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| ジョンの伯父の物語 |
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私の伯父のことに関する記憶 最近考えると私の伯父は、典型的なアスペルガー症候群だったのではないかと思います。私の記憶は断片的ですが、まとめてみました。 ・伯父の子供の頃 1.私が伯父の子供の頃のことで聞いた話はあまりない。私の祖父は当時(大正時代)地主と製材所経営を兼ねていた関係上、裕福であったらしい。有名な話としては、伯父は子供の頃、屋根の上からお金をばらまいたという話である。銀貨、銅貨であったのか、紙幣であったのか覚えていないが、紙幣を屋根からひらひらとまいたというイメージが残っている。 2.祖父は伯父を長男ということで、甘やかして育てたことが、伯父のわがままの原因と考えたらしく、しばらくの間、養子に出したらしい。戸籍を調べると戸籍が一時他の場所に移されている。現代と違ってまだ精神医学が発達していない時代であるし、まして、1910年〜1920年頃であるから、アスペルガーが論文を発表するかなり前の話である。祖父は伯父の行動によほど悩んだのではないかと考えられる。 3.私の推測では、伯父は養子に出されたことで、トラウマを持つようになったらしい。私の父と伯父では、祖父に対するイメージがかなり違うからである。伯父にとって祖父は相当恐い存在であったらしい。伯父と話をしたときにかなり恐れていたような話をしていた。 ・私が幼稚園の頃、伯父46歳頃 1.ある時、祖母のところへ遊びに行った。伯父は祖母と同居していた。伯父は歯科医であったので、理科系の人間であった。子供の頃の私の興味をひくものをいろいろと持っていた。伯父と2階へ行って、1階に降りようとしたとき、伯父は持っていたものをズボンのポケットにしまった。私は興味があったので、伯父のポケットに手を入れた。次の瞬間、伯父の怒鳴り声が聞こえた。「人のポケットに手を入れるもんじゃない。」そこには豹変したまったく違う人間がいるようだった。今までの穏やかな伯父ではなくて、東大寺の仁王門にいる怒りの塊のような人間に見えた。父が「兄さん、まあまあ、子供のやったことだから。」と言ってその場はなんとか収まった。 2.伯父はその頃、結婚をした。私も結婚式に出席した。しかし、伯父はそれまでの自分の母親との生活が気に入っていたらしく、自分の奥さんに、何かと言っては自分の母親のことを引き合いに出し、比較したらしい。伯父の奥さんはそれがたまらなくて出て行ってしまった。しかし、その奥さんとの間には子供が生まれ、私たちの知らない間に別れた奥さんの子供と交流があったらしい。 ・私が小学1、2年の頃、伯父47歳〜 1.伯父は歯科医であったので、私は虫歯の治療をしてもらった。しかし、私は伯父が恐く、治療中も動くことはできなかった。ある時、私は小便をしたくなった。しかし、それを言い出すことは恐ろしくてできなかった。私は痛恨の思いで、小便をもらしてしまった。慌てたのは、そばにいた母と伯父であった。私の気持ちを察してか、お咎めはなかった。 2.伯父の歯科医院は変わっていると評判だった。まず、待合室で、クラシックのレコードを聞かされてから、治療が始まるという話だった。それほど、伯父はクラシックレコードの収集、音楽、オーディオ機器については、相当のものだった。 ・私が中学1年の頃、伯父54歳 1.私は中学に入って物理クラブに入った。当時は真空管が使われていて、オーディオ用アンプは真空管式だった。ある時、設計図を見て製作していたが、うまくいかなかった。父の言うのには、伯父はそういうものを相当作っているらしいので、教えてもらうことにした。伯父の所へいくと、問題はすぐ解決した。確かに、伯父は真空管式アンプを沢山持っていた。伯父はレコード、オーディオ機器のコレクションに相当エネルギーを注ぎ込んでいた。 ・私が高校3年、伯父59歳 1.伯父は本来の歯科業にあまり熱心ではなく、その頃には廃業していた。歯科医院をたたんで、住宅を建て直した。専ら、レコードの収集とオーディオ機器のコレクションに専念していた。うわさによるとレコードは3000枚あると言う話だった。伯父の部屋へ行くと、オーディオ機器がところ狭しと並んでおり、壮観だった。今では珍しくないが、30年前に伯父はデジタルオーディオテープデッキ(現在で言うS-VHS)という最先端の機器を持っていた。いろいろプロの業界の人と交流があるらしく、業務用(テレビ局用)の機材を購入したり、海外の製品を購入したりしていた。 1.この頃(昭和55年)、現在一般的に市販されている音楽コンパクトディスク(音楽CD)が本格的に販売されるようになり、レコードは次第に販売されないようになった。伯父のレコード収集もこの時期までにほとんどが行われたと考えられる。 |