じの人が多く感じられる。日本人と違うなあ。  東に飛んでいるから、一日が早く過ぎて行く。夕食の機内食は、(やったね )量も多くとてもおいしい。 夕方があっと言う間に暗くなって行く。機内の照明も落とされた。窓から星が見えた。太平洋の上空だから水平線まで星がある。寒くはないけど毛布をかける。あまり眠れない。それもそのはず、まだ日本じゃ宵の口なのだから。それともやはり自分では意識なくても興奮しているのかな。少しぐらいまどろんだだろうか?そうこうしているうちに朝になって来る。これまた早く明るくなっていく。トイレは朝混むだろうと早めに1回行く。後部トイレ付近はたばこモクモクで立ち話をしている人達、まるで待ち合い室感覚。もしかしてトイレも…国鉄のイメイジだったが奇麗だった。しかも狭い空間をうまく利用しているうえにアフターシェイブローションやコロンみたいなものまで置いてあるのには、さすがドル箱国際線と感心した次第。余り眠れなかったのに早く朝が着て、もう朝食だ。日本時間だったら一日四食したことになるんだろうな。しかし、これまた機内食はうまい。飛行機という乗り物の食事だから駅弁みたいにお情け程度の量や味だろうと思い込んでいたが、おかわりしたかったよー。一心地ついたらまたトイレへ再び感心する。スチュワーデスが紙を配る。入国カードである。名前や性別やなんやかや書き込んでいくのだが、分からないところを青沼さんと聞き合って英和辞典引き引き記入していると通路を挟んで斜め前のいかにもアメリカ人っていう感じの二人組みの一人が私に声かけて来て、英語でここはこう書けと言う。私達のことを見かねて教えてくれようとしているのだろうが、そういえば、日本を出発して(大袈裟だが)初めての外人との会話だ。心の準備ができていないのです。そんな急に英語でしゃべらんどってくれよ。私は笑顔でセンキュー、センキューと言って教えてもらった。しかし実は少ししか解らなかった。残りは青沼さんと一緒にどうにかこうにか適当に書いた。  青一色の海だった眼下に陸が見えて来た。ついにアメリカだ 俺はとうとう来たのか。そして…?ウッソー 茶色いよ。(灰色っぽい薄茶色)どうして緑色じゃないの?日本を離れて行くとき見えた山や島のあの木々に被われた緑を想像していた。僕には意外だった。いや失望に近いくらいであった。森の中を自転車で走って森の動物たちと会えるだろう。そんなことを考えていたのに。こんな大地が剥き出した貧弱な土地だったのかアメリカってところは。これだったらもしかして自分はロッキー越えられるだろうか。途中で水不足になって野垂れ死にしてしまうんじゃないか、オオカミに襲われてしまうんじゃないか、毒蛇に噛まれて死ぬんじゃないか、急に不安がましてきた。そして、この不安のお陰か、今一つ旅に出てるんだという気持ちがなかったのに、急に、今私は途方もない旅にでようとしているんだという実感が出て来たのだ。山に小さく細い道が見えるが、ほとんど町らしいものはない。これだったら食糧も手に入らんかもしれん。などなど…横を見ると青沼さんもやはり急に不安になって来たようで、少し俯いて何か考えている。そうこうしている内に、高度が下がって行きだんだん窓の外は都会になって来た。大きい。ずーっと続く建物の群れ、やはりスケールが違う。道は日本のようにくねくねしていない。東西南北に走っている。これを見てると今度は、今から自分はこの街に降りていくのか、このでかい街のどこをどう走ればいいのか分かるだろうか? もしかしたらこの街のように車に虫けらのようにひかれて死んでしまうんじゃないだろうか? いやもしかしたら悪い奴からピストルでバキューンと撃たれたりするかも、それとか強盗に遭ってお金やら何やら盗まれて途方にくれることになんかなるんやないだろうか?そんな思いがして来た。  そして今度はLAXが見えて来た。これがまた大きな空港である。この空港から果たして出て行けるだろうか、自転車をどこで組み立てたらいいんだ。不安が不安を呼んで来る。ああ、もしかしたら生きて帰られんかもね。生還率10%?かも。我ながらバカなことしようとしているもんだな、などと自分を見詰めてみたら、不安は一杯にも拘らず、どうにかなるだろう、頑張ってみりゃいいさ、と思えるようになって心が少し楽になって来るから不思議だ。自分で自分のこの楽天性というかしたたかさというか向こう見ずさの存在に驚いてしまう。さらに飛行機は高度を下げ建物や道路がよく見えて来る。しかしロスアンゼルスはデカイ街だな。飛行場が見える。これまたでかい。まだ着陸しないとわ、よっぽど広いんだろう。ウーーーム、ワーーーオッ    タイヤの振動が座席から俺の背中に伝わりだす。飛行機は着陸し減速滑走し始めたのだ。ついに俺はアメリカに来たのだ、とシートベルトをしたまんまの恰好で思ったりなんかする。どんな旅になるんだろう。いや、どういう旅にしようと思わなくっちゃな、と思い直す。私がそうしてボサーッとしているうちにも、みんな早々と荷物を手に取り出口のほうへ進み出す。私達も遅れて荷物(私は手ぶら)を準備して席をたつ。さっきの外人にもう一度先程はセンキューと言おうと思ったが、もう先に飛行機を降りて行ったのか見当たらない。スチュワーデスさん御苦労さん。蛇腹の通路を通ってターミナルに入って行く。梅沢さんとあえてまた三人揃う。わーすごい エスカレーターが地面と平行というか地面がエスカレーターになっている。右側が通路で左側がエスカレーターで並行しているのだ。感動してしまって、やっぱアメリカは凄い、発想がケチじゃないなと思ったりなんかする。日本の福岡を発ったのが十月三日の午前十時で、いま十月三日の午前十時半過ぎだ。時差のせいだけど、たった三十分で日本からLAに来たんだ。なんだか時間を得した気分になる。  イミグレーションに着くと人が並んで順番を待っている。並び方がまたいい。日本だと二、三列になったりもっとかたまって並んで、空き有れば順番をごまかして先に割り込む族が多いのだが、流石米人、一列に並んでいるし、もう一つ、一番前の人と2番目の人の間をあけて一番目の人の入国審査が終わるまでそして次の人と言われるまで2番目の人は離れて待っているのだ。偉い、これがマナーだ道徳だ。こんなとこ日本は見習わないかんちゃない?いくら経済大国っていったって心があまり貧相でお粗末過ぎませんか。でも十年や二十年じゃ変わらんやろうな。力強い者が踏ん反り返っている寂しい国では。さてイミグレーション、僕の番がやって来た。グラマーな黒人女性のイミグレー官だ。梅沢さんは留学だから別の所でイミグレーションだ。青沼さんは僕の隣の所でもう終わったようだ。彼が通過できたんだから僕だって…  目的は?  「さいとしーいんぐ」と答える。おお通じてるみたいだ私の英語もたいしたもんだ。しかし…  所持金はどのくらいですか? と聞かれたとき、正直に  $といったら、三カ月の入国は認めるにはお金が少ないようだというようなことを言う。僕はYHとか自炊とかで安く旅するので大丈夫だと説明したいのだが言葉が出ない。YHって何かとかいってるようだが話が通じない。私の後ろにはいっぱい人が並んでいるというのに、私だけ時間を食って申し訳無い。背中に人々の視線が重く感じられる。むこうで青沼さんが心配して待っていてくれている。とうとうその黒人のイミグレーション官は日本航空のスチュワーデスを連れて来てもらって私の通訳をさせる。ヤッター頑張ってみるもんだな。どうにかこうにか三カ月の入国が認められた。後で知ったのだが、アメリカでは目的をしっかり持った人にはとても寛大だそうで、私も初めから正直に自転車で米横断をするから三カ月くれと言ったらくれたらしいのだ。ところが日本人的感覚でそんな途方もないこと言ったら入国を禁止させられると思って言わなかったのだが…。まあいい三カ月取れた。三カ月あればたぶん横断出来るだろう。  「あーごめん遅くなって。」二人に言う。  さあ次はバッグクレームエリヤだ。が、一難去ってまた一難。これまた困ったことに…私のバッグがないよーう。自転車を入れている輪行バッグのほうはすぐ見付かった。大きいしFRAGILEと書いていたのでガラガラ回るターンテーブルから降ろされていた。青沼さんはサンフランシスコへ行くためもう少ししたら国内線に乗り換えないといけないらしい。梅沢さんはまだゆとりがあるらしいが…私の為に荷物を探してくれるが見付からない。飛行機乗り過ごしては大変なので、慌ただしく青沼さんに二人はさよならする。「いい旅しようぜお互い。」たった三十分前に知り合ったのに何年もの友達だったみたいな別れの気分。また私のバッグを探す。同じ便だった人達はどんどん自分の荷物を見付けて消えて行くというのに、わたしはうろうろ。とうとう回転式のターンテーブルもストップした。あの日本航空のスチュワーデスをみつけて、僕のバッグが見当たらないと言うと、よく探してとさっきよりも冷たい返事。きっといつもいつも私のような日本人客にうんざりされているんだろうな。人影まばらになっていく中、更に探していたらあった。他の人の大きな荷物の下敷きにされていたのだった。私はようやくほっとした。梅沢さんは良かったと言ってくれたが、私に呆れぎみの顔色のように見えた。でも心配して一緒に探してくれてありがとう。輪行袋とバッグを肩に国際線ターミナルの外に出て行く。空港内の二階式の上下各一方通行の環状道路だ。シャトルバスや自家用車やらが引っ切り無しに来てまた出て行く。さあてこっからどういったら良いのやら、梅沢さんもそろそろ国内線の乗り継ぎのため次のターミナルに荷物を持って移動しなくちゃいけないのだが。私といえば自転車をこの空港内で組み立てて良いのだろうか?そして組み立てたとしても自転車は通行可なのだろうか?シャトルバスで空港の出口まで行ってからでも組み立てようかと思う。梅沢さんは近くの外人さんに自分の行きたいターミナルはどっちか聞いている。アッパーレーベルローウェイ、つまり上の環状道路だと言われ重い荷物を持って上に行く。今度は上の別の人から下だと言われまた下に降りて行く。困ったもんだ。しょうがない。そうだ記念に写真でも写そうと、彼のカメラでお互い記念写真を撮り合う。パチリ 再びシャトルバス路線を聞いてやっとバスがわかる。バスが来て梅沢さんともお別れだ。そのとき女の人が自転車で歩道を通っていたので空港でも自転車に乗っていいんだと知り、ここで自転車を組み立てようと決める。「じゃあしっかり」「良い旅にしような」とお互いかたく握手する。またいつか会えたらいいね、そう思いながら彼がバスに乗り込むのを見送る。これからいよいよたった一人になるんだと思うと、彼とまだ一緒に慣れるまで旅したい気もするけど…バスは出て行った。彼がバスの中手ぐらい振るかなと思ってだけど、混んでいたのか振り向かなかった。「元気でな」バスが曲がって見えなくなるまで見守っていた。旅の別れはなぜかとても心が優しくなれるんだなあって感じがする。でもセンチメンタルに浸ってばかりいられない。そうしている内にも時間は過ぎる。早く自転車を組み立てよう。飛行機の窮屈な旅の疲れと、時差ぼけの調整のため今日の目標はとりあえず休息に重点を置き、宿に早めに着く事だ。自転車を組み立てるのはどこがいいかなあと辺りを見回す。人の邪魔になる所はだめだけど、まったく人けの無い所だと組み立てに夢中になっているとき背後からホールドアップとか来られたら恐ろしいしでターミナル出口の左すぐのちょっとしたスペースの所ですることにする。日光が当たってとても眩しい。そういえばやっぱり日本より光が新鮮な感じだ。空も青いようだ。輪行袋のチャックを開けて、フレームに前後のタイヤ、変速機やブレーキ、荷台等を付けていく。時々何してるのかなと私を見る外人もいる。それほど珍しくないのかなあ、僕みたいな人は。それとも自由の国アメリカだからかな。クランクにペダルを付けていたころ、カーキー色の服を着た黒人さんが来て何か私に向かって言おうとしている。もしかしたらこんな所でこんなことしては困るとか、罰とか逮捕するぞだとか言われているのかと思っていたら、よく聞いてみたら、自転車の部品やフレームなんかをくるんでいた西日本新聞を近くに置いて作業してた僕に、「そのニュースペーパーはちゃんとゴミ箱に捨ててくれんと困るからな。いいですか」と。なんと彼はここ近辺の清掃担当員でさっきここら辺を掃除して奇麗にしたばっかりなのでした。なんかいかにも米人的だなって感じがした。ニュースペーパーって…漢字の混じった仮名文字のこの新聞、彼にしてみれば異様なもののはずなのにそれでもニュースペーパーと言っているところが妙におかしいような気分。なんかニュースペーパーと言ったら横文字のアルファベットのあの新聞いや「ニュースペーパー」を私は思ってしまうからだ。何かしら、この調子だったらこの僕の旅はとっても楽しいものになりそうに思えた。黒人さんに「センキュー 」 さあ自転車も組み立てた。荷物も取り付けた。新聞もゴミ箱にきちんと捨てたよ。さてどうやってこのでかいLAXを抜け出すべぇ。とにかくこの国際線ターミナル前の道路は全ターミナルを回る環状線なのだから一回りすればどこかに出口があるはず、どっちに行ってもよかろう。よしこっちに行こう。とアメリカでの最初のペダリングはここに始まったのでありました。心はルンルンとちょっとの不安。でも満足満足。国内線の各ターミナル前の歩道を通り過ぎずーっと行くと出口らしい所に来た。さてこれからどう行けばいいのだろう。空港を出たらもう本当のアメリカというか日常のアメリカ文化や日常のアメリカ人と一人で接して行くことになるんだ。甘えは許されないのだ。とにかくこの道を行ってみよう。空は青いし色鮮やかに見える。空港から出た。車のスピードが速い。もしかしたらここは高速なのだろうか?自転車が通ったら逮捕されるんじゃないかな。あっそうだ右側通行だ、右側を通らないといけないから…そうかこっちに行けば良いのかな。てな具合で地図を見てみる。福岡のアメリカンセンターでコピーして来たやつだから、もっと詳しい地図が欲しいのだが長距離には大縮尺の地図は面倒だしまあいいか。しかしアメリカの道路は南北東西に走っていて南北には    東西には   という名前が多いし道路ひとつひとつに名前が付いている点がとても便利だ。LAXを出た私は一路南へ南へ進路をとりだした。LAX付近は空き地や工事中の所など多くていい雰囲気じゃなかったが、だんだん行くと街らしくなってくる。道路に面した所を広く取ってブロック塀ではなく芝生にしているところなどいい感じだ。広い国アメリカのゆとりだな。雑然として込み入っている日本の街とは違う。とは言っても、そうでなくて歩道のすぐに家が建っている所も勿論ある。小さな家なんかはそうだ。自転車に乗っている少年にあう。きっとここの近所の子供なんだろうけど、とっても嬉しくなる。歩道や車道がゆったりしているからか、彼らの自転車に乗っている姿が解放されているって感じで羨ましい。日本なら自転車は道路の左端に追いやられ、後ろから来る車にいつもビクビクさせられ、行き交う車の廃棄ガスを顔に吹っ掛けられ、時には後ろからクラクションでびっくりさせられる。歩道を通れば通ったで看板や店の荷物やら、おばちゃんたちの立ち話やら、自転車やそして自動車の歩道駐車なんかに悩まされる。そんなだから自転車に乗っても本当に解放されないのである。スケボーの子供達もいる。日頃からあんなふうにスケボーで遊んでたらサーフィンとか上手くなるだろうな。彼らの姿からいかにも遊びを楽しんでるというのが伝わって来る。心が解放されているんだという感じ。  そうこうしているうちに腹がすいてきた。朝、リッチな機内食を食ってから何も食べていない。お昼はもう過ぎたし、どっかで昼飯を食わんとな。そういえばまだトラベラーズチェックというものを一度も使ってない。はたしてうまく使えるだろうか?そして私の対外人の英語もこれからが本番である。しばらく行くといろいろレストランみたいなのがあるようになってきた。しかし高そうだ。簡単なハンバーガー屋にしようとさがす。あった。駐車場に自転車を止めて、いざ出陣 ハンバーガー屋の中は日本のマクドナルドやなんかといっしょだ。いや日本が米のバーガー屋をまねしたんだっけ。注文カウンターの上のメニューを見る。やはり英語で書かれている。そしてそして勿値段も$で書いてある。メニューを見上げながらたどたどしく読み追っていくがわからんのがある。いや正確に言えばわかるのが少ししかない。困った。まあいいか。と見ると、カウンター嬢も早よ決めんかなという顔して待っているように見える。ハンバーグ二種類とコーラを頼んだのだが、数は一つかと聞かれてしまった。そうやね。日本は複数形のsみたいの無いんだから。本当は一つだったらワン何々とか三つだったらスリー何々と言わんといけんらしい。なんかきっぱりしているというかこちこちの合理主義というか面倒くせえなあと英語力の無さをアメリカのせいになんかしてみる。そしてついにトラベラーズチェックを使う時が来た。トラベラーズチェックを見せてOK?と聞くと、カウンター嬢が店長らしき人と一こと二こと、そしてどうやらいいらしい。10$のトラベラーズチェックに私のサインをして1枚破って恐る恐る渡す。レジの音がしてハンバーガー代の御釣りを私は貰う。やったついに手にした米のコインと紙幣だぞ。しかし何か小さくてボロボロでデザインもおもちゃぽくって頼りない紙幣だな。本当にこの紙幣使えるかいなと思ったりなんかする。コインの方もどれが何セントなのかわからんので本当に御釣りの計算あっているのか、まあいいレジのあの娘を信じましょう。それよりへったお腹にハンバーガーをあげなくちゃあ。一所懸命落ち着いてテーブルでほうばる。腹へっているからうまいけど日本のとそう変わらないな。ただコーラのプラスチック容器が二回りずつ大きい。本当はコーラなんて飲みたくなかったけど英語でわかったのがコーラとスプライトだったから。 昼食を終えてまた出発。ローラースケイトやスケートボードを歩道で楽しんでいる。ママから頼まれたのか手紙を片手にもってスケボーでポストの所へ滑って行き手紙をポンと入れてまたお内の方へ帰って行く小学二年生くらいの男の子。自転車乗りの姿もちらほら。良かった、自転車屋があった。予備のチューブを買っとかなくては。「チューブ下さい。」見せられたチューブはなぜか韓国製、そしてバルブのところが僕の自転車と違っている。[解説]バルブにはウッズバル(英式)、フレンチバルブ(仏式)、シュレーダーバルブ(米式)とあり日本で多く使われているのは英式のやつで、勿論僕のもそれだったわけだ。しかしお店の主人は  式を私にしめして、これはユニバーサルだ、と言って勧める。ユニバーサルならどれでもあうんだろう。しかし私のポンプで空気入れられるのかなとの不安も少しあったが、信じて買うことにした。後の事件につながるとも知らずに…。チューブが手に入って安心してまたペダりはじめる。車のマナーがとてもいい。自転車が直進しているときには、右折車はずっと後ろのほうでスピードを緩めて待っていてくれる(アメリカは右側通行)。日本じゃ のろのろいくな  と言わんばかりに強引に左折や右折して来る。爪の垢でも飲ませたい こうあるべきなんだ。いつも日本では割り切れない思いだった。なんで力のあるものや力の強いものが公然と威張っていられるの?そしてどうして黙ってみんな黙認するの?そんなのが認められていいのですか。それとも今は弱者でもいつか自分が強い立場になったときそのようにする自分を知っているから怒れないのですか?そんな世の中っておかしいよね。力のある者強い者ほど謙虚に相手の弱者の立場をわかってあげなくっちゃいけないのではないのですか?力は自分に都合よくするための道具なのですか?だからそうするために力をつけたがるのですか?私が車もバイクも乗らないことを変わり者のように言う人もいる、金がもったいないけんやろうと言うやつもいる。私は変わり者ですしお金がもったいないのも当たっているのです。石油危機というのが何年か前にあった。石油はもう余り無いから節約しようなどヴォルテージ上げてた人達はどうしているのか知らん?まさか今浪費はして無いでしょうね。私一人が車に乗らんで自転車でずーっと人生を通せたら、何千か何万リットルのガソリンを使わないことになる。 もし石油が地球から西暦××年×月×日×時×分×秒に無くなるとしたら僕のお陰でプラス何秒か地球が救われるのです。またガソリンを燃やし続けたら二酸化炭素の濃度が増えて、地球の気温が上昇し陸水の氷や雪が解けて陸地が水面下に沈むことになるそうですが、私のお陰で陸地の水没化を一 の何分の一か何千分の一留どめることが出来る。そしたら何千何万匹かの微生物から哺乳類までの生命が救われるのかもしれないのです。なんだか話がそれてきたけど自動車に乗ったら少なくとも歩行者やチャリンコやバイクより交通強者になるのですから、力をもつぶん謙虚さも持って下さい!日本のドライバアーの方できるなら、人間一人が地理的に移動するために、たった50〜70 の物体の移動の為に  トンという箱型した鉄の塊ごと、しかも少ない石油と酸素を使って空気を汚して移動しないで欲しいなあと思うのです。これはいくら叫んでも殆ど誰も聞いてくれない事でしょうが。 あるとき私が山登りに行くため都会の地下鉄から私電に乗り換えようとしたとき、私の横を歩いている父と子がこんなことを言い出した。「あの人山に登っるちゃろう」「あんな恰好では山に登れんと」その会話はしっかり私の耳に入ってきた。こんな会話する父と子に怒りと驚きと悲しみをおぼえ、振り向くこともできず心の乱れが自分の後ろ姿にでないように通路を歩くのが精一杯だった。そのときの私の服装は確かにテレビで見るような山登りをする人の恰好、例えばニッカズボンにウールのソックスにCPOシャツにキスリングに登山靴にチロリアンハットに登山記念バッヂなどとは程遠い姿をしていた。ジャージのズボンと化繊の春物のセーター、リックサック、サングラス、キャップ、キャラバンシューズといういでたち。もしあの会話がその父親と他の大人の人との会話なら、山のこと何にも知らんくせに人のこと一々干渉するなバカタレくらいの気持ちですんだかも知れない。しかし、あれは親が子に言ったのである。子供に山登りは服装で登るんだよと言って教育している親に呆れてしまったのである。もしかしたらあの親は子供のころやらせの遠足的山登りしか経験無いのじゃないだろうか。登りたいという意志から登ったのではなく学校行事の中でいやいや登らされたことしかないのじゃなかろうか。寂しいもんです。自分から山に登ろうと思い登った人には山は多くを語ってくれます。そして山登りと一つの言葉で片付けられない沢山の山登りがあることも知るでしょう。季節によっても時間帯によっても天候によっても温度によってもまた体調によっても年月差によっても山はいろいろ違った姿をあらわしてくれます。また登る人の視点、レクレーションとして体力の挑戦としてトレーニングとして健康増進としてリハビリとして採集(植物、動物etc)、狩り、調査(植生、生態、地質etc)サバイバル。いろんなやり方があるのです。物理的には位置エネルギーが低い状態から重力に逆らって位置エネルギーが高い状態に体や荷物を持ち上げる単純な作業なのですが、それゆえに複雑なバリエーションが生まれ得るのでしょう。もう大人だったらきっと山登りの喜びを知らずに一生を過ごす人も多いでしょうし、あの父親がそうであっても一向に私は構わないのです。ただその子供まで山登りに対する価値観、きちんとした服装でないと山は登れない、登れないなら登らない。登らないから山の喜びも味わえないというようなことになったら、その子供の人生の可能性のうちの一つを剥奪することになるのではないかと思うのです。そして、付け加えると、山は高いから貴いということはないのです。山は一つ一つみんな表情が違います。個性を持っています。低い山でもとっても楽しくしてくれる山を私は多く知っています。というよりどんな山もいろんなかたちの楽しさを与えてくれます。 またこういう人もいました。山を私が下山しているとき前をラジオのヴォリュムをあげて大きい音で聞きながら下山している登山者に会いました。それまで風の音や谷川の、音鳥の歌声、木のささやきなどを聞きながら降りていたのに。そのラジオをならしてた人にとっては山登りしながら好きな音楽聞けてとっても楽しい気分でいたのでしょうが、それは個人の自由なのですが、ヴォリウムを小さくして自分一人で楽しんで欲しいものです。その音楽が他の人にとって好きな曲とか嫌いな曲とかそういう問題とは違うのです。山でラジオは必要なこともあります。天気の変化やニュースを聞いたりするのに役立ちます。しかし必要としない音楽は山では流さないで欲しいのです。巷ではどこを歩いていても音楽が流れていない所はないと言って良いくらい音楽で溢れています。しかし、そのことに慣れきってしまって山にまで音楽を持ち込んで曲に身をまかすような聞き方をして下さるな。山はそういう日常から離れることができるところの一つでありその目的で登っている人も意識しているいないにかかわらず多いのですから。  海岸に近いところを通る。相変わらず天気がいいし緑は奇麗だし家や店やらの色が鮮やかでカラフルを絵にしたウエストコースト色。しかししばらく行ってると今度はなんだか福岡の202号線バイパス沿いのカーショップや料理店やパチンコ屋やガソリンスタンドのあるあの感じに似てきた。似たような産業構造の町なのだろう。気持ちが幾分リラックスする、とともに福岡と同じなんてアメリカも日本もあんましかわんないななんて思ったりなんかする。 自転車にながいこと乗っていると要るものはまず水と食料だ。そういえばまだ調達していない。どこか安いスーパーマーケットみたいなのないかしらん。アメリカのスーパーマーケットは町の端っこにあるときいている。しばらく行きよったらあるやろう思ってたらあった。自転車を降りてカギをして、しかしここに駐輪していて怒られんやろか、自転車ドロボーに盗まれんやろかと思うけどまあいいたいとおもってスーパーに入る。スーパーの入り口は例のあの一方通行しかできない回転棒式である。日本じゃあ飛行場なんかでみかけたことあるが、スーパーであんなのしたらきっと日本人のことお客を信じてないんだと批判なんか起きそうだけど。しかしアメリカは日本のように島国の単一民族単一価値感の単一大好き国民ではない。いろんな人間がいる。だからああいうふうにすることも必要になってくることをお客のほうも認めているんではなかろうか。まあそれくらいにして。中へ入る。中の商品の並べ方なんかは日本と同じ感じだがやはり商品のサイズが一回り大きい。コーラやジュース1.5 や2 はだいぶ日本でも出回って来ているが、それよりまだ大きいサイズが並んでいる。牛乳もでかい。アメリカ人は体がでかいから食べる量も多いからこれらもビッグサイズになるのかな。そのうえ一週間分まとめ買いするからだろう、乳母車を大きくしたようなかごの車一杯山盛りになるくらい買い物をしている。そういえば今日は金曜日だ。きっと買い込んでウィークエンドをエンジョイするのだろう。さて私は飲み物としてポカリスエットみたいなのか果汁入りジュースをさがしたが、日本と同じラベルの感じで探していたからみつからなかった。それで炭酸飲料にした。それと非常食用のアーモンドと食パン一斤を買う。さすがパン食の国、パンは安い。レジにいく。バーコード式だが商品をガラス状の窓のついた台のうえにのせる方式だ。使いなれないせいかまだトラベラーズチェックでお金を払うのはなんかやりにくい。10$払ってお釣りを貰うが御札だけしかくれない。小銭のお釣りをくれない。あれおかしい。ちょっきりのはずはないし、なんか御釣りが少ない気がする。確かお釣りがある筈と思って入ると、なんと私の手前のレジの所に1$以下のお釣りがまるで両替機よろしく小さな受け皿の上にのっていて、しかもお釣りが何¢あるとデジタルで表示されていたのには凄いと思った。勿論ここみたいなお店ばかりでなく、由緒ゆかしき手渡し計算法も多いのだろうが。しかしこれを見たらやっぱりアメリカ人は計算が下手くそやけんこんな機械発明したんだろうななどと思ったりなんかする。米人さん御免なさい。 再び出発(再び輪上の人となったのであった。)、南へ。人の生活の匂いのある町になって来るとともに町がカラフルになってきて空の澄んだ青色がそれを引き立ててくれる。またペダリング。日もだいぶ傾いてきたがまだ今日の宿にするYHまではどのくらいなのだろうか、アメリカの地図には慣れてないので距離感がつかみにくい。と言うのも私が使っていたのは日本のアメリカンセンターで事前にコピーして手に入れた    分の一の大縮尺の地図で小さな通りの名前なんかのってないからなのだ。しかし、アメリカは一つ一つの小さな通りにも名前があって、しかもその通りと交差するところには四つ角に通りと平行に通りの名前を書いたプレートがちゃんと立ててあるので、とてもわかりやすい。慣れて来ると地図と対応してすぐ自分のいる場所がわかるし、また通りの名前から逆に行きたい場所の位置を地図上に捜すことも出来る。日本だったら塀についてる番地のプレートを捜してみないと場所がわからないし、そのうえその番地のプレートもついてない家も多くあるし…やっぱアメリカは合理主義の国だなあと思ったりなんかする。さて、それはさておき、YHの近くまでやって来た。YHまであと何キロという標識を見付けて、いよいよだと思うとともに少しほっとした。しかし、まだ着かないと思ってたらそのうち六角の通りに来てしまった。先ほどの通りの名前のプレートは四角では見易いのだが六角以上になるとプレートの指している方向が微妙にずれてたりしてどの道を指しているのかわからなくなってしまうという欠点があったのだ。そこで思案に暮れていたら近くにガソリンスタンド、いやアメリカではガスステーションという、がある。道聞いてみよう。ステーションの黒人の男の人にYHを知らんですかと尋ねた。すると「モーテルみたいなやつか?」という。そうか彼らにしたらYHはモーテルと同じようなもんなんだなあとはたと思ってしまった。「それならこの道をまっすぐ二分上がっていった所だよ。」という。車の感覚で言っているのかも知れんとおもって、「自転車でだよ。」と言うと軽く笑って「直ぐそこだ、まっすぐ行け。」と言われた。僕は「センキュー、センキュー」とお礼を言って、その坂を上がって行った。途中アタックザックを背負ったバックパッカーが、逆にその道を降りて来ているのにすれちがった。YHではよくあることなのだが自由な旅をする若者は、予約なしで夕方前YHにやって来て空きベットがあれば泊まるというふうにするのである。もしかしてそのすれちがった若者は、私が今から行くYHを満員ということで断られたのではないだろうか、もしそうだったら当然私が今から行ったとしても断られるに決まっている。もし断られたらどうしよう。YHは安いけどモーテルやホテルに泊まるとなると高いやろうしそれに今から捜すとなると日も低くなってきたし大変だし…といらぬ心配が大きくなってきた。ペダルは坂を登って行く。あった、YHの看板がある。ああここがアメリカのYHだ。予想に反して広い敷地に平屋のドミトリー式の家が五軒ほどあるのだ。日本のYHのイメージできっと2、3階建ての小さなものだろうと思っていたからだ。そうそう肝腎のチェックインは出来ました。まだ空きベッドがありました。ペアレントは若い白人だ。これまた意外だった。もっと年取ったおじさんがペアレントしてると思ってたのに。一泊のお金を払って名前のカードの紙切れを貰う。どうやらこれがベッドの所有権を示すカードらしい。ただの色画用紙の単語カードみたいなやつだ。なんとなく心もとない。私が英語が解ると思ってか、YHの規則とかをベラベラしゃべっていたが、私の表情からさっぱり解ってないと気付いたのか諦められてしまった。そして、君のベッドはその3番の家だと言っておしまいになった。自転車から荷物をはずしその3番の家へ。外から見たさっきのイメージは今度は崩れた。ベッドは2段式の直径2 くらいのパイプで作られた簡素な物。マットは病院にあるような薄いやつでしかもサイズが日本と同じ位なのだ。米人は体格がデカイからベッドも大きくていいのにどうしてだろう。さて荷物を置くところが見当たらない。部屋を見回すと、2段ベッドが20くらいあるだけで他は何もない。何人か若者(外人)もいてベッドに寝転がっている。また荷物を置いたままどこかに行っていないベッドもある。YHでは盗難とかされても全く自分の責任なのになんとみんなのんびりとしていることかと思う。隣の部屋にシャワーやトイレなどがあった。そして、なんだ、ロッカーもありました。がー、しかしロッカーをよく見ると強引に何かで壊された跡がありありと残っているものもあって、やっぱみんなのんびりと構えているようで、私なんかの気付かないところで自分の身は自分で守る工夫をしているんだろうな、そしてそれが日常になってる世の中がアメリカなんだなあと、さっきのことを取り消し改めて感心した次第。 このYHは自炊可ということで台所ののある別棟のところ、つまりさっきの受付の家に行ってみる。台所の雰囲気、テーブルの感じ、英語で書かれたちらしやポスターや案内、テレビや何かで見た感じと同じなことに改めてアメリカ風やなあと思ってしまう。冷蔵庫がまたアメリカらしい。でかくて白くてそして古くて、中にある物もやっぱアメリカやなあ。一人でニタニタ感心してしまった。回りでは夕食している人、コンロの前で何か作っている人、コーヒー飲んでる人と様々。個人主義が空気のようになってる。何だか、今見ているアメリカ映画の中に突然自分が客席からスクリーンの中にワープしてしまったように思える。さて、自分も夕飯を食わねば。スーパーで買った一斤の食パンとジュース、それとテーブルの上のバナナの篭にFreeと書いてあったので、そのバナナも戴いてしまった。ところでアメリカの食パンだが安いのだ。ただ一斤の長さは日本と同じくらいだが太さが少しない。そして一枚一枚も薄っぺらくてなんかサンドウィチ用のパンのような感じだが、米人はこの食パンをトーストでカリッカリッの狐色に焼いて食べるようだ。だからかトースターも電力が強いみたいで中を覗くとニクロム線が真っ赤になっていた。しかしカリカリのトーストをジャムなんか付けて米人が食べる様はお菓子を食べてるよう。日本は湿気が多いからか知らないが、喫茶店では厚めのパンを表面だけ薄く焼いて、ちぎると水気があって湯気が中の白い焼けていない所から出るようなのが多い。そしてまたそんなののほうが日頃家庭のトースターで焼くのよりリッチな感じだし、きっと欧米ではそんな食べ方してると思っていたのだが、その反対でカリカリのクッキーみたいにして食べているのはちょっと意外であったが、もしかしたらお国の湿度を反映しているんじゃないかななどと考えてみた。我ながら、この比較文化人類学的な発想に一人悦に入ってしまった。実際私はカリカリの狐色の食パンを今後の主食としてツーリングしていったのであるが、次第にその食べ方の感じというか米人の味覚感みたいなものが体に感じられるような気がして行ったから不思議だ。パリッパリッ。  さて夕食も終わって日も暮れて、今日はとっても長い一日だったなあ。まだ出発したのは今日なのに一週間ぐらい旅して来たような気がする。疲れは自分では感じないがとりあえず今日は多分疲れているんだろうから、ゆっくりして早く寝ようと自分に言い聞かせる。受付の左の通路の奥は小さな図書室になっていて、ソファーもあったので本でも見たりして明日の計画でも立てるべぇ。勿論英語の本ばっかり、文庫本みたいのから旅の本や新聞etcある。そこに自転車アメリカハイキングガイドみたいなのがあったので参考になるかもしれんので意味の分かる範囲で読んでみた。洋書読むなんて高校の時『ドリトル先生の庭』というのを試しに買って読もうとして途中で諦めたとき以来だなあ。単語の分からないのもいっぱいあったのだけど、自分が興味もって読むからだろうか、書いてあることが大体分かるのだから、俺も満更でもないもんだと思ってみたりする。さてその洋書読みを続けていると…まわりの男女がなんやかんや楽しそうに話して少しずつどこかへ出掛けるのだろうかいなくなって行く。あの話し方からしてこのYHで初めて会った人達どうしだろうけどどうやら、「夜の街にでていってフィーバーしょうや」「ディスコに行こうや」とこんな内容である。さすがロサンゼルスに近いYHだ。そう言えば、今日は金曜日でした。ということで、しばらくの間にYHの若者が減って行く。僕といえば本を読み続ける。今日はゆっくりして休みたいというのもあったけど、荷物を置いてYHを離れて街で遊びまわる心のゆとりはまだなかったのだけれど…。そういう僕にもグラマーなギャルが私の座っている長いソファーのちょっと横に座って、何か僕を挑発 というのは冗談だけど、“私を誘ってちょうだい。”と言わんばかりなしぐさ。ぼ、僕ちゃんは大いに緊張、でもでも知らない振りして読書、読書。別の女の子が入って来て、そのギャルに遊びに出ようみたいなこと声かけて来たけど軽く断って…どうやら僕に誘って欲しいような態度…。どうしようー。ここのYHの飼い猫とじゃれながら娘らしく可愛らしくしたりしている。でも僕は読書、読書。しかししばらくして別の女の人がそのギャルに声かけたら、そのギャル嬢、先程の可愛らしい声より低い声で何とかかんとか言って、まるで私を振ったかのような態度でソファーを立ってその別の女の子と一緒にどこかへ出て行ってしまった。僕は、「………。まあいいかあ 」(なにがまあいいんでしょう?)  本を一通り読み終えて広い庭に出てみる。LAは西海岸で空が澄んでいるから、夜空はきっと星がさぞ奇麗だろうと期待していたのだけれど、このYHから見るとまわりがオレンジ色の光で明るくて福岡よりも星が見えない。あの工場や飛行場の光のせいだ。バカヤロウー でも何とか夏の大三角形は見えたのでした。  ベッドは二段なのに上のベッドの回りに囲いがないのだ。もし寝相が悪くて寝返り打ったりして下の堅い床に落ちたら危ないぞ。打ち所悪けれりゃ大怪我だ。頭なんか打ったら死ぬかも知れん。何で横の囲いがないのだ そんなだからシュラフのなかで少し窮屈なうえに精神的にも寝返り打ったら落ちるという思いからか、それとも無意識だけれど興奮しているのかな、疲れているはずなのになかなか眠れない。夜中人が入って来てかさこそ音がしていたけど、きっとフィーバーした人達のお帰りだったのだろう。 朝である。異国の地アメリカで迎える最初の朝。清々しい朝である。朝の光がとても輝いている。やっぱり湿気がないからだろうかカラリとしている。日本じゃ朝の光こんなにきらきらしてないよな。少しYH内の敷地を朝日のひなたぼっこをしながら散歩してみる。アメリカ二日目さあいよいよ私のアメリカ横断の旅が始まるのだ。10月4日YH朝食ジュウスあげようとしたら、NO THANK YOU、日本人的発想だったとともに、米人なんだと。YHの掃除割り当て握手良い天気。 立ち入り禁止(ホルトに出会う前)もしかして原水爆実験の跡地かも白血病で死ぬかも 毒蛇ホルト。地図(国鉄→日本、米→道路)。バッタの大群踏む。キチョウの大群赤土の畑。台湾の女主人のモーテル、プール付き。自動販売機25¢入れて手で押し出す式。ペンキ屋素人下手。山に文字や数字を掘っている。M。行動と勇気は可能性へと続く。自転車は素晴らしい。海沿いの町。外国人意識は韓国で。はじめてのモーテル高かったけど、山の中キャンプ地に併設された、今日はお風呂かシャワーしたかったから、高かったけどこの先どうなっているのか分からないから知らずに、ここいらの土地は寒くならないから布団がないなとかいな、それとも、夜になったら持って来てくれるのかなとメイキングされたベットのふとんの上で思った。ガスコンロではなく電気ヒート式コンロだ。小学校みたいなところで野宿。自転車屋開店前店前で待つ入。変な奴と思われただろう。頑丈なチェーン錠(サンディエゴのホテルで切られていたので)とサイドバッグを買う。痛い出費だがこれからの旅のためには仕方ない出費だ。目が痛くなりだした。もしかして、アメリカの目の病気をどこかで移されたのだろうか?鏡を見ると充血している。もしかして飛行機の洗面台でコンタクトレンズしたとき移されたのだろうか。病院行かないかんかいな、アメリカは医療費高いて聞いてたけど、旅続けられんくなったらどうしょう、急性の悪性のだったらどうしよう。医者に症状うまく英語でしゃべれるかいな?おまけにリックが崩れる寸前だ。あまり詰め込み過ぎてたからな。高山の中でテント夜とても冷えた。夜中何か生き物がテントをつつく。砂嵐砂の雨が降る、向こうで心配してくれてるおっちゃん、自分もその中。なかなか進まない、目や口が砂だらけ、ベアリングを痛める。でっかいピザ60 くらいをホルトと二人で。軍手をコインランドリーで縮んだ。子供用のコットングラブみたいだと笑う。エルパソ 古いものが残っている家エスカレーター、日本はみんな新しいものを欲しがる。モーテルホルトのちんちん見た。涙のグレイハウンドバス、バスの中で手を振るホルト、馬鹿野郎。夜の橋でパンクMay I Help You?ヒュストまでサナトニオまでなら乗せて上げる。インターチェーンジでテント張った、車が通るとヘッドライトがテント明るくする。蠍座がアメリカでも見えるんだな。しかやスカンクの死体。国手続きカードにどんなふうに書いて良いのか分からなくて。朝モーニングシャワーと洒落込んで見て、男用のシャワールームから出て行くと、昨日の澄ましたほうの女の子がTシャツとパンティーだけで廊下を歩いて来る。ワオーぼ僕ちゃんは… 「お、おは、いや、グ、グッドモーニング」見てわいけないのだ。何気なく何気なく。LAX自転車分解してたらギャルがすごいと驚いてくれる。ハワイの夜の月とやしの木GOOD。カピラニオ公園奇麗な鳥たち、テーブルパンくず、昼寝。ダイアモンドヘッド。太陽高度方向音痴。日陰と日向肌に刺激。